それが3日前。 そしてこの失踪である。 誰に何をどう言っていいか分からなかったので、このことはツォンの心の中にだけ秘められていたのだが、どう考えても無関係とは思われなかった。 しかしだからといってルーファウスの行き先に心当たりがあるわけでもない。 そんな話は、あの日もまったく出なかった。 ではもっと遡るべきか。 ルーファウスはどこかへ行きたいというような話をしていなかったか? 確かアイシクルへ雪を見に行きたいという話をした覚えはある。しかし今、このタイミングでそんな遠くへ行くだろうか。 さすがにそれはないような気がする。 いきなり一人で逃げ出すなどおよそルーファウスらしくない行動ではあるが、それでも彼は自分の立場と責任をわきまえているはずだ。 その証拠に、今日この後ルーファウスのスケジュールは空いている。 この日を選んで姿を消したということは、仕事に差し支えるようなことは避けていると考えられる。 単純な不満からの家出などではないのだ。 そう思えばますます、ツォンとの一件が関係しているとの可能性が高くなる。 しかし何故―――? あの日はおとなしく引き下がって、その後も何も言ってこなかったのに。 ツォンだけが、自分がルーファウスを騙したことを知っている―――はずだ。 モニタを睨んで思考に沈んでいたツォンに、背後から声がかかった。 「ツォン、ちょっと」 シスネは腕組みして壁にもたれ、上目使いにツォンを睨んだ。 「どういうつもりであの子に嘘なんかついたの」 ばれてる―――!? しかも『あの子』呼ばわりか! 「言っとくけど、あの子が話したわけじゃないのよ。ただ私も助言した手前、責任があるでしょ。だから首尾を伺っていたわけ」 出刃亀!? 「そしたらあの子、あなたのファイルにアクセスしてきたわ。今までそんな事してこなかったのに。そういう手段を執らずに、直接私たちに訊いてきたのよ。あなたにプレゼントをしたいけど、どんなものが良いかって。それって、あの子なりの誠意だと思ったから、協力してあげたの」 協力―――があれか!? 「上手くいったのなら、あの子があなたのファイルなんか覗く必要は無いでしょ。そのこと自体が失敗だったって証明してる。しかも、あなたがあの子にいい加減なことを言ったんだってことも。もしきっぱり断ったなら、あの子も諦めたでしょうし。ああ、言っとくけど、侵入の痕跡なんか残ってないわよ。私はリアルタイムで監視してたから気づいただけ」 返す言葉もない。 「さすが神羅の御曹司よね。抜群に優秀。タークスにあるデータ以上のことも知られたと、覚悟なさい」 沈黙を守るツォンを、ふふん、とシスネは鼻で笑った。 「ほんと馬鹿。あなたの性的嗜好に成人男性が含まれていないことなんか、すぐばれるのに」 「そんなことまで」 「あーあ、どうしようもないなあ、マジでそんな嘘付いたの」 カマかけられたのか!? 「さっさとあの子を見つけ出して謝りなさい。土下座して謝るか、そのままベッドへ連れ込むか、どっちかよ」 ものすごいことをさらっと言われた。 しかも二択のように見えて実は一択だ。土下座して謝っても、ルーファウスは許してくれないだろう。 少なくとも、せっかく築き上げてきた信頼はもう戻らない。あの、はにかむような笑顔も。 考えただけで、胸が痛んだ。 いつの間にか、ツォンにとってもルーファウスがかけがえのない存在になっていたのだと今更ながらに気づく。 もともとルーファウスは、タークスであるツォンにとって命を賭して護るべき相手だった。ルーファウスにとってのツォンは、全幅の信頼を置くべき部下だ。 それは仕事だからだったが、そこに仕事以上の感情が入り込んだなら単なる好意のレベルですむはずがないのだと推察してしかるべきだった。 脇が甘かったと言われても致し方ない。そう思う。 だからといって、彼とセックスしたいかと言われるとやはり躊躇う。 そもそもあんな年下の少年とセックスしたいと思う方がどうかしていないか? 自分の常識が激しく揺らぐこの事態に、ツォンは頭を抱えたい気分だった。 だがいくら悩んでいても、事態は進展しない。 今現在、ルーファウスは行方不明で、それはカンパニーにとってゆゆしき事態だった。 もちろんまだその情報は公にはされていない。 知っているのはその場にいたSSと一部幹部、捜索を任されたタークスのみだ。 このまま無事彼が見つかれば、何事も無かったことにして済まされる可能性が高い。 おそらくはルーファウスもそれを望んでいるのだろう。そして、ツォンが自分を見つけるのを期待しているのだろう――― そんな気がした。 シスネもそう言いきっていたではないか。 ならばなんとしても探し出さねばならない。その後のことはその後で考えよう。 心を決めてしまえば、ようやく思考が明瞭になった。 ルーファウスと交わした会話を思い出し、ルーファウスがアクセスしたという己のファイルを確認する。 その中にきっと、手がかりがあるはずだった。 暗闇の中にひとすじの光がすう、と跡を引く。 そしてもうひとすじ。 光は次第に数を増し、ふわりと舞い上がった。 さく、さくと草を踏む足音と共に、光が舞い散る。 「お迎えに上がりました」 声をかけると、ルーファウスはゆっくり振り返った。 暗闇の中、表情は見えない。 「遅くなりまして、申し訳ありません」 「いや、これを見たかったのだから、いい」 読み通りの到着だった、というわけか。 ルーファウスの声に怒りはない。苛立ちも、嘲りもなく静かだった。 「幻想的で、もの悲しい風景だな。虫の放つ光とは思えん」 一面の草原に光の点が舞う。 「おまえはこれを見て育ったんだな」 しばしの沈黙。 ルーファウスが何を言いたいのかは、想像が付く気がした。 「おまえは何故タークスに入った。神羅が憎くはないのか? おまえの生まれ育った村を焼き払ったのは、神羅軍だ」 「昔のことです」 「どれほど時が経とうと、恨みは消えない。そういうものだ」 「私の忠誠をお疑いですか」 ルーファウスは首をかしげた。 暗がりのせいで間近にいても表情はよく見えない。けれど、その仕草は年相応の幼さを含んで愛らしかった。 「それは…考えなかった」 意外なことを言われた、という軽い驚きが声に感じられる。 恨み憎んではいないかと言いつつ、忠誠に疑いは持たないというルーファウスの思考は、ツォンにはずいぶんと奇妙に感じられた。 だが、続くルーファウスの言葉は、ツォンを納得させた。 「おまえはそんな男ではない。タークスに籍を置くからには、相応の覚悟はあるはずだ」 不思議な少年だと思う。 ルーファウスの分析は正鵠を射ている。 では何故、今更ツォンをこの廃村に呼び出し、『憎しみはないのか』と訊かねばならなかったのか。 「おまえが職務に忠実であることは、わかっている。…ただ」 そう言って彼は言葉を切った。 草原の中に僅かに残る建物の残骸を見やる。 「私に好意的である必然性はない」 そういうことか、とツォンはようやく腑に落ちる。。 村が戦場になったのはツォンがまだ十にもならないうちだ。 各地で内戦が続いていた時代、この地域でミッドガル軍とグラスランドに勢力を張っていた小国の軍が衝突した。 当時最新の兵器を有し、破竹の勢いで拡大していたミッドガルの神羅軍は、小国を撃破し支配下に置いた。 その過程で、たまたまこの村が戦場となったのだ。 そんな話は、いくらでもあった。 ツォンは幼かったが、どちらを恨むのも筋違いであるとわかっていた。 そういった戦争は、天災のようなものだ。 嵐や地震を恨むようなものである。 まして、目の前にいるこの少年が恨みの対象だなどとは、考えたこともなかった。 だが、ツォンのファイルを調べてその経歴を知ったルーファウスにしてみれば、ツォンが自分を拒絶した理由がそこにあると思っても不思議はなかった。 ふ、とルーファウスが伸ばした手の先に、光が舞い降りた。 ツォンは眼をしばたたく。弱く儚く、捉まえることも難しい虫だ。人の手に下りる様など、初めて見た。 この方は特別なのだ、とツォンは思う。 光虫さえ、貴方にかしづく。 「ルーファウス様」 振り向かない少年の身体を、後ろからそっと抱きしめた。 ルーファウスはびく、と身体を震わせた。光が指先を離れ、宙にとける。 柔らかな髪に顔を埋め、耳元に囁く。 「私の忠誠は、貴方のものです。タークスとしても、私個人としても」 「…ツォン」 「ただ…それ以上のことは、今しばらくお待ち頂ければと…」 歯切れ悪く言葉を濁したツォンに、ルーファウスの笑う気配がする。 「それはもういい」 ツォンの腕の中で、ルーファウスがくるりと身体を返す。 あっと思う間もなく、口づけられていた。 いまさら引き離すのも野暮の極みだ。ツォンはルーファウスの腰を抱き、口づけを返す。 尾を引いて舞う光の点が、二人の周囲を取り巻いていた。 End サイドストーリーへ 後日譚へ |