A Kid


「おーい、ガキンチョ、早く来ーい」
ロッドで肩をたたきながら、レノは遙か後方を歩く人影に声をかけた。
息を切らせながら険しい山道を登ってきたのは、ガキンチョ、といわれたとおりの子供だ。
「わあ…」
そこからの景色に、子供は感嘆の声を上げた。
かつて『クリフリゾート』と言われたようにその地は急峻な崖で形作られている。
その一番高所に立つと、荒野の彼方にはミッドガルの廃墟が望めた。
「こっから向こうは行くんじゃないぞ、と。モンスターが放してあっからな」
「放して?」
まだ荒い息をつきながら、子供は疑問を返す。
年の頃は13かそこら。
痩せた体つき、薄汚れた衣服は、子供の境遇を明確に語っている。おそらくはエッジの路上で暮らしていたのだろう。
「護衛のためだぞ、と。社長以外の人間は襲うぞ、と」
子供は複雑な顔をした。
レノはそれにかまわず、
「別に逃げたっていいけどな、と。こっからは行くなってことだぞっと」
「逃げるもんか!」
「ふーん、ま、どっちでもいいけどな、と。社長の物好きは今始まったことじゃないしな、と」
冷めた目で子供を見やってレノはまたロッドで肩をたたく。
「んじゃ戻るぞっと」
身軽に崖を駆け下りていくタークスを、子供は必死で追いかけた。

 
「私は承伏いたしかねます」
「堅いことを言うな。たかが子供だ」
「子供といえど、社長の命を狙った者です。カンパニー在りし頃なら、テロリストとして極刑です」
「大げさだな。ちゃちなナイフ一本で何ができるはずもない」
「そうだとしても」
「あのくらいの攻撃なら、私だけでも撃退できる。ましておまえたちがいる中で、子供一人に何ができる?」
「なにも進んで危険を手元に置く必要はありません」
「そうか? 実に私らしいだろう?」
ルーファウスは笑ってツォンを見上げる。
直立不動で前に立つツォンは、それを見下ろしてかすかに眉をひそめた。
ルーファウスの気まぐれと危険に対する警戒心の薄さには、たびたび振り回されてきた。
幼い頃からテロや誘拐の危険にさらされ、そのための教育も受けてきたであろうに、なぜこうも無頓着なのか。
いや、むしろ進んで危険に身を投じたがっているとしか思えない。
スリルを楽しんでいるのか、何かを試したがっているのか。どちらにせよ、護衛を務める者にとっては極めてやっかいな性格だった。

メテオ災禍から5年が過ぎた。
その間にも星痕症候群の蔓延と思念体事件、ディープグラウンドソルジャーによる襲撃などが次々と起こり、世界は安逸からは遠く離れたままだった。
それでも日々復興は続いており、ディープグラウンドソルジャーによる被害が甚大だったエッジやカームも以前の賑わいを取り戻しつつあった。

そんな中での、出来事だったのだ。
 
カームの、WRO支部にほど近い場所だった。
支部での打ち合わせの後、街の外に停めたヘリまで戻る途中だった。
カームは古い街で街路が狭く、車での乗り入れが難しい場所が多い。それで必然的にルーファウスも歩いての移動となることが多かった。
ツォンたちは反対したが、そんな進言を聞き入れる主人ではない。
街の様子を自分の目で見ることも大切だ、などと言い張って歩き回る。用もないのに屋台を冷やかし小店を覗いて、おばちゃんに菓子や果物を貰ったりする。
ルーファウスが神羅社長だったのはたった1ヶ月ばかりのことであり、彼の顔を覚えている者は関係者以外そう多くはなかった。
神羅社長といって多くの人が思い出すのは、プレジデントの顔だ。
それでも、ルーファウスが災厄の当時社長であったことは確かで、それを恨んでいる者がいることも、また確かだった。

組織的に社長を狙う者の情報は、常にチェックしている。
反神羅を標榜する者たちについても、単純にいまだ神羅の持つ利権を狙う者についても。
カンパニーの持っていた情報網の多く―――道に落ちたギル硬貨の額までわかるといわれたスパイ衛星など―――は失われていたが、人的な機能はまだ維持されている。タークスはむろん、かつての神羅軍を中心に再編された組織であるWROも、社長の安全については最優先事項のひとつに上げている。
表向き神羅カンパニーは以前のような巨大企業として看板を掲げてはいなかったし、社長の生存も明らかにはされていない。
だが現実には、インフラや最先端技術の多くを寡占していたカンパニーは、分割再編を繰り返しつつその機能を維持していた。
その陣頭指揮を執っているのがルーファウスであることは、内部では知らぬ者のない事実だった。資金を動かすことが世界を動かすことであるのは、何も変わってはいなかったからだ。
それでも、社長を狙う者は後を絶たない。
だからエコテロリストから場末のマフィアまで、おもだったものはきっちり監視しているのだ。
しかし、ルーファウスの命を狙うのはそういった連中ばかりではない。
被害感情を癒す術が無く、単純に恨みにすり替えてその標的として彼を選ぶ市井の人間―――そんな例もまだ少なからずあるのだった。

相変わらずぷらぷら(ツォンたちにいわせれば)と市場に向けて歩き出したルーファウスに向かって、小さな影が走り寄った。
ルーファウスは振り向きもしなかったが、気づかなかったわけではないだろう。なぜなら、その影を素早く地面に押さえつけたツォンに対して、
「あまり乱暴にするな」
と後ろを向いたまま鷹揚に宣ったからだ。

押さえられたのは薄汚い少年で、もがきながら悪態をつき、ルーファウスを罵った。
その手にあった小さなナイフはすでにもぎ取られ、どんなにもがいても腕ひとつ動かせない。
「レノ、これを片付けてこい」
「はいよ、と」
ツォンに命じられてレノは子供を受け取る。そのまま移動しようとした所へ、ルーファウスの声がかかった。
「どうするつもりだ?」
「テキトーにお仕置きして、放り出しときますよ、と」
少年は抵抗を試みるが、全く無駄だ。圧倒的な力の差に歯ぎしりする。
「放せ!馬鹿野郎!」
「ふむ…」
わめく子供をルーファウスは興味深げに見る。
「おまえ、私が誰かは知ってのことだな?」
「あたりまえだ!」
「私を殺したかったのか?」
「そうだ! おまえが俺の父さんや母さんを殺したんだ!妹も! 全部神羅のせいだ! おまえも死ね!」
「なるほど。では、おまえにもう一度チャンスをやろう。どうだ、一緒に来るか?」
 
「はあ!?」
大声を上げたのはレノとツォンだ。
子供はただ目を丸くしてルーファウスを見つめている。
「何を考えておられるんですか!」
続けて叫んだのはツォン。
冗談じゃない、馬鹿じゃないのか―――喉まで出かかった声はすんでの所で飲み込んだ。口にしなかったことに、心底ほっとしたのは内緒である。
「連れてこい」
ルーファウスは取り合わない。
「ヘリに乗せるわけにはまいりません!」
「では縛って吊り下げておけばいい。多少手荒だが、そのくらいの覚悟は当然あるだろう? それとも逃げるか?」
「誰が逃げるもんか!」
「だそうだ」
ルーファウスは笑って歩き出す。
その背はツォンのどんな進言も小言も一切聞く気はない、と言っている。
ツォンは思わず舌打ちしそうになり、ようやくそれを思いとどまって小さなため息を落とすに留めた。


ヘリに吊り下げられてヒーリンまで移動した子供は、地面に下ろされたときには目を回していた。
それはそうだろう。ずっとエッジ付近で暮らしていたなら乗り物に乗ったことすらろくにないのだろう。たかが十数分とはいえ、生身ひとつで空中を行くのは過酷な体験だったに違いない。
ルーファウスは、適当に住む場所を与えてやれ、と言ったきり真っ直ぐロッジへ帰ってしまった。
後を押しつけられたタークスたちは、ぶつぶつ言いながらも結局、なにくれとなく面倒を見てやることとなった。特にイリーナは、もともと孤児たちに同情的なところもあり、子供が社長を襲った現場も見ていなかったのでけっこう親身になって世話をした。

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