残 響「…っ」 木の根に足を取られてよろめいた人を片腕で支える。 「大丈夫ですか? 少し休みましょうか」 「まだ遠いのか?」 声に疲労が滲む。 病は癒えたとはいえ、長く病床にあって体力が削がれている。 もともとあまり丈夫な方ではない。 「いえ、それほどでは」 「ならば行こう」 『ジェノバ戦役』と名付けられた大異変の後、世界を席巻した原因不明の奇病、『星痕症候群』―― それを巡って再びジェノバの脅威と対峙せざるを得なくなった事件も終わり、不治といわれた病はミッドガルの教会跡に湧いた泉の水で癒やされることが判明した。 今現在も、泉詣での病人は引きも切らない。 ルーファウス自身の病は当日ミッドガルに降り注いだ雨で治癒していた。 だが日ごとに激しくなる痛みと、それを抑えるために使用し続けた薬の副作用とで身体はひどく衰弱している。 発病から半年。 これほどの期間、生存した例は少ない。 万全の医療体制と出来うる限りの延命措置。 ルーファウスの命を支えたものはその地位と富だ。 そのことに負い目は感じない。 自分のやるべきことはまだ数多く残されているのだと思うからだ。 だがその前に。 一度ここへ来てみたかったのだ。 ヘリでは木々に囲まれたこの場所まで近づくことは出来ず、途中から歩くことを余儀なくされた。 病み上がりのルーファウスにはいささか辛い行程となったが、どうにか目的の場所に辿り着いた。 「ここか?」 「はい」 忘らるる都――古代種の残した遺跡の一つと言われる場所。 そして、最後のセトラ、エアリス・ゲインズブールの眠る場所。 ほの白く光を発するような木々。 貝の形にも似た遺跡。 清らかな水。 「エアリス・ゲインズブール…いや、ファレミス、か? …彼女はどんな女性だった?ツォン」 水面を見つめながら、ルーファウスが問う。 「たおやかな外見に似ず、はっきりとものを言う 「私は淋しそうか?」 笑ってツォンを仰ぎ見る。 「いえ。そういうことではなく、彼女は世界に残されたただ一人の古代種でした。世界でたった一人であることを、誰とも分かち合えなかった。セフィロスを失った貴方のように」 「ツォン…おまえ」 「セフィロスと貴方のことですか? もちろん最初から存じておりました」 「…なんだかな」 ぼそりと呟いてルーファウスは水面に視線を戻す。 その似合わない言葉遣いが微笑ましくて、ツォンは笑みをこぼす。 「おまえは抜けているようでいて妙に聡い」 「光栄です」 「ヴェルドの言葉だ」 はっとする。 久しく耳にすることの無かったその名前。 長い間タークス主任として敬愛し、信頼してきた人の。 「おまえはあの頃私よりもヴェルドに夢中だったな」 「な、何をおっしゃるんですか! 私と主任は決してそんな関係では」 「おまえと私は《そんな》関係か?」 意地の悪い笑いを浮かべた主人の顔を見て、ツォンは肩の力を抜く。 「そんな関係でもこんな関係でも、貴方とこうなったことを後悔したことは一度もありません」 「おお、言うようになったじゃないか、ツォン」 「だてに年ばかり食ってはいませんからね」 ふふ、と笑ってルーファウスは再び水面を見つめた。 「彼女は…どうだったのだろう」 どうとは? という問いは飲み込んで、ツォンは主人の言葉を待つ。 「こんなふうに心を許し合える者がいたのだろうか」 「ストライフたちとも親しかったようですし、それ以前にソルジャー1st.のザックスとも交流があったようです。養母も彼女を大切にしていましたし」 「そうか」 「彼女は人なつこい性格でしたから」 「私とは違って、か」 「貴方とは立場が違います」 「そういう問題ではない…のだろうな」 自分の考えに沈んでしまった主人は、口を閉ざす。 どこかで微かな水音がする。 しんと静かな森。 「会ってみたかったな。彼女に。…私にそれを言う資格はないのだろうが」 「…」 「私がもう少し彼らの動向に気を配っていれば…、彼らの言葉に耳を傾けていれば、彼女は死ななくてすんだのかもしれない」 貴方の責任ではない、ツォンはそう言いたかったが言葉が出なかった。 「クラウドはそのことにひどく責任を感じているらしかったが、元はといえば私の失策だ」 言葉に出来ない思いの代わりに、背後からその身体を抱きしめる。 「あの頃は、何もかもが手一杯で、気付いて当然のことに気付く余裕もなかった」 それは無理もないことだ、とツォンは知っている。 神羅カンパニーのトップであるということは、世界のあらゆる問題に目を配らねばならないということだった。 セフィロスが現れ、プレジデントが殺害され、ウェポンの攻撃が始まったときでも、日々の人々の生活は変わらず営まれていた。 その生活の基盤を支えているのは神羅カンパニーであり、一瞬たりともその仕事を放棄することは出来なかったのだ。 プレジデントの突然の死、若すぎる新社長の就任というトラブルに近い事態の中で、カンパニーの内情は半壊状態だったと言っても過言ではなかった。 時間さえあれば、この方はそれを思い描いていた形にソフトランディングすることが出来ただろう。 だが、時間は残酷なまでに残されていなかった。 たった二ヶ月ばかりの社長―― ツォンの腕に身を任せたまましばし目を閉じていた人が、ゆっくりと身体を立て直すと、ジャケットの内ポケットから一輪の花を取り出した。 「ミッドガルの、かつて彼女が住んでいた家の庭に咲いていたものだ」 言いながら、水面に花を投げる。 「おかしなものだな。人は死ねばライフストリームに還るとわかっていて、その遺体のある場所に魂が残るような気がするというのは」 「人が愛するのは、命そのものではなくその人の形です。その人の魂の色であってライフストリームの碧ではない」 ルーファウスは振り返ってツォンを見つめる。 その手が伸びて、ツォンの頬をなぞった。 「そうだな…。私もおまえのこの身体を愛しているぞ」 くびもとを辿り、胸を滑る手。 「この傷の一つ一つも…」 その動きは明らかに欲望の軌跡を描いていて、ツォンは途惑う。 「…ルーファウスさま…」 「ふふ」 身体を寄せてきた主人が囁く。 「今、ここで…」 反射的にその背を抱こうとしていたツォンの腕が止まる。 「――と言いたいがさすがに不謹慎だな」 身体を離した主人の顔には、悪戯っぽい笑みが浮かべられていて。 またしてもこの人の冗談に引っかかった、と思ったがツォンの脚にあたったものから察するに意外と本気だったのかもしれない。 「戻るぞ」 「はい」 毅然と背筋を伸ばして歩き出す主人の後ろ姿を追いながら、心の中でかつて見守り続けた少女に別れを告げる。 古代種の神殿で出会ったのが最後になった。 自分はこうして生きて愛する人のもとへ戻り、彼女はライフストリームへ還った。 彼女の死に対して責を負うのは決してこの年若い主人だけではない。 だが今自分に出来ることは、彼女の意志を継ぐことだけだ。 彼女が愛し護ろうとしたこの世界を、護り続けること。 そのためにこの主人を護ること。 きっと彼女も肯定いてくれるだろう。 『良かったね』 どこかで彼女の声が聞こえたような気がした。 end |