日々是好日


「あああ、もう、うんざりだっ」

 いきなり喚いたかと思うと、ルーファウスは手にしたペンを放り投げてデスクの書類の山の上にばさりと身体を伏せた。
 数枚の書類が宙を舞い、床に落ちる。
 副社長時代にすら見せたことのないその子供っぽい仕草に、レノもイリーナも目を丸くした。
 もちろんそんな頃は二人ともルーファウスと同じ部屋で仕事をしていたわけではないから、実際にどうだったか知るわけではない。
 だがたまに職場で見る彼はいつも毅然としていて、年齢不相応の落ち着きを見せていた。演技だったのかもしれないが、子供に見られることを嫌っていたのは確かだ。

「社長はお疲れなんだぞ、と」
 言いながらレノは書類を拾い上げる。
 隙間風に吹かれて、書類はむき出しの床の上をいやいやするように逃げ回る。
 ミッドガル中心部の廃墟にごく近い場所に、どうにか建っているといったオフィスビルの一室だ。
 絨毯やカーテンなど生活に使えそうなものは全て無くなっていたが、逆に事務用品はほとんど手つかずで残されていた。
 ルーファウスはそのビルを改築し、当面のオフィスとして使っていた。
 人々の多く住むエッジ付近を避け、未だ体調の思わしくない主人のために医療施設からもほど近く、なお且かつての本社ビルからもさほど離れていない場所、ということで選ばれた場所だ。
 自家発電を備えたからなんとかオフィスとして機能していたが、冷暖房の利きも悪く快適とは言いがたかった。
 しかもオフィスの中では電子機器も使用できたが、世界中に引かれていた通信網は寸断され、かろうじてごく狭い範囲をカバーするモバイル通信の復旧がなったばかり。それも、なによりもまず通信事業をというルーファウスの強力な意志あってのことだった。
 しかし、その程度ではもちろん事業の全てを把握する事は不可能だ。
 従って未だその多くは書類決裁という形でここに集まってくる。
 そうして、メテオ以前にはあり得なかった量の書類がルーファウスのデスクに積み上げられることとなったのだ。

「手が痛い…」
 書類の上に腕を伸ばしたままぼそりと呟く。
 確かに朝からルーファウスがサインし、書き込みをした書類の山を見れば、その愚痴も無理からぬ事に思えた。
 以前はモニタ上で確認し、ただエンターを押せば良かったのだ。
 それに、問題を多々抱えていたとはいえ神羅カンパニーは一応きちんとした組織として機能していた。ルーファウス自身の決裁を必要とする事項がそれほど多かったわけではない。
 だが今は。
 分断され、機能不全に陥った組織は直接トップの意志を仰ぐことでようやく動いていた。
 残った元社員達は、各々生活の立て直しと世界の復興のために努力を惜しまない、という高い理想と責任感を持ってはいたが、いかんせん組織は命令がなければ動かない。一人でできることなど限られているのだ。
 ルーファウスが生き残ってミッドガルにいることを知っている者はごく少数だ。多くの元社員はどこから最終決定が下されているのか知らずに動いている。
 それが全てこの煤けたオフィスから発せられていることは極秘中の極秘だ。
 だからルーファウスの負担は半端でない。
 日ごとに届けられる書類の山、ひっきりなしの連絡。
 この一年というもの、ルーファウスがほとんど休み無しにそれを消化し続けてきたことを、レノたちは知っている。
 だから机に突っ伏したルーファウスの行動に驚きはしても、同情こそすれ、 非難する気は毛頭無い。

 以前の神羅本社ビルに比べたら、このオフィスのセキュリティは無いも同然だ。
 だから、もとタークスのうち二人が交替で必ず社長の側に付く。
 手伝えることは限られていたが、護衛兼任なのだから仕方ない。
 表向き死んだことになっている神羅社長が、今現実にこの世界にとってかけがえのない人物であることを知っているのも、ごく僅かの者だけなのだ。

「お茶でもお淹れしましようか。社長」
 イリーナはそう言って席を立ち窓際のデスクを見たが、ルーファウスは書類に突っ伏したまま目を閉じていた。
「社長は主任が戻らないから夜眠れないんだぞ、と」
「そうですよね。主任のこと、心配ですよね…」
 ため息と共に言ったイリーナを見てレノは首をかしげる。
「それはボケなのかな、と」
「はあ?」
 ツォンとルードは、半月ほど前から任務でミッドガルを出ている。
 少数の、もと神羅兵精鋭部隊を率いての任務だ。
 その『任務』は、以前彼らが『神羅のタークス』であった頃のものとかなり近い。
 現在ルーファウスを中心として活動する元神羅勢力の計画を邪魔する者を排除する――物資の輸送に関して中間搾取を企む者や、インフラの独占を謀る者、多くは小規模なギャング達だ――ことや、対立する企業や公共機関に脅しをかけて揺さぶることなど、あまりキレイとはいいがたい仕事だ。
 ルーファウスは今でもそういったことに容赦がなかった。
 そのやり方は、神羅カンパニーの社長であった頃と少しも変わらない。
 しかもそれは先代のプレジデントにも大変よく似ていたのだが、ルーファウス自身がそれに気づいているかどうかは疑問だ。
 そういうわけで、タークスとしてここに残った四人は相変わらずアブナイ仕事に手を染めている。
 だからイリーナが主任を心配するのも別段変ではないのだが、レノの言葉の意味はもちろん別のところにあったのだった。
「イリーナちゃんが慰めてあげれば、眠れるかもしれないぞ、と」
「ええ〜、私じゃ無理ですよ。レノさんの方が適任じゃないですか?」
「オレがそんなことしたら主任に殺されるんだぞ、と」
「どうしてですか〜」
 イリーナのボケっぷりに、レノは降参と両手を挙げる。

「うるさい」
 いつの間に目を覚ましたのか、ルーファウスが顎をデスクに載せたまま上目遣いに二人を睨む。
「社長のお目覚めだぞ、と」
「うたた寝もろくにできないのか、このオフィスは」
「書類によだれが付いたら困るんだぞ、と」
「レーノ」
 低い声で言って、ルーファウスは書類の束を投げつける。
「全部シュレッダーにかけてこい」
 そして笑っているイリーナを振り返り、
「悪いがコーヒーを淹れてくれ。あ、コイツの分はいらないからな」
 と宣言した。

 物資の不足したミッドガルでは、コーヒーは結構な高級品である。
 もろちんルーファウスが呑んでいるのはメテオ前と同じゴンガガ産の最高級品だ。そのあたりの店で飲ませる、草の根を煎ったようなものではない。
 そのお相伴にあずかれなかったばかりか、シュレッダーは手動の代物で、この枚数を粉砕し終える頃には手にまめができそうだった。
 レノは上司のご機嫌の悪さを身をもって知り、たあいない軽口をたっぷり後悔したのだった。
 
 細切れになった書類の山を燃料ゴミに分別してようやくオフィスに戻る頃には、すっかり日が暮れていた。
「あれ、社長一人? イリーナちゃんは?」
「今日はもう上がらせた。昨日も残業だったからな。おまえももう帰っていいぞ」
「そうはいかないでしょ。社長一人残して行くわけには」
「ツォンから連絡があった。そろそろ戻る頃だ」
「なるほど。じゃ、お邪魔虫は退散するぞっ、と」
「レノ、明日も一日シュレッダーで遊びたいか?」
 書類に目を落としながらルーファウスが言う。
 レノは首をすくめると、素早く姿を消した。

 
 

 
「遅くなりました」
 部屋に入るなり、直立不動のツォンが発したのはその言葉だった。続けて
「報告書は」
「それはいい」
 ルーファウスは手を振って遮る。
「書類はもうたくさんだ。見たくもない」
「では口頭で」
「それもいい。おまえの顔を見れば、上手く行ったかどうかはわかる。こっちへ来い」
 ルーファウスは立ち上がって、デスクの前にやってきたツォンに腕を伸ばす。
 タイを掴み、引き寄せて、唇を重ねた。
 まだ残っていた書類の山が二人の間で崩れ、床に舞う。
「おまえがいないと」
 もう一度キス。
「このありさまだ」
 もっと深く。
「書類がたまってかなわん」
 ようやくルーファウスが身体を離すと、ツォンは引き出されたタイの結び目を直しながら、
「お手伝いします」
 と言いかけたが、ルーファウスは再び身体を乗りだして、いきなりデスクの上の書類を薙ぎ払った。
「その前に、休憩だ」

 
 

 
「デスクの上でやるのはどうかと思うんだぞ、と」
 レノはロッドで肩を叩きながら、一面に書類の散乱した室内を見回した。
 社長のデスクの上だけが、磨いたようにキレイだ。
 見なかったことにして逃げ出そうかと思ったところへ、新しい書類の箱が配達されてきた。
 仕方なく受け取り、これまた仕方なく床の書類を拾い集める。
 ようやく全ての書類をルーファウスのデスクに積み上げ終わったとき、支給されたばかりのケータイの、着信音が響く。
「社長からメール…?」
 嫌な予感に目を細めつつ、ケータイを開くと、
『今日は休む。イリーナとルードにも休暇を出したので、留守番を頼む』
「だあああーーっ、これかよ!」
 主任のことが書かれてないのはわざとなのか。
 今頃どこかのベッドの中からこれを送ってきたであろうルーファウスと、その横の主任の姿を思い描いて、思いっきり脱力したレノが床に懐いていると、再びの着信音だ。
 これ以上何かやれって言われたら、ぜってえ帰る、と心に誓いつつ着信を開く。

『コーヒーは自由に飲んでいい』

 さすが社長は一枚上手なのだった。

end