ADVENT CHILD

脅迫状と共に本社ビルに届けられた箱の中に入っていたのは、肘から切り落とされた子供の腕だった。
ロビーの受付嬢がそれを受け取って開け、神羅カンパニーは恐慌に陥った。


薄暗い地下室の汚れた床にうち捨てられた少年の身体は、壊れた人形のようにしか見えなかった。
奇妙な角度に折れ曲がった細い手脚。失われた右腕。
綺麗に切りそろえられ整えられていた金色の髪も汚れ放題で小さな顔を隠している。
とうに息がないことは一目見ただけで知れた。
胸が不自然に潰れ、その血溜まりから細い肋骨が突き出している。
近寄ってみれば、薄く開いたままの瞳にまだ濁りはなく死んだのはこの数時間以内だとわかった。
拉致されたのが二日前。
僅かの差で、間に合わなかったのだ。
それにしても―――
この無残な遺体の有様はどういうことだろう。
彼を拉致し暴行を加えた犯人たちは、二日間彼を生かしておいた。
だが、この様子を見ればもうほとんど死にかけていたのだろうということは確かだ。
血で汚れた下半身は、彼の受けた陵辱を如実に語っていた。出血量からして、内臓まで傷ついていたろうと思う。ならば腹膜炎から敗血症を起こしていたのは間違いない。
おそらくは、すでに自力で動くこともできなかっただろう。放って置いても1時間持つか持たないか。
その死にかけた子供の胸を踏みつぶすようなまねを何故したのか。
よほどこの子供が憎かったか、それともこれはまるで―――
恐れていたかのようだ、とヴェルドは思う。
彼を拉致し暴虐の限りを尽くした残忍な男たちが、このか細い少年を恐れる理由などどこにあったのか。

それは犯人たちが全て捉えられ、残された録画が手に入ったとき初めてわかることになった。

録画は、少年が受けた暴行を延々と記録していた。
次第に弱っていく少年を、笑いながら犯し続ける男たち。
それでも抵抗らしい抵抗もせず、必死に男の陰茎を咥え精液を飲み干しさえしている姿は、哀れというより悲壮だった。
救助が来るまで生き延びることに専念せよ、というのが彼の受けた教育だった。彼はそれを忠実に実行した。
だが、彼の待つ助けは間に合わなかったのだ。

画面が明るくなり、、床に横たわって痛みに喘いでいる少年を映し出す。
おそらくはこれが最後の場面だろう、とヴェルドは思う。
ルーファウスの身体は、地下室で見つけたときとほとんど同じ様子だった。潰れた胸を除いては。
男の一人が彼の髪を掴み、身体を引き起こす。
カメラが正面に回って少年の顔がアップになった。
『ほら、命乞いしてみせろ。おまえのおやじに送りつけてやる』
カメラを構えた男のものらしい音声が入った。
ルーファウスは苦しげに息をつき、それから歯を食いしばって真っ直ぐにカメラを見据えた。

『クズどもが…っ』
深い青の瞳に怒りを滾らせ、吐き捨てる。
『貴様ら皆、地獄に落ちろっ』
 
『こ、このガキっ』
カメラは投げ出され、天井を映したまま放置される。
ただ音声だけが、肉が裂け骨の折れる音を拾っていた。
悲鳴も呻きも聞こえないまま、録画は唐突に終わっていた。
よほど慌ててカメラを切ったのだろう。

その理由が、ヴェルドにはわかる気がした。

ルーファウスの表情、言葉、声―――

ヴェルドですら、震えが来た。
背筋を嫌な汗が伝い、画面を見る目を一瞬逸らさずにはいられなかった。

見た目はあどけなささえ残る16の少年だ。その年にしても幼く見える。
だが、死を覚悟した彼が最期に残した言葉は、犯人たちをひどく怯えさせた。
そしてヴェルドさえも。

ルーファウスの吐いた呪いの言葉は、ただ犯人たちのみならず彼を救助出来なかった自分たち、ひいては彼にこんな残酷な死しか与えなかった世界の全てに向けられているような気がした。
『皆』
と言われた中には、自分も含まれる。
彼に対して、神羅カンパニーの跡継ぎとしてだけ生き、死ぬことを要求した世間の全ても。
その証拠に、ルーファウスの眼はカメラの向こうを見据えていたではないか。
彼を捉えている男達ではなく。

子供が暴力の犠牲になることは、決して少なくないのだとヴェルドは知っている。
だが、ルーファウスはただの子供ではない。
いずれこの世界の命運を、その手に握ることを約束された子供だった。
 
ひどく動揺している自分に気づく。
自分たちは、取り返しのつかないミスをしたのではないのか。
もちろん、社長子息を拉致殺害されるなど、タークスにとってミスでは済まないことだ。
だが、それ以上に―――なにかもっと―――

なにも映らないモニタの画面を見つめたまま、ヴェルドは動くこともできずにいた。


プレジデントは、タークスの制止を振り切って台の上に横たえられた遺体にかけられた布を剥ぎ、絶句した。
呆然と息子の無残な姿を見下ろす。
まだ血糊も拭き取られておらず、薄く開いた瞳もそのままだ。
プレジデントの手から布が落ちる。
彼は息子に触れることもなく後じさり、部屋を出て行った。

 
葬儀は公開で行われる。
神羅カンパニーの跡継ぎが誘拐され殺害されたことは大々的に報道されており、哀れな子供の死は個人的な出来事ではなかった。
棺は本社ビルロビーの、花で飾られた祭壇に安置された。
ルーファウスの身体は清められ、綺麗にエンバーミングされて真新しいスーツを着せられている。
切り落とされていた右腕も繋がれ、棺に横たえられた彼は一見眠っているようにしか見えない。
だが父親はその顔を一度も見ようとはしなかった。
あの無残な遺体だけが、息子の本当の姿だと心に決めたかのように。

一般の弔問も始まり、多くのミッドガル市民がいたいけな子供の死を悼んだ。
タークスはもちろん警備に当たる。
ヴェルドは本部でモニタを見ながら指揮を執っていた。
画面には弔問客の流れが映し出されている。
ふと、一人の男が気になった。
その男が葬儀には不似合いな赤いバラの花を持っているからだと、気づく。
男は献花台にバラを置くと、棺の前まで来てルーファウスに囁きかけるように呟いた。
仕掛けられたマイクが音声を拾う。
『ルーファウス』
まるで親しい相手に呼びかけるようだ。
だが、そういう勘違いをする者は珍しいわけでもない。
『貴方の無念は、必ず私が晴らして差し上げます』
確信に満ちた声だった。
一見ただの思い込み野郎にしか見えない。
だが、何かが引っかかった。

―――そうか。

『無念を晴らす』というその相手は誰なのだ。
社長子息を拉致殺害した犯人は、共謀者に至るまで全て捕らえられている。
実行犯の大半は、逮捕の際死亡した。
そのこともまた、大々的に報道されていたのだ。少なくとも、葬儀に参列しようと考える者が、それを見聞きしておらぬはずはない。
だがヴェルドは知っている。
ルーファウスの怨嗟の言葉は、世界の人々全てに向けられていた。
あの小さな子供の吐いた呪詛が、どれほど恐ろしかったか。

もちろんそれをこの男が知るはずもないこともまた、分かってはいたのだが。
あの録画を見たのは、犯人達の他にはヴェルドだけだ。ツォンにさえ、見せてはいない。
プレジデントは、決して見ようとしなかった。彼は息子の死に関するものは全て、厭わしくおぞましいものとして封じてしまいたいと思っているかのようだった。

しかしヴェルドのその不安は、続いて起こった騒ぎに紛れてそのまま流されてしまったのだ。
それはロビーにガソリンを撒こうとした男が引き起こした騒ぎで、結局そいつはただの酔っ払いだった。
赤いバラの男のことはそのまま忘れられた。
数年後まで。
 
フヒトは神羅カンパニーを出ると、そびえ立つ本社ビルを見上げて笑う。
まだ数度しか会話したことはなかったが、あの子供は賢かった。
彼を失った今、神羅カンパニーとの繋がりは切れてしまったが、彼が残してくれたものだけでも十分な価値があった。
ジルコニアエイドを召還し、この地上の命全てをライフストリームに還元するという目的のために、おおいに役立ってくれるだろう。

ルーファウス神羅―――

貴方はそのための第一の犠牲だったのです。
神羅カンパニーの跡継ぎとは、生贄としてこれほど相応しい者もないでしょう

私は貴方に約束しましょう。
全ての命を、貴方のいる場所へ送ることを。
楽しみにしていてください。


息子を失ってから、プレジデントの行動はちぐはぐになった。
何かに激しく執着するかと思うと、ひどく無関心になる。
ヴェルドは遠ざけられ、予定されていたタークスの増員も取り消された。

ヴェルドはツォンにぽつりとこぼす。
「我々は、決して失ってはならない方を、失ってしまったのかもしれない…」


その予感は、ある夜、空に輝く光となって現れた。
だが、それが世界の全ての命をライフストリームへ還元するジルコニアエイドの召還だと知る者は、フヒトただ一人だった。
それを阻止したはずのタークス達はおらず、アバランチと接触し、陰に日向に情報を与えてくれたルーファウスもいなかったのだから。

そして
世界は終わる。

―――それが一つの結末。

End