翼無き者達の行方

カウントダウン

 

「ルーファウス様? どうかなさいましたか」
 カップを持ったままぼんやりと窓の外を眺めているルーファウスに、ツォンは声をかける。
 こころなし、顔色が悪いような気がする。
 疲れさせてしまっただろうか。

 増える一方の仕事の合間を縫って、昨夜は久しぶりに身体を重ねた。
 少しでも睡眠を取った方が良いと勧めると、
『おまえはどうか知らないが、私はまだ若いんだぞ。そうそう禁欲していられるか。気が乗らないというならそこで見ていろ』
 と言いつついきなりベッドの上で脚を開く主に、ツォンは慌てて縋る。
『申し訳ありません』
『バカ。せめてもっと気の利いたことを言え』
 笑った声で、それでも熱い口付けが降ってくる。
 
 始めてしまえばツォンにとっても久々の情事だ。
 夢中になって求め合い、気づいたらすでに夜明けだった。
 眠れたのは、ほんの二時間ばかりか。
 いくら若いといっても、ずっと過労気味の主の横顔には疲労の色が濃い。

「いや」
 だが振り向いた顔には、いっそ見慣れないほど穏やかな笑みが浮かべられていて、ツォンはなぜか胸が締め付けられる。
「こんな暮らしもいいものだな」

 
 

 
 かつての贅沢な生活とは、比べるべくもない。
 オフィスにほど近い、無人になったアパートの一室だ。かろうじて住居として使えるだけの体裁しか整っていない。粗末と言っていい家具。空調もなく湯もろくに出ない。不安定なエネルギー供給のせいで、電化製品の使用もままならない。
 そんな場所だから難民同然となったミッドガルの住人達も住もうとはしないのだし、だからこそルーファウスはあえてこの場所に住んでいる。
 住人の多い場所で暮らせば、人目に付くことは避けられない。
 このアパートとオフィス、リーブたちが本拠地としているエッジにほど近いビル、それからヘリを使って他地域に出かける以外ルーファウスが出歩くことはほとんどない。
 人目を避け、逃げ隠れするような暮らしは、かつて世界に君臨した人のそれとはあまりにも違う。
 専用のコックが調理した食事しか食べたことの無かったルーファウスが、今前にしているのは神羅ビル跡から掘り出してきたレトルトだ。
 口に合わなかったのか、ほとんど手が付けられていない。
 コーヒーだけはゴンガガから運ばせた最高級品だったが、テーブルにはクロスすらない。
 それでも、かつてのその豪奢な生活をルーファウスが楽しんでいたのではないことをツォンは知っている。
 のしかかる重圧に喘ぎながら、決して弱音を吐くこともしなかったあの頃。
 今よりもまだ若く、ほとんど幼いと言ってもよかった頃からどれほどの無理を重ねていたのかは、自分が一番よく知っているのだ。

 貴方のその努力は無駄にはならなかった。
 それがあってこそ、現在のこの生活はようやく維持できているのだから。
 そして、倒れかけた神羅カンパニーという巨大な錘を下ろしてしまった貴方は、ずいぶんと身軽になった。
 このごろは、軽口混じりに愚痴さえこぼす。
 そんな貴方を我々がどれほど愛しく思っているか、貴方にはおわかりだろうか。
 口さがない連中は神羅を潰した二代目と貴方を称するけれど、もし貴方がいなかったらこの世界は今よりずっとひどい有り様になっていただろう。
 それを知っているのは我々だけだ。
 それでいい。

 オフィスには、相変わらず書類が山積みだ。
 朝のうちに届けられた箱が、入り口の辺りを占拠している。
 それを見ながら秘かにため息を落としたのは、ルーファウスではなくツォンだった。
 せめて専任の秘書を、という言葉は聞き届けられることはなく、ルーファウスは四人の元タークス以外がんとして側に置こうとしない。
 だがタークスはもともとデスクワークは専門ではない。
 手伝えることなど限られているのだ。

 手渡された書類を受け取ろうとして触れた手は、びっくりするほど熱かった。
「熱がおありなのでは?」
「いい」
 額にやろうとした手は、素早く遮られる。
「この書類を発送してきてくれ。それからこっちは直接リーブに。あちらから渡されるものがあるから、すぐに持ち帰れ。それと折り返し電話をくれるよう伝えてくれ」
「はい」
 返事を待たずに、ルーファウスはすでに次の書類に目を落としている。
 カツカツと神経質にペンでデスクを叩いているのは、何か上手くないことがあるせいだろう。
 こんな時よけいなことを言っても聞き入れられないばかりか、徒にルーファウスを不機嫌にさせるだけだ。口論にでもなれば、貴重な時間が潰れる。
 後ろ髪を引かれる思いで、ツォンはオフィスを出た。

 

 
 
「ルーファウス様はどうしてらっしゃいますか」
 リーブが訊く。
「最近はほとんどこちらにも顔をお見せにならないから…」
 さみしい、と続きそうなセリフに、
「お元気ですよ」
 ツォンは無難な返事を返す。
「書類の山には閉口していらっしゃるようですけれどね」
「ああ。あの方の時代にはもう、ほとんどペーパーレスでしたからね。ならば良いお知らせですよ。どうにか通信ライン復旧の見通しが立ちました。この周辺だけですがね」
「それは、お喜びになるでしょう。幾分かでもオンラインが使えれば、負担が減ります」
「そうですね。なにもかもルーファウス様に頼り切りで、申し訳ないばかりです」
「仕方ありませんよ。プレジデントは、ルーファウス様だけにしか神羅を渡したくなかったのですから。またあの方も、ご自分でやらなければ気が済まないたちですしね」
「意外に似たもの親子…ということですかね」
「ルーファウス様が聞いたら、怒りますよ」
 二人の会話では、社長という言葉は出てこない。
 二人はルーファウスがまだ幼なかった頃を知っている数少ない人間だったから、二人だけの時はどうしてもそうなる。
 リーブは、プレジデントがルーファウスに暴力を振るっていたことまでは当時は知らなかったようだったが。
 だが逆にリーブは、プレジデントが若く有能な経営者として神羅を築き上げていった時代を知っている。
 それにルーファウスを重ねているのだろう。
 確かにルーファウスはプレジデントに通じるところがあると、二人の主に仕えたツォンも思う。
 その髪と目の色だけでなく、不器用な感情の表し方や、冷酷、傲慢と言われながらも意外に洒落っ気があること。
 そして良くも悪くも、その強引で果敢な手腕も。
「ともかくすぐにでもオンラインの」
 リーブが言いかけたとき、ツォンの携帯が鳴る。
「失礼」
 一礼して携帯を開けたツォンの耳に飛び込んできたのは、ひどく慌てたイリーナの声だった。
 
『主任! 社長が…っ』
「なにがあった!?」
『あ、ちょっ、社長!』
「いったい何事だ!?」
 電話口に怒鳴る。向こうではばたばたと物音がして、ケータイを取り落としたらしいゴツッという音まで響いてきた。
 何者かに襲われたのか。
 僅かの時間だからと、たかをくくっていた。
 イリーナ一人ではあまりにも手薄だったか。
 最悪の事態を想像して、血の気が引く。
 だが、再び電話から響いてきた声は、その件がそうした事態とは別物であることを知らせていた。
『ツォンか。心配ない。イリーナが勝手に…』
「何があったんです。社長!?」
 ツォンの言葉を無視して通話は切れた。
「どうしました?」
 心配そうに覗き込むリーブに適当に返事を返し、ツォンは早足で車に戻る。。
 心配ない、と言われてそうですかと頷けるような声ではなかった。
 襲撃にあったわけではなさそうだが、緊急事態であることは間違いないだろう。
 イリーナはあれでもタークスだ。
 社長の言葉より、イリーナの判断の方が信頼が置ける。
 そこでようやく、先ほどのルーファウスの様子を思い出した。
 熱かった手。
 朝から悪かった顔色。
 心配無いだと?
 あの方のその言葉は、全く信用できない。

 
 

 
「主任ッ」
 ドアを開けるなり涙声のイリーナが駆けてきた。
「社長はどこだ!?」
 敬語を使う余裕もない。
「奥の、部屋に」
 応接室として使用している部屋だ。
「気分が悪いから少し休むって言われて、立ち上がったら急に倒れられたんです。だから主任に電話を…っ。そうしたら社長がそれを取り上げられて」
 イリーナの声を後に一瞬で部屋を横切り、ドアを開けたツォンの目に映ったのは、古ぼけたソファに身体を丸めているルーファウスだった。
 身体には毛布が掛けられているが、そもそもソファはルーファウスが寝られるほど大きくはない。
 窮屈そうに手脚を折り縮めて横になっている。眠っているのかこちらを向こうともしない。

「ルーファウス様?」
 眠っているのだとしても、こんな処に置いておくわけにはいかない。
 近寄って顔を覗き込むと、薄く目を開いた。
「…ツォン?」
 擦れた声が呼ぶ。
 額に手をやると、燃えるようだ。
「すぐ病院に。イリーナ、車を出せ」
「ツォン…」
 差し伸べられた手がツォンの手を握る。
 その手もひどく熱く汗ばんで、小さく震えている。
「帰って、来たのか…」
 そう言って微笑んだまま、ルーファウスはまた眼を閉じた。
「ルーファウス様?」
 あきらかに変だ。
 自分が今戻ってきたのは確かだが、ルーファウスの言う意味はそういう事ではなさそうだった。
 長い不在。予想外の帰還。
 そんなふうに思わせる声音だった。
 高熱による譫妄状態だろうか。だとしたらかなり危険だ。
 なぜ朝もっと強く言えなかったのか。
 後悔に歯噛みしながら、ツォンはルーファウスを抱え上げた。


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