「いい加減に起きたまえ」
 聞き慣れない声に起こされてオレは焦る。
 もう朝か?
 変だな。目覚ましは鳴らなかったんだろうか?

「――――と、ふ、副社長っ」

 跳ね起きたオレの目の前には、もうすっかり身支度を調えた副社長の姿だ。

「こんな状況で熟睡とは、タークス失格だな」
 くすくす笑いながら、副社長はオレの股間に目をやる。
 もちろんそこは朝の生理現象を示していて…
「わ!」
 オレは慌ててバスローブの前をかき合わせた。

「こ、これはその、ただの生理現象でっ」
「そんなことくらい分かっている。私だって男なんだから」
 僅かに憮然とした調子で返されて、オレはますます小さくなった。
「すんません…」

「服は届いているぞ」
 そう言って副社長は顎をしゃくった。
 持ってきてくれるつもりはないらしい。
 そりゃそうか。きっとそんなこと、考えつきもしないんだろう。
 オレは慌てて夢のように寝心地のいいベッドを飛び出し、きれいにプレスされた制服に袖を通した。
 服からはふわりと、副社長と同じ匂いがした。
 いつもの制服なのに、着た感触がまるで違う。
 なるほど。
 これが副社長専用のランドリーってものか。
 さすがというかなんというか。
 なんて感心してたら、
「朝食だ」
 と、副社長はさっさと寝室を出て行く。
 これまた慌ててオレは後を追った。

 リビングには昨日はなかった大きなテーブルが据えられていて、真っ白いクロスの上に見たこともないような朝食のフルコース(っていうのも変か)が並べられてた。
 給仕係らしき人が椅子を引いてくれ、副社長は呆れるほど優雅に席に着いたけれど、オレの方は緊張しちまってぎくしゃくするばっかりだ。
 こんなんじゃ、食い物の味も分かりそうにない。
 なーんて思ったのもつかの間、そのメシは、それはもう、天国のメシみたいに美味かったんだ。
 がつがつと片端から口に突っ込んでるオレの向かいで、副社長は端末に見入りながらコーヒーだけ飲んでる。
 前に並べられた皿には、全く手が付けられていない。
 その姿を見た途端、さすがにオレも一気に食欲が失せた。

 そうだった。

 副社長があんまりいつも通りだったから、忘れそうになってた。
 昨日の彼のことを。
 
「君は昨夜戻らなくて良かったのか」

 いきなり訊かれて、咽せそうになった。
 オレのことなんか全く眼中にないみたいだったのに。
「う、あ、大丈夫ッス。今回はゆっくりして来ていいって、主任に言われてますから」
「ふうん」
 相変わらず端末から目を離すこともなく軽く頷く。
 そのちょっと鼻にかかった声がひどく甘く響いて、オレはぞくぞくした。
 昨夜の副社長を思い出す。
 あの格好で、こんな声を出されたら…
 うわあ。
 朝飯の途中で考えるようなことじゃなかったvv

「…ならば」
 副社長はそんなオレの焦りなんか全く気づかない様子で、端末から目を上げ、オレを真っ直ぐ見据えた。
 蒼い瞳が朝の光を弾いて光っている。
「もうしばらくここにいられるか?」






「今日は仕事はしない。タークスがいるから、護衛も必要ない。明日いっぱいおまえ達全員に臨時休暇を出す」
 そう言い放って、副社長はオフィスのPCの電源を落とし、デスク脇に控えていた秘書と兵士を追い払った。
 オレはびっくりしたが、こんな気まぐれは珍しいことではないらしく社員達は一礼してオフィスを出て行った。

「いいんですか」
 オレはおそるおそる声をかける。
 二人だけの時とはうって変わって命令する副社長の声はガラスみたいに硬質で、うかつに触れば切れそうなくらいきっぱりしていた。
 部下達が誰一人何の質問もなく部屋を出て行ったのも、さもありなんだと思う。
「かまわない。どうせ、たいした仕事をしているわけじゃない。それに、君は仕事で来ているのだろう?」
「はあ、そうですね」
「ならば今日一日、私の護衛を命ずる」
「はい」
 あまりにもさらっと言われたので、ついつられて勢いよく返事してしまった。そんなのは仕事の予定には入ってなかったんだが。
「いい返事だ。さすがタークスだな」
 とりあえず副社長の評価は頂けたようだ。
「では」
 言いながら副社長はプライベートとは別のドアへ向けて歩き出した。
 そっちには何があるんだろうとオレが考える間もなく、
「まず私をニブルヘイムに連れて行け」
 と、爆弾発言が落ちてきた。

「ま、まずいですよ、副社長!」
 ドアの向こうはエレベータだった。
 慌てるオレを無視して副社長はさっさとボタンを押す。
「無理ですって。いくら副社長の頼みでも、ニブルヘイムは」
 
「君の意見は訊いていない」

 振り向けられた視線は氷の焔のようで、オレは背筋が総毛立つような気がした。
「でも…」
 無駄だと知りつつ、抵抗を試みる。
「これは命令だ。君がどう思おうと、ヴェルドがどう言おうと、私はカンパニーの副社長だ。それがどういうことか、分かるな? 私に命令できるのは、社長だけだ」
「はい…で、でも副社長」
 エレベータを下りると、屋上のヘリポートだった。
 そうか。副社長のオフィスからは直通のエレベータが通じているのか。
 オレ達が使う通路は別だったから、分からなかったんだ。
 さっさとヘリに向かう副社長を追いかける。
「出来ればこのことは外には知られたくないんですよね?」
「そうだな」
「しかしヘリの燃料はここからニブルヘイムまでの往復は持ちませんよ」
「それは大丈夫だ。ロケット村の近くに補給基地がある。カンパニーとは無関係だから、我々の行動が洩れることはない」
「カンパニーと無関係って…いったいどこの基地ですか」
「きっといつかそういうものが必要となるからな」
 ? 謎かけみたいな返事だが、それはつまり、副社長のものってことだろうか。
 もしかしたら副社長は、横領した会社の金で別の会社を作ってるってことか?
 ううん。
 なんだかとんでもないことを聞いちゃった気がする。
 副社長が横領した金で何を買おうと、どんな贅沢をしようと(してないと思うけど)、たとえギャンブルに使おうと(使ってもきっと儲かってるだろうけど)女に貢ごうと(そんな女はいそうもないけど)どうでもいいと思ってた。
 だけど別の会社を作ったりしてるというのは、考えてなかった。
 だって、いったい何の利益があってそんなことをするのか分からない。
 副社長は、神羅カンパニーのただ一人の跡継ぎだ。
 プレジデントには副社長以外に子供がいない。いずれ神羅家の財産は全部副社長のものになるはずで、ということは、必然的にカンパニーの筆頭株主になるということだ。
 それは確かに今は冷遇されてるかもしれない。
 でも、いつか必ず副社長がカンパニーを継ぐことになるのは、誰もが認めていることだ。
 だったら何でわざわざリスクを冒してまで会社に敵対するようなことをやる必要があるというのだろうか。
 分からないのは、オレの頭が悪いせいだろうか。

 オレはヘリを操縦しながら、ずっとそんなことを考えていた。


 ニブル山の麓にヘリを降ろす。
「副社長。このへんはモンスターの巣窟ですから、絶対オレの側を離れないでくださいよ」
「分かった」
 まじめな顔で頷いて、副社長はぴったりとオレに寄り添った。
 うわ。
 そんなにくっつかれると、なんか妙な気分になって来るじゃないか。
 だからといって今さら離れてくれとも言いにくい。
 オレはできるだけ副社長のことは考えないようにして山道を歩いた。
 幸い、モンスターは雑魚が2匹ほど出てきただけだった。
 ロッドで3回もどつけば始末できるような小物だったので、じきに魔晄炉へ辿り着いた。

 ここの魔晄炉の中には、モンスターの入ったカプセルがある。
 以前はジェノバの首もあった。
 これはおそらく神羅の最高機密の一つだろう。
「大丈夫だ。セキュリティは誤魔化してある」
 副社長が時計を見ながら言う。
「30分以内に出れば、侵入の痕跡は残らない」
 さすが用意周到だ。
「じゃあ急ぎましょう」
 
「ここから?」
 魔晄炉の上にかけられたブリッジから、遙か下のライフストリームを眺める。
 碧く光る厖大なエネルギーの流れ。
「ジェノバの首を抱えて、転落したということです」
「そうか」
 ブリッジの手すりを握りしめる副社長の手が、小さく震えている。
 まさかとは思うが、もしかしてここから飛び降りるつもりじゃないかと、オレはかなり冷や冷やした。
 けれど副社長はただ黙ったままライフストリームを見つめていた。
 魔晄の照り返しで青白く染まった顔。
 そしてやっぱりそこに、涙はなかった。

 深く俯き、幾度か深呼吸をして副社長は顔を上げた。
「戻ろう」






 補給基地は、空からではほとんど識別できないくらい小規模なものだった。
 けれど招かれて建物の中へはいるとそこには最新の設備が整えられ、基地のほとんどは岩山の地下に造られているのだとわかった。
 そこにいたスタッフ達は突然の副社長訪問にびっくりしながらもすごく歓迎してくれた。
 そのきびきびとした応対で、彼らが優秀な人材だろうということはオレにも想像が付いた。
 副社長はこういう場所をいったいどのくらい造っているんだろうか。
 そしてなんのために?
 その疑問は相変わらずオレの頭を占めていたけど、副社長に話す気がないなら聞いても無駄だろう。
 燃料を補給する間、副社長とスタッフ達はオレにはちんぷんかんぷんの技術的な話をずっとしていた。

「副社長」
 操縦席に乗り込みながら、オレは呼びかける。
「真っ直ぐ支社へ戻りますか?」
 副社長は、よく分からないことを言われた、という顔でオレを見返した。
「ええと…、その、お時間があるならもう少しどこかへ行きませんか」
 なんだかこのまま支社へ帰って、副社長を一人には出来ない気がしたんだ。
 スタッフといるときはぴんと背筋を伸ばしてしっかり会話していたが、改めて見れば疲労の色が濃い。
 たぶんこの人は、昨夜から一睡もしていないだろう。
 ぐうぐう寝ているオレの横で、何を思っていたんだろうか。
 泣きもせず、いなくなった人のことを考えていたのか。
 このまま支社へ帰ったら、やっぱりこの人は眠れないんじゃないだろうか。
 ライフストリームを見つめていたときの冥い目を思い出して、きっとそうだろうとオレは思った。
 少しでも副社長の気持ちを慰めることが出来ないかと、オレはぐるぐる考えていた。
「どこへ?」
 目をしばたたいて、聞き返してきた。
「どこでもいいです。どこか…副社長の行ったことのないところへ」
 考えた揚げ句の提案にしては行き当たりばったりだったけど、オレとしては精一杯だ。
「…」
 副社長は少しの間目を閉じて、それからゆっくりと言った。
「それなら、雪…のあるところへ行ってみたい」
「よっしゃ!」
 ようやく答えてくれたのが嬉しくて、オレは勢い込んでヘリを離陸させた。



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