ストーリーを補完する。
ある意味正しい二次創作のあり方。


翼無き者達の行方



 ああこれは。
 と、ルーファウスは思う。
 覚えている。
 そう。
 これは最後の別れの日だった。
 その時はまだ、これが最後になるなどと思ってはいなかったが。
 
 かつて、副社長と呼ばれながらなんの実権も持たず、お飾りとして各支社を巡っていた頃、ジュノンの港で、整列した兵士達を前に、自分の前に跪きこの手を取って口付け、忠誠を誓ってみせたあの姿だ。
 父ではなく、神羅ではなく、ただこの自分のためにと――
 それが兵士達にどれほどの感銘を与えたか、よくわかっていた。
 そのために、今はまだ邪魔者扱いされている『副社長』の将来のために、セフィロスがこんなデモンストレーションをしてくれたのだということも。

 だが。

 伏せられていた顔が上がり、その碧の双眸が射抜くような視線をひたと自分に据えた。
 その時の感覚をなんと表現したらいいのかわからない。
 衝撃に、息が詰まった。
 一瞬、世界から音も光も消滅し、この地上にセフィロスとただ二人だけ――
 それはたとえようもなく哀しく、美しく、激しい感情だった。

 忘れたことはなかった。

 あの広大な神羅ビルおりの中で、二人孤独をすり合わせるようにして知り合った幼い日から――
 


 

 ルーファウスは、ミッドガル郊外に建てられた屋敷で生れ育った。
 屋敷の外に出ることは、長い間許されていなかった。
 屋敷は、幼い子供にとって十分すぎるほど広かったので、彼は自分が閉じ込められていることに不満を持つことはなかった。
 ただ、その屋敷の中で、子供はいつもひとりぼっちだった。
 威圧的な父親は、意に染まぬことがあれば容赦なくルーファウスを殴った。
 使用人の誰もが、ただ目を伏せて見ぬふりをするだけ。
 ただひとり、かばってくれるはずの母は、ルーファウスの記憶の何処にもいなかった。
 その日、何があったのかルーファウスは知らない。
 屋敷に戻った父親は、自分の帰りを出迎えなかったという理由でルーファウスの部屋へ踏み込み、ゲームに興じていた彼を殴り飛ばした。
 あまりのことに、メイドの一人が止めに入ってくれるまで殴られ続けたルーファウスは、肋骨と鎖骨を骨折して入院した。
 屋敷へ戻ると、ゲームはことごとく捨てられており、ルーファウスの気に入りだったあのメイドはもういなかった。
 広大な屋敷の中、大人たちにかしずかれてルーファウスは成長した。
 毎日、今夜も父親が帰ってこなければいいと願いながら。
 与えられたものは最高に贅沢な衣服、食事、玩具、教育。
 どれひとつ、ルーファウスの望んだものではなかったが。

 初めて神羅本社へ行った日のことはよく覚えている。
 父はルーファウスの肩に手を置いて誇らしげに、
「いずれはこれが全部、おまえのものになるのだ」
 と言った。
 それがどういうことなのか、ルーファウスにはぴんと来なかったが、本社の中は屋敷とはあまりに違っていて面白かった。
 機嫌の良かった父親は、その日ルーファウスが社内を歩き回ることを許してくれたのだ。
 そこで初めて――
 セフィロスに出会った。
 


 

 暗闇の中で目を開けると、眦から涙が零れ落ちた。
 息が苦しい。
 半身を起こして、胸を押さえる。
 不安と悲嘆が胸を満たしていて、上手く息ができない。
 瞬きすると、また涙が頬を伝った。
 何が悲しいのか、自分でもわからない。父が死んだときも、会社が潰れたときも、悲しいなどとは欠片も感じなかったのに。
 夢を見ていたような気がする。
 夢で泣くなど、子供のようだ。
 ばからしい。
 二度深呼吸をして、ルーファウスは枕元の水差しに手を伸ばした。
 
「どうなさいました」
 ドアを開けてツォンが顔を覗かせる。
「いや。グラスを落とした」
 薄いグラスは砕け散り、水が床を濡らしている。
「痛みますか」
 グラスにはかまわず、ツォンはベッドに近づくとルーファウスの腕を取った。
 その手に浮かんだ斑点からはじくじくと黒い粘液が浸みだして、袖を汚している。
「いや」
 真実味のない否定の言葉と共に、ルーファウスはツォンの手を振り切るように右腕を抱え込んだ。
「手当を」
「いい。水をくれ」
「はい」
 どんな手当も薬も、気休めに過ぎないとわかっている。
 痛みも痺れも発作的に襲ってくるもので、おそらくそのためにグラスを取り落としたのだろう。
 ツォンはキッチンから持ってきたミネラルウオータをルーファウスに渡すと、もう一度彼の右手を取った。
「いいと言ったろう」
「服が汚れます。シーツも」
 言い返されてルーファウスは沈黙する。
 言外に洗濯をするのも掃除をするのも貴方ではないのだから、という意味が込められている。
 繃帯ならばそのまま捨てられる。
 だが、服やシーツを使い捨てるような贅沢が許される生活ではないのだ。
 そんな余裕は、まだこの世界にはない。
 しかも通いの家政婦は、これを洗濯することをひどく嫌がるだろう。

 星痕症候群――

 その原因不明の病が『感染る』とされて忌まれているのは、根拠のないことではあっても現実の問題だった。
 原因も治療法もわからぬ不治の病。それも全身が黒い斑点に覆われ、膿み爛れてやがて死に至るとあっては、人々が恐れるのも無理からぬ話であった。
 神羅カンパニーの崩壊と、メテオ襲来、ライフストリームの奔流によって荒廃と無秩序の混沌にたたき込まれた世界は、いまだ復興の途についたばかりだ。
 人々に十分な医療を施すこともできはしない。
 そんな世界に現出した死に至る奇病は、大災害の残した災厄として忌避されていた。

 
 ウェポン攻撃による神羅ビル倒壊から、ルーファウスが生き延びたのは、自分たちのみならず世界にとって僥倖だったとツォンは思う。
 神羅カンパニーの全てを牛耳っていたプレジデント神羅の死後、その巨大な企業体の全貌を曲がりなりにも把握しているのは、ルーファウスただひとりとなってしまった。
 魔晄エネルギーの停止と指揮系統の寸断によって神羅カンパニーは事実上瓦解した。
 だが、全世界に散らばるその厖大な資産もインフラも人的資源も、全てが失われたわけではなかった。
 細々ながら、治安の維持を図り、代替エネルギーによる都市インフラの整備を進めるなどの事業を継続し続けていた部署もかなりの数存在したのだ。
 それを統率し系統立てて進めるためには、ルーファウスの持つ知識と指揮力、そして彼の生体認証以外では稼動しないシステムがどうしても必要だった。

 実際、ルーファウスが父からこの会社を引き継いだ時には、事態はもうどうにもならないところまで行き着いていたのだ。
 魔晄エネルギーの搾取は限界に近づき、反神羅テロ組織との闘争は首都ミッドガルの破壊行為をお互いに繰り広げるという、末期的膠着に陥っていた。
 そしてなにより、ジェノバ計画を中心とする計算外の危険が、あまりにも大きくなっていた。
 崩壊は、時間の問題だった。
 それを全て押しとどめるだけの力は、ようやく二十才を過ぎたばかりのルーファウスには到底無かったろう。しかも彼は孤立無援だった。
 あの頃のルーファウスが、頑なに父の方針に反対するだけの無能な若者に見えたとしても、それは彼だけの責任ではなかった。
 彼が受け継いだ神羅は、その時点ですでに『負の遺産』でしかなかったのだから。

 事態が落ち着くと、ルーファウスは積極的に復興事業を推進し始めたが、あくまで自分の存在は隠し続けていた。
 表の顔となったリーブたちが、それなりの地位について欲しいと乞うても、『プレジデント神羅』の再来を喜ぶ市民はいないだろうと、ただ笑って言うだけだった。
 ミッドガルは、封印された中心部の周囲にエッジと呼ばれる街が再建され、市民達は難民同然の暮らしから解放されつつあった。
 その復興の中心的役割を担ったのはもと神羅カンパニーのスタッフであり、彼らの努力があってこそ、たった二年ばかりでここまで為し得たのだということは、住民達も了解していた。
 だがなお、神羅の名とあの災厄とは切り離せないものとして認識されている。
 末端の社員達に罪はないにせよ、神羅の名を持つ者がトップに立つことは、やはり反感を買わずにはいないだろう。のみならず未だ恨みを持って襲撃をくわだてる者も、無いとは言えない。
 ましてルーファウスは、父譲りのその金髪と蒼い瞳が、いやでもかつてのプレジデントを思い起こさせるのだ。
 だからごく一部の社員達の間以外では、二代目社長はウェポンの攻撃で死亡したことになっていた。

 
 神羅ビル倒壊の折に負った負傷も癒え、本格的に乗りだした復興事業も軌道に乗り始めた頃、ルーファウスは病に倒れた。
 原因不明の熱が続き、ようやく治まった後腕に浮き出した斑点は、それが不治の病の端緒であったことを示していた。
 
 星痕病が、アレルギー反応に似たものであるらしいことだけは、わかっていた。
 ライフストリームや、星の意志と関わりがあるらしいことも。
 だが、それ以上のことは杳として判明しない。
 症状も、病状の進行具合にも個人差があり、対症療法としての鎮痛剤投与の他には、治療法も無いに等しかった。
 ルーファウスの病状は、一進一退を繰り返しつつ確実に悪化していった。
 病状が進むと彼は、星痕症候群の患者のために造られた保養所とは名ばかりの隔離施設、ヒーリンと呼ばれる地区に造らせたロッジに引きこもるようになった。
 最も信頼するタークス四人だけを手元に置き、連絡と指示はほとんどオンラインですませる。
 自分がいなくなることを前提に事業を進めて行けと言わんばかりのその態度は、リーブ達古参の社員をひどく悲しませたが、経営者としては当然の選択だったろう。
 今のルーファウスは、自分の受け継いだものが最初から『負の遺産』であったことをはっきりと認識していた。
 そして『神羅の負債』を返すことが自分の使命であること。それを自分の死で途絶えさせてはならないことを。

 
 ロッジでの暮らしは質素だった。
 生まれ育った広大な屋敷はミッドガル郊外に無傷で残っていたが、そこはすでに難民用の住居として転用されていた。
 ルーファウス個人の資産は未だ呆れるほどの額で存在していたが、それを無駄に使うことを彼は許さなかった。四人のタークスに法外な報酬を支払う以外は。
 もちろん四人は、それがルーファウスの不器用な感謝の示し方だということくらい、十分承知していた。だてに長い間付き合ってきたわけではない。
 彼には、愛情や感謝といった感情の表し方を教えてくれるモデルが身近に存在しなかったのだ。
 だから彼のやり方は、彼が嫌っていた父親にひどく似ている。
 言葉で本音を言うことは決して無く、回りくどいやり方でしか感情を表現できない。
 多額の報酬で四人を拘束していると考えることは、ルーファウスを安心させた。
 だが、レノに言わせれば
「まったくわかってないってもんだぞ、と」
 だったし、イリーナにも
「ほんと、おばかさんですよねえ」
 などと言われてしまっているのだったが、本人にはもちろん伝わらない。
 多額の報酬は、むしろルーファウスを納得させるために受け取られているのだった。

 ロッジには、通いの家政婦が交替で家事をしに来るほかにはスタッフはいない。
 ルーファウスの日常の世話をしているのは主にタークス主任のツォンだ。
 生れたときから使用人にかしずかれて育った、生っ粋のお坊ちゃまだ。学校も行ったことが無く、たった十六の頃から副社長として会社の中で暮らしてきた。生活能力は限りなくゼロに近い。
 しかも現在は病身だ。
 小康状態を保っているとはいえ、いつ悪化し、重篤な状態になるかもわからない。だから常にそばにいる。
 昼夜をわかたず、隣室に控えていてくれるツォンに対し、申し訳ない気持ちになることがないといったら、ウソになる。
 だがもちろんルーファウスはそんなそぶりは見せないし、ツォンに対し、タークス主任としての任務も容赦なく命令する。
 時には命がけになる任務だ。
 だからせめてわがままは言わないようにしようと、ルーファウス自身は思っている。そして確かに、昔に比べればその言動はずいぶんと真っ当になった。
 それでも時折、奢侈に慣れた者だけが見せるルーズさが覗く。
 ツォンはそれを指摘しながらも、実は秘かに好ましく思っている。
 かつての、あどけないくらいに正直だったルーファウスを思い出させるからだ。
 わずか数年のうちに、過酷な運命はツォンの主を天性の怜悧さを誇る支配者から、したたかな指導者へと変貌させていた。



 

 黙って差し出された腕に消炎剤を塗り、包帯を巻く。
 最初は上腕部にしかなかった染みは、すでに手の甲まで拡がっている。
 痛みを感じているのかどうかは、ルーファウスの表情からはうかがい知れない。
 それよりももっと別のことに心を捕らわれているようだった。
「どうなさいました。なにか心配事でも?」
「え…?」
 ルーファウスはゆるゆると顔を上げた。
「気がかりなことでもおありですか」
 二人きりの時、ツォンはルーファウスのお守り役といっても良かった頃の言葉遣いになる。
 副社長就任より以前、ルーファウスが見学と称して神羅ビルを訪れるたびに、警護役という名のお守りを言いつかるのは、いつもツォンだった。
 それが、単に丁度適当な人材だからというだけでなく、実は『ルーファウス坊ちゃん』の希望でもあったのだと知ったときはずいぶん驚いた。
 あの子供にそんな気持ちがあったことに、そして自分が子供に好かれたということにはもっと。
 最初会ったとき、ツォンの胸ほどしかなかった子供はたちまち成長し、今度は『副社長』の冠を被せられて入社してきた。
 だが、彼の座は神羅本社ビルには用意されていなかった。
「副社長室すら、無いんだぞ」
 唇を噛んでそう言ったときの、無念の響きは忘れられない。

「セフィロスが死んで、何年になる?」
 主の発した質問は、ツォンの予想の範囲外だった。
「二年…でしょうか」
「違う…」
 眼を閉じて枕に背を預ける。
 その頬に、乾いた涙の跡があることに気づいて、ツォンはぎょっとする。
「あれはジェノバだ。セフィロスは、七年前、ニブルヘイムで死んだ…」
 それきり、ルーファウスは口を閉ざした。



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