RAIN


 カダージュという名の思念体が自分の目の前に跪き、星痕の刻まれたその手を取ろうとしたとき、ルーファウスは身体を走り抜ける痛みと共にそこに重なる面影を見た。
 銀の髪、碧の瞳。
 射るようなその眼差し。
 だがその嘲笑うかのごとき笑みはルーファウスの知る彼ではない。
 たちのぼる炎に揺らめく髪。
 これは、『彼』ではない。

 彼は、ほとんど笑うことのない男だった。
 ルーファウスですら、その笑顔を見たことは数えるほどしかない。
 それも記憶も薄れるほどの昔の事だ。
 二人が身体の関係を持っていたときでも、ルーファウスに向かって彼が笑いかけることはほとんどなかったのだ。
 彼はひどく生真面目で、沈鬱な性格の持ち主だった。
 彼は、己であること以外の何も求めなかった。何も必要としなかった。
 他人も己をも欺くために演技することをほとんど日常としていたルーファウスとは、全く逆の存在だった。
 その美しさ、その鮮烈さ故にルーファウスは彼を誰よりも愛したのだ。
 そしておそらくは彼の方も、自分とは正反対の位置に立ちながらどこか近しい孤独に彩られたルーファウスに惹かれたのだろう。
 世界にただ一人の英雄と、ただ一つの玉座を約束された世嗣は互いに唯一であることに惹かれ合ったのだ。
 
 彼と同じ銀の髪をもち、碧の瞳をもち、彼の残像を纏い付かせて自分に迫るその子供に、心が動かなかったと言えば嘘になる。
 そこに見た残像のセフィロスよりは、稚気を顕わに迫る子供の方がはるかにルーファウスの知る彼を思い起こさせた。
 かつて、自分も子供であったときは分からなかった。
 あのセフィロスが、焦りや孤独に苛まれることがあろうなどとは。
 だが、今なら分かる。
 あの頃の彼もまた、人としての感情に揺れ動いていたのだと。

 子供の銀の髪が風に揺れる。
 それに触れてみたい、とルーファウスは場違いな願望を抱く。
 きっと、なめらかで冷たいその感触。

 子供に重なるその残像は、ルーファウスにとって自分と彼とを嘲笑うジェノバそのものとしか見えなかった。
 未だに彼との絆を忘れがたい自分。
 そんな愚かしい人の心を嗤う、星の外からやってきた厄災。
 ジェノバの実体は自分の腕の中にあったが、その意志は広く世界に散らばり、この身の裡にさえ存在する。
 だが、そんなものに自分を明け渡してたまるものか。
 たとえこの身がライフストリームに還るとしても、必ずその思惑は挫いてみせる。


 

 


「しゃちょ、怪我はないですか、と」
 ネットを伝ってきたレノが手を差し出しながら言った。
「大丈夫だ」
「びっくりしたんだぞ、と。あんまり無茶すんな」
「打ち合わせ通りだ。問題ない」
 軽口をたたき合いながらレノの手を借りて地上に降りる。
 平静を装ってはいたが、疼くような痛みが腕から這い上ってくる。
 それが発作の始まりだと分かってルーファウスは、倒れまいと脚に力を込める。

 ジェノバの最後のあがきか。
 その望みを挫こうとする私への報復か。
 今さら私一人の命を奪おうと、もう遅い。

 仕掛けた作戦は全て発動した。
 『クラウド』はかつての仲間とともにジェノバを追っている。
 彼を引き込めた時点でこの作戦はほぼ完了していたのだ。
 自分たちの役割はただ、時間を稼ぐことだった。
 だから本当はもう、倒れたっていいのだ、と思う。
 だが作戦の結果を見ずに終わることは不本意だった。

「ルーファウスさま!」
 ツォンの切羽詰まった声が遠くに聞こえる。
 その腕に縋ろうと手を伸ばして――

 ルーファウスが掴んだものは、ツォンの手ではなかった。

 さらり、と指の間をすり抜けていったのは冷たくしなやかな髪の感触だ。

「セフィ、ロス…」
 地に膝をつき、顔を上げて目前の後ろ姿を追う。

「ここまで来たか」
 揺れる銀の髪。
 その冷たい感触を、まだ自分の手は憶えている。
 身体の上に散る髪を掴んで口付けた記憶。

 音の消えた世界に、ただ二人だけ。

「セフィロス、私は」
「言い訳はするな。おまえらしくない」
 振り向かない背が、ルーファウスを拒絶する。
 だが、その声は優しい。
「セフィロス、私はもうあの頃のような子供ではない。だから」
「だから?」
「言うべき時に言うことが必用だと、分かっている」
「何をだ?」
「私は…」
 言わなければと焦る言葉は、思うように口から出てこない。
 代わりにパタパタと手の上に水滴が散る。
 何?
 と思うまもなく頬に触れる手を感じた。
「泣くな…」
 声だけが降ってくる。
 泣いているのは、自分か。
 顔を上げようと思うのに、動けない。

 唐突に音が戻る。
 倒れかけた自分を支えているツォンの腕。
 その暖かさがルーファウスを『世界』へ引き戻す。
「ルーファウス様!」
「だ、いじょうぶ。少し、疲れただけだ」
「ルード、車椅子を!」
「レノ、」
 ツォンの腕に縋って身体を支えながら、背後に控えた男を呼ぶ。
「はいよ、と」
 まだすべきことが残っている。 
「ヘリを使ってルードとハイウェイへ行け。奴らを足止めしろ」
 クラウドがカダージュを追っていったのは見た。
 あと少しの時間稼ぎが必要だろう。
 おそらくはそれで――

 

 
 降り注ぐ雨が頬を濡らす。

 その雫の流れに、星痕が淡れていく。
 きっとこれは彼らの意志だ。
 ライフストリームの流れから、今この地上にある命を見守る者たちの。
 それはルーファウスの前に、セフィロスの形を取って現れた。
 自分は確かにその声を聞いたのだ。

 彼らの意志がこの身体をジェノバの呪いから解き放つというなら、それはきっと自分に今少しこの世界に留まれということなのだろう。
 そして為すべき事を為せと。
 もう『彼』には伝えることの叶わぬ言葉を、言うべき相手に伝えろと。

 その相手は、安堵と不安の表情を浮かべて自分を見ている。

 そうだ。
 おまえはいつもそうやって私を見ていた。
 いつも、私の元に戻ってきた。
 おまえが今、ここにいてくれることがこんなにも嬉しい。
 僅かな命を紡ぐ人の心には余るほどの大きな喜びが、そこに宿ることがあるのだと、この私ですら知ることができる。

 それがきっと、ライフストリームが人の形を生み出す理由なのだ。
 
 だから
 ツォン――

 私はこの地上で、おまえと生きよう。


end


あとがき