ヴェルド



「やっとおまえが来たか」
 そう言ってルーファウスはPCの電源を落とし、今まで見ていたモニタを閉じた。
「待ちくたびれたぞ」
 立ち上がり、広いデスクを回り込んでドアの前に立ったままのヴェルドに対峙する。

 63階にある空室の一つだ。
 以前はおそらく重役の一人の部屋であったらしい。
 その彼――だか彼女だかの趣味だったのだろう、全体に淡い色合いで統一されたインテリアは上品で、珍しく床には分厚いラグが敷かれている。

 その重役が誰だったのか、どうしたのか、ルーファウスは知らない。
 辞めたのか、死んだのか。
 ルーファウスが神羅に入ったとき、その人物はもういなかった。
 ヴェルドはきっと知っているのだろうが、問うても答えることはないだろう。

「来い」
 デスクに凭れ、腕を差し伸べて招く。

「下らない遊びはいいかげんになさったらどうです」
「おまえが新人ばかり寄越すのが悪い。私だってカードゲームがしたくてタークスを呼んでいるわけではないぞ」
「その新人の少ない給料を3ヶ月分も巻き上げられたのはどなたですか」
「あの赤毛のつんつん頭か。あれは私を本気にさせたのが間違いだ。初めて見るカードだったから、つい夢中になったんだ」
「まったく、貴方という方は」
「カードゲームならばおまえ相手でも負けないぞ」
「そのくらい分かっております。貴方の計算能力、記憶力、そしてその強運に勝てるものはおりません」
「それは褒められているのかな?」
「当然です。神羅の後継者たるもの、そうでなくてはなりません」
「おまえにとって私は、あくまでおやじの後釜でしかないのか?」
「それより重要な事項はないと存じますが?」
 まっすぐ自分を見つめていたルーファウスの視線が、一瞬宙を彷徨うのにヴェルドは気付いた。
 だがその意味するところは分からない。
 ヴェルドにとってすら、この少年はミステリアスだ。

「まあ、それでもいい」
 目を伏せて、ルーファウスは呟くように言った。
 その唇が、かすかに自嘲するような嗤いに色彩られている。
 ヴェルドは、いささか大人げなかったかと思う。
 決してこの少年を嫌っているわけではないが、向かい合うとどうしてもきつい言葉になりがちだ。

「今度こそ、私を楽しませてもらえるんだろうな」
 上げられた顔には、曇り無い微笑みが浮かべられている。
 演技であるにせよ、その笑顔は文句なしに魅惑的だった。

「それがお望みならば」
 ヴェルドは一歩を踏み出し、少年の腰に手をかけた。

 そのまま抱き寄せて唇を合わせる。
 僅かに、ヴェルドでなければおそらく気付かないくらいほんのわずか、少年の身体が強張った。
 もう少し強く抱き寄せて口づけを深くすると、その身体からは力が抜け、ゆっくりと上がった腕がヴェルドの背に廻された。
 片手で少年の上衣のボタンをはずし、そのまま手をシャツの上に滑らせる。
 薄いドレスシャツの下に、下着は着ていないらしい。暖かく張りのある肌の感触が、シャツの上からでもありありと感じられた。
 男の硬い指先がシャツの上から小さな乳首を探り当てると、少年は身体を竦ませた。
 逃れようとするように身体をよじる。ほんのわずか。
 おそらくは自分でも自覚していない動きなのだろう。
 口づけに応えるルーファウスは、それに夢中に見える。
 ヴェルドは身体を離し、少年をデスクの上に座らせてシャツの前をはだけていく。
 その指先が肌をかすめるたび、ルーファウスはぴくりと身体を引き攣らせた。

「今まであなたに付き合わされた者たちには、誰にも最後までお許しにならなかったようですな」
 はだけたシャツの間から、白い胸と桜色の乳首が覗く。
 女のように豊かな膨らみがあるわけではないが、まだ少年の柔らかさを残したその身体は、十分に魅力的だ。
 声をかけられた社員達が抗し得なかったのも無理はない。
 だがその誰もが、ルーファウスの欲望の処理に従事させられただけだということは分かっている。

「最後? 最後とはなんのことだ?」
 ルーファウスはあっけらかんと問い返して首をかしげる。
 せっかく遠回しに控えめな言い方をしたのに、意味がなかったらしい。

 この子供は、ある意味天才ではあるが文学的素養については皆無に等しいようだ。
 あの父親の教育方針ならば、息子に情感豊かな人間性などというものは求めるはずもなかったであろうし、この歳で曲がりなりにも神羅の副社長職が務まるからには、そのために犠牲にされたものは山ほどあるだろう。

 ヴェルドは心の中で溜め息を落とし、
「アナルセックスのことです」
 と疑問の余地のない言葉を口にした。
「ああ。そういう意味か」
 問いの内容よりも問いかけ自体に疑問を持たれているようでは、さっぱり話が進まない。
 そしてようやく質問の内容を理解したルーファウスは、答えを返してきた。
「だからどうした」
 誤魔化そうというような気配は欠片もない、坦々とした声だ。
 だが、今目の前にある身体がそれを裏切っている。
「いいえ」
 ヴェルドは言葉を濁す。
 どちらが本当なのか。

「なんだ。言いたいことがあるなら言え」
 その迷いを捉え、ルーファウスは食い下がってきた。

「お嫌なら、何もこんな事までしなくともよいでしよう」
 この子を追いつめることはない。逃げ道を用意してやることも必要だろう。
「誰が嫌だと言った」
「強がりですか?」
「はあ?」
 心底呆れたというような表情で、ルーファウスはヴェルドを見上げて眉間に皺を寄せる。
「なぜそんなことをする必要がある?」
「わかりませんか」
 この質問はルーファウスを混乱させるだけだったか、とヴェルドは思う。
 犠牲にされたものは文学的素養だけではなさそうだ。

「貴方は理解しておられぬようだが、」
 手を伸ばし、薄いシャツ一枚になった身体に触れる。
 びくりとルーファウスの肩が引かれる。
「貴方の身体は触れられることを怖がっている」
「そんな…、…ことはない」
 言われて初めて気づいたことに衝撃を受けたのか少年は俯き、小さな声で否定の言葉を綴った。

「貴方のせいではない」
 掌を頬に滑らせ、顔を上げさせる。
「貴方は酷い体験をなさった。身体がそれを拒むのは当然です」
「そんなことっ」
 ヴェルドの手を振り払って、ルーファウスは語気も荒く立ち上がる。
「関係ない!」
 だがすぐに、激昂したことを不覚と思ったように再びゆっくりとデスクに凭れ、感情のこもらない声でヴェルドに聞き返した。

「ツォンが報告したのか?」
「彼が言わずとも、我々には多くの情報ルートがありますのでね」
「ふん。何から何まで筒抜けというわけだ」
 上目遣いにタークス主任を見上げ、かすかに唇の端を吊り上げる。
「ご苦労なことだな」
 一瞬で、崩れかけた態勢を立て直して見せた技量には感心させられる。
 たかが15の子供と侮るわけにはいかない。
 この方は神羅の跡取りとして生まれ、そのために育てられたのだ。
 この世界の全てのものを――自分自身さえも――支配することを使命として。
 幾度もそう思わされているのに、その作り物めいた容姿と不釣り合いなほどにまっすぐな視線に、また瞞されそうになる。
「ならば、時には報告を受けるだけでなく実際に確かめてみるといい。それに」
 言葉を切ってルーファウスは喉の奥で笑い声をたてる。

「おまえはおやじが嫌いだろう?」

 今度こそ、ヴェルドは黙り込む。
 ルーファウスは、人の感情の機微に聡いタイプではない。
 だとしたらこの発言は、なんらかのデータ的根拠があって出てきたものだ。
 この子が握っているその札には何が書かれている?

「そう警戒するな」
 くすくすと、笑い声がもれる。揺れる、金色の髪。
 その意地の悪そうな嗤いすら、魅力的だ。
「おまえと私が楽しんだということを知れば、おやじは相当むかつくだろうな」
 さっきまでのいささか頼りなげな気配は綺麗さっぱり消え失せ、うきうきと楽しげな響きがその声を色彩っている。
「そう、確かに」
 デスクから離れ、腕を伸ばして
「あの体験は最低だった。直後は死ぬかと思うほど気分が悪かったしな」
 ヴェルドの腰に手を回して下半身を擦りつけ、顔を仰け反らせて見上げる。
「ドラッグは嫌いだ。そんなもの無しでも、気持ちよくなれるんだろう?おまえには特別に『最後まで』許してやるぞ」
 細められた眸は青色の深さを増し、仰のいた頤に続く喉は完璧なアーチを描いて白い。

「時間が惜しい。腹の探り合いはまたにして、やることをやらないか?」
 紡がれる言葉は甘くも色っぽくもないが、男を決断させるには充分だった。
「よろしいでしょう。そこまで言われるならば」
「あのおやじがなにより執着しているものを、あいつに無断で好きなようにすると思えば、興奮しないか?」
「つまらないことを」
「そうか? 私は楽しくてしょうがないぞ」
 声を立てて笑い、少年はもう一度男に口づけした。

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