I Will〜 昼下がりの時間帯だ。 基本的には飲み屋である『セブンスヘヴン』だが、最近はランチタイムも営業している。 新鮮で安価な食材の調達が可能になったからで、主に金のない若者や老人に安い値段で温かい食事を出す。 店を切り盛りする女主人は若くて美人だが、その面倒見の良さで客たちから『母親』のように慕われていた。 もっともこの一見おとなしげな女性が『ジェノバ戦役の英雄たち』の一人であるのは誰もが知ることで、うかつに手を出そうなどという不埒者はあるはずもなかったが。 店を手伝うのは小柄な少女――に見えるが実はれっきとした成人だ――で、昼時は二人の子供たちがそれに加わる。 ランチタイムが終わってCLOSEDの看板を出し、一通り片付けもすんで夜の仕込みにはまだ早い。この時間はティファにとってほとんど唯一の休憩だった。 自分のためにお茶を入れて窓際の席に着き、ファッション誌を読む。 そのためのお茶の支度をしているところへ、その人物は現れた。 「まだ営業してませんよ」 ドアを振り返りもせずにティファは告げる。 しかし、入ってきた人物は立ち止まることなくカウンターへ近づいてきた。 間違って入ってきた客ではないらしい、とようやく顔を上げて、ティファは固まった。 顔を見るのは数年ぶりだ。しかも前回会ったときは、最悪と言っていい状況だった。 彼は自分に『死刑宣告』を言い渡し、その場から去っていった。白いスーツの裾が翻るのを絶望と共に見送ったのは、そう遠い過去ではない。 噂は聞いていた。 彼の部下たちは今や店の常連客だったし、クラウドは仕事でしょっちゅうヒーリンを訪れている。 その雇い主が彼であり、WROの実質的リーダーやシドの飛空挺団のオーナーが彼であることも知っていた。 セブンスヘヴンに入荷される食材も、彼の意向でこんなにも安く安定して届けられているのだということも。 そしてクラウドの請け負うのが、実は『仕事』だけではないことにも、気づいていた。 最低だ―― とティファは思う。 表情に不愉快が出てしまったことも、一瞬身構えてしまったことも。 この男に対して、負けを認めてしまったようで腹立たしい。 相変わらず、仕立ての良い服を着ている。生地も最高級品だ。左耳のピアスはサファイアかしら、それともブルーダイヤかも。きっと喫驚するような値段に違いないわ、と値踏みする。 柔らかそうな金髪はクラウドの髪に比べてずっと細く透き通るような色だし、瞳はあざやかな青。 こうして正面から見れば、確かに綺麗な男だった。 それだけではない。 立っているだけでも分かる優雅さ。彼のまわりだけ、違う空気が流れているようだ。 いっそため息を吐きたい気分になってティファはカウンターへ視線を下ろす。 「店は8時からよ」 「忙しいところすまない」 かけらも悪いなどと思っていない声で型どおりの謝罪を述べられて、ティファは真実ためいきを落とす。 気づかれないように、と思ったけれどきっと無駄だ。 「何しに来たの。合憎だけど貴方の口に合うものなんか、ウチにはないわよ」 「それは残念だ。君の作る料理は美味いと聞いていたのだが」 ゆったりと微笑んでルーファウスはティファを見つめる。 その視線は真っ直ぐだったが決して無遠慮ではなく、彼の持つ上品な雰囲気と相まってまるで自分が貴婦人になったような気がした。 「営業時間外だって言ったでしょ。用がないなら出てって」 「それほど手間を取らせるつもりはないのだが…。余程私は嫌われているらしいね」 「大嫌いよ。貴方も、神羅カンパニーも。――これでご満足?」 わざとらしくカウンターの上を拭きながら、ティファは相手の顔を見ずに応える。 あんな風に笑いかけられたら、どんな女だってうっとりしてしまう。 憧れの王子様を絵に描いたような男だもの。 ―――でも男の目にはお姫様に見えるのかしら? タークスのあの男や、クラウドには? その腹立ちを糧にティファは不機嫌の表情を保ってルーファウスを見据えた。 「分かったら帰って頂戴」 「君が気に病むようなことは、何もない」 ルーファウスは両手を拡げ、僅かに肩を竦めてみせる。 なんですって! ティファの怒りは一気に頂点に達した。 こいつは人を怒らせることも天才的なんだったわ。 手にした台拭きをカウンターに叩きつけたい衝動を抑えながら、ティファは身体を乗りだして怒鳴った。 「出てってよ!」 だがルーファウスはそんなティファを見つめたまま、軽く息を吐いて瞳を伏せた。 「君に―――頼みたいことがある」 その声があまりにも細く真に迫っていて、ティファは続ける言葉を失った。 身を乗りだしたせいで、彼との距離が近くなった。 かすかに良い香りが漂う。男が付けるにしては甘すぎるような気がしたが、この男には厭味なほどよく似合っている。 上げられた瞳を正面から見て、その蒼のあざやかさにまたため息が出そうになった。 「単刀直入に言おう。子供を産んで欲し 「なにぬかすぶっ」 このインキン野郎!」 一気に沸点を超えた怒りに、手にしていた台拭きをルーファウスの顔めがけて叩きつけ、襟首をとっ捉まえてビンタの4,5発も食らわせて、と思ったところで目の前にその姿がないことにティファはようやく気づいた。 まさか逃げたの? あの男にそんな素早い動きができるなんて、と見回した店内の、床の上にルーファウスは真っ直ぐ伸びていた。まともに顔面へヒットした台拭きは、たかが台拭きといえどもこの男を吹っ飛ばすに十分な威力があったらしい。 慌ててカウンターを飛び越え、側へ寄った。 「だ、大丈夫?」 抱え起こしながら、店の外へ向かって声をかけようとした。外には必ず彼の部下であるタークスが控えているはずだ。 だがルーファウスはなんとかそれを制して自力で起き上がった。 「さ、さすがジェノバ戦役の英雄だな」 「バカ言ってないで。頭打たなかった?」 「受け身を取るくらいのことは私でも…く…」 頭を打たなかった代わりに背中を思いきり打ち付けたらしく、起き上がろうとしてルーファウスは呻いた。 「しかたないわね」 さっきまでの怒りはもう治まっていた。 ティファは決して感情の起伏の激しい方というわけではない。 この男の態度があまりにもティファの知る人間たちとは違いすぎていて、振り回されているのだという方が正しいだろう。 ティファはルーファウスに肩を貸して店の隅のソファ席へ運んだ。 「言っておくけど、貴方が悪いのよ」 「なぜ?」 とんでもないセリフを吐いて相手を激怒させたばかりだというのに、ルーファウスは少しの悪びれた様子もなくただ疑問だというように聞き返してきた。 「貴方はどんな女でも男でも簡単に落とせると思ってるのかもしれないけど、私は金輪際貴方なんかと」 「待ちたまえ」 白くほっそりした手が目の前に差し出された。 この男の言うなりに黙ってやる気など無かったにもかかわらず、ティファは一瞬口を噤んでいた。 ルーファウスの声には、人を従わせる響きがある。特に大きいわけでも威圧的なわけでもないのに、ふと耳を傾けてしまうような。 ああ、きっとクラウドもそうなんだわ。 悔しいけれど、私がずっと越えられなかったクラウドの心の壁を易々と越えてみせたのはこの男だった。 それはそういうことなのだ―――と、その瞬間に理解した。 「君は勘違いしているようだ。私の子供と言った覚えはないのだが」 「…え?」 自分の考えに沈んでいて、ルーファウスの言葉を理解し損ねた。 「神羅の血を引く子など、争乱の種でしかない。必要なのは君とクラウドの子だ」 「は…? え、え?」 さらっと、すごいことを言いませんでしたかー!? 社長さん! 「な、なにをいきなり」 「驚くような話ではないだろう? 君とクラウドはそういう仲だと思っていたが?」 それはそうだけど、というかそうだと思いたいけど。 でも、その もちろん言わないけど。 男に男を寝取られるなんて、女としてのプライドが許さない。それにクラウドが『本気』じゃないことは分かってる。そしてこの男の方も。 「だいたい貴方に『必要』だなんて言われる筋合いはないわ! それともまた子供を実験材料にでもしようと言うの!?」 「そう思われても仕方がないが、もちろんそんなつもりはない」 ティファの反応など前もって織り込み済みだといわんばかりの落ち着き払った態度が、疳に障る。 「だったら何? まさかクラウドの代わりにその子を愛人にしようなんて思ってるわけじゃ…」 初めてルーファウスの目が丸く見開かれた。 ティファは、吸い込まれそうなその蒼に見とれる。そんな無防備な表情を見ると、この男が自分たちと年令もそう違わないのだと気づかされる。 「女性は想像力が豊かだな。…いや、いくら私でもそんな邪な目的は思いつかない」 言ったティファの方が恥ずかしくなる。 「とりあえず愛人には不自由していないし、今後カンパニーとして再び危険な技術に手を出す計画もない。それは信用してもらいたい」 アンタの言うことなんか、一から十まで信用できないわよ!―――と叩きつけてやることもできたはずだが、ティファはそうしなかった。 ルーファウスの声があまりにも真摯であったことと、さっき抱えたその肩があまりにも薄かったことで。 神羅社長の健康状態が良くないということは、店の常連であるタークスたちから聞いていた。 4年前に負った怪我がどれほどひどかったか。星痕を患っての半年間がどんなものだったか。 今、社長が元気でいることだけで満足だと、赤毛のタークスは嬉しそうに言っていた。だからって主任が社長を甘やかし放題にするのはどうかと思うけどな、とこれまた楽しげに付け加えて。 頼り無い肩の手触りがそんな記憶を引き出した。 口から先に生まれてきたような男だけれど、意味もなく他人を騙して楽しむような事はしないだろう。 彼が本当はそんな悪人ではないこと。 そんな目的で自分に関わるほど閑ではないこと。 それもわかっていた。 ただ、認めたくなかっただけだ。 神羅カンパニーも、神羅社長も大嫌い――― ずっとそう思ってきたのだ。 故郷の村を焼き払い、父を殺したのはカンパニーだった。 だから、目の前のこの男を憎むのは当然だと―――たとえ彼がその時まだほんの子供で、その手にはなんの実権も持っていなかったのだと知っていても―――そう思っていたかった。 それに。 この男はセフィロスの恋人だったのだ。 それを聞いたときは驚いた―――まず男同士で?ということからして驚きだったし。でも、そう思ってみれば神羅軍の英雄と神羅カンパニーの御曹司という組み合わせは、いかにも納得だった。その見た目も。 セフィロスは自分にとって仇だ。 そして、この男にとって私たちは恋人の仇になるはずだった。 何もかも過去のこととして水に流せるものなのかしら。 少なくとも私には無理だ―――とティファは思う。 この男の目的は、どこにあるのだろう。 「これを」 ルーファウスが差し出したのは、古風な鍵だった。 「なに?」 意味が分からず、ティファは聞き返す。 唐突な子供発言といい、この鍵といい、脈絡が分からない。これで良く会社社長が務まるもんだわ、と胸の中で毒突く。 「我々に必要なのは、次の世代を担う子供たちだ」 ああ、そういうこと。あんまり真っ当すぎて、神羅社長のセリフとは到底思えないわ、とティファは思う。しかも、相変わらずこの鍵との関係は分からない。 「子供を育てるには、良い環境が不可欠だ」 それにも異論はないわね。 「エッジの環境は、子供にとっていいものとは到底言えない。教育機関も満足に機能しない状態では、神羅の財を継ぐ者を育てるのは無理だ」 ちょっと待てー! またまたさらっととんでもないことを言いませんでしたか!? 社長! 「神羅のって…貴方まさか私たちの子に神羅カンパニーを継がせようって言うの!?」 「カンパニーとは言っていない。私はずっと、カンパニーの分割解体を進めてきた。それは今も続いている。軍はWROに移行し、魔晄炉は段階的に縮小している。だが、神羅の資金はまた別物なのだ。それに、君たちの子供と限るわけではない。この街に住む親のない子供たちの面倒も、君たちはみているのだろう? その子供たちのうちの誰かでもかまわないのだ。しかし、その一人が君たちの子だったら嬉しいと私は思う」 とうとうと演説のように語られる言葉に、うっかり聞き惚れてしまった。 「だけど…だけどこの鍵はどういう関係があるの」 「ああ、すまない。説明が前後してしまったな。それは、神羅の別邸の一つの鍵だ。その屋敷を、君たちに提供したい」 「そこに…子供たちを住まわせろって?」 「そうだ。ミッドガルからもさほど距離はないし、周囲の環境もいい」 「貴方がやればいいじゃないの…」 「私が? 君は『神羅』が子供を集めて育てることを容認できるか?」 できない―――わね、確かに。 「だから君に頼んでいる。だが、君に保母の役割を押しつけようと思うわけではないんだ」 真っ直ぐティファを見つめていた瞳が、僅かに外らされた。 「君には、君自身の本当の家族を持って欲しい。さまざまな困難を乗り越えて新しい家族を築くことの大切さを、子供たちにも見せてやって欲しいと思う」 吃驚するほど真っ当だわ。 ティファはルーファウスをまじまじと見つめる。 以前会ったときは、評判通り自分の利益しか頭にない男だと思ったのに。 この5年ばかりで人が変わったのかしら。 それとも、以前の彼こそがポーズだったのか。 タークスたちを見ていれば、それはきっと後者だったのだろうと思う。 瞬きと共に上げられたルーファウスの瞳と目があった。 綺麗な明るい青。 「これだけは、約束して頂戴」 「なんなりと」 「二度とクラウドには手を出さないで」 ルーファウスの瞳がさも面白そうに細められる。 「それは君次第だろう」 なんてヤツ! 「彼は二股をかけられるほど器用な男ではあるまい。むしろ君に対して罪悪感を持っている今が押し時だと思うが?」 ホモに恋愛指南をして貰うほど落ちぶれていないわ! と言いたいところだったが、考えてみたら男の方が男の気持ちはよくわかるものかもしれない。 ほんと、男って謎だもの。 こいつにしても、クラウドにしても。 「御世話様!」 叩きつけるように言い放ち、ティファは立ち上がってカウンターへ戻る。 何を言っても、言いくるめられてしまう。 それがまた決して不愉快ではないような気がしてしまうのだから、始末が悪い。 神羅カンパニーのトップになる、というのはこういうことなのだ―――それをまざまざと見せつけられる。 そのために生れ育てられた男。 彼は今の世界にとって必要な人材で、それはこれからあとの時代にも変わることはないのだろう―――彼のあとを継ぐ者は、確かに必要なのだ。 「返事はすぐでなくていい。考えておいてくれたまえ」 ことり、と鍵をテーブルに置く音がして、ゆっくりした足音がドアに向かう。 「君たちの子が次の時代を担ってくれることが、私たちの願いだ」 囁くような声を残して、足音はドアの外へ消える。 ―――私たち? その『たち』は誰のことなの? ルーファウス。 一瞬彼の愛人である黒髪のタークスを思い出したが、それは違うだろうとティファは思う。 あのタークスのことなら、きっとわざわざ『たち』と強調して見せたりはしない。それは直感だった。 だとしたら。 そう――― きっとそれは、かつて彼の恋人だったあの英雄のことに違いない。 私たちの知らない、彼だけが知っている人間だった頃のセフィロス。 不思議と、怒りも憎しみも湧いてこなかった。 ただ、ルーファウスがどれほどセフィロスを愛していたのか、その気持ちが胸に迫って哀れだった。 神羅の子供たちだった彼等―――世界にたった二人だけの。 その二人が暗い檻の中で見た夢は、どんなものだったのだろう。 『ピンチの時は助けに来てね』 その子供っぽい約束は、望んだような形ではなかったけれど、現実になった。 そして私たちは今を生きている。 そうね。 確かにここが踏ん張り時だわ。 クラウド。 あなたと本当の家族になりたい。 お姫様だって、待っているだけじゃダメなんだわ。 そういうことなんでしょう、ルーファウス。 ティファは鍵を取り上げ、ドアの向こうを見つめてゆっくりと頷いた。 end |