「本気なのだな? ツォン」 「はい。事態がここまで来てしまっては、秘密裏に動くことはもう不可能かと」 「そうだな…。兵器開発担当が乗りだしてくるとは、治安部門もなめられたものだ」 ツォンは沈黙する。 その治安部門の統轄下にあったからこそ、タークスはこれまでかなり自由な行動が取れていたのだ。 今はカンパニーに追われる者となった前主任ヴェルドは、社長の信任も厚かった。 総務部に属し、治安部門統括下にあったとはいえ、実質タークスは社長の直属だった。 だからこそ副社長であるルーファウスが背任を働いたとき、タークス本部の隠し部屋に幽閉するという進言を社長は受け入れたのであったし、タークスの庇護下でルーファウスはカンパニーに隠れて行動する自由を得ていたのだ。 「どちらにせよ、我々タークスはヴェルド主任を裏切ることは出来ません。主任と主任の意志を護ることは、ひいてはカンパニーを護ることに繋がると、我々は信じています」 「ふふ」 意味ありげなルーファウスの笑いを、ツォンは無視する。 この副社長が、実はカンパニーなどたいして重要だと考えていないということは、わかっている。 この二年半の間、彼の指示に従いながら、ヴェルドがそうしろと言い残していかなかったならばツォン自身は決して承伏できないと思うような命令もしばしばあったのだ。 彼が望むカンパニーの在り方は、おそらく誰も考えたことのないものだ。 神羅の名を持つ彼にとって、カンパニーは自らに等しいもののはずなのに。 微かな苛立ちがツォンの心にさざ波を立てる。 この檻の中にいるのは、ひどく賢く美しく、獰猛な獣だ。 幽閉された当時まだ少年だった彼は18を超えて青年と呼ぶに相応しくなりつつあった。 それだけの時が流れたのだ。 全ての事情が、当時とは違ってしまっている。 「ですから。副社長」 ツォンは笑んでその美しい髪に唇を寄せる。 「私のことはもう、ご心配無用です」 ルーファウスの瞳が僅かに見開かれる。 その内心の動揺を見て取って、ツォンは溜飲が下がる。そして同時に、背筋が泡立つほどの歓喜を感じた。 「なんの話だ」 取り澄ました声だが、言わずもがなの質問はこの方にしては珍しい失態だとツォンは思う。 「もうずいぶんお待ちしました」 耳元に囁くと、ルーファウスは熱い物でも触れたように身を引いた。 「なにを…」 見開かれた目が自分を見上げるのを、ツォンは満足を持って見つめる。 「副社長。8番街の西広場の、モミの木のライトアップ見たことがおありですか」 「は…?」 見開かれていた瞳がうさんくさげに細められる。 思うとおりにこの美しい獣を追いつめるのは、ツォンにとってこの上ない悦びだった。 「例年カンパニーの予算でライトアップされるもので、市民には人気があります」 「それがどうしたのだ」 ツォンの意図がわからず、ルーファウスは聞き返す。 そしてすぐに失敗したと悟った。 そんなことは無視して部屋へ戻ってしまえば良かったのだ。 「今夜は雪です」 ますます離れていく話題に、ルーファウスは切り返す間を奪われる。 戸惑いを含んで揺れる視線に、ツォンは最上の笑みで応えた。 「ぜひ貴方にお見せしたい。ご案内いたしましょう」 雪と夜と貴方と ミッドガルに降る雪は、淡く静かだった。 ルーファウスは、いつかアイシクルで見た雪を思い出す。 吹き付けてきた礫のような雪混じりの風。 だが、魔晄の灯に照らされた雪は、同じ天から降る物であってもどこか擬い物じみていた。 タークス主任とカンパニー副社長は、地味なコートに身を包み傘に隠れ身を寄せ合って周囲の人の目から遁れるように広場の端に立った。 冷たい空気。 ライトアップされた木の眩しさ。 木を取り巻く人々のざわめき。 吐く息の白さ。 肩を抱く腕の暖かさ。 最後にあの部屋の外に出たのはいつのことだったか。 ずいぶんと長い間端末を通してしか触れてこなかった世界の実感が、ようやく甦る。 「ツォン」 ふと、傍らの男の耳に囁こうとしてルーファウスは気づく。 もう、伸び上がらなくともほんの少し上を向くだけで耳元に唇を寄せることが出来る。 それは新鮮な驚きだった。 それほどに長い間、自分はこの男に近づいたことがなかったのだ。 だが男が振り向いてしまって、ルーファウスの小さな発見の喜びは強制的に打ち切られた。 間近に迫ったツォンの顔に視界が覆われる。 唇に暖かいものが触れてきた。 こんな、 ところで。 いや、むしろこんなところだからか。 ルーファウスは混乱を収拾しようと敢えて考えを巡らす。 こうしていれば、普通のカップルに見えるだろう。 そこらにいくらでもいる、ありふれたカップル。 ツォンの腕が背を抱きしめる。 抱え込まれ、口付けが深くなり、ルーファウスはもう考えることを放棄してただその感覚に溺れていく。 とても―― 久しぶりだった。 人に触れるのは。 ツォンに触れるのは、もっと―― いや、こんなふうに触れ合うのは、初めてだ―― 視界の端に燦めく灯りが滲む。 今年のテーマは『あなたへのHAPPINESS』だそうですよ―― 囁かれた声の甘さに、ルーファウスは吐息で応えた。 「おまえが…」 ルーファウスは零れそうになる喘ぎを押し殺して囁く。 「こんなに積極的な男だとは思っていなかった…」 八番街近くのホテル。 神羅系列ではない数少ない高級ホテルの一室だ。 ツォンの掌が服を開き、肌に触れてくる。 そのがさついた指先がルーファウスの胸を這い、敏感な突起を探り当てる。 「貴方は私を買いかぶっておいでだ。私にも欲はあるのです。本当は貴方を見るたび、こうしたいと思っていた」 「そんな…あ、」 強い力でそこを摘み上げられて、身体が引き攣った。 零れた声はとうに欲情に濡れていて。 ルーファウス自身が窮屈そうにボトムの布を押し上げているのをちらりと見て、ツォンは笑む。 「貴方はご自分がどれほど魅力的か、おわかりでない」 「そんな、こと、は、ない…。この、身体が役に立ったことは、いくらでも…あっ」 「他の者のことなど、どうでもいいのです」 強い調子でツォンはルーファウスの言葉をさえぎる。 同時に手を彼の下着の中へすべり込ませ、堅く勃ち上がったものを握り込んだ。 「あ、ぁ、ツォン…」 痛みと快感のどちらを強く感じているのか。ルーファウスは身を捩って甘い悲鳴を上げた。 「私にとって、貴方がどれほど魅力的だったか。この四年の間、触れることも出来なかったこの身体が」 ルーファウスはツォンの腕の中でただ、次第に荒くなる息をこらえている。 その姿は驚く程愛らしく見えた。 タークス本部に幽閉されて二年半。 この方が誰とも性的接触を持っていなかったことはわかっている。 それはおそらく、状況のせいというよりは彼自身が望んだことだったのだ。 セフィロスの喪に服すために―― その時間は必要だった。 だが今日、この方は自分を拒もうとはしなかった。 ヴェルド元主任がニブルヘイムで軍に見つかり、タークスは彼を守るべく動くことを総意で決した。 それは、カンパニーからの完全な離反を意味し、ルーファウスが二重の意味で囚われ人となることも意味していた。 だが事実上、ルーファウスとタークスはずっと協力関係にあり、だから今もこんなふうに外へ連れ出すことが可能だったのだ。 表面上は、何も変わることはない。 けれどツォンにとってこれは、待ち望んだ日だった。 正面からカンパニーに対して反旗を翻した以上、ルーファウスが、プレジデントからツォンを護るために敢えて距離を置く必要は無くなる。 それはようやく、ルーファウスに触れることが可能になるということだった。 「初めて他の男に抱かれた貴方を見たときから、私はずっとこうしたいと思っていたのですよ。ルーファウス様。本当は他の誰にも渡したくなかった」 驚いたように見開かれる瞳に、ツォンは微笑み返す。 今日の彼はまるで別人のように温和しく素直だ。 あんな結果になるのなら、貴方がセフィロスに近づくことも止めるべきだった。 些細な利益のために簡単に身を許す貴方を見て、その相手をこの手で始末したいと思ったことも一度や二度ではない。 素知らぬ顔を装いながら、私がどれほど苦々しく思っていたか貴方はご存じない。 かつて―― 神羅を捨て共に逃げようと言った貴方を、あのとき何故掠っていくことが出来なかったのか。 どんな結果になろうとも、その幸せとなら引き替えられたろうに―― 幾度もそう思い返しては眠れぬ夜を過ごした。 だが、こんなにも無防備な貴方を腕に抱くことが出来た今となれば、その苦痛すら愛おしい。 久しく人肌に触れていなかったルーファウスの身体はひどく敏感で、ツォンを喜ばせた。 下着の中に挿し入れた手に感じるルーファウスの熱は、もう限界に近いのかひくひくと震えている。 閉ざされた金色の睫毛も同じように震えていて、ツォンは募る愛しさを持てあます。 「ツォン…っ、あ、だめだっ…」 服を全部脱がせる余裕もなく、ルーファウスは身体を強張らせると、ツォンの手の中で果てた。 溢れ出た精液がツォンの手を濡らし下着を汚す。 「こんな…」 恥ずかしいのか悔しいのか、ルーファウスの擦れた声はツォンを駆り立てた。 「ルーファウス様…!」 まだ荒い息をついている身体を抱き込み、ベッドへ押し倒す。 そのまま口付けると、ルーファウスは息苦しいのか嫌々をするように首を振って逃れようとする。 それを許さず、ツォンはより深くその口内を貪った。 「ん、んっ…」 押し返してくる腕を押さえ込み、全ての衣服をはぎ取る。 ようやく身体を離して見下ろすと、ルーファウスは喘ぐように胸を上下させ、 「いいかげんにしろ」 と咎めたが、上気した頬と潤んだ瞳がその言葉を裏切っている。 「申し訳ありません」 返す言葉の意味が那辺にあるのか、ツォン自身にもすでに把握できない。 顕わになった首筋から胸へ、そのもっと下へと唇を滑らせながら、ツォンは自身の服も脱ぐ。 果てたばかりのルーファウスのそれはまだ十分な堅さを持って屹立していたが、ツォンの舌が触れるとぴくりと震え、同時に上方で声が上がった。 ゆっくりと舐め上げるたびにルーファウスは身体を竦ませ、小さく声を上げる。 ツォンはそれを楽しみながら濡れた指を脚の間に忍ばせた。 そっと奥に触れると、ひときわ大きく身体が震えた。 ルーファウスがそこに男を受け入れるのは初めてではない。 いや、十分すぎるほどの経験が、そのことのへの期待を彼にもたらしているはずだ。 それでも、数年間開かれていなかったその部分は固く閉じてツォンの指さえ拒む。 ツォンはゆっくりとその周辺を指で撫で回す。 指先に感じる小さな襞とその中心にあるくぼみの感触が、ツォンの欲望を痛いほど怒張させた。 それでもツォンは急がない。 今までどれだけこの時を待ったことか。 その時間を思えば、急ぐことには意味がない。 否。 むしろ少しでもゆっくりと、この濃密な時間を感じたいのだ。 ツォンはルーファウスの脚を抱え上げ、その秘められた部分を灯りの下に曝す。 「よせ、ツォン…」 か弱い抵抗は難なく封ぜられ、ルーファウスは身体の奥を覗かれる羞恥に思わず腕で目を覆った。 ツォンの舌がそこに触れ、舐め回す。 くぼみをつつき、押し入ってくる感触に、息がつまる。 「ツォン…!」 ツォンの髪に指を絡め、そこから引きはがそうとルーファウスは虚しい努力をする。 「…恥ずかしいのですか?」 ツォンの声が足元から聞こえる。 「ばっ…、あたりまえだろうっ! 私をなんだと思っているのだ」 上体を起こすと、脚の間のツォンと目が合った。 頬が熱くなる。 「失礼を…。少しばかり意外で」 「何が意外だ…あっ」 ツォンの指が濡れたその部分に押し込まれ、内側を抉った。 そこから身体を突き抜けた感覚にルーファウスはたじろぐ。 「はっ、あ、ぁぁあっ」 思いも寄らぬほど喬い声が上がり、それに自分が煽られたことにルーファウスは驚く。 久しく他人の熱を感じていなかった肌は、これから起こることへの期待で必要以上に過敏になっている。 拓かれることなど慣れていたはずのその部分も、ツォンの指ですらきつい。 これであの――先ほどちらりと目にしたツォンのそれを思い返す――大きさを迎え入れることが出来るのだろうか。 小さな不安は、だがよりルーファウスを昂らせる。 「ツォン」 ツォンの腕に爪を立てて縋り、ルーファウスは不安と期待に揺れる心を押し隠そうとする。 今さら処女のふりなど、滑稽なだけだ。 自分が多くの男たちと関係を持っていたことを、ツォンは知っている。 実際には『ふり』をするつもりなどさらさら無いのだが、あまりにも久しぶりのその感触に途惑う身体がルーファウスの思う通りにはならない。 すれっからしの娼婦のように、脚を開いて誘うことの方が自分には相応しいと思う。 けれどツォンに対してそんなことをするのは、プライドが邪魔をした。 自分の一番大切な部下だ。 ずっと、誰よりも大事にしてきた。 そんな相手だった。 素のままで欲望を抱くことも利益のためと割り切ることもできず、ルーファウスは困惑する。 触れられるのは嫌ではない。 ツォンが望むのなら、身体を繋げることも拒否するつもりはない。 そうならとっくに振り切って逃げ帰っている。 むしろツォンに望まれることは嬉しかった。 すでに身体は十分以上の期待で応えている。 けれど心は追いついていかない。 そんなどっちつかずの姿をツォンに曝すのも嫌だった。 まさかその不安定さがツォンを喜ばせているとは、ルーファウスには思いもよらない。 必要以上に聡く、知識も経験も豊富ではあったが、それでもルーファウスはまだ18才の若者だ。 「仕事」の上では有能な部下として扱うことに慣れきっている。 ツォンもまた、ルーファウスを信頼するにたる上司として認めてくれていると思う。 だからルーファウスは、命令される立場を離れたときのツォンがどういう男なのかを知っていたわけではないのだ――と、それにようやく気づいた。 初めて見るツォンは、知らない男だった。 「、っく」 身体の奥を探られて、殺しきれなかった声が零れる。 「いいのですよ、もっと声を出されても」 「うるさい、あっ」 思わず出た言葉は、単なる反射だ。しかもその後にひどく甘ったるい喘ぎ声が続いてしまった。 ツォンが喉の奥で笑った。 「ばか、笑うな」 「申し訳ありません」 言葉遣いはいつもの通りだが、射るような視線もルーファウスの身体を押さえつける腕の力も、常のツォンのものではない。 固い胼胝のある掌が身体を這い回る。 焦らされるように指で身体を拡げられ、一度イッたにも関らずまた解放を待ちこがれている部分を時折やんわりと扱かれる。 だが自分ばかり追い上げられている状況に不満を持つ余裕もない。 初めて感じるツォンは、ルーファウスの思っていた以上に大人で、男だった。 開いた脚の間に身体を割り入れて、抱えたルーファウスの内股に舌を這わせる。 律儀に反応する様が愛らしく、目の前に曝されたその欲望は男の手を待って震えている。 ツォンはゆっくりと身体を進め、小さく呻きながらその侵入に耐える愛しい人の様子を見守る。 息を吐き、不必要に強張る身体の力を抜こうとする姿はいじらしい。 かつての経験が無意識にそうさせるのだろう。 だが声を上げることの方はまだ抵抗があるようだった。 「ルーファウスさま、どうぞ声を…お聞かせ下さい」 「つまらない、ことを、言うな」 「貴方の全てを感じさせてください。これだけお待ちしたのだから」 「なにを…言って、あぁ」 ツォンは力を込め、一気に全てをルーファウスの中へ収めた。 「う、はっ、ぁ、私が、おまえを待たせたわけ、ではない。おまえが勝手に、あっ」 「苦しいですか?」 「平気、だ、このくらい…」 言いながらルーファウスは、ツォンの身体を押し返したいとでもいうように腕を突っ張る。 それもまた無意識の行動なのだろう。 この年若い主人の余裕の無さが、ますますツォンの欲を煽る。 それでも焦りをこらえてゆっくり動き出すと、ルーファウスは喉を仰けぞらせて喘いだ。 おそらくは快感のためではなく苦痛のためだろうとツォンは思う。 だが、いまさらここで止めるわけにはいかない。 今は少しでも早く慣れていただくしかないのだ。 ルーファウスの中を探るように己のものを動かし、抜き差しを繰り返す。 押さえた呻きがやがて小さな悲鳴に変わって、主人の変化を明確に伝えてくる。 「気持ちいいですか? ルーファウスさま」 「…」 無視する方向で心を決めたのか、返事がない。 「良いとおっしゃってください」 囁きかけながら、ルーファウスのそれを掌で包む。 「あっ、ん…、う、るさいっ」 髪を乱して首を振りながら、ルーファウスは絶え入るような声で答える。 「ごちゃごちゃ言うなっ」 内容と声音がかみ合っていない。 いくら悪態を吐いてもその声ではそそるだけですよ、ルーファウスさま―― これはさすがに心の中で言い訳して、ツォンはようやく本気で動き始めた。 喘ぎの間に絶え間なくこぼれ落ちる声。 汗ばんだつややかな金髪を乱し、引きつるように仰けぞらされる身体。 ツォンの手の中で解放を待ちこがれる彼自身。 ツォンを包み込むその中の熱。 これを見、聞き、感じることを、どれほど待ち焦がれたろうか。 「ルーファウスさま…」 浮かされたようにその名を呼び続けながら、ツォンは彼を追い上げ、同時に自分もその頂点目指して駆け上がった。 「はぁ…」 ツォンがゆっくり抜け出しその身体の上から退くと、ルーファウスは息をついて目を閉じた。 汗と彼自身の体液とで汚れきった身体を何とかしなくてはとツォンは思うが、力なく手脚を投げ出し、動く気配もない。 「お疲れになりましたか」 「ん…」 ようやく腕を上げて、目の辺りをごしごしこすった。そんな仕草が、妙に可愛らしい。 「そうでもないが…おまえ」 「はい?」 すいこまれそうに蒼い瞳が開き、じっとツォンを見つめる。 ツォンは今更ながら、鼓動が早くなるのを感じた。 本当にこの方と身体を重ねたのだと、ようやく胸に迫って実感したのだ。 しかし―― 「…うるさい。気が散るから最中は静かにしろ」 ためらいも恥じらいもなく口にされた言葉は、ツォンをフリーズさせるに十分な威力だった。 そしてルーファウスの汗まみれの髪を梳こうと、その額に腕を伸ばしかけたまま固まってしまったツォンを無視してルーファウスは、うん、と伸びをして反動を付け、ベッドを飛び降りるとすたすたと一人でバスルームへ歩き去った。 がっくりとシーツに腕をつき、頭の中でエコーするルーファウスの言葉を聞いているツォンにバスルームから顔を出したルーファウスが声をかける。 「おい、ツォン、これはどうやって湯を出すのだ」 「は、ただいま…」 そうか。この方は自室のシャワー以外使ったことがないのだった。 項垂れたままツォンはバスルームへ向かう。 「洗って差し上げましょうか」 気を取り直してかけた言葉はだが、 「いらん」 の一言で却下された。 おかしい―― さっきまでは確かに自分がリードを取っており、この方は文句なく愛らしかったはずなのに。 ツォンの心の嘆きには頓着せず、ルーファウスは一人でさっさとシャワーを浴び、部屋へ戻ってしまった。 そして髪を無雑作にがしがしと拭きながら、ツォンに呼びかける。 「本社へ戻るぞ、ツォン」 「は…」 情けない声になったのは、ツォンの心づもりでは今夜はこのホテルでゆっくり一夜を明かす予定だったからだ。 「おまえも、いつまでも本部を留守にはしておれまい」 いえ、今夜はちゃんと退勤記録も残してきましたし、貴方の部屋の監視も切ってきました。 とツォンは言いたかったが、てきぱきと着替えているルーファウスを前にそれは発せられることなく心の奥へ沈み込んでいった。 「なあツォン、腹が減らないか」 後部座席から声がかかる。 「はあ」 私は胸がいっぱいですよ、ルーファウス様。いろんな意味で。 「私は減ったぞ。ちょっとそこの店へ入れ」 「は?」 「そのファストフードだ」 有無をいわさぬ命令口調は、いつものことながら支配力がある。 ツォンは考えるより先にハンドルを切っていた。 「一度、こういうものを食べてみたかったんだ」 ルーファウスは楽しげに笑ってハンバーガーにかぶりつく。 「言ってくだされば、いつでもお持ちしましたのに」 「ここで食べねば意味がないだろう」 そうか―― 例えばあの天井にある防犯カメラ――あれの捉える映像も、この方はあの部屋の中にいて観ることが出来るのだ。 だからこういった市井の様子も、データとしては全てご存じなのだろう。 だが、食べ物の味まではわかりようもない。 ツォンはさりげなく辺りに気を配りながら、そんなことに思いを巡らす。 幸いこの時間、店の中に他の客はなかった。 「そんなに心配せずとも、私の顔など誰も覚えてはいない」 呆れたように肩を竦める仕草もこの方がやると優雅で上品だ。 確かに、この方がまだ幼かった頃こそ、プレジデントはしばしば彼を伴ってマスコミに登場していた。 子煩悩な父親。母を亡くした幼い子供。 しかもその子供は人形のように愛らしい。 そういった演出は、いかにもプレジデントが好みそうなものだった。 だが、この方を副社長職に就けた辺りから、プレジデントは彼の姿を表に出すことをぱったりと止めた。 式典への出席など欠かせない場でも常にプレジデントの後に控え、決してアップで画面に映ることはない。 それも長期出張という名目で地方へ追いやられてからは全くと言っていいほど無くなっていた。 世間に残るルーファウス・神羅のイメージは、プレジデントによく似た金色の髪で白い服の少年という程度のものだったろう。 そのルーファウスは、なぜかひどく不器用にハンバーガーと格闘している。 「あっ」 ピクルスがバンズの間から飛び出してテーブルに落ち、そのまま床に転がっていく。 慌てて手を伸ばそうとしたルーファウスはすぐそれを諦めたが、その間にトマトの汁とケチャップが滴り落ちて袖を汚した。 ルーファウスは舌打ちして残ったバーガーを腹立たしげにトレイに投げ出す。 「食べにくい!」 ツォンは思わず吹き出した。 白いジャケットの衿にも赤い染みが出来ている。 いつもの優美なマナーからはほど遠い。 「こういうものを食べるにもコツがあるんですよ」 言いながら、ツォンは手を伸ばしてルーファウスの頬に付いたケチャップをすくい取る。 それを自分の口に運び、指を舐めた。 「…」 目を丸くしてその様子を見つめていたルーファウスは、2、3度目をしばたたくと頬を染めて視線を外らした。 「そんなマナーがあるものか」 囁かれた声はひどく甘く擦れていて、ツォンを驚かせた。 考えてみればこの方は今までセックスの経験はあっても、こんなふうに普通の恋人同士のようなふれあいをする機会はなかったのだろう。 自分が初めてかと思うと、素直に嬉しかった。 「少し、外を歩きましようか。雪景色の街も悪くありませんよ」 ルーファウスは視線を戻すと、頬を染めたまま小さく頷いた。 天にも昇る心地だったり、地べたに突き落とされたりと忙しい気分の夜だった―― だが思いがけない場面で今日一番可愛らしい表情を見たと、ツォンは心の中でおおいに満足したのだった。 end |