あとがき


ツォン「ありがとうございます。ルーファウス様。歯の浮くようなことを言っていただいて」
ルー「たまには飴も必要だしな」
ツォン「雨の間違いでは?」
ルー「駄洒落か?」

というようなことはさておき、
今回はどうしてもちょっと語りたいことが。

この話は、「翼無き者達の行方」と題して初めて書いたものの続編です。
そしてルーファウスがセフィロスと出会う短いシーンは、
クラウドが忘らるる都へ行く途中エアリスに出会うシーンと対になっています。
だから決して顔が見えない。

クラウドたちがエアリスの幻(?)を見たり、その気配を感じたりするのは分かるけれど、エアリスとなんの関わりもなかった者たちがそれを感じるのは変だろう。
エアリスは古代種として確かにホーリー発動の引き金を引いたかもしれないけれど、それ以上の事ができたとは思えない。
エアリスファンの友人も、「なんだかエアリスが便利に使われているようで嫌だ」と言ってたけど、その通りだと思う。
私は女だから、この話を「母性」の話として捉えるのは、ひじょうに不愉快だ。
ジェノバは「母」というには「宇宙アメーバ」っぽ過ぎるし、エアリスは「聖処女」というにはオンナノコ過ぎる。

それよりは、本編に続く、星の命−ライフストリーム−と、宇宙から来た厄災−ジェノバ−の対立の物語と見た方がすっきりするだろう。

だから、クラウドの前に「エアリスの形を取って現れた」のは、ライフストリーム−星の命−そのものなんじゃないだろうか。
その流れの中から、響き合うものが形を取ってその人の前に現れる。
そう考えた方がずっと美しい物語になると、私は思う。

社長がカダージュにセフィロスの影を見るのは、社長とセフィロスの関係がただの社員と副社長というだけではなかったからだろう。
なぜなら、社長とクラウド以外は、そんなものは見ていないからだ。
だったら、社長が「雨」に感じるのは、やはりセフィロスなんじゃないのか。
(ルーパパだったら、笑えるけど)
そこら辺から妄想を発展させていったのが、この話の骨格です。

ツォンルになったのは、そのくらいの救いが、ルー様にも欲しいから。
あれでもウチのルー様はツォンをとっても大事にしているのよ…vv