WHITE MOON


クラウドはいささか混乱していた。

眩しい朝日が射し込む部屋。
一見簡素だが、よく見れば随所に改築が施され、見た目通りの安っぽい建築ではないと分かる。
驚くほど適温に保たれた部屋は、それだけでこの時代にあっては贅沢の極みと言ってもいい。
眩しい朝日の輝く窓は、先ほどまではもっと濃いスモークに調節されていて、ほどよく薄暗かった。身を起こしたクラウドの動きを感知して照度が上げられたのだろう。
ほんの数年前までは、普通に存在した――それだってクラウドごとき超庶民レベルの生活では身近にあるものではなかった――技術だが、ミッドガルと神羅が崩壊し、エネルギー事情も混乱を極めている現在では滅多にお目にかかれないものだ。
世界を睥睨するビルを失っても、それを所有していた男はいまだ相応の富と権力を手にしているのだと思い知らされるような部屋だった。

だが混乱の原因はもちろん部屋ではない。
昨夜は部屋の様子も気づかないほど頭に血が上っていたが、その原因は、今自分の横に見える白い肩と、色味の薄い金の髪――この家の主人の方だった。
白いリネンで統一されたベッドの中。
隣の肩はむき出しで、肩だけじゃなくその下も全部裸なことは分かっている。対する自分も、一糸纏わぬすっぽんぽんだ。
ここで昨夜何があったのか、分からないのは幼児くらいだろう。
べつに記憶が飛んでいるわけではない。
一服もられたとか、拉致られて無理矢理とか、そういうわけでもない。
だいたい女役はいまだにグースカ寝ているこの男の方だった。
確かに多少酔ってはいたが、もちろん正体失くすほどでは無かった。
昨夜の行為自体はくっきりはっきり覚えているし、それがびっくりするほど良かったことも。オトコのあんなところがそんなにいい具合だなんて知らなかったとか……いやいやいやいや、そういう問題ではない。 
なんでそんな事になったのか、その心情が、思い出せない。
その一点で、首をひねるクラウドなのだった。

額に手をやったまま固まっているクラウドの横で、もそりとブランケットが動いた。
ぐーすか惰眠を貪っていた男も、朝日の眩しさに目が醒めたらしい。
「んん……」
向こうを向いていた顔がくるりと反転して、金色の睫毛に縁取られた瞳が開く。
「…クラウド…?」
二三度瞬きして、まだ半分眠りの中にいるような声が名を呼んだ。
どきん、と心臓が跳ね上がる。
頬が熱くなって、あらぬところも熱を帯びた。
「…おはよう」
そんなクラウドの動揺など知らぬげに、薄青の瞳が細められる。

うわあああ…
反則だろう、それ!?

いやいやいやいや!
上がった心の声を即座に否定する。
いま、こいつをカワイイとか思わなかったか!? 自分!!!
可愛くないから!
どう贔屓目に見ても、可愛さなんかかけらもないから!!

そう思うそばから、だめ押しの一言が薄桜色の口唇から発せられた。
「昨夜は…すごく悦かった…」

もうすいません!といって突っ伏したい――と、そんな気分に陥るクラウドだが、表面的には至って無表情に
「…ああ」
と呟いただけだ。
対するルーファウスは、ふふ、と微笑う。
笑うのか、コイツ!?
いや、笑った顔はなんども見たが、それはいつも嘲笑とか冷笑とかとにかくそういう分類に属する笑いで、『笑顔』というようなものじゃなかった。
それが、この掛け値なしの笑顔!
しかも枕に散った髪は額にも降りかかって、そうしてみるといつもよりずいぶん稚い感じだ。
自分と大して違わない年令だと知ってはいたが、実感したのは初めてだ。
考えてみればルーファウスと顔を合わせる機会がそれ程あったわけじゃない。
神羅兵だった頃は、副社長なんてモニタの中でしか見たことがなかったし、その後は敵として何度か向かい合ったきりだ。敵は敵でしかなく、一人の個人として認識した記憶は無い。
権力の象徴としての神羅社長―――というイメージだけの存在だったと言っていい。むしろルーファウスの側こそが、そう思わせたいとしていたような気がする。
自分よりはだいぶ華奢な身体(それはゆうべとっくりと見た)。
端正な造りの顔は、目を閉じているとなんだか頼りなく見える。
柔らかな髪の感触。
女のように自分を受け入れて―――
決して女性経験が豊かとはいえないクラウドだったが、その行為がずいぶんと気持ちよくて、しかもオトコを抱いているという即物的な感じが全くなかったことには驚いた。
なんというか―――フンイキに呑まれていたとでも言うのが、一番近い気がする。
そしてこのセリフだ。
女はなかなかそんなことは言ってくれそうもない。
でも、そう言われて悪い気のする男がいるはずもないのだった。

コイツは金と権力で人を支配しているのだと、単純に思っていた。
けど、どうもそんな簡単な話じゃないらしい、とようやく気づく。
これが全部芝居で戦略だったとしても、それでも籠絡されてしまいたいと思わせるだけのものが確実にある。天下の神羅カンパニー副社長、社長としての経歴は伊達じゃないと言うことだ。
カリスマ性、なんていう手垢の付いた言葉では表現出来ない能力だ。それがたった一人に向けられたときどれほどの威力があるのか、身をもって体験したばかりだから誰よりよくわかる。
こいつを好きだとか思ったこともないし、まず男とこんな行為をしたいと考えたこともない。というかむしろ嫌だ。
自分の性的嗜好は至ってノーマルだと思う。
相手はもちろん女性で、胸は並かそれ以上が希望だ。そのはずだ。
なのになんで、こんなぺったんこの胸に欲情しなければならないのか、自分で自分が情けなくなるクラウドだ。
そうでありながら、傍らに伏したルーファウスを見てまたいらぬ場所に力が漲ってくるのを止められないのだ。
ばつの悪さに、身体ごと顔を背ける。
するとルーファウスは、腕をクラウドの腹に回し、背中に頬を押しつけてきた。

どきん―――

と心臓が不規則な脈を打つ。

囁くような声がクラウドの名を呼んだ。

昨夜も確か複数回やったはずなのに、起き抜け早々またしても一戦交えてしまった。
こんなことは、クラウドのたいして豊かでない性体験の中では一度もなかったことだ。
男同士というのは、こういうものなのだろうか? それともこれは特別なのか? まったく判断がつきかねる事態だ。
しかし、ぐったりしてしまったルーファウスを胸に抱いて、クラウドが感じているのは後悔でも不快感でもなく満足感だけだ。
明るい陽の下で見てもルーファウスは美しく、クラウドを受け入れて喘ぎ昇りつめるさまは、官能的という言葉はこいつのためにあるんじゃないかと真面目に思ったくらいだった。もちろん、最中はそんな事を考える余裕があったわけではないが。
とにかく、ルーファウスとのセックスはクラウドの性意識を根底からひっくり返し、塗り替えてしまうだけのインパクトがあるものだったのだ。
単に身体の快楽、というだけではない。
あの神羅社長を組み敷いて貫き、支配するという征服感。そしてそのルーファウスがキスをねだる甘い声に応える時の愛おしさ。まるで正反対の心持ちがない交ぜになった自分の心情に、クラウドは振り回された。
こいつが愛しいとか、自分は頭がどうかしているとしか思えない。
まあ、ヤッてる最中はいろいろぶっ飛んでるから頭がアホでも仕方ないかとも思う。男なんてそんなもんだ。
愛とか恋とか、そんな気持ちが無くたってセックスはできる。こいつも男だから、その辺たぶんお互い様なんだろうと思う。たぶん。
だいたい昨夜誘われたときだって、好きだとかそういう言葉を聞いた覚えもない。こいつがどういうつもりで自分を誘ったのかは、まったく謎だ。
性欲のはけ口だけなら、もっと身近にテキトーなヤツらがいるだろう。いや、まあ身近ならそれはそれで問題が生じやすいのかもしれないが。
はけ口だけなら、金さえ払えば幾らでも相手が見つかるはずだ。というか、むしろこいつなら金が取れる……そうもいかないか。
仮にも神羅社長だった男だ。今だって、命を狙う者は少なくないだろう。誰でもってわけにはいかないんだろうな。
それにしてもこいつ、ホントに慣れてるよな、とクラウドは思う。男専門なんだろうか。
そういえば神羅兵だった頃、副社長の噂を聞いたことがあった気がする。昔の事はいまいち記憶がおぼろだったけれど、たまにふっと思い出す。
副社長の仕事は枕営業だとか、英雄様の愛人だとか――
その頃は『マクラエイギョウ』の意味が分からなくて年嵩の兵に嗤われたが、そんなもの分からなくて当然だ。故郷の村には、そもそも「営業」という言葉に相当する仕事すらなかった。当時の自分は、ミッドガルの店によく掲げられている「営業中」という看板くらいしか、思い当たる言葉がなかったのだ。それは全然意味が違うと、今なら分かる。
枕営業も愛人も、侮蔑を含んで語られる噂だった。真っ白な服を着て、高い壇の上で澄ましている副社長が、何故そんなふうに貶められているのか、当時の自分にはよく理解できなかった。
不思議なことに、ジュノンへ行くと副社長の評価は一変していた。有能なのに気さくな人だと言う兵が多くいた。軍上層部も、治安維持部門統括よりも副社長に信を置いているようだった。
セフィロスの愛人らしいというのも、侮蔑よりは憧れを含んで囁かれる噂だった。
実際軍では男同士がそういう意味で親密になることもそう珍しいことではない。
下手に女との付き合いにうつつを抜かしている方が、腑抜けだと考える向きもあったくらいだ。ミッドガルよりは、軍事都市であるジュノンの方がそういった気質が強かったのだろう。
ミッドガルは当時の社長――プレジデント神羅――の帝国だった。そこでのルーファウスの評価は、プレジデントの望むものだったのだろうと、今になれば思う。
それにしても、セフィロスとの噂にしても枕営業にしても、いったいどこまでが事実だったのか。
今こうしてルーファウスを腕に抱いて思うのは、こいつが男との行為によく慣れていて、素晴らしく魅力的だということだ。
この魅力が当時から遺憾なく発揮されていたなら、枕営業の成績もさぞ良かったことだろう。しかし、仮にも神羅の副社長がそんなことをする必要があったのか?という疑問は残る。
考えあぐねて、クラウドはその疑問を直接ルーファウスにぶつけてみた。
「なあ、アンタ副社長だった頃、枕営業ってホントにしてたのか?」
語彙の少ない男の思いっきり直截な質問に、ルーファウスは一瞬ぽかんとした。残念ながら顔をクラウドの胸に伏せていたため、クラウドがその表情を見ることは出来なかったのだが。
「君は……いきなり何を訊くんだ」
「いや、ちょっと気になって」
「ふっ」
ルーファウスは気の抜けたような笑いを洩らす。
「枕営業もセフィロスの愛人も、全くでたらめというわけじゃない。噂には相当尾鰭が付いていただろうけれどね」
「してたんだ」
「そういうこともあったか、という程度だ。若気の至りだな。君とは営業でしたわけじゃないから、安心しろ」
「安心ってなんだ?」
「料金を取るとは言わないさ」
「ぶっっ」
「そこが問題なのじゃないのか」
 ルーファウスの方もいささか反応がずれている気がするクラウドだ。
「そんな事思ってもみない。金なんか誰が払うか。だいたい誘ったのはそっちだろう」
「いくら誘われたからと言って、やってしまったら娼婦に報酬を払わないというわけにはいかないぞ」
「アンタ娼婦かよ!」
「はは、だから金は取らないって」
クラウドにすり寄り、脚を絡ませながら笑うルーファウスがなんだか可愛く思えて、クラウドはまた自分はどうかしているとため息だ。
「セフィロスからも金取ったのか」
そんな自分の気持ちを否定したくて、ますます妙な質問を発していると思いながらもやめられない。
「取っていない。セフィロスは、強いて言うならセフレだ」
オレもそうなのか?
「他にもいたのか、そういうヤツ。タークスとか」
「部下とはセックスはしない。けじめが付かない」
あ、そうですか……。
「それに、そんな事をしていたのはそれこそ副社長時代の一時期だけだ。もう6,7年も前のことだよ」
「それっきり? 6年以上も誰ともやってなかったって言うのか」
「全く、と言ったら嘘になるか……」
ふ、と視線を外らしてルーファウスは呟く。
「なんだよ、それ」
「聞いて楽しい話ではないぞ」
つまりオレの他にイイヤツがいたってことかよ。
「聞きたい」
なんだかおかしなことを考えていると、心の隅でちらりと思いながらも、謂れのない嫉妬心が湧くクラウドだ。
「君は意外に好奇心が強いな」
視線を外らしたまま、ルーファウスはつまらなそうに息を吐いた。
「これはタークス以外ほとんど知らない事だが、私は副社長時代の後半、四年半の間本社の一室に幽閉されていたんだ」
「は? ゆうへい? ……なんで」
一瞬、幽閉の意味が掴めなかった。普通の生活では縁のない言葉だ。
「アバランチ…元祖アバランチの方だが、彼らと手を組んでおやじの失脚を謀ったことが露見したためだ」
「はああ?」
「ようやく外に出られたのは、おやじが死ぬ半月前のことだ。だからその四年半の間は、誰ともしていない」
そ、そうですか。 そうなんだろうな。それにしても穏やかじゃない。さすが神羅カンパニーというかなんというか、どこか昔の王家の覇権争いみたいだ。
「社長だった一ヶ月ちょっとは、あまりに忙しくてそんなことを考える間もなかった」
たった一ヶ月――あれはすべてそれほど短い間の出来事だったのだ。そしてルーファウスが名実ともに神羅カンパニーの社長としてあの社長室にいたのも、それだけの時間でしかなかったのか。
ということは、他の男がいたのはその後ってことだ。いったいどういうヤツなんだ?
そんなクラウドの焼き餅めいた疑問をよそに、ルーファウスは淡々と語る。
「メテオの後、混乱に乗じて拉致監禁されたことがあったんだが、その首謀者がとんでもない男だった。いわゆるサディストというのか…この傷を付けたのもそいつだ」
そう言って差し出された腕には確かに火傷の跡があった。そういえば、背中にも胸にも幾筋も白い傷痕が光ってた。それはさっき気づいたのだ。
「もと神羅軍の下級将校だったらしくてな。人をいたぶることで性的興奮を覚えるタイプだった。ヤツにとって私はさぞ良い獲物だっただろう。まあ、腕や背中に傷を付ける以上のこともあったと、それだけのことだ」
クラウドは言葉を失った。
平然と話すような内容なのか?
「君が気にする必要のないことだ。その後は例の星痕に罹っていたから、恋人もセフレも持つ余裕はなかった。感染らないとは言われていたが、確証はなかったしな」
メテオの後からならば、2年近い。そんなに長期にわたってあれに罹っていたのかと、今更聞かされて驚く。
たった数ヶ月でも、耐えがたい苦痛と絶望感をもたらしたあの病。
それをなんでもないことのように言うルーファウスに、感心したらいいのか、呆れたらいいのか分からない。ただ、この男と自分とでは器が違うと、ようやく自覚した。
なにしろあの神羅カンパニーを継ぐべく育てられた人間だ。幼い頃から、夢や憧れの代わりに、野心と権謀術数を胸に秘めて成長したのだろう。それは、想像するのも難しい。普通の感性では、到底生き抜いてこられなかった過酷な生い立ちであることは確かだ。
「まあそういうわけで」
ルーファウスは喉の奥を猫のように鳴らして笑いながら、またクラウドにすり寄った。
「君は久々のセフレだ」
やっぱりセフレなのかよ!
「……不満なのか?」
心外だ、という表情でルーファウスがクラウドを見上げる。
「いや」
ぶっきらぼうに言ってから、確かに何が不満なんだと自分でも思う。
セフレ、ということはつまり、ルーファウスはこの関係を続けたいと思っているということだ。それについて、異存はない。
なにしろセックス自体はすごく良い。
なんだか道を踏み外したような気もしないではないが、じゃあゲイには偏見があるのか?と問われたら、それは無いと言いたい。そんな偏狭な人間ではないつもりだ。
だったらいいじゃないかと、自分で自分を納得させるクラウドだ。
今現在、結婚もしていないし特定の恋人がいるわけでもない。
ティファとは微妙な距離で膠着したきりだ。
互いに好意は持ちながら――おそらくティファの方は好意以上だったのだろうが――今ひとつ踏み込めぬまま時が経ちすぎてしまった気がする。
オトナの男と女の間は微妙だ。
だからティファに対してはいささか申し訳ないような気がするものの、といって今すぐ二人の関係を進展させる事もできないと分かっている。
ティファとの関係は、既に恋人というものを逸脱してしまっている。身体の満足のために抱き合うなどという関係には、持って行きようもないのだ。
ティファと正面からつき合う、ということは即ち、名実ともに夫婦となって自分たちの子供を育てるということだ。それ以外あり得ない。
だが、相変わらず責任を負うことに対して尻込みしてしまうクラウドにとって、それは容易には踏み越えがたい高い壁だ。
しかしまだまだ枯れるには早すぎる――というかむしろこれから!という年齢の男としては、ここで、気楽に付き合おうというルーファウスの申し出を断るのは、惜しい気がするのだった。
意地汚いとも思うが、突っ撥ねるほど潔癖でもない。
それならそれで良いじゃないか。
セフレ結構。
コイツとセックス以上の関係になりたいわけじゃ無い。
どこか引っかかりながらも、クラウドはそう自分に言い訳した。


NEXT