このお話は、「迷想天国」様の「Intermission」「Intermission2」の後の話となっています。
これらを先にお読みいただけませんと、いささか分かりづらいかと思われます。
まだお読みでない方は、どうぞこちらから。


「Intermission」
「Intermission Part2」


















ピーク果てしなくソウル限りなく



「これからだと? 無理だ。無理。出直してこい」
 ルーファウスは足下の人影を見やってため息混じりに、しかしきっぱりと言い切った。
「ど…どうして? 社長…」
 月明かりの下でも分かるほど頬をバラ色に上気させて、ベッドに手を着いた思念体はルーファウスの顔を覗き込む。
「おまえと違って私はただの人間だ。あいにくそれほど丈夫には出来ていない」
「今度はちゃんと社長も気持ちよくしてあげられるから、大丈夫だよ」
 大きく的外れな返答に、ルーファウスはますますため息だ。
「どういう根拠でそんな自信を持ったのか知らんが、それは関係ないんだ、カダージュ」
「どうして? 社長」
 目をきらきらさせてなおも迫る思念体には、昨日の殺気の欠片もない。
 その様子を見て、些か薬が効きすぎたかとルーファウスは心の中で嘆息するが、それにしてもあの狂暴極まりない思念体がここまで懐いてくるとは予想外だった。
「カダージュ」
 腕を伸ばし、その銀色の髪に指を絡める。
 さらさらと冷たい感触。
 カダージュはうっとりとルーファウスを見つめている。
 指を顎に滑らし、引き寄せて唇を重ねる。
 ゆっくりとその唇と舌の感触を味わう。
 自信満々のカダージュの言葉はまんざらでまかせでもないらしく、昨晩はただされるままだった口付けにしっかりと答えてくる。
 それだけでなく少年の手はいつの間にかルーファウスの身体に回されている。
 キスくらいなら――
 と始めたことだったがこのままなし崩しに本番へもつれ込みそうな展開にルーファウスは困惑する。
 さすがにそれは避けたい、というのが本音だ。
 この状態に自分も熱くなりかけているのは認める。
 カダージュはもっとだろう。
 しかし今の自分のコンディションでカダージュを受け入れるのはきつい。


 



 今朝のことだ――

 ぐちゃぐちゃになったベッドをツォンに追い出されて、ぎしぎし言いそうな身体をようやく引き摺ってシャワーを浴びた。
 傷ついた部分を洗おうとすると痛みに思わず声がもれた。それを聞きつけたツォンがバスルームに飛び込んできて、恥ずかしいやら情けないやら、出て行けと怒鳴りたかったのだがその気力すらなく、ツォンの腕に縋ってようやくバスルームを出た。
 身体を拭いてくれたのも髪を乾かしてくれたのもツォンで、それは体調が悪かったこの2年間しばしばあったことで珍しくもなかったのだが、今回は少しばかり事情が違っていた。

 ツォンはルーファウスが昨夜このロッジに女性を連れ込んだと思いこんでいて、考えてみればルーファウスはずいぶんと長い間女性と接していない。愛だの恋だのということを差し置いても男としての欲求は当然あるわけで、そういったことに全く配慮してこなかったのは自分の落度だと思っている。
 人形のように綺麗な主人にはそんな生々しい欲望は相応しくないものだと、無意識のうちに思いこんでいたのだ。少しでも想像力を働かせれば、そんなはずはないと気づいたろうに。
 不自然な我慢を強いていたのだという思いと、それにしても自分たちを追い出してまでヤりたいという欲求が高まっていたのかという情けないような思いが交錯して、見慣れたはずの主人の裸を見るのも極まり悪い。

 またルーファウスの方は、自分は決して誰かを連れ込んだわけではなく、しかもそれは女性でなく、あまつさえ女役だったのは自分の方だったということを言い張るわけにもいかず、互いに違う理由でなにやら気まずい。

 それでもようやく身支度を調え、ツォンがきちんとシーツをかけ直したベッドに潜り込んだ。今日は一日、到底仕事になりそうもない。
 仕事は常にうんざりするほどあって、一日無為に過ごせばその分の皺寄せは確実に明日に行く。けれど椅子に座って作業をするなど考えられない。
 局部の痛みもさる事ながら、立つことも億劫なほどだるいのは熱があるせいだ。ツォンの運んできた食事もほとんど食べられず、またくどくどと小言を言われるはめになった。
 そんなわけでルーファウスは貴重な一日を棒に振った上、聞きたくもないツォンの小言(しかも的外れ)をたっぷりと聞かされることになったのだ。なんといっても、ベッドから逃げ出すことも出来ないのだから仕方ない。


 カダージュのやりたいままにさせておいたら、明日もベッドから出られない。
 それは確信だった。
 だからルーファウスは両手で少年の頬を挟んで額を合わせた。
 なるべく優しく聞こえるようにと作った声で、語りかける。
 思念体の機嫌を損ねることは本意ではない。

「そうだな、3日。あと3日経ったら、もう一度来い」
「みっか?」
「そうだ。その時は、おまえがどれだけ私を気持ちよくさせてくれるのか、確かめてみよう」
「ふうん…」
 納得したのかどうか、カダージュの返事は曖昧だ。
「カダージュ」
 耳元に囁きかけて、もう一度唇を合わせる。
「楽しみにしている…」
 じっと目を見つめると、グリーンの瞳の虹彩が細くなる。
「うん」
 今度は瞳全体が細められて、少し離れて見れば少年の含羞んだような笑顔が、月明かりの下でも妙に眩しかった。
 








「社長〜」

 期待満々の声で名を呼ばれ、顔を上げると窓を背に立っていたのは、昨夜確か追い返したはずの思念体だ。

「3日後と言ったろう。まだ半日しか経っていない」
 ベッドの上で拡げた書類に目を通していたルーファウスは、呆れたように言う。
 実際今現在はまだ陽も高い真っ昼間だ。
「みっかたってない?」
 首を傾げる少年は可愛らしいが、そういう問題ではない、とルーファウスは問い直す。
「カダージュ、これはいくつだ?」
 少年の目の前に指を3本立てる。

「えーと…」

 脱力のあまり書類に伏しそうになる。
 だがルーファウスはなんとか踏みとどまった。そして、
「ツォン!」
 隣の部屋で聞き耳を立てているはずの男に呼びかける。

「小学生用の算数の教科書を用意しろ!」

 カダージュがそれをぽかんと聞いていたことは、言うまでもない。



end