その村は、長い間漁業と僅かばかりの畑作で生計を立てている寒村だった。 15年ほど前に、その頃破竹の勢いで業績を伸ばしていた神羅カンパニーという企業が、村のはずれに支社を出した。 村はウータイと海を挟んで対峙しており、当時激しくなりつつあった戦争に備えるためということだったのだろう。 だが、実際にはこの村で戦闘が行われることもなく、そのための基地となることもなかった。 戦争が下火になってからは支社の規模も縮小され、村は再び閑散とした平和を甘受する状態に戻っていた。 そして今度もまた、突然といえる訪れだった。 村はずれの古い支社は取り壊され、まるでミッドガルの真ん中にあるような最新のビルが、あっという間に建設された。 のんびりとした森と海辺に隣接した小さな村には、あまりにも不釣り合いな巨大ビルだった。 それは、ミッドガルを見慣れた者にとってはさして大きなビルではなかったが、この地方に住む者たちにはおとぎ話の精霊の城のように思われた。 光り輝くガラスと金属で覆われたその外壁は偉容を以って辺りを睥睨していた。 高さは30階ほど。 下層部には店舗やレストラン、シアターなども入り、やがてちょっとした名所となった。 上層階には神羅カンパニーの支社があり、その最上階にはカンパニーでも相当に地位の高い人物が赴任してきたらしいと噂されていたが、村人でその人物を見たものは誰もいなかった。 カンパニーの幹部は、ビル屋上のヘリポートから出入りしており地上に降りてくることもなかったからだ。 魔晄という神秘のエネルギーを開拓して人々の生活を劇的に変化させた神羅カンパニーは、生活の基盤を支える必要不可欠な組織でありながら、常にどこか暗い噂を纏い付かせた畏怖の対象でもあった。 人々はカンパニーに憧れつつ、畏れ、嫌悪した。 ガラスの塔に住む謎のカンパニー幹部は、村人たちにとってまさにお伽話の城に住む魔族の王に他ならなかった。 Call Me 少年の家は、村でも最も貧しいうちの一軒だった。 母親は早くに死に、父親は飲んだくれだった。 昔は腕のいい漁師だったというが、怪我で脚を悪くしてからは、一日飲んだくれて過ごしていた。 酒が切れると少年を殴り、その昔怪我の原因を造ったという神羅を罵って怒鳴り散らした。 少年は浜で半端仕事を手伝い、わずかの漁の分け前を得て暮らしを支えていた。 その夜も、荒れる父親から逃れるように、少年は浜へ出た。 夜の浜に現れるカニを採ったり、たまに打ち上げられている難破船の残骸をあさったりするのは少年の日課だった。 とぼとぼと浜を歩きながら、満月の照らす海を見る。 海は凪いで波音も静かだ。 こんな夜は精霊が海辺を歩くと言って、村人は家から出ない。 精霊の姿を見た者はその国へ連れ去られ、生きて帰ることはないと言われていたからだ。 少年の脚が、止まる。 見開かれた瞳が見つめる先には、波間に見え隠れする見慣れぬものがあった。 それはどう見ても人の半身のように思えたが、その頭部はきらきらと夜目にも鮮やかな金色に輝いている。 ぞっと総毛立つ。 あれが精霊だろうか。 この辺りの村人は皆、暗い色の髪をしている。 世の中にはああいった金色の髪の人間もいることは知っていたが、それよりは精霊だと思う方が自然だった。 こんな夜に海に入る者がいるわけがない。 その人影は少年の見る前で波間に沈んだ。 と思うと、白い手が波から浮かび出て、水面を叩く。 それは、どう見ても溺れる人の仕草だった。 少年は慌てて海にはいる。 あの辺りは穏やかそうに見えて意外と流れが速いのだ。 沖へ流されたら、助からない。 精霊かもしれないという気持ちは、消えていた。 いや、精霊でもいいと思ったのかもしれない。 少年は波を切って泳ぎ、まもなくその人物のところまで辿り着いた。 「暴れないで!」 強い語調で叫ぶと、その人は温和しくなった。 頸を抱えるようにして上手く流れに乗り、浜へ向かう。 脚の立つところまで戻ると自分で立ってくれたのは助かった。 そうしてみるとその人物は少年より頭ひとつ分は背が高かったからだ。 「ありがとう…助かった」 息を切らしながら浜に転がった人を見下ろせば、輝いて見えたとおりの金色の髪、都会の人間が着るような白いきれいな服を着て、びっくりするほど青い眼をしていた。 「あんた、人間か?」 どう見ても精霊とは思えなかったが、一応聞いておこうと思った。 「人間だが? モンスターにでも見えるか?」 もんすたーというものが、あちこちに出るのだということは聞いたことがあったが、あいにく少年はその実物を見たことがない。 この辺りは至極平和な場所だったのだ。 「人ならいいんだ。なんであんなところで溺れてたんだ」 「私は、泳げないんだ」 「はあ? 泳げない奴が、夜海へはいるなんてどうかしてるぞ」 「そうだな。どうかしていたんだろう」 ひどく冥い目をしてその人は海を見つめた。 波の音だけが響く浜で、その人は黙って海を見つめていた。 そして少年は、そのきれいな横顔に見とれていた。 明らかに、少年とは住む世界の違う人種だった。 びしょ濡れではあったが、高価そうな服。 年は少年よりは上だったろうが、まだ大人というには若すぎる。けれど村の若者であったなら、もう だがその白いきれいな手は、水仕事も畑仕事もしたことがないのだろうと思われた。 そんな若者がいることすら、少年の常識からはかけ離れていた。 村一番の金持ちの、網元の若旦那だって船仕事くらいはする。 そうか。 少年はようやく思い当たる。 この人はきっと、あの大きなビルの中の人だ。 神羅の名前は父親の愚痴の中でしか聞かないものだったが、村人がビルの完成祝いに呼ばれてその中を見たときの話は聞きかじっていた。 それはもう、本当にお伽話の城のように明るく美しかったと、皆口をそろえて言っていた。 その時配られたギルの入ったおみやげにも村人はほくほくだったのだが、少年の家はその恩恵にも浴していなかった。 父親はますます神羅を憎み呪ったけれど、少年にとってはそのビルはただ遠くから眺めるきれいなもの、というだけだったのだ。 そのガラスの塔に住む人が今目の前にいるのは、不思議な感じだった。 しかもこんな夜に海で溺れているなんて、都会の人間の考えることは分からない。 「あんた、神羅の人か?」 その人は顔を上げ、青い眼で少年を見つめた。 その青があんまり透き通っていて、少年は胸の鼓動が早くなるのを感じた。 分かっていても、人間じゃないみたいだ。 「そうだ」 「あのビルに住んでんのか」 「…ああ」 やはりそうだったのか。と思う。 神羅の人間ならば、村の金持ちなんかとは桁違いに金持ちなんだろう、ということくらいは分かる。 「そんな人がなんで今頃海に入ってるんだ」 「綺麗だったから」 簡潔な答えだった。 確かに満月の凪の海はきれいだ。 だから精霊が誘うと言って、村人はその夜に浜を歩くことを戒めるのだ。 「こんな夜に浜を歩いてると、精霊に連れてかれるぞ」 「セイレイ?」 「海の魔物だ。人を騙して海の底へ連れ込むっていう」 「そうか…」 その人はもう一度海を見つめる。 「じゃあ、あれもそのセイレイだったのかもしれないな」 ぽつりと呟かれた言葉に、少年は目を瞠った。 「精霊を見たのか?」 「分からない…。遠くから私を呼んでいた」 「どんな格好だった?」 「長い、銀色の髪で、私のよく知っていた人に似ていた」 「その人は死んだのか?」 「ああ…」 「じゃあきっとそうだ。精霊はよく死んだ人に化けるって聞いたことがある」 「一緒に、行きたかったんだ」 海を見つめたままの人の眼から、涙がこぼれ落ちた。 「大切な人だったんだな」 「…ああ」 「おれも、かあちゃんを見たことある。波の向こうから呼んでた。もうずっと前のことだけど」 「そうか」 「満月の夜に浜へ出るのは、やめた方がいい」 「ああ…そうするよ」 その人は立ち上がり、濡れた髪をかき上げると少年を見て薄く微笑った。 そしてそのまま、森の向こうに輝いているビルの灯りの方へ歩いていった。 翌日、少年の家に神羅カンパニーからの使いがやってきた。 父親は怒り狂って追い出そうとしたが、使いの差し出した手みやげを見てころりと態度を変え、這いつくばりそうな勢いでお辞儀を繰り返した。 使いは、「副社長からのお礼だ」と言って、見たこともないような金額のギルと豪華な菓子を置いていった。 副社長といったら、神羅カンパニーでも2番目に偉い人なのだと、その使いの人は少年に話した。 どうしておまえのような子供が副社長と知り合いになったのか、と聞かれたけれど、分からないとだけ答えた。 あの浜辺で泣いていた人が、そんな偉い人だったとは思いも寄らなかった。 だからその話は使いの人にもしたくなかった。 きっとあの人もそれを望んではいないだろうと、そんなふうに思ったのだ。 ――あれは、二人だけの秘密だ。 それきり、その人に会うことはなかった。 そしてずいぶん時が経った後、その人が神羅カンパニーの社長になったのだと、テレビのニュースで知った。 覚えているよりはずっと大人っぽくなって厳しい顔をしていたけれど、それは確かにその人だった。 けれどそれからいくらも経たないうちに、メテオというものが空から墜ちてきてミッドガルが押しつぶされ、社長は死んで神羅カンパニーも無くなったそうだという噂が伝わってきた。 少年は――もう少年という年令ではなく立派な漁師になっていたが――あの人は一緒に行きたかったと言っていた長い銀色の髪の人に会えたのだろうか、と満月の海を見るたびに思うのだった。 end 長期出張という名の地方勤務に出されているルー様は、きっとそのために建てられたビルに半幽閉状態で住んでると思う。 |