Missing you





「え?」

 振り向いてしばたたいた眼は、ただ純粋に疑問だけを浮かべていて。
「いま、なんて?」
 そんなふうに聞き返すことは、珍しいことだった。
 この人は、モニタを見ながらキーボードを打っていても人の言葉を聞き逃したりしない。
 意味を取り違えたり、要点を聞き逃したりすることもない。
 いつだってはっきりした言葉で的確な指示を出す。

 副社長がこの僻地の支社に赴任させられてから、オレ達タークスはしばしばここを訪ねていた。
 表向きはプレジデントの意向を受けて副社長の動向を見張るため。
 実際には一人でこんな僻地に飛ばされている副社長をヴェルド主任が心配しているせい。
 そしてもう一つ、秘密の理由は、副社長が会社に隠れてやっている仕事を手伝うためだ。
 副社長が何をしているのか具体的なことはオレ達は分からない。ただ時々オンラインでは出来ないことを頼まれるだけだ。
 しかも実は、副社長は会社の金を横領しているらしい。
 らしいって言うのはオレたちはそれについても実際のところはよく知らないからだ。
 タークスにもシッポを掴ませないくらい、上手くやってるってことなんだろう。
 ただ、主任だけは幾らかそのことは打ち明けられているらしくて、しかも主任はそれについて黙認しているらしい。
 だから、オレ達はその辺は深く追求しない。
 タークスは事実上主任の判断で動く独立組織だ。
 それに金勘定はオレの得意分野じゃないしな。
 しかも副社長は気前がいい。
 初めて会ったときはいきなり花札で給料の3ヶ月分ほども巻き上げられてびびったけど、その代わりにといって社員食堂の食券を束でくれたのにはもっとびっくりした。
 おかげで3ヶ月文無しでも腹を減らすことだけはなかったんだった。
 そして今でも顔を出せば何かしら支給してくれる。
 普通手に入らないようなマテリアとか、アイテムとか。
 手っ取り早くギルをくれることもある。
 主任が貰っておけと言うから、オレ達はありがたく頂戴することにしてる。
 どうせ会社の金だ。

 こうして見ているとまだ子供にしか見えないのに、どんだけ頭がいいんだろうと不思議に思うことさえある。
 そんな人が、オレの言った簡単な言葉を理解できなかったというように首をかしげて、
「なんと言ったんだ?」
 とまじめな顔で聞いてくる。
 オレはその言葉をもう一度言うのが辛くなって、押し黙った。
 
 そもそも今ここにオレが来ているのは、賭けで負けたからだ。
 副社長は論外としても、タークスの連中はみんな賭け好きでしかも強い。
 オレだって昔から仲間内では賭けに強いことではちっとは有名だったんだ。
 だけど、今回の賭けはみんな真剣だった。
 誰も、この役目を引き受けたくなかったからだ。
 でもそれがオレだったっていうのは、最悪だった。
 だってあの時それをこの目で見届けたのは、オレだったんだから。
 オレは意を決してもう一度それを言葉にする。

「ソルジャー1.stセフィロスがニブルヘイムに火を放ち住民を虐殺の後、魔晄炉に転落、生死は不明ですがおそらくは絶望と」
「いつのことだと言った?」
 オレの言葉を断ち切るように、副社長は訊ねる。
「9月30日です」
「君がそれを見たと?」
「転落の現場は見ていません。その場に居合わせた兵とソルジャーから事情を聞きました」
「その者の名は?」
「兵士はクラウド・ストライフ、ソルジャーはクラス1.stのザックス」
「ザックス…は聞いたことがあるな。優秀なソルジャーだったはずだ」
「彼もセフィロスに襲われて重症でした。現在も隔離治療中です」
「そうか…。だが…なぜこんなに報告が遅れた?」
「この件は極秘の内に処理、村を再建して痕跡を消す方法をとりました」
「カームと同じようにか」
「カーム事件を…ご存じですか」
「ああ」
「主任が…そのように処置すると…。このことはタークス以外にはほとんど洩れていません。詳細な報告も、正式に上げることはしていません」
「そうか。分かった。ありがとう」
 副社長はゆっくり息を吐き、オレに背を向けると窓際の椅子へ戻ろうとしたみたいだった。
 だけどそれは成功せず、副社長の身体は崩れるように床に倒れ込んだ。

 主任の指令は、事件の顛末を副社長に報告することと、副社長の様子を見張れ、ということだった。
 その意味がはっきり分かった。
 副社長とセフィロスがどういう関係なのか、よくは知らない。
 だけど1ヶ月前の観閲式の中継は、オレ達みんなが観ていた。
 セフィロスが副社長の前に跪いていて、副社長は無表情を装っていたけれどオレ達にはその嬉しそうな様子は一目で分かった。
 ずっと以前から副社長とセフィロスは知り合いなんだと、その時ツォンさんは言っていた。
 子供の頃からの友だち。
 たった一人の。
 副社長には、セフィロスより他に年の近い友人は全く身近にいなかったのだとも、教えられた。
 それだけでも十分だった。

 たった一人の友だちといえる相手を失ったら。
 
「副社長?」
 駆け寄って覗き込むと、副社長は床に手を着いて身体を起こそうとしていた。
「…い、じょ…から」
 声は震えていて言葉にならない。
 泣いているのかと思ったが、蒼白な顔に涙はなかった。
 背中に手を当て抱き起こすようにすると、声だけでなくその身体も酷く震えていることに気づいた。
「す、まない。すこし、気分が…」
 言いかけて副社長は身体を折り、いきなり床に嘔吐した。

 正直参ったと思った。
 だけど吐いた上に咳き込んでめちゃくちゃ苦しそうな副社長を放り出すわけにもいかない。
 背中をさすったり身体を支えたり、とにかく少し落ち着くのを待って抱き起こした。
 副社長の顔は涙と鼻水と吐いたもので美貌の見る影もなくぐしゃぐしゃだし、オレの服も副社長の服も汚れ放題だ。

「あっち、の、部屋へ…」
 ようやく言って指さした方向はたぶんプライベートルームなんだろう。
 ほとんど抱きかかえるようにしてその部屋へ連れ込んだ。

 およそ飾り気のない無機質な部屋。
 やたらに広さだけはある。
 入ってすぐの部屋はリビングなんだろうが、大きなソファとテーブルの他には何もない。
 壁にはモニタがあるきりだ。
 いかにも副社長らしいけど、こんな所に一人でいて、この人は本当に寂しくないんだろうかといらぬ心配をしてしまう。
 続く寝室の方も、ベッド以外ほとんど何もないに等しかった。

「風呂は?」
 腕が上がってドアの一つを指さす。
 オレは副社長を担ぎ直し、風呂のドアを開けた。

 服を脱がせる間も、副社長は黙ってされるままになってた。
 もう苦しそうじゃなかったけれど、まるで魂が抜けたみたいに視線が動かない。
 バスタブに入れてシャワーを浴びせても、ただ俯いてじっとしていた。
「副社長、立てますか?」
 オレはなるべく裸の身体を見ないようにして訊いた。
 同じ男の身体なんだから別に恥ずかしいことなんか無いハズなんだけど、服を脱いだ副社長の身体は思っていた以上に華奢で、その金色の髪から続く首筋だけでもちょっと妙な気分になりそうな代物だった。
「ああ…」
 副社長はバスタブの縁に手を着いて立ち上がる。
 オレはその身体にタオルを掛けて、
「オレも汚れちまったから服を洗います」
 と言って彼を追い出す。
「服は…ランドリーに出したまえ。届くまでは私の服を着ているといい…」
 細い声でそれだけ言って、副社長はよろけるように風呂場を出て行った。

 副社長の服じゃあ、どれもオレには小さすぎるだろう。
 仕方なしにバスローブを拝借する。
 それもいささか短めだったけど、この際贅沢は言ってられない。
 汚れた服はランドリーバッグに突っ込んで、呼びつけた使用人に渡した。
 ついでにオフィスの掃除も頼む。
 ここには、副社長の世話をするためだけに10人近くの使用人が住み込んでいるのだ。
 どんだけ贅沢な生活だよ、と思うが、ミッドガルのお屋敷には100人からの使用人がいるという話だから、神羅カンパニーの御曹司としては質素な方なのかもしれない。

 手配を済ませて戻ると、副社長はベッドに伏せていた。
「大丈夫ですか? 気分は? 何か薬をもらいますか?」
 話しかけても返事がない。
 枕に埋った髪も、投げ出された手も、ぴくりとも動かない。
「副社長ー、生きてますかー」
 友だちを亡くして悲しんでる人にそんな言い方はないかな、とも思ったが、副社長の様子は悲しんでいるというには少しばかり変すぎた。
 だいたい泣くんじゃなく吐くっていうのからして変だ。
 主任が「副社長の様子を見張れ」と言ったのも頷ける。
「副社長ー?」
 ベッドに腰を下ろして、髪を撫でてみる。
 本当ならオレはこんなふうに気軽に触ったり出来る立場じゃない。
 だけど一緒に風呂へ入った(正確には入ったわけじゃないが)気安さからオレは大胆になっていた。
 やわらかな髪はしっとり濡れていて、枕にも水の染みが出来ていた。
「副社長、窒息しちゃいますよ」
 軽く肩を掴んで押すと、さすがに本人も苦しかったのかくるりと仰向けになった。

 うわ。
 
 失敗した。
 副社長はバスタオルだけ羽織ったままベッドに俯せていたんだった。
 それが仰向けになれば必然的に裸の身体が丸見えだった。
 オレは目のやりどころに困って視線を遠くの窓へさ迷わせた。

「迷惑をかけたな」
 はあ、と深く息をついて副社長は小さな声で言った。
 その声は擦れてはいたけれどもうすっかりいつもの彼の語調で、さっきまでの惑乱ぶりが嘘のようだった。
 それでも身体は力なくベッドの上に投げ出されたままで、隠そうという気も全くないみたいだ。
 オンナノコみたいな見た目と、いつも不必要なくらいきっちりと着込まれていて露出の少ない服とで勝手に思いこんでいたけれど、この人はオレが思ってたような慎み深いタイプじゃなかったらしい。
 考えてみたら、タークスメンバーの間でも副社長の評価はバラバラだった。
 頭が良いとか、仕事が出来るとか、賭けに強いとかいうのはともかく、その人となりについては、皆の言うことがそれぞれに違っていたと思う。
 『真面目で優しい』『意外に大胆』『食わせ物』なんて正反対の意見もあったし、『色っぽくて可愛い』って言ってたのはレノだったか。

「少し休んだ方がいいッスよ。具合が悪いようなら薬貰ってきますけど」
 もう具合が悪そうには見えなかったけど、とりあえず訊いてみる。
「薬はいい」
 そう言って副社長はオレの方に手を伸ばした。

「傍に…いてくれないか」

 頼りなげに揺れる声。
 伸ばされた手が、力なくバスローブを掴んでいる。
 縋るように向けられた瞳の蒼さがオレの心――じゃない部分を直撃して、まずいでしょ、これは!?
 はっきり言ってピンチだ。
 副社長の手はオレの着てるバスローブの裾を掴んでいて、もともと短かったバスローブは必然的に前がはだけて、しかもそこには自己主張し始めたオレのムスコが…
 もちろん副社長の視界にはしっかりそれが入ってるはずで――
 だけど副社長は何も言わずにただオレを見ている。

 その時オレは確信した。
 この人はセフィロスと寝てた。
 「副社長ホモ疑惑」は、秘かに社内で囁かれている噂だったが、そもそもこんな可愛い子が社内をうろついていたらそういう目で見られない方が不思議ってもんだと思ってた。
 だけどそういうこととはきっと全然違うレベルの所で、二人はたぶん、恋人同士だったんだ。
 たぶん、っていうのは副社長もセフィロスも『恋人』なんていう単語が似合いそうもない人達だったからだ。
 だからこそきっと、この人達にはオレなんかが想像することのできない繋がりがあったんだ。
 だからジュノンの観閲式でセフィロスはあんなことをして見せたんだろうし、副社長があれほど嬉しそうだった理由も分かる。
 そしてそれを――この二人が必要以上に近づくことを警戒する勢力があっただろうことも、オレには分かってしまった。
 それがあの事件の直接の原因かどうかは分からない。
 だが、きっかけになっただろうことは、確かだった。
 そんなことはもちろん、副社長には最初から分かっていただろう。
 だからこの人はあんなに動揺したんだ。
 
 あんまりだと思った。
 
 それでなくても、副社長は可哀相だといつも思ってたのに。
 あのワンマンな父親にいいように振り回されて、子供の頃から会社で仕事なんかさせられて、友だちもいなくて。
 その上たった一人でこんな僻地に追いやられて。
 副社長は、噂で言われてるような冷たい人間じゃない。
 非効率なことが嫌いで物言いは厳しいけど、それはこの人がカンパニーの跡継ぎとして育てられたからで、この人のせいじゃない。
 笑えば可愛いし、わりと不器用な人なんじゃないかと思う。 

 セフィロス――
 英雄と呼ばれたソルジャー。
 彼は誰よりも強かった。
 誰も彼を害することなど出来はしないと、オレだって思ってた。
 それほどに、桁外れに強かったんだ。
 だから副社長はセフィロスの心配などしたことがなかったろう。
 これほど安心して自分を任せることの出来る者はないと、そう思っていただろう。
 たぶんそれは、副社長にとって初めてのことだったんだ。
 何もかも許して、自分を委ねられる相手に出会ったのは。

 それが、自分が原因で――全部ではないとしても、原因の一つであることは変わらない――死んだと聞かされたら。

 オレは、つい今し方まで邪な感情を持っていたことなんかすっかり忘れた。
 副社長の手を握り、その身体を抱き起こしてぎゅうっと抱きしめた。

「副社長――」
 副社長は、ただ黙ってオレに抱かれていた。
 湿った髪から、微かに甘い香りがした。
「泣いたって、いいんだぞ」
 裸の背中を抱いていても、もう変な気は起きなかった。
「悲しかったら、泣いたっていいんだ」
 副社長はオレの胸に顔を押しつけ、それでもただ黙ってじっとしていた。

 涙なんか、どこかに忘れてきてしまったというように。



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