レノ「なんの任務かと思えば、子供のお守りなんだぞ、と」 レノはドアの傍に突っ立ったままスティックで肩を叩いた。 主任に行けと命じられたのは 行けばわかるとだけ告げられて、このことは他言無用だとも付け加えられた。 来てみれば、そこで待っていたのは、今までモニタでちらっとしか見たことはなかったが間違いようもない副社長、ルーファウス神羅だった。 確かまだ16かそこらだったはずだ。そんな子供は、他にいない。 年齢より大人びた感じもするが、まだまだ少年の域を出ていない。 これまたほとんどモニタでしか見たことのない父親によく似ている、と思ったのは単に髪と目の色が同じだったからだ。 レノの『会社』に対する思い入れはその程度だということだった。 そんなレノを前に、子供は口を開く。 その声もまだどこか少年らしさを残してわずかに高い。 「今まで私のお守りをしたのはほとんどが40過ぎの人間ばかりだ。それに比べれば、君はずっと年が近い。友人と言っても通ると思うが? そうだろう、レノ君」 いきなり君づけかよ、と心の中で吐き捨てるが、考えてみなくとも相手は副社長。役職から言えば遙かに雲の上の人物だ。 君がついただけでも上等なのかもしれない。 それにしたってこんな、親の贔屓の引き倒しで会社に入ったようなガキにいいようにあしらわれるのは心外だ。 なにが友人だ。 どういうつもりの『任務』なんだか、主任に恨み言の一つもぶつけたくなるレノである。 「んで、何をすればいいんでしょうかね、と」 言葉にたっぷり棘を含ませたつもりだったが、『副社長』は全く堪えた様子もなく 「まあ座れ」 と傍らの椅子を指した。 63階には用途不明の部屋がいくつもある。 ここもその一つだった。 仮にも副社長なら自室くらいありそうなものだが、なぜこんな空き部屋を指定されたのかも、分からない。 頭を捻りながらとりあえず座る。 「悪いな。茶も出せなくて」 そんなレノの疑問を察したのか、『副社長』は笑いながら奥のデスクにつく。 「あいにく私は部屋を持っていないんだ。なんなら上で缶コーヒーでも買ってくるか?」 上、は69階の自販機のことか。 「べつに…」 茶なんか飲みたいわけじゃない。 しかし、自室もなければ秘書もいないのか。 それじゃあほんとに肩書きだけの『副社長』だ。 「そうか。では1時間ばかりここにいてくれるか。この部屋の監視カメラは切ってある。何をしててもいいぞ」 そう言って自分は勝手にノートパソコンを開き、なにか真剣に作業を始めた。 どうやら仕事をしているらしい――と理解するまで時間がかかった。 だって、なぜわざわざタークスを呼び出して座らせておく必要があるんだ? それにこんな空き部屋に閉じこもる必要も。 「あのな」 おそるおそるレノは声をかけてみる。 仕事の邪魔をするのは、さすがにためらわれたのだ。 仕事をしているなら、まがりなりにも相手は『副社長』だ。 「何か秘密の仕事なのか?」 「え?」 不思議なことを訊かれたという表情でモニタから顔を上げ、ルーファウスは首をかしげる。 「あ…」 初めて正面からその顔をまじまじと見て、レノは続ける言葉を失った。 明るい金色の髪と青い目は確かに父親であるプレジデントによく似ていたが、この少年は人形のように整った顔立ちだった。 しかもそこに浮かんだ無防備な表情と真っ直ぐな視線は、その怜悧な美貌に愛らしさを添えている。 つまり偏見抜きに見たルーファウス神羅は、びっくりするほど魅力的だったのだ。 「いや、特にそういった内容ではないが。なぜ?」 大きな瞳が光を弾いて瞬く。 「…ならなんで俺をここに座らせておくんだぞ、と」 二呼吸ほども遅れて、ようやく返事が返せた。 「ああ、そのことか」 言いながら少年は再びモニタに視線を落とす。 綺麗な蒼い目が伏せられて見えなくなったのは残念だ。 「ヴェルドから何も聞いていないのか?」 「聞いてないぞ、と」 「ではどう言われて来た」 年相応の少年らしさも、友だちだと言った時の砕けた調子も消えて、ルーファウスの声は硬い。 それは彼の心情を反映してというより、使い分けられているのだろうと思われた。 レノは少しばかり感心する。 この子供は、親の七光りだか八光だかだけでここにいるわけではないらしい。 これは命令し、従わせることに慣れた者の声だ。 「行けばわかると」 「それから?」 「ここでのことは他言無用だ、だな」 「ならばそういうことだ」 言ったきりルーファウスは言葉を切った。 レノはしばらく待った。話の続きを期待して。 だがルーファウスにはそれ以上話すつもりが無いらしかった。ただクリック音がたまに響いてくるだけだ。 「おい」 モニタにかがみ込んでしまった金色の頭に呼びかける。 「それだけじゃなんのことかちっとも分からないんだぞ、と」 再び上げられた瞳は、やや不機嫌そうに眇められている。 「うるさい」 殴ってやろうか。 好意に振れかけていたルーファウスの評価は一気に最悪だ。 やっぱり生意気なだけのガキンチョだ。 ここはドアを蹴って出ていくべきか、それともこのガキに大人に対する口の利き方を教えてやるべきか。 だがどちらもできないのは、いくらレノでも分かっていた。 ここにいろというのは『任務』だったし、例えガキでも相手の方が地位は上だ。それも遙かに。 腹立ち紛れに立ち上がると、レノはルーファウスの背後に回り込み、その背を睨みつけた。。 せめて無言の抗議だけでもという、ささやかな抵抗だ。 だがモニタを見つめている金色の頭は、振り返ろうともしない。 驚くほどの速さでスクロールされていく数字の羅列、文書。 時折叩かれるキーボードの軽快な音。 それを叩く細い指、桜色の爪。 真剣な横顔。 気づけば、ぼんやりと見つめていた。 バカじゃないのか、オレ。と心の中で嘆息する。 見とれてどうするんだ。 しかし先ほどまでの怒りはもう沸き上がってこなかった。 クソ生意気なガキだが、仕事はできるらしい。 そもそも事務作業の苦手なレノから見れば、ルーファウスの仕事ぶりは奇跡に近かった。 ふと、その手が止まる。 「たいした業務じゃないんだ」 それが自分に向けられた言葉だと分かるのに、少し時間がかかった。 「おやじの所まで上げるほどのこともない案件の処理だ」 片手でPCの電源を落としながらルーファウスは振り向いた。 そこに浮かんだ表情はひどくフクザツで、ルーファウスの気持ちはレノには測りかねた。 「そろそろいいだろう。悪かったな、時間を取らせて」 立ち上がってレノの側まで来ると、少年はそれが癖なのか僅かに首をかしげてレノを見上げる。 最後まで目的は明かされなかった。 「言ったとおり、ここでのことは一切他言無用だ。ヴェルドにも言うなよ」 「主任に隠し事はできないんだぞ、と」 まっすぐにレノを見つめていた蒼い目が瞬く。 「そうか…。そうだな」 一瞬伏せられた瞳が何を考えたのか、次にルーファウスが取った行動はレノには予測も付かないものだった。 いきなり首に腕を巻き付けてきたと思うと、柔らかな唇が押し当てられたのだ。 あまりのことに反応できないレノを無視して、小さなざらついた舌先が唇を舐める。 せがむように。 驚愕が過ぎれば、受け入れるのにやぶさかではない。 男だということを割り引いても、この少年は魅惑的だった。 その細い腰に腕を回し、抱えるようにして口付けを深くする。 舌を絡め合い、互いの息を貪るキス。 先にギブアップしたのは少年の方で、レノはちょっとばかり意趣返しできた気分になる。 しかし喘ぐように喉を反らせ、閉じた睫毛を振るわせている少年はとんでもなく色っぽかった。 ごくり、と喉が鳴る。 だのにルーファウスはそんなレノの胸に手を着いて押しやった。 「他言無用だ。いいな」 瞳を上げないまま言い置いて、素早い動作でノートを抱え上げると、あっけにとられているレノを尻目にさっさと部屋を出て行く。 最初から最後まで、振り回されっぱなしだった。 いっそそれも小気味いい、などと思っている自分に気づいて、ちょっと落ち込む。 仕事は常に楽しくかっこよく、が信条の行動規範に反している。 楽しく――無かったこともないが、全然かっこよくはなかった。 次の時は――次があれば――もっとかっこよく決めてやるんだぞ、と。 そう、レノは心に誓ったのであった。 end 2005年12月8日(木曜日) |