La dolce Vita



 あの日のことは、決して忘れることはないだろう。
 この先何があろうとも、あの日ほどの絶望と怒りを感じることは、きっと無い。














 人気ひとけのないタークス本部に帰り着き、ツォンは小さくためいきを落とす。
 たった1日で、何もかも変わってしまった。
 かつて12人いたタークスメンバーは、ツォン自身と、レノとルードの二人以外戻ることはなかった。
 書きかけの書類や私物が置き去りにされたままのデスクが、主達の不在を示す。
 その空白にいたたまれず、ツォンは席を立った。

 隠し部屋のドアは開け放たれ、その中にいた人の姿はない。
 彼がいつも使っていた端末の前に立ち、でたらめにキーを押してみる。
 彼は日がな、ここで端末に見入っていた。
 4年半の間。
 毎日。
 他にはなにひとつ、彼には与えられていなかったのだから。
 彼がこの閉ざされた空間で何を思い、願っていたのかは、彼以外の誰にも分からない。
 この端末だけが彼と外界を繋ぐ窓だった。
 
 モニタに光が戻り、画面が立ち上がったことにツォンは驚く。
 だがすぐに、ここに座るのは彼以外の誰もいなかったことに思い当たる。
 どこよりも厳重に監視されていたこの部屋の中で、セキュリティは必要なかったのだ。

 戯れにファイルを開いてみる。
 そのセキュリティも、極めて簡素な作りだった。
 盗み見をすることに罪悪感はなかった。
 タークスの仕事はあらゆる情報の収集だ。
 それにどうせ見られて困るようなものは残してあるはずもない。
 そう思いつつ片端からファイルを開けていくうち、ツォンの手が止まった。

 これは、
 どういうことなのか。



「遅かったか」
 背後からかかった声に、弾かれたようにツォンは振り向いた。
「私の気配に気づかないようでは、タークス主任失格だな」
 揶揄するような声は、明らかにツォンを挑発している。
「それとも、気づかないほどおもしろいものを見ていたか?」

「あなたは…」
 声が震えたのは、怒りのためだったか。

「あんなことがあってもまだ、アバランチと通じていたのですか!」
「おまえがそう思うのなら、そうなのだろう」
「軍や兵器開発統括とも!?」
「おまえは忘れているようだが、私は神羅カンパニー副社長だ。軍と通じていて何が悪い」
「ヴェルド主任が捉えられたことも、フヒトにマテリアを奪われたことも、すべてに貴方が関わっていたのか」
「私に何が出来る? 4年もこんな場所に閉じ込められていたというのに」
 ルーファウスは大袈裟に腕を拡げ、肩を竦めてみせる。
「タークスの情報は貴方に筒抜けだった…それをいいことに貴方は、我々の信頼を裏切って!」
「はっ、信頼? 信頼ね。ヴェルドも信頼していた部下に撃たれてさぞ本望だったろう」
 面白くてたまらないというように肩を振るわせて笑うルーファウスをツォンは呆然と見つめる。
 4年半の間、毎日顔を合わせていた。
 日常の世話をしながら、たった16でこんな日の当たらない場所に閉じ込められねばならなかった彼を哀れに思いもした。
 気安く声をかけてくる様子に、少しは心を開いてくれたのかとも思っていた。
 それは全て、彼の策略だったのか。
「なんのために…なぜそんな事をなさったのです!?」
 悲鳴に近い声が出た。
 逆上していると分かっていて、止められない。
「何故? 決まっているだろう。この牢獄から出て、神羅カンパニーをこの手にするためだ」
 「そんな、そんな事のために貴方は主任の命を奪い、全世界の人々を危険に曝したというのですか!」
「何をいまさら。現に世界は何事もなかったように動いているじゃないか。おまえたちは実に優秀だよ。私の”信頼”に、見事に応えてくれた」

「貴方は自分が何をしたのか、分かっているのか!? 主任は、部下たちはもう戻ってこない! 貴方の下らない野望のために、彼らは犠牲になったのですか!?」
 怒りにまかせ、ツォンは銃を抜いた。

「私を撃つのか?」
 向けられた銃口を、珍しいものでも見るように見つめながら僅かに首をかしげてルーファウスは問いかけた。
 揺れる金色の髪が、灯りに燦めく。
「それもいいだろう。私一人死んだところで、何も変わりはしない」
 誘うように笑う言葉は、それが虚勢ではないことを明確に語っている。
「どうせ、いてもいなくてもいい副社長だ。誰も私など必要としていない。神羅のタークスとして誰よりも優秀なおまえが、将来への禍根は取り除いておくべきだと判断するならそれが正しいのだろう」

「…貴方は…何も、何も分かっていらっしゃらない…」
 ひどく疲れた気がして、ツォンは銃口を下げる。
 使い慣れた銃が、重かった。
 生命の危険を前にしてさえ、せせら笑うルーファウスに対してこれ以上何を言っても無駄な気がした。

「分かっていない? 分かっていないのはおまえの方だ」

 ルーファウスの口調が変わったことに、ツォンは気付く。
 人生の全てに倦んでいるように投げやりだった言葉が、僅かに生気を帯びてくる。

「撃たないのか」
「貴方は…生きて、学ぶべきだ…」

「甘いな、ツォン。今の言葉をヴェルドが聞いたらどう言ったろうな。…ふっ、それもいい」
 ルーファウスは髪をかき上げ、傲然と顔を上げる。

「未来をこんなに楽しみに思えたのは久し振りだ。感謝するよ、ツォン」

 そのまま身体を反転させ、4年半の間彼を封じ込めていたドアを出て行く。
 そして、
「殺しておけば良かったと、後悔させてやる」
 振り返り、立ちつくすツォンにルーファウスが向けた笑みは邪悪でも傲慢でもなく、ただあざやかに美しかった。


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