いつかの夜とまだ見ぬ明日

 初めて彼に会ったのがいつのことか、はっきりとは覚えていない。
 おそらくは彼がその父親に伴われて本社に顔を見せたときだったのだと思う。
 覚えているのは、人形のように整った顔と人形のように固い表情。冴え冴えと冷たい瞳の色だ。
 私は彼の父の抜擢で、カンパニー入社当時からミッドガル建設に関わってきた。
 プレジデント・神羅は、特に後年問題行動の多かった人物ではあったが、その行動力とリーダーシップにおいて間違いなく天才だった。
 明るい金の髪と青い瞳。
 その色は確かに父親譲りだったのだろうが、しつらえたようなそのノーブルな色彩もこの子供の印象をいっそう人形じみたものにしていた。
 言葉数も少なく、細く高い声で口にされる「ご苦労」だの「よろしく頼む」だのというおよそ子供らしくない台詞。
 はっきりいってその時の印象は、『けったくそ悪い餓鬼や』だった。

 その印象はかなり長い間変わることがなかった。
 彼が我々の前に姿を現すことは少なかったし、それは副社長に就任してからも大差なかった。
 ほんのわずかの間本社内にいたかと思ったら、就任直後どこともしれない支社へ長期出張という名目で飛ばされた。
 まだスクールに通うような年令の子供を副社長に据えることもアホらしいと思ったが、何が気に触ったのかそれを地方へ飛ばすなんてあの父親はどうかしてると、さすがに呆れた。
 けれどそれ以上の関心はなかったから、その子供のことはそれきり忘れていた。所詮は『他人のご家庭』の問題だ。
 ミッドガル建設の工事が佳境に入って忙しかったこともあり、彼がいつかは会社のトップに立つのだといわれても実感がなかったせいでもある。
 親子仲が悪く、副社長としてたいした実績も上げられていないような息子では、将来的に社長の引き継ぎは別の人物になる可能性の方が大きそうだった。
 実際その次期神羅社長の座を巡る権力闘争は水面下で激化し、まだ子供の副社長はまず最初にその競争から排除されるべきターゲットにされているようだった。
 重要な案件の決議にはいっさい関わることを許されず、重役会議にすら通信での参加しか出来ない副社長の、悪評だけが世間には独り歩きしていた。
―――いわく、副社長は冷酷非情な血も涙も無い男だそうだ。いわく、仕事もろくにせず遊び歩くような無能なボンボンだ―――と。
 どちらにしろそれに対してなんら有効な手も打てず、どこぞの僻地でくすぶっているような人物では到底神羅カンパニーを背負うことは出来ない。
 そう思っていた。
 あの時までは―――



いつかの

         

        まだ見ぬ明日



 タークス主任だったヴェルドがカンパニーを離反して逃亡した、という事実を知らされたのは、主任代行となったツォンからだった。
 タークスは表向き治安維持部門の管轄だったが、カンパニーの裏仕事を引き受ける便利屋だったから、それぞれの部門統括はタークス主任とは密接な繋がりがあった。
 ことに都市開発部門は、ミッドガルと魔晄炉の建設にもっとも深く関わり、テロ組織や単なる反対運動などの標的になることが多かったから、タークスの働きはなくてはならぬものだった。
 テロに対しては容赦ない封じ込めを。
 反対運動や、その周辺で私利を貪ろうとする輩に対しては弱みを掘り起こして排除を。
 そういった活動は全てタークスに負っていて、表側に出てきた事柄だけが軍によって、或は市警察によって(限りなく弱体化してはいても、それもまだ存在はしていた)処理される。
 そんな構図が出来上っていた。
 だから社長に次いでタークスと深く関わっていたのは、私だったといって間違いはないだろう。

 ヴェルドの行為は驚きだったが、そのわけを聞けば納得できた。
 彼がカーム誤爆事件で失った家族を何よりも大切にしていたことは知っている。ヴェルドはタークス主任などというポジションには似合わぬほど情の厚い男だった。
 そして、彼が目をかけていたツォンもまた情に脆い男だ。
 そう思ってみれば、タークスというのは意外に『ええヤツ』の集まりなのかもしれない。血なまぐさい裏工作を得意とする暗殺者の集団、というイメージとは裏腹に。いやむしろ、そんな稼業であるが故に身内や彼等自身の正義に対してはどこまでも誠実なのか。
 そんな風に認識していた。
 しかし、ヴェルドの逃亡と時を同じくして副社長がタークス本部に幽閉されていたということを知ったのは、かなり経ってからだった。
 それほどその隠蔽工作は上手くなされていて、それまで誰も実際の副社長の動向など気にかけていなかったにしても、出来すぎだといって良かった。
 その出来すぎを演出したのが、あの子供自身だったと知ったのは、更にもっと後になってからだ。
 会社の金が、どこかで夥しく横領されていることは、薄々感づいていた。
 けれど、それを詮索して下手な藪を突けば、そこからどんな蛇が飛び出してくるか分からない。
 そんな危険を冒してまで会社に義理立てするほどの忠誠心は持ち合わせていなかった。
 都市開発部門の予算さえ勝ち取れれば、後はどうでもいい。
 私だけでなく、どの統括もそう思っていたろう。
 しかしその金を横領していたのがあの子供で、しかもそれを反神羅組織に横流ししていたと聞いたときはさすがに開いた口が塞がらなかった。
 少なくとも『無能』のレッテルは剥がさねばなるまい。
 何を考えているのかは謎だが、彼が神羅の跡継ぎに相応しいことだけは確かだった。
 悪辣にして用意周到、しかも大胆なそのやり口。
 まさにあの子供は神羅カンパニーの申し子なのだと、その時初めて思った。
 それを知ることになった経緯いきさつは、少々思い掛けないところからだった。

 行方をくらまして久しいヴェルドから、連絡が入った。
 そもそもタークスを邪魔者扱いしているハイデッカーや、部下は消耗部品と言い切るようなスカーレット、研究のためならどんな非道も厭わない宝条などに比べたら、社内では穏健派の立場を取っていた自分だが、それだけでなくヴェルドとは入社当時から親交があった。
 年は離れていたが、ヴェルドとはなぜか気があった。
 プレジデントを筆頭に、アクが強く押しも強い神羅幹部たちの中で、ヴェルドは珍しく良識派だった。
 タークスという職分上、冷酷非情と思われる行動も多く、殺人もその隠蔽工作もなんら逡巡うことなく冷徹にこなす男ではあったが、彼のやり方には無駄がなかった。
 徹底した能力主義者だと言われるのは、タークスに適さない者をその前段階で完璧に振り落とすからだ。
 一度タークスとして社の暗部に関われば、自分の意志で職を辞することはできない。それでなくとも適性のない者の殉職率は呆れるほど高かったから、彼のやり方はむしろそういった人間たちを守ることでもあったのだ。
 そして同じ生真面目さは、『敵』に対しても向けられていた。
 決して必要のない攻撃は行わない。
 そういう点で、ヴェルドは信頼できる男だった。
 だからこそあのプレジデントも彼を重用していたのだと思う。
 プレジデントは、決して愚かな人間ではなかった。彼の掲げた理想と描いた夢は美しく、その言葉には力があった。
 魔晄エネルギーの実用化は神羅家の悲願であり、彼の代になってそれはようやく現実の物となろうとしていた。当初彼の下に集った者たちは皆、魔晄開発による明るい未来を信じていた。
 ガスト博士、ヴァレンタイン博士、そして神羅夫人を初めとする有能な人材が、神羅の発展を支えていた。
 晩年のプレジデントが偏狭な野心に捕らわれていったのは、妻を失ったことと、息子との上手くいかない関係のためだったのだろうと、今になれば思う。
 プレジデントも、ヴェルドのようにただ真っ直ぐ子供を愛してやれれば良かったのに。そうであれば、あの子供もどんなにか幸せであったろうに。
 そして、世界がこんな有り様になることも、無かったのかもしれなかったのだ。
 
 ―――そう。
 ヴェルドは行方不明の娘を捜していると言った。
 それだけでなく、ジルコニアエイドという召還マテリアの、サポートマテリアを探しているのだと。
 そのために手を貸して欲しいと要請してきたのだ。
 余程追い詰められていたのだろう。タークスを抜けてからすでに数年が経っていた。
 私はできる限り情報を集め、ヴェルドと連絡を取りつつマテリアの探索に当たった。
 そして、そのサポートマテリアの一つがゴンガガの廃炉にあるらしいことを突き止めた。
 だが、私もヴェルドも、直接それを取りに行くことはできない。その役目は、タークスにやって貰わねばならなかった。

 タークスの本部は本社ビルの中にあったが、その場所は極秘とされていた。
 タークス以外でその場所を知るのは、部門統括以上の幹部だけだ。
 私は自作したロボットと共に本部に乗り込んだ。
 タークスたちは驚きながらも私の提案を受け入れ、ゴンガガに向けて人員を派遣した。
 私はロボットの目を通してその様子を確認しながら、本部のツォンと会話していた。
 その時本部には、ツォン以外の人間はいなかった―――と、私は思っていたのだ。

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