「お食事ですよ」
「ああ、そこに置いておけ」
 食事を載せたトレーを持ってルーファウスの自室に入ったツォンは、気のない返事にまたか、と小さくためいきを落とす。

 そもそもルーファウスは昔から食事に対する意欲が薄く、タークスの監視下にあった頃もしばしば食事を手つかずのまま残した。
 育ち盛りの少年であった頃でさえ、そうだったのだ。
 レトルトだとはいえ、彼のためだけに吟味された食材で専用のコックが調理した最高の料理が、皿に載ったまま干乾びていくのを何度目にしたことか。
 一人の食卓が寂しいのだろうかとタークスメンバーを差し向けるとひどく鬱陶しがられ、レノなどトレーごと食事をぶつけられる有り様だった。
 もともと他人と共に食事することなど会食の時以外なかったのだということを知ったのは、その後だ。
 だが、今はあの頃とは事情が違う。
 ウェポン攻撃による社長室爆砕からかろうじて生還して4年。
 傷も完治せぬまま星痕症候群に罹患し、その身体はずっと無理を強いられてきた。
 本人は平気な顔をしているが、いまだ体力は回復したとはいいがたく、気候の変化や疲労で容易に熱を出す。
 そしてそれはすぐ食欲の減退という形で現れるのが常だった。

 ツォンはトレーを置き、モニタに向かっているルーファウスの額に手を伸ばす。
「何をする」
 ルーファウスは身体を退き、ツォンの手を払った。
「社長、」
 皆まで聞かず、僅かに目を眇めてツォンを見上げ、ルーファウスは笑う。
「昼間からお誘いか?」
 払った手を今度は自ら掴んでその指先を口に含んだ。
「そういえばここのところご無沙汰だったな。欲求不満か?」
 指先から走った甘いしびれを努めて無視し、ツォンはもう片方の手をルーファウスの頬に添えた。
 その頬も、指先に感じた舌も、ひどく熱い。
「熱がおありですよ」
「ふん」
 嫌そうにそっぽを向くさまが妙に子供っぽい。
 こんな時、この方がまだ二十代の半ばにも満たぬ若者なのだと思い出す。
 
「熱なんか薬を飲めば下がる」
「薬はなるべく使わない方が良いと医者も言っておりましたでしょう。それに、お食事を取られないと薬も飲めませんよ」
「…まったく」
 子供に諭すような口調になったツォンを目線だけで見上げ、うんざり、という表情を作ってみせる。
「…おまえは口喧しいな」
 実際はどう贔屓目に見ても感情豊かとはいえない性格のくせに、不機嫌だの立腹だのを装うことは呆れるほど達者だ。
 それが他者に与える効果を十二分に認識して使うのだから、始末が悪い。
 だがツォンは、そんなことには当然慣れっこだ。
「ご自分できちんと自制なさってくだされば、何も言いませんが」
「ふん、ますますヴェルドに似てきたか」
 僅かに顎を反らし、座った位置からツォンを見上げているにもかかわらず、高所から見下ろすような視線を送る。
 高慢でありながら、極上の優雅さも併せ持つ表情。
 それは身につけた仕草というよりは、生れ育ち故に自然と備わったものだ。
 そんなルーファウスの所作をツォンは好ましいと思う。
 カンパニーが―――今はその実体はカンパニーを名告ってはいなかったとしても―――頂点に戴くべき指導者は、ただ能力が優れているとか人格が高潔であるとかいうだけでは足りない。
 ぶれることのない理念と、それを完遂する苛烈なまでの実行力を持ち、しかも全てを高みから睥睨して興じることが出来なくては。
 だから、いまだ神羅カンパニーのタークスである我々が従うのは、神羅の名を持つ貴方だけだ。

「…だが」
 面白いことを言ってやろうとする時の、僅かに高くなった声にツォンは内心身構える。
 この方がこういう物言いをするときは用心が必要だ。
「こちらの方はどうかな?」
 言葉と共に伸ばされた腕は、ツォンの股間を微かに擦っていく。
「社長!」
 思わず身を退いてしまったツォンに追い打ちをかけるように、ルーファウスは続けた。
「ヴェルドは上手かったぞ。ほとんど経験のない私でも十分に楽しませてくれた」
「そんなことをおっしゃっても」
 誘いには乗りませんよ、というツォンの言葉は、ルーファウスの唇に呑み込まれた。
 いまだに車椅子で暮らし、その動作も急いだり慌てたりすることはほとんどないために忘れがちだが、彼はその気になれば立ち歩くことも出来るし素早く動くことも出来るのだった。
 角度を変え、幾度も繰り返される口付け。
「これ以上私をじらせるな…おまえだって」
 細くしなやかな指が、再びツォンの中心に降りてくる。
「こんなになっているくせに」
 高まりを撫で上げられて、ツォンは小さく声を洩らす。
 それがこの人を喜ばせることがわかっているから。
 ルーファウスの欲望も、ツォンの脚に押し当てられている。
 この局面でこの方の不興を買うことはさすがに避けたい、とツォンは思う。
 畢竟、ツォンの望みはルーファウスの歓ぶ顔を見ることだけなのだ。

 しなだれかかる身体を抱き上げて、ベッドへ運ぶ。
 この主人は、デスクでやることも床でやることも好きだが、なるべく発熱している身体に負担の少ない場所を選びたい。
 星痕症候群に冒されていたときでさえ、この方はしばしば自分を誘った。
 あの頃に比べれば身体の状態はずっとましなはずだ。
 だが、あの当時は、常にこれが最後になるかもしれないという切迫感があった。
 しかし今は、明日の健康のためには今日の快楽くらい謹むべきなのではないかと、ツォンは思う。
 そうは思っても、それを目の前の人に正面切って告げる勇気はない。
 正直なところ、主人の誘いを拒絶したくないのはツォンも同じだったからだ。

 キスを繰り返し、首筋や耳を擽ってやると主人は身を竦めて喉を鳴らす。
 幾重にも着込んだ衣服を丁寧に脱がせ、現れた白い胸に舌を這わせる。
 こうやって間近で見れば、滑らかな肌に刻まれた傷痕が光る。
 ウェポンの攻撃で負った傷と、繰り返された手術の痕だ。
 それがどれほどの重傷だったか。思い出しても身が竦む。
 半年の間、彼は幾度も死線をさ迷ったのだ。そのたびにツォンも命の縮む思いをした。

 神羅カンパニーのタークスであることはツォンにとって生きる意味であり、ルーファウスはその象徴であると共になにものにも代えがたい最愛の人だった。
 ルーファウスを失えば、カンパニーはその形も実質も全てが消え失せる。
 生きる意味と愛する人を同時に失うことは死にも等しい。
 ミッションの遂行と主人への忠誠のために命を賭けるのを厭うたことは、一度もない。
 だが、こんな形でその両方を失うなど、とうてい耐えがたい。
 ツォンに出来たのは、ただ悲鳴を上げる心を押し隠して待ち続けることだけだった。

 ルーファウスは奇跡的にその死地から回復した。一度はその身体を覆った星痕症候群の忌わしい痣も消えた。
 そして今、ツォンの腕の中にある。
 つまらぬ小言を言えること。それをうんざりした顔で聞き流す彼を見ること。
 そんな日常こそが、たとえようもなく貴重だ。

 最高の医療でも消しきれなかった傷痕に沿って舐め上げると、主人の口から吐息が零れる。
 辿り着いた先の薄い色の乳首を含めば、いっそう喬い声が上がった。
 今この腕の中にある人をどれほど愛おしく思っているか。
 きっとそんなことは、この方は全てご存じだ。
 だからこそ惜しげもなく身体を開き、ツォンの欲望を迎え入れる。
 この行為が決して忠誠の対価ではないこと。
 この人なりの、不器用な心の示し方だと納得するまでにはずいぶんと時間がかかった。

 掌に感じる肌の熱さ、そして己自身を包むもっと熱いその中。
 吐く息も熱く、絡められる舌も熱い。
 ルーファウスの熱にツォンは翻弄される。
 悦楽の表情は、苦痛のそれと区別が付きにくい。実際、ルーファウスがこの行為をどう感じているのかは、ツォンにはわからない。
 熱のある身体に、負担をかけているという思いもぬぐい去ることが出来ない。
 けれど絶え間なく零れる声と、縋るようにツォンの背に廻された腕の力が続きをせがむ。
 ツォンを締め付け、もっと奥へと誘う動きが、そんなツォンの逡巡いも理性も霞ませていく。
「…ツォン、あ、ぁ…」
 名を呼ぶ声の甘さが、最後の自制のタガを外した。
「ルーファウス様…!」
 ツォンはルーファウスの背を折れるほど強く抱きしめ、その裡を強く抉り続けた。

 愛し愛されていることに疑問は持たない。
 幾度もそれを示してくれた主人に対し、素直に信じられなかったのは自分の方だった。
 思い返せば、まだ自分の胸ほどの背丈もなかったあの幼い頃から、この方は自分だけをずっと特別に思っていてくれたのだ。
 それが恋と呼べる感情ではなかったにしろ。
 自分の方こそ、そんな幼い主人に抱いた劣情を把握しかねて途惑っていた。
 カンパニーへの忠誠だと誤魔化しさえして。

 この身体が自分だけのものではなくとも。
 その心に棲むのが自分だけではないとしても。

 そんなことを持ち出してこの方を咎めるのは、おそらく的外れなのだ。
『そういう問題ではない』
 ―――と、きっと主人は言うだろう。
 嘲るような、蔑むような微笑に困惑を隠して。
 
 ことの最中の主人は、普段の彼からは想像もできぬくらい愛らしい。
 あの高慢なルーファウス・神羅が、男に組み敷かれその身の裡を欲望に抉られながら甘く擦れた声で行為をねだるなど、誰が想像しえよう。
 自身の熱から逃れようとするかのようにもがく身体をきつく抱き留め、許しを請うようにあがる声を口付けで塞ぎ、ツォンは自らの熱をルーファウスの中に解放する。
 華奢な背を精一杯の力で反らし、ツォンを受け止めながらルーファウスもまた、頂点へと駆け上がった。

 激しく上下していた胸がようやく鎮まり、力なく投げ出されていた腕が寄り添って伏したツォンの身体に回される。
 男の胸に顔を擦りつけ、甘えるような仕草を見せる主人の髪に口付けを落とし、囁く。
「…愛しています。ルーファウス様」
 返答の言葉の代わりに、回された腕にほんの少し力がこもった。
 その言葉を聞くことが彼はけっこう好きなのだ、と知ったときは意外に思えた。
 そんな甘ったるい言葉など、鼻で笑ってバカにされるだろうとそう思いこんでいた。
 けれど言葉にしなければ伝わらないこともあるのだと、そう教えてくれたのは遙かに年若い彼の方だった。
 自分も―――
 そう、自分も彼からその言葉を聞いたときは涙が出るほど嬉しかったのだから。
 その時はまだ彼の身体は星痕に冒されていて、その涙は決して歓びのためだけのものではなかったのだけれど。

 他人から見た自分がどう映るか、よくわかっている。
 
―――冷酷非情なタークス主任―――

 それはツォンが自身をそうあろうと律してきた姿でもある。
 その己が、こんな甘ったるい言葉を真摯に囁く日が来ようとは、思ってもみなかった。
 どんな女性に対しても、溺れることなど無いと信じていた。
 家庭を持つことも無いだろう。
 それは任務遂行の妨げになるだけのものだ。
 生涯を神羅カンパニーのタークスであることに捧げると、決めたのだから。
 ―――そう、
 考えていた。
 けれど。
 それは自分への誤魔化しだったと今はわかる。
 カンパニーへの忠誠は、自分にとってこの方への忠誠と同義だった。
 本当に身も心も結ばれたいと望んだのは、どんな女でもなくこの主人だけだったのだ。
 とっくにその背徳の恋に溺れていた己を、認めることが出来なかっただけだ。
 彼が同性であること、仕えるべき主人であること、そして出会った頃はまだ年端も行かぬ幼子であったこと―――
 全てがこの感情を認めることを拒否していた。
 
 けれどこの誤算は、ツォンにとってなによりも大切なものとなった。
 柔らかな愛撫と共に囁きかける言葉に頷き返して貰うことほど、心を満たしてくれるものはない。
 傲岸不遜の権化のように思われている神羅社長と、血と硝煙の臭いを纏い付かせた男とが交わす睦言など、質の悪い冗談のようなものだと思う。
 それでも―――
 世界の頂点に立つことは無くなってしまった今でも、相変わらず世界で一番重い責任を担っているこの人と、それを支える自分とが安らげる僅かな時間。
 激動の時を越えてようやく手にしたその温もりに溺れること。
 そのくらいは赦されてもいい―――と思う。
 こんなにも。
 誰よりも、何よりも、貴方が大切だ。

「貴方と、ずっと一緒にいたい…」
「ふふ…」
 思わず零れた言葉に、含み笑いが返った。
 その笑いに、同意の響きを感じ取ってツォンは顔を綻ばせる。

「たとえ生まれ変わっても、必ず貴方を見つけます」
 自然に紡がれた言葉だった。
 特に深い思いがあったわけではない。
 人は死ねばライフストリームへ還る。
 そして生命はまた、ライフストリームから生れてくる。
 それがこの星の命の循環であり、そのありようだった。
 だからツォンのその言葉は決して単なる絵空事であったわけではない。
 来世を誓うことは、恋人達にとってはごく普通のことだった。
 それが夢物語であったとしても。

「きっともう一度二人で」
「バカバカしい」
 甘い囁きを断ち切るように吐き捨てられた刺々しい言葉。
 ルーファウスの反応はツォンの理解を超えたものだった。
















 彼は体を固くしてツォンの胸を押しやった。
 驚いて覗いた顔は不機嫌と冷淡の狭間にいるかのようだった。
「ルーファウスさま…」
 ルーファウスは上体を起こし、鬱陶しげに髪をかき上げた。
 そのままベッドを出て行こうとするのを、縋るようにして引き止める。
「どうなさいました。私が何かお気に障ることを申しましたか」
 ツォンに腕を掴まれて、ルーファウスはそれ以上動くことが出来ない。
 苦々しい顔でため息をつき、もう一度枕に身体を沈めた。
 もともと熱があり、普段よりも体力が落ちている。
 その上行為の後と来ては、実の所動き回りたくはないのだろう。
 
 本当に腹を立てていたなら、何を言おうがどんなに縋ろうが、無視される。
 ため息をつきながらでも今一度傍らに伏してくれたということは、さほど立腹しているわけではないはずだ。
 ツォンはおずおずと言葉をかける。
「申し訳ありません」
 ルーファウスは目を閉じたまま、薄く笑った。
「おまえは何かというとすぐ謝る」
「申し訳…」
「もういい… 謝らねばならぬのは、私の方かもしれないからな」

 驚きのあまり声が出なかった。
 謝る?
 謝ると言われたのか?
 この方が?

 あまりにも思いがけない展開に、ツォンは混乱する。
 謝るという言葉ほど、ルーファウス・神羅に似つかわしくないものはない。
 この方が、噂に言われたような傲慢な独裁者などではないことは、誰よりもよく自分たちが知っている。
 けれど、その怜悧な頭脳の判断はいつも的確で、しかも彼は他人の感情に配慮するなどという感傷とは無縁だった。
 だから最も近くにいたツォンでさえ、ルーファウスの「謝る」という言葉は聞いた覚えがなかったのだ。

 困惑し、返す言葉を失っているツォンをちらりと見て、ルーファウスはまた溜め息とも笑いともつかない息をもらし、そしてゆっくりと口を開いた。

「なぜ父があれほど『約束の地』に固執したかわかっているか?」
 ツォンは黙ったまま次の言葉を待つ。返答を期待されていないのは、わかっていた。
「ふん、無尽蔵の魔晄など、ただのお題目だ」
 ルーファウスは視線を宙に彷わせる。あたかもそこにいない人を見るように。

「あの男は―――母を取り戻したかったのだ。私と引き換えに失った彼の妻を。どんな願いも叶うというその場所で」

 返す声もない。
 思ってもみなかったことだった。
 前社長は、カンパニーの利益のことしか考えていないと、ずっとそう思っていた。
 その言動は終始一貫していて、どこにも破綻はなかった。それが全て目くらましだったというのか。

「人は死ねばライフストリームへ還るという。ならばその流れの中から再び人を作り上げることが出来るのではないか―――、それを可能にするものが、約束の地にはあるのではないか―――と、そう考えたのだ。そこでは死んだ者に再び出逢うことができたという古代種の伝説もあったことだしな。実際にはそれは間違いだったわけだが」
 目を閉じたルーファウスがその瞼の裏に描くのは、彼の父だろうか。それとも、顔も知らぬ母だろうか。
「世界の富と覇権を手にした男の愚かな望み―――それをおまえは笑えるか?」

 笑えは―――しない。
 ツォンは目眩いのような想いに捕らわれる。
 貴方を失ったなら、そして自分に僅かな望みでも残されているなら、己もまた同じ願いを持つに違いないのだ。

「そして私も同じ夢を見た―――『約束の地』でセフィロスを見つけられるのかもしれないと」

 そう―――なのか。

 そうだったのか。
 だから、副社長時代は『約束の地』など絵空事だと言っていた人が、手のひらを返したようにそれを追い求め始めたのだったか。
 確かにあの時、本社ビルに現れてプレジデントを殺害し『約束の地』へ向かったのはセフィロスだと思われており、ルーファウスの思いは前社長のそれよりははるかに現実的であったのだ。
 嫉妬とも憐憫ともつかぬ感情がツォンの胸を噛む。
 ルーファウスがそれほどにセフィロスを想っていたことが、嬉しいはずがない。
 それでも、彼のその想いは哀れで切ない。

「―――だが、あの場所で私が出会ったものは、なんだった?」
 ふふ、とルーファウスは暗い笑いをもらす。

「だから―――」
 顔を上げ、ツォンを見つめて年若い主人は僅かに眼を細めた。
 瞳の蒼が、薄いグレーに染まる。
 主人の感情を映して酷薄なその色。
 どんな言葉よりもその色が、雄弁にこの人の心を語るのだと気づいたのはいつ頃だったか。
「私は、永遠の命も復活もいらない」
 その言葉が、自分に向けて放たれたものだと気づくのに時間がかかった。
 ルーファウスはツォンの頬に手を伸ばし、ゆっくりと滑らせた指をその唇に押し当てた。
 あたかも言葉を封じるごとく。

「再びの約束も―――」

 投げつけられたゆるやかな拒絶。

 その意味が心に落ちて、ツォンは愕然とする。
 ルーファウスの抱えるその虚無に。
 
 かつて―――
 この方には何一つ、大切なものも望むものもないのだと知った時に感じた冥い欠落。
 それは少しも変わらずにこの方の中に存在し続けたのか。

 この上なくむごい言葉を紡いだその口が、柔らかなキスを落とす。

「一度きりだ。ツォン。今ここで、おまえの腕の中にいる私だけが、真実だ」

 瞳の色が、緩やかに淡い蒼に融けてゆく。
 明るい澄んだ空の色。
 うっすらと微笑んだ顔は、たとえようもなく美しく、哀しかった。

 ツォンは返す言葉も思いつかぬまま、主人の身体を抱きしめる。
 熱い身体も、熱い息も、ひどく儚く思えて胸に迫った。
 甘い匂いの髪に顔を埋めて、ツォンはこみ上げる思いを押さえ込む。
 
 ―――貴方を失うことなど、考えられない。
 だがそんな執着を、鬱陶しいと貴方は思われるのだろう。

 ルーファウスの言うことは正しい。
 生まれ変わりなど、絵空事に過ぎない。
 ライフストリームに還った命は原子に分解した肉体と同じで、人としての意志や個性を保つと考えるのは、ただの感傷だ。
 そんなことはわかっている。
 わかっているが故に、人はそれに憧れる。
 そんな憧れすら―――拒絶する彼の言葉は紛れもなく本心だ。
 
 今ここで何を返しても、不興を買うだけだというのは、分かり切っている。
 愛しい人をかき抱く腕の力に、すべての想いを込めるツォンに、ルーファウスは笑い返す。

「だからな、ツォン」
「はい」
「私を満足させろ。今、ここで」
 くすくすと悪戯な笑みがその顔を彩る。
「…まだご不満ですか」
 しばしの沈黙の後、ようやく言い返すと、
「物足りないな。もっと…おまえのことしか考えられなくなるくらい激しくしてみろ」
「最中に、他のことを考えるほど余裕がおありには見えませんが?」
「言うようになったじゃないか」
「上司の御薫陶が行き届いておりますから」
「口ばかり達者になってもつまらん。もっと違うことに熱意を傾けろ」

 笑みを形作った唇が近づいて、キスをねだる。
 熱く乾いた唇。
 
 今。
 このひとときだけ。
 それだけが真実だと。

 その想いと同じ熱を持つ口付けに、二人は溺れてゆく。






end