数日間、ルーファウスの熱は下がらなかった。
 もと神羅系のスタッフが運営する病院の奥に設けられた特別室で、ベッドに横たわり熱に喘いでいる人の手を握りながら、ツォンは埒もない後悔を繰り返す。
 思い返せば、2、3日前から様子が変だった。
 
 もともとルーファウスは自分の身体を労ることをほとんどしない。
 無関心と言っていいのか。
 過労で倒れたことも、一度や二度ではない。
 口を酸っぱくしてトップの責任を説いても、分かっていると言われるか五月蠅いと言われるかだ。
 それはツォンが知る限り、幼かった頃からずっとそうだったのだ。

 そのことは自分が誰よりもわかっていたはずなのに。
 わかっていなければいけなかったのに。
  
 そして後悔はその日絶望に変わる。
 ようやく熱の下がったルーファウスの右上腕に浮かんだ黒い染みは、それが死に繋がる不治の病であることを示していたのだった。

 
 

 
 ルーファウスはまだ力の入らない腕を上げてその染みを見る。
「伝染性があるというのは、本当か」
 傍らの医師に尋ねる。
「わかりません。細菌やウィルスによる感染でないことは確かですが。どちらかというとアレルギーに近いものだと、我々は考えています」
「ならば伝染するというのは風説か?」
「子供や老人など体力のないものが発症しやすいという疫学的な傾向は認められますが、それだけでは説明できないことが多すぎて…」
「結局何もわかっていないということだな」
「申し訳ありません」
 医師は目を伏せる。
「いい。ただ、伝染性があるのかが知りたいだけだ。おまえはどう思う」
 かつて宝条の研究室にいたスタッフだ。
 研究室の主はまさにマッドサイエンティストだったが、スタッフには有能な人材が少なからず集まっていた。
 ルーファウスは宝条を信用していなかった。
 セフィロスを追いつめた宝条。
 あの男は、父の抱えた人材の中でも最悪だった。
 だから数年前に、スタッフの何人かを研究室から引き抜いてこの施設を造ったのだ。
 父に隠れて。
 それは病院ではなく研究所だったが、幸いにも神羅本社から離れた場所を選んでいたために、ミッドガルの中心地から遠かったことで大災害の被害をさほど受けなかった。それでそれ以後は病院としても機能していたのだ。
 今現在もここが世界で最高の医療施設であることは確かだった。
「感染経路が判明していません。分泌物の形状から接触感染説をとる者もいますが、私は明確な伝染性があるとは考えていません」
「そうか」
 僅かに安心したような響きが、声音に混じる。
「ならば隔離は必要ないのだな」
「はい。それは現時点では不必要でしょう」
「分かった。今後も治療法の研究を続けてくれ。必要なものがあれば提供しよう。資金については途絶することがないよう手配しておく」
「…はい」
 穏やかな声で告げられ、医師は一瞬返答に詰る。
 この方は治癒することを期待していない。
 生き続ける事への執着が、欠片も感じられない言葉だった。
 まるでスケジュール帳に書き込むような気軽さで、死の予定をどこか遠くない先に設定したようだ。
 そして彼はすでにその先を見ている。

 熱は下がったとはいえ、一週間近くも寝たきりで体力が落ちている上に星痕病を発症しては、もうアパートへ戻って生活することは無理だった。あのオフィスを使うことも難しい。
 もっと設備の整った場所できちんと管理しながら暮らさなければいけないというのは、ツォンの口からではなく医師から告げられたことだったので、ルーファウスは素直に従った。
 期せずして復旧したばかりの通信システムが早速役立つ事になったのだが、それはまだ少し後の話になる。
 新しい住居が整うまでの間、ルーファウスは病室をそのままオフィス代わりに次々とスタッフを呼びつけていた。
 ようやく軌道に乗りかけていた業務の流れを変更するのは厄介な仕事で、ツォンの一日はほとんど外回りに費やされていた。
 本当はずっとルーファウスの傍にいたかったのに。
 だがそんな勝手が通るはずもない。
 人手は常に不足しているのだ。

 
 

 
 その日はたまたま予定したより早目に戻ることができた。
 ルーファウスの部屋には、数人の技術者が詰めて窮屈そうにしながらなにやら議論していたので、ツォンは部屋の外で待つことにした。もとより病室はそれほど広くはない。防音が効いているわけでもなかったので、部屋の中の話し声は必然的にツォンの耳にも入ってきた。
 専門用語が飛び交う会話は初めのうちなんの話題か分からなかったが、やがて魔晄炉のメインシステムに関する事だと察しがついた。
 その技術用語炸裂の会話にルーファウスがついて行けているのが、驚きだ。
 ほとんど言葉は挟まず、あちこち飛びまくる話を辛抱強く聞いているだけだが、時折行き過ぎた脱線を本筋に戻す調整役をしているらしいところを見ると、議論の輪郭はつかめているのだろう。
 こういう時、彼の指導者としての資質を再確認する。
 短気で独善的だと言われがちな主人あるじだが、直に接したことのある者は決してそうは思わないだろう。
 性急に見えるのは決断が早いからで、もっと言えば早くなくてはこなしきれない仕事を抱えているせいだ。
 必要だと思えば部下の話をじっくり聞くことも厭いはしない。
 そしてどんな問題について論じても必ず的確なビジョンを示した。
 それが、天性の聡明さだけでなく不断の努力に支えられていることも、ツォンは知っている。
 その努力も、それを支えるこの美しい身体も、なにもかも根こそぎ持って行かれてしまうのか。
 世界はまだ彼を必要としているというのに。

「どういうおつもりですか! メインシステムのアクセスキーを変更されるというのは。しかも…」
「あれはもともと親父が作ったシステムだ。そもそも実状に合わない」
「そういうことではないのでしよう?」
 ベッドの上で書類に目を落としたまま受け答えしていたルーファウスは、詰め寄るツォンをちらりと見上げ、僅かに嘆息して手にしていた紙束を投げ出した。
「なんでおまえはいちいちそういうことに煩いんだ。今現在すでに実状にあっていないシステムが、近い将来全く合わなくなってしまうというトラブルを回避するための処置だ。当然のことだろうが」
 たたみかけるように正論を吐かれて、ツォンは返す言葉に詰まる。最初から自分の主張に理がないことは分かっている。
「親父は強突くばりで他人を信用しない上に、私を溺愛していたそうだからこんなシステムを造ったのだ。だいたいたった二人の人間しかアクセスできないなどというのが間違っているんだ。早晩、システムの再構築は必要だった。それが間に合わないなら臨時の措置をとるといっているだけだ。現在のシステムではどうやっても二人だけのアクセスキーしか作動させられないそうだ。だからそのもう一人におまえを指名すると言っている」
「私は」
「おまえの意見は必要ない。これは私が決めたことだ。私の裁量に納得がいかないなら、出て行け。引き止めはしない」
「ルーファウス様!」
 悲鳴に近いツォンの声に、ルーファウスは二度目のためいきを落とし、俯いた。
「仕方がないだろう。ここで私がいなくなったらなにもかもたち行かない、では困るのだ」
「あなたが私を置いていくと言われるのか」
「私が望んだことではない」
「そんなことは分かっています。それでも!」
 食い下がるツォンの襟元に、ルーファウスは突然手を伸ばした。
 掴んだ襟元を引き寄せ、驚くツォンがなんの反応も返せないでいるうちに唇を重ねる。
 噛みつくような口づけがやがて熱い吐息に変わる。
 ルーファウスは唇を離し、ゆっくりと笑う。
「五月蠅い口を黙らせるには、これが一番だな。…これ以上私を困らせるな、ツォン。それでなくとも、時間がないのだ」
 ツォンは唇を噛む。
 分かっている。
 自分より遙かに年下のこの人を困らせてどうなるというのだ。
 分かっていても、責めずにはいられない。
 諦めたというそぶりすら無しに自分のいない未来を語るなど。
 そして貴方を追うことは決して許さない、といわんばかりのその仕打ちも。

 言葉を失ったツォンを見上げて、ルーファウスはうっすらと目を細める。
 その表情はまだ幼かった頃よく見たものだと、ツォンは気づく。
「おまえはわかりやすいな。人はよくおまえを無表情だと言うようだが」
 僅かに首をかしげたその仕草も、幼い頃と同じだ。
 あの頃からは、ずいぶんと遠くへ来てしまった。
 だがそのまなざしは、少しも変わっていない。
 蒼く透き通る瞳がほんの少し笑って、白い手が差し伸べられた。

 触れ合った皮膚から互いの熱が伝わる。
 細められた瞳が情欲を湛えてツォンを見つめ、唇からのぞく舌が口付けを誘う。
「今ここで?」
 というツォンの問いは
「かまわない。ここは私のプライベートだ」
 の一言で斥けられた。
 半分はルーファウスの身体を気遣ってのことだったが、すでにそのペースに巻き込まれている以上抵抗できないのは承知の上だ。
 すべての衣服を取り去ってシーツの上に横たえられた身体を、丹念に指と舌でなぞっていく。金の髪が絡まる首筋から舌を滑らし、小さな桜色の突起を含むと、それが唇の間でぽつりと立ち上がってくる。
 甘い吐息が、主人あるじの喉からもれる。
「…ツォン…」
 普段の彼からは想像もつかないほど、優しくたおやかな声だ。
 それを知る者は今はもうツォン以外にほとんど無い。
 さらに唇を滑らせ、とうに張り詰めて震えているそれに、触れるか触れないかというほどの愛撫を加える。
 ルーファウスはじれったげに身体を捩り、自らツォンのモノに手を添えて開いた脚の奥へと導いた。

 
 

 
「繃帯が濡れましたよ」
 シャワールームを出たルーファウスをバスタオルでくるみながら、ツォンは言った。
「かまわない。どうせ汗でぐっしょりだったんだ」
 そう言ってルーファウスは上腕部に巻かれた包帯を無造作に解く。
 むき出しにされた黒い染みに、ツォンは一瞬目を伏せる。
「おぞましいか?」
 かけられた問いの、自分の想いとのあまりの落差にツォンは咄嗟に返事ができず、代わりに主人あるじの身体を抱きしめていた。
「まさか…ただ、」
 ――これが貴方を奪っていくかと思うと、耐えられない――
 だがそんな言葉を告げるわけにはいかない。
 失った言葉を補うべく、ツォンはその染みに口づける。

「、やめておけ」
 一瞬、息を呑むように身を引き、ルーファウスはツォンを押しやる。
「伝染性は無いだろうという話だが、確定ではない」
 坦々と続ける主の口を、今度はツォンが塞ぐ。
 そんな話を聞きたいのではない。せっかく互いを確かめ合ったその直後に。
「私はいつでも貴方のお側にいます。ルーファウス様。いつでも御意のままに」
 くく、と喉の奥で笑って、ルーファウスは応えるようにその背を抱きしめた。

 いだき合う二人の間で、零れ落ちる時の音が絶え間なく響きはじめる。

end

2005年12月2日(金曜日)