SWEET HOME
あの時の社長の目が忘れられない。 キルミスターの洞窟で、オレの伸ばした手につかまって、ずぶ濡れの汚れたスーツ姿で『遅い』と一言。 掴んだ手は骨張って冷たく、引いた身体はずぶ濡れにもかかわらずぎょっとするほど軽かった。 そして、俯いて身体を震わせた社長の口唇の端からこぼれ落ちた黒い―――― ひどい痛みもあったろうに、社長はただ一言そう言っただけだ。その他にはオレたちをなじる言葉も非難も叱責も何も無し。 それに、『遅い』っていうのもたぶん、自分だけの事じゃなかったんだ。あの時もう少し早くオレたちがあの洞窟にたどり着けてたら、同じ洞窟にいた患者たちの何人かは助かっていたんだろう。 その人たちを助けようと社長は一人でがんばってくれたんだと、一緒に助けたただ一人の生き残りは言ってた。きっと助けが来ると励まし続けてくれた社長の言葉ほど力強いものはなかったと。 それは分かる。 社長の言葉は、嘘でも本当でも相手を信用させてしまう力がある。そして嘘の希望でも必要な時ってのはあるもんだ。 そんな社長の努力のほとんどを無駄にしたのが、オレたちの遅れだった。社長は何も言わなかったけれど、きっと悔しかったろう。 あの人はいつも、そういうことは何も言わない。 それが、オレたちには真似出来ない社長の強さだと思う。 オレは『悪かったぞ、と』なんて言ってごまかしたけど、ほんとは涙が出そうだった。 言い訳を色々したのは、黙ってたら泣くか叫ぶかしそうだったからだ。 なぜもっと早く助け出すことができなかったんだろう。 ぎりぎりで―――本当にぎりぎりのところで間に合いはしたけれど、社長は治療法もないあの死病に取り憑かれてた。それが、過酷で絶望的だったこの数ヶ月間と無関係じゃないって事は確かだった。 そして――― その黒い痣に包帯を巻くために社長の背中を見たとき、オレは息をのんだ。 それまで社長の裸の背中なんか、見たことはなかった。けど、神羅カンパニーの跡取りとして大切に育てられた人だ。綺麗な肌をしてるんだろう、とは思ってたんだ。 確かに社長の肌は綺麗だった。透き通るように白くて滑らかで、男の肌とも思えない。 でもそこには、忌まわしい黒い痣の他に、幾つもの惨たらしい傷跡が刻まれてた。 いくつかは火傷の跡だ。それが電磁ロッドで付けられたものだと、オレには一目で分かった。浅い傷からかなりひどい火傷まである。それも全部この半年以内の傷だ。 その他に細く長い線状の傷。こちらがナイフなんかじゃなく鞭の跡だと分かるにはちょっと時間がかかった。 ほとんど消えかかっている傷も合わせれば、傷の無い場所がないと言っていいくらい背中にも胸にも腕や肩にも一面に残されてた。 そして手首には明らかな手錠の跡。付けられた状態でひどくもがいたのだろう。擦り傷というようなものではなく深く抉れた跡が残り、打ち身で変色した皮膚はまだ治りきっていない。 それがいつ、どこで付けられたものか分からないはずはなかった。 あの変態野郎の地下室だ。 アイツの屋敷を見つけたとき、あの野郎はすでに死んでた。 屋敷の中を探し回り地下室に辿り着いたとき、そこには男の死体がひとつ転がっていただけで他には誰もいなかった。ただ、誰かが監禁されていた跡が歴然とあっただけだ。 それが社長だったろうというのは間違いないことだった。 その上その地下室はどう見たって秘密のSM部屋だった。つまり、変態セックスのための部屋だ。 変な形の家具や、AVの中でしか見たことのないようなエロくてグロい道具とか山ほどあった。点々と散った血の跡も。 それを見たツォンさんは顔色を変えてオレたちをそこから追い出した。社長の足取りを追え、と言って。 その後のことはだからツォンさんしか知らない。 たぶん、いやきっと、あそこには録画があったはずだ。 そこにどんなものが撮られていたのか。観たのもツォンさんだけだ。 だからオレたちはその部屋のことも変態野郎のことも、忘れるともなく忘れていた。 一番の問題は今現在社長がどこにいるのかということと、次第に数を増してくる星痕症候群の患者や相変わらずなかなか進まない復興なんかの、容赦なく押し寄せてくる事態だったからだ。 けど社長の傷跡を見た途端、あの地下室の様子が頭に甦った。 天井から吊られた幾本もの鎖や、壁に掛けられたいろんな鞭。どうやって使うのか分からない奇妙な道具。 あそこで社長がどんな目にあったか、嫌でも分かる。 たぶん―――目に見えるところの傷だけじゃなく、もっとひどい屈辱的なこともあったに違いない。 あの部屋にはそのための道具がこれでもかと並べられてた。いつでも使えるように。それがどういうことか、分からないはずもない。 変態野郎がただ社長を殴ったりロッドで火傷させたりしただけなんて、子供じゃあるまいし信じられない。 社長は男だけど綺麗だし、若いし、育ちもよくて頭もいい。ホモじゃなくても抱いてみたいと思わせるくらいには魅力的だ。。 それになにより、社長はあの神羅カンパニーの社長だったんだ。 変態野郎から見ても雲の上の人だった社長を跪かせて犯せば、カンパニーを征服したような気分が味わえたろう。軍の内部にいたなら、神羅カンパニーがどれほどの力を持っていたか、今も持っているかよく知っていたはずだ。 たとえ一時でも、あんな野郎にその気分を味合わせたかと思うと反吐が出そうだった。 「レノ?」 手の止まっちまったオレを見上げて、社長が言う。 「傷跡が珍しいか?」 「や、…いやや、男前度が上がったぞ、と」 「はは」 茶化して言うオレの言葉に、社長は素直に笑った。ほんとになんの屈託もない笑い方で、社長が傷跡のことなんかこれっぽっちも気にしてない事は確かだった。 「痛まないかな、と」 「傷はもう痛まない。黒い痣の方は仕方ないが」 「………」 「そうしけた顔をするな。別におまえたちのせいではない」 「けど…オレたちがもうちょっと早く社長を見つけられてたら、いや、あの時社長を一人で残したりしなかったら」 「レノ」 社長はオレの言葉を遮って身体の向きを変え、真っ直ぐオレを見て言った。 「そう命じたのは私だ。それはおまえたちの過ちではない。それに、私はこうしてちゃんと生きている。過去はもう変えられない。考えるべきはこれからのことだ」 細い腕を伸ばして、オレの頬に手を添える。 「そうだろう?」 社長の手が頬をぬぐって、オレは初めて自分が泣いてたことに気づいた。 「やるべき事は山積みだ。まずはジュノンの軍に連絡を取らねばならん。ミッドガル周辺の状況も知りたい。それに」 「それに?」 オレは服の袖でごしごし顔をぬぐった。今更ごまかしもきかないし、恥ずかしがったってしょうがない。涙なんて、勝手に出るもんだ。 「何をおいてもまず、これをなんとかする方法を見つけないとな。おまえたちもせっかく助け出した私をこんなもので死なせては寝覚めが悪いだろう?」 オレの目の前でひらひらと手を振りながら、まるで冗談でも言うような調子で社長は言う。 「も、もちろんだぞ! どんな任務でも完遂するのがタークスだぞ、と」 「いい返事だ」 社長は笑って、オレの胸をぽんと叩いた。 「ならまずはちゃんと包帯を巻け」 「お、おうよ」 すっかり止まったままだった手を慌てて動かす。 背中から肩にかけて浮いた痣が、包帯の下に隠れる。それと共に傷跡も隠れた。 巻き終わると社長はシャツを羽織り上衣を着込んだ。そして、 「このことは誰にも言うな」 とオレに釘を刺す。 言われなくたって、誰にも言って回る気なんか無いけどな。 「社長」 オレは社長の前に膝を付き、綺麗な顔を見上げた。 このご時世じゃ贅沢品のロッジの明るい照明が金色の髪を照らして、瞳の色も透けるような青に見える。 あの変態野郎が、この顔に傷を付けなくてほんとによかった。 目に見えるところに傷跡があったら、オレたちはそれを見るたびに後悔しなきゃならない。社長は鬱陶しがるだろうけど。 傷跡も悔しさも後悔も全部見えないところに隠して、綺麗な顔も強い視線も本社の社長室にいたときと少しも変わらない。 この人は本当に、神羅カンパニーの社長になるために生まれてきた人なんだと思った。 そしてなんだかそれが、無性に嬉しくて哀しかった。 オレは思わず社長を抱きしめてた。 「社長が社長でよかったぞ、と」 「なんだそれは」 社長は嫌がりもせず、笑ってオレの背中を叩いた。 「レノ」 トゲトゲのいっぱい付いた声が後ろからかかって、オレは慌てて社長から離れる。 「これはその、単なる親愛の情ってヤツなんだぞ、と」 言い訳するオレをガン無視してツォンさんは 「レスコー准将がジュノンからおいでになるそうです。2時間後には到着されると」 「早いな。これからか?」 オレも驚いた。それって真夜中じゃん。 「はい。社長はお疲れだと申し上げたのですが」 「それはかまわんが、ジュノンに関する資料に目を通す時間があるか…」 そんなこと、きっとどうでもいいと思う。准将は社長が副社長だった頃からシンパだった人だ。小さい頃から可愛がってくれたんだって話も、いつだったか聞いた事がある。 社長の無事な顔を見たいだけだろうってオレは思ったけど、社長は 「すぐにある限りの資料を持ってこい」 とツォンさんに命令した。そして、 「端末は使えないか」 と続けて訊く。 「通信はまだ回復しておりません」 「そうか。ならば本社へ行って、全てのデータをコピーして持ってこい。まだ自動的にデータを収集しているものもあるはずだ。特に気象や魔晄に関するものは早急に必要だ」 「相当な量ですが…」 一瞬ツォンさんが逡巡する。 「時間はかかってもいい。保管場所が必要なら近くに倉庫を建てろ。コピーし終えたら本社内にあるものは完全に消去しろ。物理的に破壊するのが望ましい」 ええと、それは今すぐって事じゃなくてこれからの計画なんだな。 次々に命令を出す社長はほんとに以前通りで、ここがミッドガルの本社じゃないのが不思議なくらいだった。 「了解いたしました。まず現在のジュノンに関する資料をお持ちします」 「ついでにコーヒーも頼む」 「レノ、淹れて差し上げろ」 「はいよ、と」 社長が戻ってきて、会社が戻ってきた。 神羅カンパニーを守ることは、世界を守ることだとオレたちは思ってた。 それは正しくはなかったけど、間違っていたとは今だって思わない。 けど今はまた、神羅カンパニーを守ることが世界を守ることなんだと改めて思う。 社長こそが神羅カンパニーだ。 社長以外に、世界を立て直すための道筋をつけられる人はいない。それはこの数ヶ月の間に、嫌ってほど分かってた。 オレたちは休む間もないほど動き回ってたし、リーブ部長やジュノンの軍も復興のためにいろいろやろうとしてた。けど、それぞれがやってることはばらばらで、全然統制が取れてなかった。特に神羅軍とリーブ部長の仲は険悪と言ってもいいくらいで、協力し合えるとはとうてい思えなかった。どっちかっていうと、軍がリーブ部長を信用しないからだった。 ここに社長がいたら、と思うことばかりだった。 今実質的なジュノン軍の最高司令官は、軍の中で社長の一番の支援者だったレスコー准将だし、リーブ部長と社長の間にどんな密約が交わされていたのかを知る者は、二人の他に誰もいなかった。 リーブ部長は、オレたちにさえそれを明かそうとはしてくれなかった。信用されていないとは思わなかったけど、頼りにされていないということはわかってた。 オレたちは事あるごとに思い知らされ続けてたんだ。 誰一人、社長の代わりにはなれないんだと。 そして社長はきっと、あの洞窟に囚われていた間もずっと復興計画考え続けていたんだろう。社長の頭の中では、今後のブランがきっちりとできあがってるみたいだった。 質問と命令はどれも淀みなく繰り返されて、当面の任務だけでも目が回りそうだ。でもそれが嬉しいって思っちまう辺り、オレたちもいい加減仕事人間だよな、なんて思うのだった。 コーヒーを淹れて持っていくと、社長はもう資料に目を通し始めてた。 「ここに置きますよ、と」 というと、書類から目を上げないまま 「ご苦労」 と返してくれた。 ああ、社長だなあ、と思う。 社長は、そういう些細なところに律儀な人だった。挨拶や礼の言葉を惜しむことはしない。 近くにいるオレたちはあたりまえのように思ってたけど、下級の兵士たちが社長に声をかけられて感激してるところとか、時々見たなと思い出す。 考えたら、こんなに長く社長の姿を見なかったことはもう何年もなかったんだ。 社長は副社長時代、四年半もタークス本部に幽閉されてたし、社長になってからも、オレたちをいつもそばに置いてた。 社長の傍にいることが、当然のようになってた。 オレたちタークスにとって、会社は家みたいなもんだった。会社から任務に出かけて、会社に戻ってくる。 一番落ち着けて、ほっとできる場所が会社だったんだ。 だから本社が無くなって、オレたちは家を失くしたも同然だった。 でも社長さえいれば、そこが会社で、オレたちの家だ。 「何を見ている?」 社長の声がかかって、オレは自分が社長を見つめてたことに気づいた。 「いや…、社長は美人だなあ、と思って」 「馬鹿なことを言っていないで、仕事をしろ」 「もう夜中なんだぞ、と」 「残業手当ははずんでやる」 社長は笑って言う。 社長がこんなに笑うのも、珍しい。きっと社長も嬉しいんだ。帰ってこられて。 「わあ、嬉しくて涙が出るんだぞ、と」 軽口を叩いて部屋を出ながら、オレはほんとに涙が出そうだと思った。 勢いついでにそのままロッジを出ると、夜空の真ん中に大きな丸い月が輝いていた。 End ふと。 私はなぜルード×レノって設定がないのかなーと考えました。 ツォンルーでも、ルドレノは無し。 それはやっぱり、基本ルー受けだからですね(笑) レノも社長が好きで、隙あらばレノルーに持ち込みたいと思ってる。 ルードは…どうなんだろう。 ルードルーとか、書いてみてもいいかも(笑) 社長は来る者拒まずだから(笑) ルードはガタイがいいところは社長の好みと思う。 しかし、もしかすると社長は長髪が好きかも(笑) セフィもツォンも、レノもちょっと。 だとしたらルード、社長の好みから外れすぎてます…可愛そう! 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