あめあがり怒濤のような数日間が――以前であったならば日常に過ぎなかったレベルの出来事ではあったが、この、嘘のように穏やかだった二年間の後ではまさにそれは試練だった――過ぎ去り、彼らの周囲には再び緩やかな時の流れが戻ってきた。 いや、絶望の淵を歩き続けていたような過去半年に比べれば、呆れるほどに清朗だと言っていい。 どうやっても取り去ることの出来ない痛みをこらえながら働く人の傍らで、確実に近づく死の跫音に怯え続けていたのはその人よりもツォンの方だったろう。 北の大空洞で、無謀とも言える行動でレノたちを逃がしたのは、あの方の側に残ってより役立つのは彼らだと思ったからだ。 怪我の後遺症で動きの鈍くなった自分の身体では、思念体たちに立ち向かうことはできないと分かっていて。 イリーナを逃がせなかったのは心残りだったが、ミッションが失敗に終わりあの方の命が失われるのを見ることは堪え難かった。 大空洞内に残されていたジェノバ、そして突然現れた思念体。 『英雄』を思い起こさせる銀色の髪の三人。 その時自分は、あの方の考えが正しいことを確信した。 どんな形であれジェノバは星痕症候群に関わっており、それを取り除くことでしか病を根絶することは出来ないだろうと彼の人は言ったのだ。 ――方法は分からない。 だが、とにかく動き出すしかない。行ってくれるか―― 真摯な瞳でそう言われて、ただ頷くしかなかった。 声を出せば震えていることに気付かれてしまいそうだった。 嬉しくて。 今、貴方の役に立てることがこれほどに嬉しい。 だから決して失敗は出来ないと思った。 自分は戻れずとも、部下が――いや、もうタークスは無いのだから、部下ではなく仲間だ――必ず彼の人を護ってくれるはずだ、と。 そんな考えはもとよりすべて知れていて―― 「二度は言わないと言ったはずだ」 不機嫌を隠しもせずにルーファウスは言い放つ。 ジェノバを隠し持ったままカダージュと渡り合い、ビルからの落下というおまけ付きの対決の後、降り注いだ雨で星痕が消滅するという奇跡にも似た現象によってその身体に巣食った忌まわしい病から解放されたルーファウスは、そのまま車椅子の上で眠ってしまい、ヒーリンのロッジへ運び込んだ後も丸一日昏々と眠り続けたのだった。 そしてようやく目覚めた彼は、ベッドの横に控えていたツォンに開口一番そう言ったのだ。 「ルーファウス様…?」 何を言われているのか、理解できなかった。 「まったく…」 ルーファウスは大きくため息をつく。 「おまえは物わかりが悪いな」 「申し訳ありません」 呆れたというように今度は天を仰ぐ。 「訳も分からずに謝るな」 「…」 慎重に返答は避けた。 これ以上主人を苛だたせることも怒らせることも避けたかった。 かつてほどではないにせよ、この主人の怒りの沸点は低い。 だが沈黙するツォンから目をそらし、ルーファウスは語り始めた。 「おまえが古代種の神殿から戻らなかったとき私がどんな気持ちだったか、おまえは考えたことがあるか?」 ツォンは主人の横顔を見つめる。 「父が生きていた頃、私はずっと、父からおまえを護りたいと思っていた」 包帯のはずされた喉元に小さく白い傷跡が光る。 忘れたことはない。その傷の持つ意味は。 「それなのにおまえが名実ともに私のものになった途端、私がしたことはあれだ」 「あれは必要なことでした」 「そういう問題ではないと言っているんだ」 目を上げたルーファウスが、ツォンを見つめる。 「今度のこともそうだ。おまえは私の命令に従っているつもりかも知れないが、いつもそれ以上のことをしたがっている」 「そうではありません。たとえ犠牲を払ってもミッションは成功させなければ意味がありません。それは貴方も同じお考えだと思いましたが」 忘らるる都からツォンとイリーナの二人がようやく帰還したとき、ストライフたちを巻き込んでカダージュ一味に対抗する作戦に取り組んでいた主人はただ、 『ご苦労だった』 と言っただけだった。 任務を遂行したことに対する冷静な評価に、ツォンはこの上ない満足を感じた。 それで充分だと思っていたのだ。 だが、主人の心の内はそうではなかったらしいと、ようやく気付く。 「おまえは融通が利かなくて頑固な上に、思いこみが激しすぎる」 「…申し訳…」 「おまえは自分のことばっかりだ。少しは私のことを考えてくれたって良いのに」 そう言って見上げてくる目が、遙か昔――実際にはたかが十年かそこら――の年若い主人に重なった。 「ルーファウス様…」 「約束しろ」 もうずっと聞いたことの無かったような、幼さを感じさせるもの言い。 「絶対に私より先に死ぬな」 「それは」 「私を置いていくな。二度と私におまえを失ったと思わせるな」 「ルーファウス様」 「私を愛しているなら…約束しろ」 主人の腕が伸びて、ツォンの袖を掴む。 その指の白さと手首の細さに胸を突かれる。 ツォンはありありと思い出す。 かつてカームの病室で、神羅を捨て二人でどこかへ逃げようと冗談めかして言ったときのルーファウスがどれだけ真剣だったか。 自分はずっとその本心を見誤っていたのだ。 縋るように袖を掴む手。その手を取り、冷たい指に口づける。 「お約束します。ルーファウス様」 星痕が消え、元の白さを取り戻した指。 「決して貴方をお一人にはしないと。私はずっと貴方のお側におります」 じっと見つめてくる深い青が、薄く細められる。 「嘘つきめ」 「はい」 指が髪に絡められる。 それを引かれるまま、唇を重ねた。 『二度は言わない』と言った最初の言葉の意味がやっと心に落ちる。 『愛しているなら』という言葉は、『愛している』と同義だ。 そんな言葉を口にすることほど、この主人に似つかわしくないものもない。 それを一度ならず二度までも言わせて。 そうまでしてなお、偽りの約束しか口に出来ない自分の不甲斐なさを嫌というほど思い知らされる。 「ツォン…」 耳元を擽る声は、それも皆分かっているのだと言わんばかりの甘い囁きだ。 その背を抱き込み、もっと深く口付ける。 ただそうすることでしか、ツォンにはルーファウスに応える術がない。 そのまま二人は、柔らかいベッドに沈む。 「ルーファウス様、お身体が…」 言いさした言葉は唇で塞がれる。 さすがにそれ以上ツォンの抵抗は無かった。 「ちょっとはオレ達のことも考えて欲しいんだぞ、と」 嘆息混じりにレノは愚痴る。 防音など無きに等しいこの建物では、隣の部屋の話し声は筒抜け、とは言わないまでも話をしていることは分かる。 その話の内容がどこへ転がっていったのかも、その後の物音を聞けば明白だ。 こんな時、タークスとしての無用に鋭敏な聴覚が恨めしい。 社長が目覚めて嬉しいのは自分たちも同じなのに、これではただのお邪魔虫だ。 「いいじゃないですか。そっとしておいてあげましょうよ」 「イリーナちゃんは、主任Loveじゃなかったのかな、と」 「それはもう諦めました。主任と社長がお幸せになって下されば、それでいいです」 「…」 重々しくルードが頷く。 レノは肩をすくめ、ソファから立ち上がる。 「どこへ行く」 珍しくルードが声をかけた。 「祝い酒くらい飲んでも、バチは当たらないんだぞ、と」 「でも勝手に出かけては…」 「主任がくっついて居るんだから社長のことは問題ないんだぞ、と」 「そうですね。お二人だけにして差し上げてもいいですよね」 「そうそう。イリーナちゃんもいいこと言うぞ、と」 「…」 ルードも頷いて立ち上がった。 「今日は主任のツケで飲むんだぞ、と」 「あ、いいですね、それ!」 「…」 もちろん反対の声はない。 そっとドアを閉めて出ていった三人の気配を、ツォンは感じ取る。 その腕に抱き込まれ、目を閉じていた人が瞳を開く。 他所に気を取られたことを、気づかれてしまったか。 だがその人はツォンをみつめ、目を細めると 「大丈夫だ、ツォン。ツケは私が払ってやる」 と言って笑った。 end |
たまには、ちょっと甘いツォンルを書こう…なんて思ったのに、 うーんうーん、 またギャグオチかい_| ̄|○ しかも、相変わらず主任超ヘタレ攻め… 背景が合わないったら(笑) |