ヒーリンの夜は静かだ。
 ミッドガルでは四六時中機械音が途絶えることが無く、それは完璧な防音設備の整った神羅ビルの中でさえも常に響いていた。
 機械都市の繁栄と驕慢の象徴であったそんな音のすべてが失われて2年が経つ。

 下ろしたブラインドのすき間から月の光がシーツに縞模様を描く。
 ルーファウスは枕に身を沈めて目を閉じる。
 夜昼無く隣の部屋に控えていた部下の気配も、今夜はない。
 タークス、特にツォンはここ半年、ほとんどルーファウスの側を離れようとしなかった。
 表舞台からは姿を消したかつての神羅社長を警護する――という役割以上に、ルーファウスの身体状況がそうさせていたのだ。
 だが、悪化する一方だった病は数日前、いともあっさりとその身から消え失せていた。
 だからルーファウスは部下達に休暇を言い渡した。
 半ば強引に命令して。
 もちろん部下達を慰労する意味もあったが、一人になりたかったのも確かだ。
 24時間絶え間なく監視される生活を続けてほぼ7年。
 その意味は少しずつ変わっていったにせよ、一人の時間がなかったことに変わりはない。
 
 この人里離れたロッジを訪れる者はほとんど無い。
 もともと神羅の保養所として設けられたロッジの群れは、不治の病であった星痕症候群を患った人々の療養場所として解放されいてた。
 感染るとして忌避された病の罹患者を受け入れる場所は多くはなく、一時はそれなりの数が住んでいたのだが、その多くの人々は死んでしまったし、残っていた者は健康を取り戻して去って行った。
 今この場所に棲まうのは、行き場を無くした亡霊くらいだろう。
 だから人はまずここには寄りつかない。
 死霊が彷徨い歩く、という噂は人払いのため意図的に流したものでもあったのだが。

 それ故ルーファウスは、身の危険についてはあまり意識していなかった。
 星痕が消えても身体の衰弱とそれ以前からの怪我の後遺症は残っており、機敏な動きは出来ない。
 それでも半端な物取りくらいならば容易に撃退出来るとの自負はあった。
 かつて神羅ビルの屋上で自称元ソルジャーと一戦交えたことを引き合いに出すまでもなく、枕の下に忍ばせた銃は侵入者の頭を吹き飛ばすくらい朝飯前だ。

 だがその夜ルーファウスの元を訪れた者は、そんな銃で撃退することはとうてい無理だっただけでなく、むしろ『彷徨う亡霊』の方に近かったのだ。




























           LOVE ME TENDER




「迷って出たか」
 かつかつと固い跫音を響かせて近づく気配は、どう考えても亡霊のそれではない。
 だが、この存在が一度この世界から消滅したのだという報告を、ルーファウスは受けていた。
「社長」
 ほんの数日前幾度も聞いた声が、幾度も口にした名を呼ぶ。
「何故ここへ来た? 化けて出るなら、クラウドのところにするべきじゃないのか」
 跫音が止まる。
「アイツは関係ない」

 ルーファウスは窓に向けていた視線を跫音の主に合わせる。
 揺れる銀の髪。碧の瞳。縦に細くなるその虹彩。
 淡い月の光の下でも、その輪郭は確かだった。
 まだ少年と言っていい細い肢体は、見かけとは裏腹に人外のパワーを秘めている。
 
「ボクはアンタに…」
 少年は言い淀む。
 その先に続けるべき言葉が思い浮かばなかったのだろう。

「愛の告白でもしに来たか」
 ルーファウスは唇の端を吊り上げ、眼を細めた。
「なんの話?」
 少年の語調に怒気が混じる。
「それとも交際の申し込みか? 付き合ってやってもいいが、私は金がかかるぞ」
 ルーファウスはあくまで余裕の姿勢を崩さない。それが少年を煽るとわかっていて、やっているのだ。
「馬鹿にしてるの?社長」
 伸ばされた腕がルーファウスの喉元を押さえる。
 少しの力も込められていないようなのに、息がつまった。
「アンタは母さんを隠して、ボクを騙したんだ! リユニオンが不完全だったのも、アンタのせいだ!」
 迷い出た亡霊に相応しい恨み言だ。
 だがルーファウスの喉を押さえた手は温かく、少年の声はどこかせっぱ詰まった響きを隠せない。
「おまえは…、本当に、完全な、リユニオン、を、望んでいたのか…?」
 切れ切れの息で、ルーファウスは問う。
 僅かに腕の力が緩む。
 ひるんだような瞳の色が、いっそ哀れだった。
「ここにいるのが、おまえでなくセフィロスであることを望んだのか?」
 たたみかけるようにルーファウスは続けた。
「私に執着したのはセフィロスか? ここへ来たのはおまえの意志ではなくセフィロスの意志なのか? カダージュ」

「うるさい!」
 カダージュは絶叫した。
「アンタが、アンタが邪魔をしなければ何もかも上手くいったんだ! アンタがいなければ!」
 再び、今度は両の手がルーファウスの喉に回される。
 ほんの少し力を加えればいい。
 それでこのいまいましい男の命は簡単に消える。永遠に。
 この自信満々な物言いも、イライラさせられる笑いも、手のひらに感じている暖かさも、全部消えて無くなるのだ。
「アンタが…」
 消してしまいたい。
 そのために自分はこの男の元を訪れたのではなかったか。
 そんな自問の答えは、何処にも見つからない。
 カダージュは戸惑い、困惑する。この憤りの、持って行くべき場所がわからない。
 『母』の声もセフィロスの声も聞こえなくなった今、己のすべきことがなんなのかわからなくなってしまった。
 その迷いのままに、ルーファウスの喉から手が外される。

「わかった。カダージュ。おまえが本当にしたいことはこれだろう」
 ルーファウスは手を差し伸べ、まだちりちりと怒りの波動を放っているその頬にそっと触れる。
 カダージュはびくりとしたように身体を退いた。
「逃げるな」
 ベッドから身体を起こし、カダージュの後頭部に廻した手に力を込め、ルーファウスはその唇を捉える。
 驚愕に少年の瞳が見開かれたのが、視界の端に映る。
 同時に身体の動きも止まった。

 ルーファウスは心の中で秘かに笑いを漏らす。
 愛の告白は、まんざら見当違いでもなかったらしい。
 
「おまえは私を殺したいわけではない。本当は、こうしたいのだろう?」
 少年の腕を取り、自分の背に廻す。
 さらさらと冷たい髪の感触を楽しみながら、幾度もくちづける。
 人間としての成長の記憶も、学習も持たない思念体。
 ただ、欲望のみが人並みだ。
 だからそれがどういった衝動なのか、彼には理解できないのだ。

 口付けを繰り返すうち、カダージュはようやくそれに馴染み、自ら望み始めた。
 唇を舐め合い、舌を絡める。
 綺麗な顔をした少年とする戯れのようなキスはルーファウスを楽しませたが、それだけでこの場が治まるはずもない。
 思念体の放つ狂暴な殺気は消えておらず、それが何を意味するのか同じ牡であるルーファウスには容易に察しが付いた。
 唇を合わせたまま、滑らせた手で少年の下腹部に触れる。
 今度こそカダージュはぎょっとしたように身体を退いた。
 彼のその部分は明らかな欲望の形を示していたが、それの意味するところを思念体は理解できなかったのだろう。
 だがルーファウスの手が与えた刺激は確かな快感を少年の身体に呼び起こしていた。
 それを拒むのは惜しいような気がして、カダージュは再び身体を寄せる。
「ふふ…」
 秘やかな男の笑い声は、腹立たしさよりももっと別の感情を喚起した。
 下腹部から疼くように這い上ってくる熱に、カダージュは途惑う。
 それを解放してくれるのは目の前の男しかいないのだと、それだけはわかっていた。

 ルーファウスはカダージュの服に手をかける。
 黒いレザーのジッパーを引き下ろすと、もう素肌だ。
 英雄と呼ばれた男も、こんな服だったと思い出す。もっとも彼の素肌に触れたことなど無かったのだが。
 あの男は、自分の何に執着していたのだろう、とカダージュの胸に唇を寄せながらルーファウスは思う。
 この少年が真実彼の思念から生れた者であるならば、彼もまた自分に対して性的な欲望を抱いていたのだろうか。
 確かにあの頃の自分の方が、今よりはずっとそういった対象として相応しかったろう。
 少女のようだとよく言われたし、その手の誘いも珍しくなかった。
 もっとも当時の自分は、暇を持てあました上流の夫人達と覚えたての房事を交わすのに忙しく、男の誘いなど眼中になかった。
 同じ年頃の少女とのセックスは、面倒が多いわりに快感は薄くて数度で飽きた。
 まして男などに自分を安売りするつもりはさらさら無かった。
 もしもあの英雄が自分を望んだならば、真剣に考えたであろうが。その対価に英雄の忠誠を得られるとしたら、安い買い物だ。
 セフィロスは父の信頼厚い兵士だった。
 何を置いても手に入れたいものの一つではあったのだ。
 だが。
 彼はそんなそぶりを見せることもなかった。
 ほとんど接点のないまま、セフィロスはニブルヘイムで行方を断った。
 ただ一度きり――
 自分の前にひざまずき、この手を取って口付けた――その記憶だけが鮮やかだ。
 セフィロスが何を望んでいたのかは、今となっては知りようもない。
 だが、この少年の望みは明らかだ。彼自身に自覚されていないにせよ。

 ルーファウスはベッドに身を起こし、自ら服を脱ぐ。
 幸いにも、幾重にも着込んだスーツではなくパジャマ一枚だ。すぐに全裸になった。
「残念ながら私は男としたことは無いのだが…まあ何とかなるだろう」
 笑っていうルーファウスをカダージュはただ呆然と見つめている。
 服を取り去った男の身体は思っていたよりもずっと細く、頼りなげだった。
 白い肌も、うなじにかかる金の髪も、笑みを湛えた蒼い瞳も、カダージュの心を騒がせる。
 以前見たとき首や胸を覆っていた繃帯は無く、その胸にある淡い色の突起を見るといっそう身体が熱くなった。
 それに触れてみたい。
 馬鹿げていると思う一方、その渇望は押さえがたい。
 そんな少年の葛藤も、ルーファウスには手に取るようにわかった。
 造作も無い、というよりはむしろいじらしく思える。

 黒いレザーの服を脱ぎ捨てたカダージュをベッドへ導き、屹立したその欲望に軽く手を触れる。
「あ…」
 もれた声は高く愛らしい。
 ルーファウスは、この少年に対して愛しさにも似た感情を自分が抱いていることに気づき、興味を覚える。
 この子供の何処が自分を惹きつけるのだろうか。
 ためらいもなくその欲望を口にすると、カダージュは狼狽したようにルーファウスの頭を押しやった。
「なにをする…!」
「どうした? 気持ちよくはないか?」
 上目遣いに少年を見上げ、舌を伸ばしてもう一度先端をちろりと舐める。
「わかるだろう? おまえが欲しいのは私の身体だ。命は一度取れば終りだが、この身体なら何度でも楽しめるぞ」
「…」
 カダージュの困惑と期待。
 セックスがどういうものかはっきりとは知らなかった頃の自分を思い返す。

 ルーファウスは世間から隔絶した環境で育てられた。
 広大な神羅邸から一人で出ることを許されたのは、副社長の地位に就いたときだ。
 それまでは、厳重にフィルタリングされた情報しか与えられていなかった。もちろん、性的な情報など論外だ。
 あの父親は、『天使のようだ』と言われた見た目のごとくに自分を育てたかったのだろうか。
 そんなルーファウスにとって外界は刺戟に満ちたものだった。
 丁度第二次性徴を迎えたばかりの少年だった自分が、年上の女達との情事に溺れたのも無理のないことだったと思う。
 その経験は無駄ではなかった。その証拠に、今も十分生かされている。
 
 じっと少年の目を見つめながら、屹立したものをゆっくりと撫で上げる。
 どうすれば一番感じるのか、同じ男の生理なのだからよくわかっている。
 軽く握って数回上下し、先端を指で刺戟してやると少年のそれはあっけなく欲望を吐き出した。

『早いな…』
 思わず口にしそうになった言葉は、すんでの所で呑み込んだ。
 不用意なことを言ってまた怒らせたくはない。
 その意味するところはわからなくても、それが軽蔑を含む言葉であることは気づくだろう。ルーファウス自身は別に軽蔑するつもりなどさらさら無いのだが、言わない方がよい言葉というのはあるものだ。
 
 僅かに息を乱した少年を見て、ルーファウスは不思議な気がする。
 呆れるほどの戦闘能力を有した存在でも、これは別物なのか。
 快楽の刺戟は、思念体の体調にも変化を与えるものらしい。
 いや――
 そうでなくては意味がないのだろう。
 上がる心拍数や高くなる体温、それら全部を含めてこその性的快楽だ。
 そして肌を触れ合うことの意味。
 快楽を共有することの意味まではわからずとも、相手を組み敷き、己の欲望で貫き喘がせることは牡としての征服欲を満足させるだろう。
 そういう形で満足が得られるのだとわかれば、この思念体も少しは人間らしくなれるというものだ。
 現在この世界にジェノバの首は無く、その意志は再び拡散した。
 ならば今、この思念体を支配するものは彼自身の意志なのだろうと思う。
 すでに戦いの決着は付き、たとえ今一度クラウドと戦わせたところで、この少年に勝ち目がないことは明らかだ。
 もう一度の消滅。
 それをルーファウスは望まなかった。
 出来るのならば、この存在にも人らしい幸せを与えてやりたい。
 以前の自分なら考えもしなかったようなことだが、カンパニーを失い、多くの人の手によってようやく生を繋いできた経験がルーファウスにそんな気持ちを抱かせたのだろう。
 人は、一人では生きられない。
 それは、生きているということ自体がすでに一人ではないということだ。
 セフィロスとジェノバの思念から生れた存在であっても、存在したその時から、彼は彼自身の意味を持ったのだ。
 それが自分を求めることだというなら、この少年にとって今、ただ一人の他者は自分だ。
 それはまるで生まれたての赤子と母のようで、その関係の逆説性に笑えてきそうだと思いながらも確かめてみたいという欲求に抗せない。
 
 ルーファウスはカダージュの前でゆっくりと脚を開いた。
 少年と同じ牡の証が、淡い金の茂みの陰で僅かに勃ち上がりかけている。
 自分もこの状況に欲情しているのか、と奇妙な気がする。
 これから男にこの身体を犯されようというのに?
 『なんにせよ、初めての体験というのは興味深いものだ』
 そんな風に納得してルーファウスは茂みの更に奥、カダージュを受け入れるべき部分に自らの指を挿し入れた。
 カダージュの吐き出した粘液を纏い付かせていた指は、さほど抵抗無く体内に入り込んだ。
 自分で触れるのももちろん初めての場所だ。
 異物感はあったが、そのくらいでは痛みはない。
 続けて2本目を入れてみる。
 今度は多少抵抗があり、小さな痛みもあった。
 この程度で痛みを感じるのでは先が思いやられるな、とルーファウスは思ったが、その仕草に釘付けとなっているカダージュはそんな事にはまったく気づかない。
 目の前の男が繰り広げる行為は少年の想像の範囲をあまりにも越えていて、しかもおそろしく刺激的だった。
 召喚獣を呼んだときよりも、クラウドと戦ったときよりも高揚している自分に、カダージュはむしろ狼狽する。
 濡れた音を立てて彼の指がその場所を出入りする。
 拡げられたその奥に時折覗く鮮やかな薄紅色が、目に焼き付く。
 ルーファウスは目を伏せて微かに眉を寄せ、唇を開いて息を吐く。
 零れる息の音が、まるで耳元で落とされたようにカダージュの身体を震わせた。
 たまらない。
 なにが、とはわからないまま、身体の裡に訳のわからない衝動が渦巻く。
 このまま見続けていることなど、とうてい出来ない。
「社…」
 だが呼びかけようとした言葉は、いきなり見開かれ、ひたと据えられた蒼い視線に遮られた。
「わかるか? カダージュ。ここに」
 言いながらルーファウスははち切れそうなほどに勃起している少年のものに手を伸ばす。
「あっ」
 触れられただけで、再び達しそうになったそれの根本をルーファウスは手で握り込んだ。
「もう少し待て。そう逸るな」
 笑いを含んだ声で言われて、カダージュはようやく踏みとどまる。
「そう、そのまま、ここへ」
 なにか言い返そうとする間もなく、ルーファウスの手は少年自身を自分の身体へと導いた。
「乱暴にするなよ、初めてなのだからな」
 カダージュを見上げて笑った顔が、ひどく綺麗だと初めて彼は思った。
 
 この人は綺麗だ。
 綺麗、というのはこういうことなのだ、と。
 
 導かれるまま彼の身体に乗り掛かり、勢いにまかせてその裡に入り込んだ。
 まるで身体全体を包み込まれるような、強烈な快感。

「あ、ああぁっ」

 上がった声はどちらのものだったのか。
 
 ルーファウスは、想像した以上の衝撃と痛みに逃げを打つ身体を押さえるのが精一杯だった。
『乱暴にするなと言ったろうが! この下手くそ!』
 心の中の罵詈雑言はとりあえず口には出さずにすんだ。
 カダージュは挿入したと同時に射精したらしく、ルーファウスの身体の上で息を弾ませている。
 すぐに動きだされなかったのは、せめてもの幸いだった。
 痛みをやり過ごそうと、ルーファウスは小さく息を継ぐ。
 カダージュのものはまだ勢いを失ってはおらず、もう一回くらいはイかせてやらないと落ち着かないだろうと思うと些か目の前が昏くなった。
 相変わらず痛みと異物感しか感じないが、これが快感になったりするのだろうか?
 
「社長…?」

 心細げな声が降ってきた。
 見上げると、銀色の髪を揺らした少年がじっと見つめている。
 その表情は、これがあの思念体かと疑うほど真摯で頼り無げだった。
「どうした?」
 普通の声が出た。
 ルーファウスは余裕を取り戻す。
 痛みが消えたわけではないが、コントロールする術はわかっている。
 この2年の間、怪我と星痕に苛まれた経験が否応なしに痛みとの付き合い方を教えてくれた。
 カダージュの頬に手を伸ばし、囁く。
「ゆっくり、動くんだ。いきなり激しくはするなよ。私が辛い」
 カダージュは吃驚したように目をしばたたき、頷いた。
『素直じゃないか』
 ルーファウスは心の内で笑って自ら少しだけ動いてみる。
 痛みはあったが、我慢できないほどではない。
 それに触発されたように、カダージュが動き始めた。
「社長…社長…!」
 コトの最中に呼ぶ名ではないな、とは思いながらもその甘えるような響きに心地よさを感じる。
 カダージュの放ったものと、おそらくは傷から流れ出た血とで抽送は滑らかになり、ルーファウスは痛みの他に、なんとも言いようのない疼きを感じる。
 快感と言うにはほど遠かったが、慣れてくればそう感じられるものなのかもしれないと思う。
 それよりも、縋るように自分を呼び、身体を抱きしめる相手が愛おしかった。
 
 この時だけ――

 そう、思う。
 身体を重ねるこの時だけ、彼を愛おしく思うのは不自然ではない。
 なんと言っても――
 この私が女役をしてまで受け入れてやろうと思ったのだからな。
 自虐的な満足感と倒錯的な喜びが錯綜する。
 これも悪くない。
 そんな気分になると、不快でしかなかった感覚の中からわずかな快感を拾えるようになった。
 ルーファウスの気分が高揚したことを、カダージュは敏感に感じ取った。
 人を上回るその能力は、戦闘の場でのみ生かされるものではないのだ。今カダージュにとってなによりも重要なのはルーファウスであり、その人の状態だった。

 傷つけたことはわかっている。
 血の臭いがする。
 それほどの出血ではないが、彼が痛みを感じているのは確かだろう。
 それでもこの行為を中断したくはない。
 そう思うのが自分だけでないのが不思議だ。
 苦痛を感じているとその身体は訴えているのに、彼は続きを促した。
 何故だかはわからなかったが、彼に受け入れられ赦されていると感じるのは嬉しかった。母を手に入れたと思ったときよりも、ずっと。

 ルーファウスの吐く息に微かな熱がこもり始める。
 そのことはカダージュにいっそうの歓びをもたらした。
 心の昂ぶりが身体をあおり、気づくとカダージュは今一度ルーファウスの体内で果てていた。

 相手にもう少し経験があれば、いや、せめてもう少しの知識があったならばルーファウス自身も達することが出来たかもしれない。
 だが実の所は中途半端で投げ出された形だ。
 だからといってこれ以上行為を続けることはさすがに遠慮したかった。
 その部分もさる事ながら、身体全体が慣れない行為に悲鳴を上げ始めている。
 星痕は消えたばかり。2年前の怪我も完治したとは言いがたい身体に強いるには、もともと無理があったのだ。
 ルーファウスは長く息を吐き、身体の力を抜く。
 カダージュが自分の様子を伺っていることには気づいていた。
 そろそろ限界だということはこれでわかるだろう。
 彼の側から終わらせることが肝腎なのだ。

「社長…?」
 おそるおそる、といった態で声がかかる。
「もう少し…と言いたいところだが…」
「いいよ、もう」
 口調は不満げだが、声には隠しきれない喜色が滲む。
 まだ力を保ったままカダージュが抜け出すと、無理な姿勢を解かれてようやくルーファウスはほっとした。
 思っていた以上に身体にはこたえたらしいと、他人事のように思う。
 そんな癖もこの2年の間に身についたものだ。
 そうでも思わなければ耐えがたかった。思い通りに動かない身体も、何時どんな時でもお構いなく襲ってきた星痕の発作も。
 だが自由になったのはいいが、もう声を出すのも億劫だ。
 べたつく身体も濡れたシーツも不快だった。しかし立ち上がることなど出来そうにない。
 明日になってこの有り様をタークスに見られたらなんと言われるかと思うとうんざりしたが、言い訳を考えるのも面倒だ。
 いきなり寝室にイリーナが入ってくることだけはないのが救いだが、かといってツォンならいいというわけでもない。アイツの口うるささはタークス一で、ヴェルドの後任と思うのは勝手だが小言係だと思っているらしいのには辟易する、とどうでもいい思考が空転する。
 
 ぐったりとシーツに沈み込んで目を閉じたままのルーファウスをカダージュは見つめる。
 金の髪は汗で額に張り付き、投げ出された腕にはよく見ればいくつもの古い傷痕が走っている。
 ルーファウスの呼吸音や体温に異状があることはわかっていた。
 以前見たときは星痕のためだと思ったが、そうではなかったらしい。
 なにか他の理由でこの人は具合が悪いのだ、と初めてカダージュは意識した。
 その感情は、人間にとって『心配』と呼ぶものだったが彼はまだその名を知らない。
 ただ、胸の中に冷たいものが生じて苦しくなっただけだ。

「社長?」
 呼びかけられた声があまりにも哀れっぽくて、ルーファウスは重い瞼を開いた。
「少し疲れただけだ。…おまえが、激しいから」
 言いながら腕を伸ばし、カダージュの頭を抱き寄せた。
 口付けを交わし、そのまま抱き込む。
「どうだ。初めてのセックスは良かったか?」
 露骨に聞いても、恥じらいという概念そのものが欠落した思念体は目をしばたたいて考え込んだだけだ。
「良くなかったと言われたら、立つ瀬がないな」
 笑ってやると、それにつられたように少年は微笑んだ。
 
 驚いた。
 予想以上だ。
 ルーファウスは、少年から放たれる気配ががらりと変わったことに気づいていた。
 そして同時に自分が抱いた達成感にも驚かされた。
 星を救うこと、人々を救うこと。それはルーファウスにとって生きる意味だったが、たった一人の、今目の前にいる者を救うことはこれほどに心を満たす行為だったのか。
 考えてみれば、目的のために何かを犠牲にすることはあってもその逆は今までの人生にほとんど無かったことに気づく。
 自分の個人的な感傷など、切り捨てられてきたものの筆頭だった。

 カダージュはルーファウスの胸に頭を寄せ、腕を身体に回した。
 その体温は暖かく、汗の引き始めたルーファウスには心地よかった。
 急激に襲ってきた眠気に抗しながらシーツをたぐり寄せる。
 もしかして朝になったらこれは全部夢だった、とかいうのではないだろうな…と半分眠りかけながら思ったのが最後だった。


 夢ではなかった、のだと思う。
 だが目覚めたとき思念体の姿は傍らにはなかった。
 あれが眠るのかすらルーファウスには謎だったが、自分が眠っている間に出ていったのか、消え失せたのか。
 それはさて置き、彼との行為の跡は歴然と残されていた。
 汚れ放題のベッドと、全身の痛みとして。
 坊ちゃん育ちのルーファウスは、もとより汚れ物の始末もベッドメイクもしたことがない。しかもこの状態で自分にそんなことがやれるとはとうてい思えなかった。
 ツォンの小言を我慢した方がましだ。
 だが思念体の話など持ち出せば厄介事になるに決まっている。
 だからとりあえず情事の相手については黙秘しようとルーファウスは心密かに決意し、再びシーツに潜り込んだのだった。

ひとまず終り(笑)





 この後のお話を、「迷想天国」のおぐらさんが書いて下さいました。
 事後のルー様を見たツォンは…!?
 こちらから