「私がおまえとこうなったのは運命だったのだと言ったら、おまえはどう思う?」















  嘘も 真実も
   
駆け引きさえも



 そのディスクが、どこから出てきたのか誰も知らなかった。

 タークス本部には、カンパニーの極秘情報が集積されている。
 それは、カンパニーがまだ神羅製作所と名告っていた頃からのありとあらゆる情報だ。
 外部にも内部にも公には出来ないような事件の記録や、神羅家の内情に関わる事柄。
 タークスはカンパニーの秘密部署であると共に社長直属の機関であると言っても良い存在で、十五代続いた名家である神羅家のお家の事情にも常に関わってきたのだ。
 しかし、その積もり積もった記録の多くは、日の目を見ることもなくひっそりとデータの中に埋もれている。
 古いものは書類で。比較的新しいものはディスクで。

 前主任ヴェルドが失踪という形で突然タークスを去り、真っ当な引き継ぎは成されぬままツォンは主任の位置にスライドする形になった。
 だから、現時点で進行中だった任務はともかく、そんな古い記録のことなど知りようもなかったし知ろうとする間もなかった。
 巨大化したカンパニーはその図体に相応しいだけの問題を抱えており、日常の任務だけで手一杯だったからだ。

 無造作に棚に置かれたディスクは、見慣れぬものだった。
 それに気づいたのはおそらくツォンだけだ。
 その棚は主に不要になった古い記録媒体が置かれているもので、大掃除でもない限りそんな場所に用のある者はなかったからだ。
 ただツォンは、暇を見つけてはそこを調べていた。
 自分たちが探している情報―――ジルコニアエイドのマテリアに関する情報など―――が、そういった古い記録の中に無いとも限らないと考えていたからだ。
 ディスクそのものはさほど古いものではなく、棚に置かれた他の媒体に比べるとだいぶ後のものだと思われた。

 紛れ込んでしまったものだろうか。
 それにしても、表書きがなにもない。
 どうせたいした記録ではないのだろうが、一応チェックしてみようと、ツォンはそれを開いた。

 それは文書ではなく、映像記録だった。
 隠し撮りされたものか、画質が悪い。画面が歪み、安定しない。
 映っているのは室内らしいが、どこだかはわからなかった。
 音声も小さく入っている。
 それは啜り泣くような細く高い喘ぎ声と、荒い息だった。
 
 ツォンはすぐその映像に興味を失った。
 これが何かは、容易に察しが付いた。
 隠し撮りされた情事の現場だ。
 なんらかの脅迫のために使われたのか。
 撮影したのがタークスなのか、それとも何者かから取り返したものなのか。
 どちらにせよ役立ちそうなものでないことは確かだ。
 いつのものかは不明だが、とうに終わってしまった事件だろう。
 下手をすれば映っている人物が二人とも故人だということすらあり得る。
 そんな古い記録など、今さら何の価値もない。
 だが画像を閉じようとしたツォンの手は、その場で止まった。

 ひどく荒れていた画面は安定し、あらぬ方を向いていたカメラも目標に向かってきちんと固定されたらしい。映し出された情事の様子は格段にクリアになった。さっきまでとは別の日なのかもしれない。
 だが、ツォンの手を止めたのはそんなことではない。
 そこに映し出されていた人物だ。

 脚を高く抱え上げられその身体を貫かれているのは、金髪の少年だった。
 何の膨らみも無い胸、細い手脚、ちらちらと脚の間に見え隠れするものを見ても、それが少女ではなく少年であることは明らかだった。
 それも、おそらくは十代前半―――どう見積もっても14にはなっていないだろう、と思われた。
 しかしそれだけならまだ特に珍しいことでもない。
 問題は、その少年の顔がツォンの知る人物に酷似していたことだ。
 のしかかっている男の顔は見えなかったが、その体格もまた、ツォンの知る人物を思い起こさせた。

「いた、い…、あっ、ああぁ」
 悲鳴に近い声を上げて、少年が仰けぞった。
 その声もまた、ツォンの知る者に似ていると思う。
 だが、音声も映像もそうだと断定できるほど鮮明ではない。
 まして後ろを向いている男が誰であるかは。

 ツォンは食い入るようにモニタを見つめる。
 これがいつ、どこで撮影されたものかが特定できれば、写っている人物も推定できる。
 だが、画面に日時の表示はなく、場所は豪奢なベッドの置かれた部屋だという以外の手がかりは掴めなかった。
 その間にも少年は体位を変えつつ幾度も男を受け入れている。
 
 突然乾いた音が響いた。
 男が少年の頬を打擲したのだ。
 跳ね飛ばされるようにベッドに沈む少年に、なおも手を挙げる男の姿―――
 ツォンは怒りのあまり震える手で映像をシャットダウンした。
 とても見続けていることが出来なかった。
 
 深呼吸をして、心を落ち着ける。
 こんなもので動揺するなど、どんな時でも沈着冷静であらねばならぬタークス主任にあるまじきことだ。
 と思う一方、もしこれが本当に自分の知る人の記録なのだとしたら、とても冷静に受け止めることなどできないとも思う。

 児童虐待―――と言葉にしてしまえば空々しいが、その当事者にとっては生死に関わる問題だ。
 実際、今現在このタークス本部の奥に幽閉されているルーファウスが父親から加えられた暴力は目に余るものだった。
 ツォンが知る限りでも、もう少し間が悪ければ死んでいたかもしれないほどの怪我を負った事実がある。
 ここに閉じ込められていること自体も、一種の暴力だと言っていい。
 まだ未成年の―――幽閉を決められた時点ではわずか16才だった―――少年を陽も入らぬ部屋に閉じ込めることが虐待でなくてなんだろう。
 ルーファウスは、それ以前もずっと育児放棄ネグレクトに等しい状態にあった。いや、使用人達によって生活の面では必要以上に世話を焼かれていただろうが、親子としての繋がりは無かったに等しい。
 そしてこんな場所に閉じ込めて三年にもなるというのに、その父は一度も顔を見せることがない。
 これがたった一人の血を分けた息子に対する仕打ちだろうか。

 その上―――もしこのビデオにあったような性的虐待を加えていたのだとしたら。
 ツォンはあまりの怒りに血の気が引くのを感じる。

 秘やかな笑い声が背後から響いて、ぎょっとした。
 タークスは気配を消すのが習い性。当然仲間の気配も希薄だが、それでもこの本部の中で何人の部下が活動しているかくらいは目で見ずとも把握できる。
 その程度には、人の気配に対して鋭敏であるはずだった。
 だが、おそらく今目にしたものに心を奪われていたのだろう、タークスでもないこの少年が近づくのに気づかないとは。
 
「よほど面白いものを見ていたのか?」
 笑いながら近づいてきたルーファウスに向き直り、ツォンはその様子を伺った。
 隠し部屋に監禁されている―――ことになってはいるが、実際にはタークス本部内にも彼は自由に出入りしている。
 そこから外へ出て行くには必ずタークスの誰かが同行したが、それは護衛としてであって、実の所監禁というのはプレジデントに対する見せかけでしかなかった。
 タークスとルーファウスは、微妙な緊張を保ちつつも良好な協力関係にあったのだ。

「私の気配に気づかないようでは、タークス主任としてずいぶんと情けない話ではないのか?」
 ひどく嬉しそうなその声を聞いて、ツォンは面白くない想像に到達する。
「貴方は…私の端末を覗いておられたのか」
 金色のやわらかな髪を揺らし、ルーファウスは笑う。
 邪悪にも、無垢にも見えるその笑顔に、ツォンは一瞬見惚れた。そして同時に、己の発した質問のばかばかしさにも気付かされてしまった。
 ここにいるのは、カンパニーの後継者だ。
 紛れもなく、神羅の名を持つただ一人の嗣子なのだ。
 彼は神羅カンパニーそのものだ。その聡明さも、狡猾さも。

「安心しろ、ツォン。私以外の者には誰一人アクセスできぬよう、ガードをかけてある」 それのどこが安心なのだか。
「おまえはつまらないヤツだな。仕事以外にはなんの興味もないのか? レノの履歴からは面白いものがいろいろ見られたぞ」
 勤務中に何を見ているか、というレノへの叱責は心の中に留め、ツォンはルーファウスを見据える。

「これは、貴方の為業ですか」

「ふふ。さすがタークス主任、と言っておこうか」

 ルーファウスの意図が読めない。
 このディスクを、ツォンが見つけるだろう場所に置き、それを見たときには自分の端末で知ることができるような信号を入れたのだろう、ということはわかった。
 だがなんのために?

「これを見て興奮したか?」
 微かに目を伏せ、唇の端を吊り上げて問いかける少年は、ひどく淫蕩な気配を纏い付かせてツォンに身を寄せた。
「馬鹿なことを」
 語調がきつくなったのは、余裕が無いせいだ。それが彼に伝わったと思うと、ますます苦々しい。
「そうか? おまえはこういうのが好きそうだと思ったんだが」
 揺れる金色の髪が、画面の中の少年に重なる。
「悪趣味な悪戯は大概になさるがいい」
「悪戯、というか? ならば『悪い子にはお仕置きが必要』なんだろう?」
「副社長」
 制止の声は無視され、ツォンの表情を覗き込むようにルーファウスの顔が寄せられる。
 陽に当たらぬ肌は白く、瞳の蒼は暗い海の底の色だ。
 その深い蒼に吸い込まれるように唇を重ねていた。
 ルーファウスの本気の誘いを拒絶するなど、不可能だ。

 それ以上に、ツォンはこういったルーファウスを拒絶することの危険を感じている。
 彼は怖ろしく明晰で冷徹に見えるが、ある部分はひどく不安定で脆い。
 それは彼の年齢を考えれば当然のことだったが、普段接していると忘れがちになる。
 だが、悪辣さの陰に彼が隠そうとしているものこそが、重要だ。
 
 乞われるままに彼の衣服を剥ぎ、床の上でことに及んだ。
 今夜は誰も本部には戻らない。
 それがわかっていての、誘いなのだ。
 もっとも誰かが戻ってきたところで、気にかけるようなルーファウスではなかったが。
 冷たい床にその身体を横たえ、脚を高く抱え上げて容赦なく貫く。
 ルーファウスは悲鳴を上げ床に爪を立ててその乱暴な行為に耐えながら、高まっていく悦楽に己を任せる。
 苦しげに寄せられた眉。
 床に散った金色の髪が、画面の中の少年を思い起こさせる。
 確かに、『それに欲情しなかった』と言ったら嘘になる。
 頭では下劣な行為を不快に思いながら、下半身にたまる熱を持てあました。
 それを指摘されたことの不愉快さもますます己の劣情を煽る結果となり、ルーファウスの思う壺となっていると、わかっている。
 ツォンの思いは複雑だ。
 こういった関係を持つようになってから、ツォンはルーファウスの性癖に何度も戸惑いを覚えさせられた。
 まだ少年の幼さを幾分残したルーファウスは、見た目も美しく愛らしい。
 普通に――普通の恋人同士のように愛し合うだけで十分だとツォンには思われた。
 事実、ツォンが主導するときはそのようにことを進めるのが常だった。
 出来るならば共に食事を取り、ゆっくりとたわいもない会話を楽しみ、ベッドでも恋人の身体をすべて愛したい。
 その美しさも熱さも。

 それはこの『幽閉』という現況の中においても、不可能なことではなかった。
 実際には連れだって本社ビルを出ることも出来たし、タークスメンバーの出払った時を狙ってルーファウスの私室に二人で籠ることも難しくはなかった。
 贅の限りを尽くした環境で育った彼に不自由を感じさせないように、との意図で設えられた私室は十分に快適で、べッドメイクに多少の手間こそあれ、ランドリーなども専用のルートが確保されて常に真新しいリネンが用意されている。
 食事も、あらかじめ注文を出して置きさえすればどんなものも揃った。食器はすべて最高級の陶磁器だ。ルーファウス自身は、水をグラスに注ぐことすらしない。彼にとっては、それはマナー違反なのだ。
 彼の受けた教育は自分たちとはまったく別物であると、タークスの面々は幾度も思い知らされていた。
 「副社長にとって自分で水を注ぐのは、オレ達が電車の運転席に行って運転させろって言うみたいなものなんだぞ、と」とレノは評したが、タークスとして少なからぬ年月を過ごしルーファウスとも付き合いの長かったツォンにとってすら、日常の彼を見ることは神羅の家に生まれ育つということの特殊さを見せつけられることだった。
 だがそれは決して不愉快なものではなく、真の優雅さとか高貴さというものはそういう環境でしか形作られないものなのだと思わされるのが常だった。
 生意気ではすっぱな口を利こうとも、その優美さは少しも損われない。
 それはベッドの中でも同じことで、どんなに淫らな行為をしていても気品がある。
 その美しさに見合うだけの情愛を注ぎたいとツォンは思う。 
 そういった時間を持つことはツォンにとって喜びであり、ルーファウスにとってもそうであると――信じていた。
 
 けれどルーファウスは時折、持てあました感情をぶつけるように行為を求めてくる。
 そんな時はどんな場所でも――彼のデスクの上や、タークスのシャワールーム、まだ隣の部屋に部下達がいる時間の資料室などで――それを拒否することは許されなかった。
 しかもそういう時の彼は出来る限り乱暴に扱われることを望み、ツォンを困惑させた。
 なによりも、そんなルーファウスに対してひどく昂っている己が、ツォン自身許せなかったのだ。
 彼の言うとおり、己は『こういうのが好き』なのだと思い知らされる。
 ルーファウスが貶めようとしているのは、自分自身なのかそれともツォンなのか。
 情緒の欠片もない乱暴な行為の後、冷ややかな眼差しでツォンを突き放して立ち上がり、身繕いをするルーファウスはすべてを拒絶しているように見える。
 そんな時は、結局彼の世界には誰も立ち入ることが出来ないのだと思い知らされるようで心が冷えた。
 神羅カンパニーの後継者であるという立場の抱える闇の深さは、長くタークスとしてカンパニーに仕えてきたツォンでさえも想像するに余りあり、ましてルーファウスの複雑な生い立ちを思うとなおの事だった。

 ツォンは黙ってルーファウスの挙動を見守る。
 こういった行為の後、たいていはそのまま自室へ籠ってしまうのだが、今日は違っていた。
「ツォン」
 瞳の暗い蒼にモニタの灯りが映っている。
 そこからは、ツォンでさえなんの感情も読み取れなかった。
「はい」
 ただ意味のない返事を返すしかない。ルーファウスが何を言うつもりなのか、見当も付かなかった。
「私がおまえとこうなったのは運命だったのだと言ったら、おまえはどう思う?」
「は―――?」
 あまりにも突然の問いかけに、ツォンは絶句した。
 気の利いた答えを返すなど、思いも付かない。
 なによりルーファウスの声はひどく陰鬱で、到底冗談で返すような局面とは思われなかった。
 かといって彼が真っ正直な返答――それはとても嬉しい――などというものを望んでいようとは、これもまた考えられなかったのだ。
 質問の意図が分からない。
 だからツォンはただ黙って続く言葉を待つしかなかった。
 それは予想の範疇だったのだろう、ルーファウスは目を伏せ小さく笑った。
「おまえは正直だな」
 そんなことを言うのは、この少年の他にはヴェルド主任くらいのものだ。
 タークスとして充分すぎるほどの年月を過ごしてきたツォンだ。感情を抑えることも表情を消すことも自在のはずだった。
 だが、ルーファウスの前ではどうしても上手くいかない。
 それは彼との関係のせいもあるが、それよりも支配者としての彼の資質、世界のすべてをその配下に治めるべく生れ育てられた彼の器量故なのだと思う。
 
「面白い話をしようか」
 ルーファウスはツォンのデスクに軽く腰をかけ、積まれた書類を所在なげに捲った。
 
「私の親族がどれだけいるか、知っているか?」

 またしても予想外な問いかけに、すぐには答えが出なかった。

「タークス主任が知らないはずはないだろう? 父と、母方の叔母の他には、誰もいない。もっともその叔母には会ったこともないがな」
 目を伏せて淡々と語る人の真意はどこにあるのか。
 ツォンは訝しむ。
 こうしてみれば、幽閉された当初に比べてずいぶんと大人っぽくなったと思う。
 華奢なことは変わらないが、ふっくらしていた顔のラインは鋭角的になり、幾分長くなった髪が頬を覆って影を作る。
 
 そうだ。
 このディスクに映っているのが、ルーファウスのはずはなかった。
 ルーファウスがパーティの席で強姦同然の性体験を持ったとき、自分はその場に居合わせたのだ。
 そしてその時プレジデントは確かに「初物」と言っていた。
 あの時のルーファウスは、すでにここに映っている少年よりは年嵩だった。
 だがそれはホッとすべきことなのだろうか。

「父の両親…私の祖父母に当たる者たちは、父が幼い頃に死んだという話だ。その点では私はまだ、父がいただけでも恵まれていたというべきかな?」
 あの父親の存在が、ルーファウスにとって幸いであるのかどうかは、判断しかねる問題だ。
 どんな親でもいないよりはまし。
 という考え方もあるだろうが、現実には親に殺される子供もいる。
 すべての親に親の資格があるとはいいがたいのが、実状だ。
「まあ、それはともかく。父は叔父夫婦――私にとっては大叔父に当たるのかな――に育てられた。育てられたと言ってももちろん彼等自身が手をかけて育てたわけじゃない。私の場合と同じようにな」
 出生と同時に母を失ったルーファウスが、使用人達によって育てられたことは知っている。たとえ両親が健在でも、上流の家では良くあることだ。
「ただその叔父は、別の意味では手をかけていたようだが」
 ツォンは息を呑む。
 そう――少し考えれば、当然思い当たることだった。
 目の前の少年によく似た子供。見間違うほどに。
 過去の――
「では、あの映像は…」
「まったく」
 ルーファウスは顔を顰める。
「あれが私の将来かと思うとげっそりするな」
 あれ、と言われたのはビデオの少年ではなくその現在の姿だろう。
「…プレジデント…」
 思わず呟かれたツォンの言葉に、ルーファウスは喉を仰けぞらせて笑った。
「あまりにもマニュアル通りで笑えるだろう? 虐待されて育った者がしばしばその子供を虐待するというのは」
「そんな…」
「幸いなことに私は性的虐待だけは受けなかったが」
 それは幸いだったのだろうか。ルーファウスが受けた暴力は、時として命にも関わる激しいものだった。結果的に死に至ることはなかったものの、何時そういう事態に陥ってもおかしくなかったと、ツォンは思う。
「まあ、たまたま私はあいつの好みに合わなかっただけかもしれないが」
「ルーファウスさま!」
 思わず制止の声を放っていた。たとえどんな親であろうと、その父を貶める言葉は自らをも貶めることになる。ルーファウスが父を嫌うのは無理のないことではあるが、そんな言葉は聞きたくなかった。
「おやじは神羅の血を呪っているんだ。だから私の容姿が気にくわない」
「血を、呪う…?」
 聞き慣れない言葉の響きに途惑う。
「神羅家は、その財と血を護るために血族結婚を繰り返してきた。歴代のタークス主任ならばその事情にも通じているものだったが、おまえはそんな引き継ぎは受けていないだろう?」
「…」
 ツォンがタークスに入ってからこっち、急成長するカンパニーと共にウータイ大戦、反神羅組織アバランチとの攻防と、かつて無かった規模で続く事件に対応するので精一杯、しかもツォンが主任になったきっかけはヴェルドもと主任の突然の失踪で、その後も過去のことなどかまっていられる状態ではなかった。
 だが、敢えて目を背けていなかったかと言われれば否定できない。
 神羅家の事情に踏み込むことはこの父子の事情に踏み込むことに他ならず、それはあまり楽しくない形でこの二人に関わってしまったツォンにすればかなり気まずいものだったのだ。
 それでもツォンは、二人の関係がいつか修復されることを願っていた。万に一つの可能性であっても―――
 だが今ルーファウスが語ろうとしているのは、そんな楽観を許さぬもののように思えた。
「叔父夫婦は、父がカンパニーを、いや、当時は神羅製作所か。ともかく会社を継ぐ直前に死亡した。表向きは事故ということになっているがな」
「事故ではなかったと?」
「さあ、分からん。ヴェルドなら知っているかもしれないが。もっともその頃のタークス主任はヴェルドの前任者だったがな」
 その前任者の名はツォンも知らない。
 神羅家の記録は残っていても、タークスの記録はすべて死亡と共に抹消される。過去のタークスについて残るのは、噂話だけだ。
「その後相次いで僅かに残っていた親族も死亡している。今現在、この世界で神羅の血を引く者は私と父だけだ。私が神羅家の唯一の相続人であるのは、そういうわけだ。母が死んでいる以上、母方の親族に相続権はない。しかも母は外の人間だったからな」
 
 外、という耳馴染みのない言い方が旧家の事情をよく言い表しているように思えた。
 神羅家は15代続いた名家であり、もともとその邸宅はここ本社ビルの敷地にあった。
 ミッドガルシティでももっとも古い家の一つだ。ミッドガルは神羅家と共に発展してきた。
 だが今、ルーファウスの言うようにその血族はルーファウスとプレジデントの二人きりである。
 その理由がこの記録であるとするならば―――
「惜しかったな。あの暗殺が成功していれば、今頃私が世界でただ一人の神羅に…!」
 皆まで言わせず、ツォンはルーファウスの細い身体を抱きしめた。
 息も止まるほど強い力で抱きすくめられ、ルーファウスは身動きできない。
「我々には貴方が必要だ」
 耳元に囁きかける力強い声。
「貴方も、神羅カンパニーも」
 驚きに見開いていた目が閉じられる。ゆっくりと、唇が笑みを形作った。
「ツォン」
 ルーファウスの腕が上がり、ツォンの背を抱く。
「いつか約束したな。私が社長になったならば、おまえは私の部下になるのだと」
「はい。けれど」
 続いた言葉に、ルーファウスは身体を仰けぞらせてツォンを見つめた。
「その約束を違えることをお許し下さい」
「なに…?」
「貴方が社長であろうと無かろうと、私は貴方の部下だ。―――貴方だけの」
 ルーファウスがゆっくりと瞬きする。その長い睫毛がたてるぱさりと軽い音が聞こえそうだと、ツォンは思った。そして見開かれた瞳の蒼は、かつて見たことがないほど鮮やかに澄んでいた。
「その言葉、忘れるな。これからおまえは私のタークス主任だ」

 『私のタークス主任』
 ルーファウスはそう言った。
 総務部に所属し治安維持統括の管轄下にあっても、事実上タークスは社長直属の組織だ。会社と神羅家の内情にもっとも深く関わる部署である。
 社長とタークス主任。
 その関係は単なる上司と部下ではない。
 ツォンは改めてそれを思う。
 名も知らぬ前主任、そしてヴェルドとプレジデントの間にはどんな絆があったのだろうか。
 この後自分はルーファウスを彼等のように支えてゆけるのだろうか。
 今現在、タークスはカンパニーを離反し、副社長を人質に取った形になっている。
 ヴェルド主任とその娘を助け、タークスをカンパニーへ復帰させ、ルーファウスとプレジデントの仲を修復する―――そんな離れ業が、はたして可能なのだろうか。

 未来は暗澹としてそこに道は見えない。

「ツォン?」
 沈黙してしまったツォンを見上げ、ルーファウスが首を傾げる。
 先ほどまでの厳しい表情とは一変してその声は柔らかく、見上げてくる瞳はあどけなくさえある。
 意識的にも無意識にも使い分けられるその顔に、魅せられる。

「貴方をお護りします。我々の、すべてを掛けて」

 沈鬱とさえ言えるツォンの声音に応えて、ルーファウスは軽やかに笑う。

「期待している」
 
 『私の』ではなく『我々の』とツォンは言い切った。
 そのことにルーファウスは満足する。
 社長の座より先にタークスを手に入れたのだ。
 それはどんな名目上の役職より価値がある。
 父はヴェルドを失ったことでタークスを見限った。それは大いに過ちだったと知ることになるだろう。
 そしてツォン―――
 おまえには、その忠誠の見返りに『わたし』を与えよう。
 それは私の身体でも心でもない。
 神羅の裔たる私の未来―――だ。
『私がおまえとこうなった』のは、まごうかたなく『運命』だったのだから。
 

「ツォン。では最初の任務だ」
「は?」
 ルーファウスはツォンの首に腕を回し、その胸に顔を埋める。
「私をベッドへ連れて行け」
 囁いた声は途中から口付けに呑み込まれた。

end