RUFUS



 生れたばかりの時、彼のまだ生えそろわぬ髪は赤味の強い金色だったのだという。
 だから、やがてはその母に似た燃えるような赤毛になるのだろうと、父はそう期待を込めて彼を『RUFUS−赤』と名付けたのだと言われている。


 


 
 病が癒えた後も相変わらずこの人里離れたロッジを動こうとしない彼は、よほどここが気に入ったのだろうか。
 ミッドガルの神羅本社ビルで暮らした時間が長かった故に、この地が心地よいのかもしれないと、そんな風に思う。
 もうその身体には繃帯こそ無かったが、ウェポンの攻撃で負った傷も完治せぬうちに星痕症候群という奇病に冒され、ずっと無理を強いられてきた彼の体調は万全であるとは言いがたく、そのためにもここの環境は確かにエッジ辺りよりはずっといい。
 それに、事件の時彼がエッジ付近にいなかったことは幸いだった。
 もっとも、タークスが傍にいる以上この人に危害が及ぶようなことはなかっただろうが。

「ご苦労だったな」

 簡素というにもあまりにも飾り気のないそのリビングに置かれたソファで、窓際の車椅子に座ったルーファウスと対峙する。
 長時間動き回るのでなければ平気なのだが、と彼は苦笑する。
 いまだに車椅子を使っているのは、本人の意志ではないらしかった。
 
 開け放たれた窓からは初夏の風が花の香と共に流れ込んでくる。
 つい先頃、目と鼻の先のミッドガルで星の命運をかけた戦いがあったとは、到底信じられぬほど穏やかな午後だ。

「いいえ。私はほとんど見ていただけで。ヴィンセント・ヴァレンタインがよく働いてくれました」
 事件の詳細はオンラインによる報告ですでに済んでいる。
 ここを訪れたのは、ただ顔を見て話をしたかったからだ。

 DGS(ディープグラウンドソルジャー)をご存じか、と訪ねたとき
「知らん。だがそれはおやじの残したものか?」
 と厳しい顔で問いかけてきた声音は忘れない。
 副社長という肩書きを持ちながら、カンパニーの中枢から外され続けていたこの人は、実際それについては知らされていなかったのだろう。
 だが、なにかしらの危険は、察知していたのかもしれない。

 WROという軍事的な組織を立ち上げると聞かされたときは、正直反対だった。
 今の世界に必要なものは戦うための組織ではなく、造り出すための機構だ。
 いくらそう言っても、頑なに意見を変えないルーファウスに辟易もした。
 結局は押し切られた自分に、いらだちも感じた。
 だが、あの事態を想定しての判断だったとすれば考えが浅かったのはどちらか、明白だった。
 オンラインの整備が進み、ネットワークが復活したときにその危機は訪れたのだ。
 そこまで見通しての計画だったとすれば、ただ頭が下がる。
 
「もと神羅製作所タークスか。もとソルジャー、もとタークス…神羅の残した亡霊の相手をするに、これ以上相応しい者はないな」
 前回のジェノバ復活劇の時と違って、今回ルーファウス達が表に立つことはなかった。
 WROを裏から支えるという形で協力する以外、タークスが戦闘の場に姿を表わすこともなかったのだ。
 前回はルーファウス自身が星痕症候群に冒されているという条件があった。
 否応なしに、積極的に関わらざるをえない状態に追い込まれていたのだ。
 また、タークス達もそれを望んだ。
 この主人のためであるからこそ、彼らは正面から敵に臨んだのだ。
 だが今回、ルーファウス自身も戦闘の場へタークスを向かわせることを良しとしなかった。
 総務部調査課――かつての職分が示す通りタークスの本領は戦闘ではない。
 今回の彼らは、物資の調達、機材の手配などに忙殺されていたようだった。
 実際、彼らが裏で動いていなければ間に合わなかったことは多々あったろう。
 WROはまだ、組織としてきちんと機能しているとは言い難い。

「ヴィンセント・ヴァレンタインと面識は?」
「無いな。私が生れた頃彼はもうタークスではなかったのでは?」

「そうでしたか…。昔の事はどうも曖昧で」
「もうボケの始まりか? まだまだこれから働いて貰わなくてはならないのだから、惚けてなどいられないぞ」
「相変わらず手厳しいですな」
「生き残った神羅幹部の中では、君が一番年上だ。技術畑の君にはいささか荷が重いと分かってはいるが、他に適当な人材がない。わざわざ『ジェノバ戦役の英雄』というメディア戦略でバックアップしたのだしな」
「ありがたくて涙が出ますよ、まったく。プレジデントによく似ておいでで」
「…そんなことを言うのは君くらいだ」
「皆、命が惜しいでしょうからね」
「君は惜しくないのか」
「さて。誤魔化したって仕方ない。実際よく似ておいでなのだから。強引で果敢で優秀で、魅力的で、その一途なところも」

「…面白いことを言う」

「プレジデントと貴方の母上の馴れ初めなど、ドラマにしたいくらいでしたからね」
「母の…」
「ええ。ご存じないので?」
 ルーファウスの瞳に冥い焔が宿る。
 彼にとってそれは、触れたくない過去の話なのだろうか。

「母は私を産んで死んだと聞いている。だから父は私を疎んじているのだと、口さがない使用人がよく噂していた。もちろんわざと私の耳に入るようにな」
 そんな噂があったことは知っている。
 だが、当のルーファウスまでそれを信じていたとは思わなかった。
「それは間違いではありませんが、事実とは少し違っていますね」
 幼いルーファウスに暴力をふるい、彼に負の遺産しか残さなかった父親を彼が憎むのは無理もないことだと思われた。
 しかし、もういない親を憎み続けるのは、彼にとって決して幸福なことだとは思えない。

「どれだけ違うかは知らんが、父が私を溺愛しながらもどこかで憎んでいたことの理由としては充分だろう」
「プレジデントは決して貴方を憎んでいたのではありませんよ」
「どちらでもいい。今更とうにいない者のことを詮索しても始まらん」
「そんなことは…。どんな落度があったにせよ、貴方にとっては実の父ではないですか。それに母上もお可愛そうです。貴方は本当のことを知るべきだと思いますが?」

「分かった。ならば聞いてやる。手短かにしろよ」


「貴方の母上は、ミッドガル大学の教授職を努める優秀な方でした。あの方無くして魔晄エネルギーの実用化はなく、神羅カンパニーの躍進もあり得なかったでしょう…」

 お二人は仲の良いご夫婦でしたが、残念ながらお子様にはなかなか恵まれませんでした。
 ですから、ご懐妊が分かったときはお二人ともそれは喜んでおられましたよ。
 そのころは丁度、ミッドガルの都市計画も完成に近づき、神羅カンパニー本社ビルの着工がなされようとしていた時期でした。
 魔晄エネルギーによって人々の生活は以前に比べ格段に豊かになり、神羅カンパニーの前途は揚々として見えていました。
 しかし、光が強ければその分闇も濃くなるように、神羅に敵対する勢力も力を伸ばしつつあったのです。
 そんな勢力の一つがお二人を襲ったのは、本社ビル着工の式典の折でした。
 プレジデント神羅、その妻、そしてまだ生まれぬ跡継ぎをも一度に葬り去ろうという企みだったのでしょう。
 結果的に、それは半分だけ成功しました。
 プレジデントは傷を負われ、母上はショックを受けられて早産なされたのです。そしてそれがもとで亡くなられました。貴方が助かったのは奇跡に近かったのです。
 ですから、貴方を産まれて亡くなられたというのは事実ではありますが、原因は他にあったのです。
 プレジデントはたいそう嘆かれ、ご自分を責められました。
 ご自身も重傷を負われているにも関らず、いつまでも奥様のご遺体の側を離れようとなさらなかったほど。
 
 それからのプレジデントはただひたすら事業の拡大にのみ邁進されてきました。
 世界全土に拡がっていた戦争が激しさを増していた頃でもあり、神羅カンパニーは、すでに一企業というにはあまりにも重い使命を負わされていました。
 それに対処するため、軍を組織し、ソルジャーという秘密兵器を投入し、企業の域を逸脱してまでもプレジデントが求めたものは、世界の平和と覇権でした。
 それを貴方に譲り渡すことだけが、あの方の望みだったと言っても過言ではないのです。

「ですから、プレジデントが貴方を憎まれていたというのは見当違いの憶測です。母上が亡くなられて以降、あの方は再婚なさることもなく、貴方と神羅カンパニーを育てることに全てを注いでこられたのですから。貴方にとって決して良い親だったとは言えなかったとしても、あの方なりに懸命であったことは確かでしょう」


「そして母には似ず、次第に自分にだけ似てくる子を厭わしく思っていたということか」
「そんなことは…」
「結果的に私が母を殺したのだという事実は変わらん。もし私がいなかったならば、母は死ぬことはなかったろうからな。父は自覚していなかったかもしれないが、そう思ったことがないとは言わせない。なぜならば」
 ルーファウスは息を継ぎ、瞳を細める。
 今ここにいない人を見つめるように。

「父は私に母のことを語ったことはない。ただの一度も、だ」

「…それは…きっとお話しすることが辛かったのでしょう」

「私を屋敷に閉じ込めて育て、使用人たちには箝口令を敷いた。幼い頃私は、母親というものは妖精と同じような絵空事だと思っていたくらいだ」
 さすがに唖然となる。
「あらゆる危険から貴方を護ろうとなされたのでは…。神羅の跡継ぎだというだけで貴方はいつも狙われる存在でしたから…」
 的はずれな擁護だと分かっていて、そう言うしかなかった。

「ふん…父を闇雲な世界の覇権掌握へと駆り立てたものが母の不在と私の存在であったのなら、まさに私自身が世界にとって疫病神であったということだろうな」

「ルーファウス様…」

「それも悪くない。私が世界に対して負った負債としては充分に過ぎるだろう。生まれてきたこと自体が、すでに借りだったというなら」
「そんな」
「私は今まで、神羅の家に生まれたことがその理由だと思っていた。だが本当は私自身こそがその原因だったのなら、いっそわかりやすい。私が世界への償いのためにだけ生きることは、最初から決められていたのだと思えば」

「…」

「勘違いするな。私は別にそれを不幸なことだとは思わないぞ。人は誰しも課せられたもののもとで生きる運命だ。世界への負債は、返すべきものとしては充分すぎる価値がある」
 ルーファウスは笑う。
 その笑みは本当になんの翳りもなくあざやかで、見とれる以外にない。

 世界の帝王となるべく生まれ育てられた神羅の盟主は、崩壊した世界にあっても王である以外にないのだと、微かな痛みと共に思う。
 それ以外の生き方を、この方は知らない。


「しゃちょー、ただ今戻りましたよ、と」
 気の抜けた声が沈黙を破った。
 どたどたと(おそらくはわざとたてている)荒い足音と共に、ドアが開く。
「あれれー、珍しいお客さんですよ、と」
「リーブ部長」
 続いて入ってきたイリーナも目を丸くした。
「局長、とお呼びしろ」
 笑って言ったのはこの主人あるじだ。
「やめてください。厭味ですか」
「コーヒーお出ししますね」
「いや、もう」
 帰ります、と言いさすリーブを後に、きびきびとした動作でイリーナはキッチンへ消える。
「イリーナの淹れるコーヒーは絶品だぞ。飲んでいけ」
「…はい」

 ミッドガルから離れたこの場所には、暖かな陽が降り注ぐ。
 それ以上に、ここにはやわらかな空気が満ちていて。

 薫り高いコーヒーが運ばれて、静かな室内に鳥の声が響く。
 激動の4年間を超えて彼の傍らに残った者との絆は、リーブすら羨むくらいに強い。
 彼らに向けられる微笑みに、彼が失ったもの、持ち得なかったもの以上に得たものもあったのだと悟る。

「お幸せそうで、安心しました」
 発した言葉に、驚いたように見開かれた目が応える。
「何を言い出すかと思えば…」
「良かったですね、しゃちょー。リーブ部長に太鼓判押してもらいましたよ、と」
「レノ」
「ツォンさんがいたら、喜んだでしょうねえ。残念です。今ウータイなんですよ」
「イリーナまで、なんだ」
 気恥ずかしいのか、ルーファウスは目をそらす。

 珍しいものを見た、とリーブは思う。

 自分はこの年若い神羅の盟主がまだ幼かったときのことを知っているはずだったが、あまり思い出せなかった。
 本社に入ってきたと思うとまもなく長期出張とかで幹部の前からも姿を消した。
 父親に疎まれてのことだとは大方の認識であったが、その大半は幽閉されていたのだとは後で知って驚いた事実だ。

 あの父親は確かに彼を愛しながらも、怖れていたのだと思う。
 最も大切な者でありながら、最も愛する人を奪っていった者である彼を。
 彼に世界の覇権を与えたいと願いながら、それを奪われることを。
 人とはなんと愚かしく、哀れで愛すべきものだろうか。

 ヴェルドが最後まで彼のことを気にかけていたのを思い出す。
 思えばあの頃共に神羅カンパニーの揺籃期を過ごした者たちは、皆いなくなってしまった。

 だが今また世界は若者たちの手に引き継がれた。
 僅かな自分の力でも、彼らの手助けが出来ればいい。


 この暖かい時間が少しでも長く続くように。


end