Lovers change fighters, cool


――――大胆な恋愛観に悪いけどついて行けない

「聞こえなかったか? おまえが好きだと言っている」
副社長室としてあてがわれた無用に広い部屋の窓際、これまた無用に広いデスクの後ろの椅子にふんぞり返って、椅子の大きさに不釣り合いな小柄な少年はまるで部下のミスでも指摘するような口調で言い放った。
それゆえ、ツォンは彼の言葉の意味を瞬時には理解できなかった。ようやく理解しても、どう返事をしたものやら戸惑う。
「は…はあ、それはどうもありがとうございます…」
なにやら要領を得ない返答になったが、彼にはそれで十分だったらしい。
「そうか。嬉しいか。なら話は早いな。幸い私は今日は早上がりだ。おまえの予定もキャンセルさせよう。場所は私の家でいいか?」
「は、場所? とは、」
「だからおまえとセッ」「ちょっと、ちょっとお待ちください!」
ルーファウスのとんでもない発言の途中で、ようやく彼の真意に気づいたツォンは慌てて遮った。「どうしてそういう話になるんですか!」
「どうして? おまえを好きだと言ったろう。そしておまえは嬉しいと言った。双方の意向が一致したのだから、問題はあるまい?」
「だからといって…」
さっきのは間違いでした。つい、いい加減なことを言ってしまいました。とは今更訂正できないツォンだ。どうやって言葉を濁したものか。
「いきなりそんな話になるのは急すぎませんか」
ルーファウスはかすかに首をかしげる。
そんな仕草をすると、その口から出る台詞とは反対に稚い可愛らしさが際立つ。なにしろ彼はまだ、15の誕生日を過ぎたばかりなのだ。しかも、その年頃の少年の標準から見ても小柄だし幼く見える。
「ふむ。ではおまえは女のように食事だの映画だのプレゼントだのといった手順が望みか?」
「そう…そうですね。それもありますが、なによりあなたはまだ子供です」
「子供? 大丈夫だ。ちゃんと勃つから心配するな」
「そ、そういう意味ではありません」
あまりにあからさまな言葉に赤面するより冷や汗が出る。
「では、私のような子供の下で働くのは不本意だという意味か」
「え…」
何を言い出すのか、この人は。
「ならば、その件についてはおやじに進言しておこう。私は子供で副社長の地位にはふさわしくない。能力的にも不安だと部下から不満が出ているので副社長職は退かせるのが妥当かと思うと」
よどみなく言いながらルーファウスは椅子から立ち上がり、白い上着の裾を翻しつつドアへ向かう。
「お待ちください!」
慌てたのはツォンだ。
振り向きざま思わずルーファウスの上着の裾を掴んだ。
勢い余ってルーファウスはまっすぐ床に倒れ込む。
「あ、ああっ、すみませんっ」
焦って抱き起こすと、したたか顔を床に打ち付けたらしいルーファウスは低く呻いて顔を片手で覆いながらもう一方の手でツォンを押しのけた。
「おまえは…っ何がしたい!」
涙目でツォンを睨みつけたルーファウスの鼻は少し赤くなっていたが、幸いにも床に敷かれた副社長室にふさわしいぶあついラグのおかげでさほどのダメージはなかったようだ。
「すみません、申し訳ありません」
ひたすらぺこぺこと頭を下げる。
「決して副社長に不満があるとか不安があるとか言うことではありません」
「だったらなんだと言うのだ」
ルーファウスはあからさまな不機嫌を露わにして、ツォンを睨みつける。
「それは…副社長としての能力と、セ…恋愛とは別問題かと」
「どこが違う」
ますます不機嫌そうに、ルーファウスの目が眇められる。
「自分の気持ちも把握できない者が部下を掌握できるとはとうてい思えんが、どうだ。おまえが私を子供と言ったのはそういう意味ではないのか」
「…」
思い切り飛躍しているようでいて、意外に筋が通っているのがルーファウスの論理だ。反論するのは難しい。
仕事の上でもその能力は遺憾なく発揮されていたが、この場でも同様なのかとツォンは天を仰ぎたい気分になった。
「何が不満だ。言ってみろ。さっきおまえが嬉しいと言ったのはただのおべんちゃらだったということにしてやる。その上で改めて訊こう。私の気持ちに応える気はないのか?」
言質を取ったと突っ込んでこなかったあたりもさすがだとツォンは思う。その代わりきっちり逃げ道を塞いでくる。
「…この場でお答えしなくてはなりませんか」
「ふん、何を迷う」
「大切なことですから、よく考えさせていただきたいと」
「またいい加減なことを言うつもりか!」
ルーファウスは勢いよく立ち上がり、ツォンを怒鳴りつけた。
「言っておくが、私はおまえに結婚を申し込んでいるわけではない」
「当たり前です!」
ツォンもまた勢い込んで体を乗り出してしまう。
「なにもそんなに思い切り否定しなくてもいいだろう…」
ルーファウスは微妙に傷ついたような声で言って、目の前にあるツォンの顔から視線をそらした。
「あなたはまだ結婚できる法定年齢には達しておられません」
気を取り直し、ツォンはできる限り穏やかな声で言う。
「そんなことわかっている。問題はそこだけか?」
「…あなたは男で、私も男です」
「そうだ。たとえ私が成人であったとしても、おまえとは結婚できない。少なくともミッドガルではな」
遙か南の小国では、同性の結婚を認める所もあると聞く。だがそれは稀な例外だ。
「それだけではありません。あなたは神羅の後継者です。いずれしかるべき女性を妻に迎えて」「神羅、神羅、神羅! この呪われた血がそんなに大事か!」
「は…?」
ルーファウスの口から出た予想外の言葉に目をしばたたく。
「いや…、それは今はどうでもいい。問題はおまえと私のことだ」
まずいことを口にした、というようにルーファウスは一瞬狼狽え、しかしすぐもとの居丈高な口調に戻って続けた。
「私の気持ちを受け入れないのは、私が男だからか?」
「それは…無いとはもうしませんが…」
「ゲイには偏見があるか。私が女だったら受け入れたか」
そう問われてツォンは想像を巡らせる。
ルーファウスが女性だったら――――
さぞ可愛らしい少女であろう。癖のない金の髪、空色の大きな瞳、薔薇色の唇。整った顔立ち。白くほっそりとした肢体。
もとより父親の溺愛は今以上――――
「とんでもない、あり得ません」
神羅の跡継ぎである少女と関係するなど、想像するだに恐ろしい。
「だろうな」
ルーファウスは軽くうなずく。
「私とて、女だったらおまえにこんなことを言うつもりはない。そのくらいの自覚はあるつもりだ」
「…はあ」
それは喜ぶべきことなのか? 複雑な気分に陥るツォンである。
「幸いにして私は男だ。相手さえ承諾するなら、性的関係を持ってもさほど問題はない――――違うか?」
『違わない――――』とは言い切れないツォンだ。
確かにルーファウスの言うことは一般論としては間違っていない。15という年が若すぎるか否かは別にして、男というものの性欲に関してはツォンもよく理解している。
だがそれはあくまで『一般論として』は、だ。
ルーファウスの言うその相手が自分だと来ては、気軽に肯定するわけにはいかない。しかも男であるルーファウスが、男と関係を持ちたがっているということに関しても、素直に認める気にはなれなかった。
「欲望のままに行動するというのは、人としていかがなものかと」
迷った末口にした言葉に、ルーファウスの顔に浮かんだのは失望でも怒りでもなかった。ただ、すうっと表情が消えた。
「もういい、わかった。そう――――考えさせろと言うのは、ビジネスでは否と同義だったな。要するにおまえは私に応える気はないということだ。つまらぬ議論で時間を無駄にさせた。悪かったな。もう下がっていい」
あっけにとられるツォンの前で、ルーファウスはくるりと身を翻しデスクへ戻った。
そのままモニタを見つめる瞳はちらとも上げられない。まるですでにツォンなどそこにいないとでもいうように。
つい今しがたまで、激した声と熱く潤んだ瞳が向けられていた。確かにその名残がまだこの部屋に残っているように感じるのに、当のルーファウスは魔法障壁バリアよりも固い殻に閉じこもってしまった。
いや――――
これがいつもの彼だ。
ツォンは改めてそれに気づき、愕然とする。
自分は彼を子供と言い、彼の自覚に疑いを持った。
だが、思えばこれまで一度として彼を子供として扱ったことなど無い。少なくとも仕事の上では。
感情を見せない物言い、的確で冷徹な判断。迷いのない指示。
見た目こそはあどけなささえ残した少年だったが、副社長としての彼は申し分なく有能だった――――否、それ以上だ。
彼が『神羅』の後継者であるが故に、自分たちはそれを当然と思って来はしなかったか。
しばし立ちすくんだままデスクの彼を見つめているツォンに、彼の目が向けられることはついになかった。



 
ルーファウスに衝撃の告白を受けてからすでに一月以上経っていた。
だがあれ以降のルーファウスには、まったくなんの変化もなかった。
ツォンに対しても――――
むしろ戸惑っていたのはツォンの方だ。
あの時のルーファウスの声、表情。思い出すたびにちくりと胸が痛む。
およそ子供らしい所などかけらもない―――むしろ人間らしいと言った方が正確かもしれない―――この人が、あれほどに感情を表したことは未だかつて無かった。そしてこれからもないのかもしれない。少なくともツォンたちの前では。
そう思うと、やりきれない喪失感があった。
図らずも自分が言ったように、彼はまだ子供だ。
本来なら、スクールに通い、友人たちとの交遊や若者らしい遊びに興じているはずの年頃である。それが、この要塞のようなビルの中で毎日、それこそ早朝から深夜まで大人に混じって働かされている。
彼が望んだことでないのは明白だった。
ただ、彼にはほかの選択肢がなかったに過ぎない。
人形のように整った顔に、人形のように硬い表情。それはおそらく、彼が自分を守るために必死で身につけた防壁だ。
周囲を大人に―――それも彼の地位を虎視眈々と狙う者たちに―――囲まれて暮らすには、どうしても必要だったものに違いない。
タークスはほぼ社長直属の組織だ。副社長と顔を合わせることがそれほどあるわけではない。忙しさに紛れて忘れていることの方が多い。それでも、数人の護衛SSを引き連れて社内を歩く彼を見かけるたびに後悔が頭をもたげた。


「なんかさあ」
行儀悪くデスクの端に尻を載せて、レノはツォンをのぞき込んだ。
「最近元気ないんじゃねえ? ツォンさん、と」
ツォンは無視を決め込む。レノのこの手の問いかけは、くだらない話題の前振りであることが多い。ここから延々誰かの恋バナを聞かされるのはまっぴらだった。
「あー、無視? 無視するわけ? 俺のこの優しい気持ちを」
「仕事をしろ」
「今日はもう上がりだぞっと」
「なら帰れ。居残るなら書類整理でもしろ。今月の経費がまだ」
「あー、わかった、わかったぞっと。まじめな話なんだぞ、と」
食い下がるレノに、ツォンはようやく顔を上げた。
「なあ、副社長となんかあったのか?」
さすがのツォンも驚きを隠しきれない。
「その顔はやっぱなんかあったんだなっと」
「なぜそんなことを」
「俺さあ、見ちゃったわけよ。ツォンさんが深刻な顔して副社長室から出てきたの」
あの日のことか。
そんな感情が表に出ていたとは思えないが、人の感情に聡くつきあいの長いレノならば気づいたかもしれない。よりによって最悪の人物に見られていたわけだ。
「おまえには関係ない」
簡潔に切って捨てる。
「えー、そう来るわけ?」
「ついでに、タークスにも関係ない。仕事上のことで個人的に問題があっただけだ。すでに解決済みだ」
『なんだよ、それ』
とレノが心の内で呟いたのが聞き取れた。だがさすがにレノもそれ以上は突っ込んでこない。
「ふーーん、ならいいけどよ、と」
少しも『いい』とは思っていない口調で呟き、レノはツォンのデスクを離れていく。
「あーあ、帰るかあ」
うん、とのびをしてレノが気怠げにロッカールームへ向かおうとしたとき、緊急警報エマージェンシーが鳴り響いた。
一瞬にしてタークス本部内の空気が張り詰める。
『赤ネズミより通信。本社ビル内に爆発物を仕掛けたとの情報あり』
タークスたちに緊張が走った。
赤ネズミは潜入捜査員の名称だ。反神羅を標榜する組織の一つ『グリーンライフ』に潜入している。表向きは環境団体を名乗っているが、過激な活動が目立つ。だが、今まで明確なテロといえるような活動はなかった組織だ。
「詳細は!?」
ツォンが叫ぶ。
『フロアは…50階以上のどこか…通信途絶えました!』
「50階以上だと?」
それは本社ビルでももっとも警戒の厳重なフロアだ。一般の社員では立ち入ることもできない。
そんな場所にどうやって――――と考えを巡らせつつ指示を出す。
まずは全フロアからのすべての人員の待避、50階以上だけでなく全フロアだ。情報が正確とは限らない。それから爆発物の特定――――
インカムで指示出ししながらツォン自身も上層階へ向かう。
情報の信憑性は定かではないが、どちらにしろ上層階には重要人物がそろっている。真っ先に保護する必要がある。
時刻は終業時間を過ぎている。各フロアに残っているものは少ない。一般客が立ち入るような場所も終了している。だから逆に50階以上というのには信憑性があった。
重役や科学部門の研究者たちは、居残っている確率が高いからだ。
社長は軍の観閲式に出席するためジュノン出張中だ。タークス主任であるヴェルドも同行した。
この時を狙ってきたというのは、偶然ではあるまい。
だとしたらターゲットは――――
非常時専用のエレベータで上層階へ向かいながら、重役達のスケジュールを確認する。
思わず舌打ちが出た。
案の定副社長は在社している。どこぞの取引先社長との会見予定だという。
こんな時刻に、と思うが副社長のスケジュールはいつもめいっぱいだ。無理矢理ねじ込まれたものなのだろう。相手はそれなりに重要な取引先だと思える。だがそれは、テロリストにとっては好機だったのではないか――――
「ランタル社の社長はもう到着したのか? 今どこにいる」
『先ほど受付を通って…レストルームに寄っています』
本部に残したシスネが慌ただしく機器を操作する気配が伝わってくる。
レストルームだと?
『現在地は来客用エレベータ』
「エレベータを停止しろ!! 電源を落とせ!」
ツォンの叫びに応じて、ゴンという鈍い音が響いた。全フロアの電源が強制的に落とされたのだ。ツォンたちの乗るエレベータは完全に別系統の電源で動いている。そのまま上昇を続けたが、一瞬遅れて爆発音と振動が襲ってきた。
「くそっ!」
間に合わなかったか!?

ようやく到着した来客用フロアでツォンたちが見たのは、悲惨な情景だった。
非常用の暗い灯りに照らされた室内は、めちゃくちゃだった。
強化ガラスのパーティションは吹き飛び、美しく飾られていた観葉植物はすべてなぎ倒されて、散乱した家具やオブジェ、絵画の間に人が倒れている。そこにスプリンクラーからの水が降り注ぎ、煙と異臭で息もできない。
爆発の中心だった来客用エレベータからはまだ炎が吹き出していた。エレベータの扉はねじ曲がり溶けていたが、まだ存在していた。それを見てツォンは、かご自体はまだかなり下方にあったものだろうと推測した。おそらくは下層、上層共に被害がでているはずだが、来客用エレベータには扉が少ない。その分ここに被害が集中したのだ。
「電源を戻せ!」
天井の発光パネルが明るさを取り戻し、倒れ伏した血だらけの人々が照らし出される。
「副社長!」
呼びながら、華奢な身体を探し求めた。
最初に目に入ったのは、副社長の護衛SSだ。ルーファウスが副社長就任する以前から彼の警護を務める、屈強な男だった。そのスーツと体躯に見覚えがあった。だが、人の良さそうな笑みを浮かべた顔は、そこにない。代わりに焼けただれた肩の下から、細い腕が覗いていた。

「副社長!」
護衛SSの身体を押しのけ、現れた血まみれの白いスーツに一瞬息をのむ。
「副社長!?」
抱え上げると、ルーファウスは薄く瞳を開き幾度か瞬いた。何か言いかけるように唇が開かれたが、そのままかくりと身体から力が抜けた。
「医療班を!!」
『今向かわせています!』
ツォンの必死の叫びに、シスネの声が応えた。


副社長を医療班に預けてしまっても、ツォンにはやるべきことが山ほどあった。
「本物のランタル社一行は見つかったか」
「はい。参番街の外れで襲撃されたあとが見つかりました。社長、秘書ほか3名の死亡が確認されています。運転手は含まれていません。テロリストの一員だったと思われます」
「内部犯の方はどうだ」
「1階のレストルームをこの1ヶ月以内に使用した者を総ざらえで当たっています。おそらくは兵器開発部門か科学研究部門の所属だと思われますが」
「そうだな…。兵とソルジャーも視野に入れておけ」
「了解」

犯行は周到に準備されたものだった。
ランタル社にも神羅内部にも協力者がいたのだ。
本社入り口のセキュリティは万全だ。爆発物など、かけらも持っては入れない。
爆弾は本社社内で準備され、レストルームで受け渡しされた。本社内には兵器開発部門の研究室もある。当然高性能の爆薬も揃っている。
盲点を突かれた形だった。
さほど過激な活動をしていたわけではない団体が、なぜいきなり自爆テロなどという暴挙に打って出たのか―――それは謎だったが、あと数秒遅れていたらあのフロアは跡形もなく吹き飛んでいただろう。そうでなくとも被害は甚大で、まだ死傷者の数も不明だった。

その夜のうちにジュノンからミッドガルへとって返したヴェルドの指揮の下、タークスは総力を挙げて犯人の特定と反神羅組織『グリーンライフ』の掃討にあたった。

「副社長の容態は?」
明け方近く、血と硝煙の臭いをまといつかせて本部へ戻ったツォンは、何よりも訊きたかったことをコンソールに座るシスネに訪ねた。
本当は―――もっと早くに尋ねたかったのだ。だが、『グリーンライフ』を壊滅させることが、タークスの第一の任務だった。副社長の安全はもう自分たちの手を離れている。
その『グリーンライフ』の表の事務所を急襲してその場にいた者はすべて拘束し、名簿にある人物も手配済みだ。一方裏のアジトを割り出して、こちらは問答無用で全員射殺した。関係した者は、ただの一人も逃すことはない。
徹底した追跡と報復。
それこそがタークスの本領であり、裏社会で神羅カンパニーが恐怖されるゆえんである。
今回の自爆テロに関与した者たちすべてを抹殺、もしくは拘束したと確認して、ツォンは本部へ引き返した。
なぜ彼らが自爆テロを決行したのか。なぜ副社長が狙われたのか。
そういったことの解明も必要であったが、それは追々調べればいいことだ。
そしてツォンはずっと心を占めていた質問をやっと口にしたのだ。
「お命に別状はないようです。右肩の脱臼と鎖骨の骨折。ガラスの破片による擦過傷。左目の角膜に傷がおありのようですが、視力には問題はないだろうというのが医師の見解です」
「そうか…」
ほっと息を吐く。張り詰めていたものが溶けてゆく。
「なによりだ」
抱き上げた彼の軽い身体を思い出す。仰向いた首の細さ。スーツを染めていた血は護衛SSのものだったのだろう。文字通り身を挺して爆発から彼を護ったのだ。彼の上にあった身体には、首と腕がなかった。
ルーファウスの骨折や脱臼は吹き飛ばされたとき床に打ち付けられたためだろう。それでも奇跡に近い軽傷だったと言っていい。
「医局の特別室に収容されておいでです」
「そうか」
シスネはちらとツォンを見る。行かないのか、という視線だ。
「ヴェルド主任は?」
「お部屋に行かれてます」
「そうか」
ならばいい、とツォンは思う。今更自分が出向く必要はない。必要はないのだ―――と自分に言い聞かせてツォンは残務処理に向かった。

  
即日本社へ戻ったヴェルドとは逆に、ルーファウスの父であるプレジデントは、ジュノンにとどまった。のみならず、翌日行われた神羅軍の観閲式では本社医局からの中継で包帯姿も痛々しいルーファウスのスピーチが流された。
ルーファウスは本社が襲撃されたこと、それが護衛SSたちの働きで阻止されたことを語り、自分を護ってくれた護衛SSが神羅軍の出身であったことを語った。そして『諸君の忠誠と勇敢さに感謝する。世界と神羅カンパニーの安全は諸君の肩に掛かっている。これからの働きに期待している』と結んだ。
まだ幼さの残る神羅後継者の『感動的な』スピーチは、マスコミにも大きく取り上げられて話題となった。
ツォンももちろんそれをモニタ越しに見ていた。ルーファウスのしっかりした声とベッド上とはいえぴんと背筋を伸ばした姿勢はツォンを安心させたが、そのスピーチ自体は正視できなかった。
彼が望んでのこととは思えない。当然父親からの要請に応えたのだろう。命に別状はなかったとはいえ、決して軽傷とはいえない怪我である。精神的ショックも受けているだろう。そんな状態の息子にスピーチさせることをチャンスだととらえる父親にも、それに見事応えてみせたルーファウスにも薄ら寒い思いを押さえられなかった。


その後も幾度かルーファウスの姿をモニタの中に見ることはあったが、実際に顔を合わせることはないまま時が過ぎた。
骨折も脱臼もさほど重傷ではなく、腕のギプスももう取れたらしい。ただ、左目の傷は意外に深く、まだ包帯が巻かれたままだという。
気にはかかったが、自爆テロ事件の後始末は思いのほか長引き、日常業務と相まってツォンたちはそれに忙殺されていた。
副社長が狙われたのは、社内で爆弾を用意し手引きをした者が個人的に恨みを持っていたからだと判明した。その男が持ちかけた計画に引っかかってきたのが『グリーンライフ』だったというわけだ。もともと過激な組織でなかったが故に、潜入捜査員も気づくのが遅れた。計画はごく一部の者たちで進められたらしい。

予測通り兵器開発部の研究員だった男は、開発費の増額を副社長に蹴られたということから彼に対して恨みを募らせていたのだ。
『ガキのくせにでかい顔しやがって』と男は吐き捨てた。
『会ったこと? あるわけ無いだろう! 会えたら殴ってやったさ』とも付け加えた。
そう考える者が社内にどれほどいるのだろう、とツォンは思い巡らす。
直に副社長に接すれば、彼が『生意気なくそガキ』などではないことはわかる。だが彼の下した決裁だけからそれを知ることはできないだろう。
以前はプレジデントに向けられていた不満の何割かは、確実にルーファウスに向けられている。それもより先鋭的な形で。彼が子供であるが故に。
あの薄い肩にそれを負っているのだと思うと、心が重かった。