Will be KIng 「捜したんだぞ、と」 古い家の門柱に凭れていた男は、戻ってきたその家の主を見るとそう言ってため息をついた。 相変わらずだらしなく着崩した黒いスーツが、心なしか草臥れている。 「なぜだ、レノ。私はもうおまえたちとは縁のない者だ」 「何言ってんだ、ツォンさん! 勝手にいなくなりやがって、オレたちの都合なんか全部無視だろ!」 「おまえたちに進退伺いをする必要はないと思うが? ここへ来たのは社長のご意志か?」 「…そうじゃないぞ…と、けど」 「ふっ」 紙袋いっぱいの食材を抱えたツォンは、低く笑った。 「何が可笑しいんだよ!」 「いや、社長の命令でないなら幸いだ、と思っただけだ」 首を傾げるレノに、ツォンは続ける。 「おまえが社長命令でここへ来たなら、即ち抹殺指令ということだろうからな」 「!」 レノは眼を見開き、言葉を失った。 「タークスに退職はない。タークスを抜けるのは死を意味すると、その鉄則を忘れたわけではあるまい」 「それは…、でも、前とは事情が違うだろ、と。今はもうそんな規則なんか」 「どこが違う。何が変わった? あの方が神羅社長でありタークスが存続する限り、何も変わりはしない」 ツォンのきっぱりとした言葉に、レノは押し黙った。 「私は今もタークスだ。それは社長もご存知だ。だからあの方は私を追えとは言われない。そうだろう、レノ?」 「なんか納得できないんだぞっと。タークスだって言うなら、戻ってきてくれよ」 「この脚のせいでつまらぬ失敗を犯した。そんな失態を繰り返すわけにはいかない」 「たいした失敗じゃなかったじゃないかよ、と。社長に怪我もなかったんだし」 「それでも、だ。レノ。私は主任として、そのような失敗を犯すタークスを社長の側に置いておくわけには行かない」 「ややこしいぞ、と」 「もっと簡単に言って欲しいのか? 私はタークスとしてあの方の傍にお仕えする自信がなくなった。だから身を退いた。しかし、タークスを抜けたわけではない。もし社長の御命があれば、いつでも召集に応じる覚悟だ」 「主任の仕事は戦闘ばかりじゃないだろ、と。指令とか作戦とか連絡とか、とにかくツォンさんがいないと困るのはオレ等なんだぞ、と」 「レノ」 言い募るレノを、静かな声が遮った。 「「社長…!?」」 二人の声が重なる。 古屋の陰から姿を現したのは、まぎれもなく二人の主人ルーファウス・神羅だった。 陰から現れる形になったのは彼の演出ではなく、単に大通りからこの家へ通じる道が裏手にあるせいだ。だがその効果は十分すぎるほどだった。 「命令も無しに勝手な行動を取るな」 「オレは有給休暇中ですよ、と」 「休暇なら休暇らしく、その制服は脱いでこい」 「何着ようとオレの勝手だぞ、と」 「レノ! 社長に口答えするな」 咎めたのはツォンだ。 「ああ、もう、ややこしすぎるんだぞと、なんでオレが主任のことで社長に怒られて社長のことで主任に怒られるんだ。割が合わなすぎるんだぞ、と」 両手を拡げて肩を竦めたレノにちらりと冷たい一瞥を投げかけて、ルーファウスはくるりと背を向けた。 「戻るぞ、レノ。休暇は終わりだ」 「ちょ、社長!それはないんだぞ、 と。待って下さいよ! 主任!社長を引き止めて、じゃない、社長!ツォンさんに戻るようにって言ってくれ…ああもうっ」 ぐるぐると二人を交互に見ながら喚いていたレノだが、ルーファウスの姿が完全に消えると慌てて後を追っていった。 ツォンはほっと肩の力を抜く。 レノにこの場所を探し当てられたのもショックだったが、それ以上にルーファウスが現れたことに驚いた。 もちろん、彼がここを知っていただろうことは承知している。レノが苦労したのは、ルーファウスの情報網を利用できなかったことと、そのルーファウスにバレないよう捜索していたためだ。もっとも後者は無駄な努力だったようだが。 それにしても、ルーファウス自ら出向いてくるとは思わなかった。 ほとんどほんの一瞬と言えるような邂逅ではあったが―― 彼の顔を見てしまえば、心がざわめく。 自分で決めたことだ。 一線を退きたいと言ったときも、彼の表情は変わらなかった。 「そうか」 と一言だけ。 引き止める言葉もなかったが、咎めることもなかった。 その日のうちにツォンはロッジを引き払った。 変わらず毎月振り込まれる給与は、隠遁同然の生活では使い切れぬほどの額だったし、レノたちが追ってくるであろうことは予測していたので、頻繁に住家を換えた。 いまだタークスとして在籍しているのだという使命感のもとに、流れ歩きながら集めた情報をルーファウスに送ることもした。 だが、よほどの事態が起きぬ限り、もう顔を見ることはないと――そう思っていたのだ。 不意打ちのように現れて、ツォンの心をかき乱していった彼の人。 まるで、一瞬にして時が巻き戻されたかのようだった。 戻ってこいとは、決して言わないだろう。 別れを惜しむ言葉の一つさえ、掛けなかった人だ。 誰よりも高い矜持。 過去を嘆くことなど、一切しない。 いつも前だけを見て、歩いてきた。 何かに縋ることも、誰かに頼ることもなく、全てを支配下に置いてゆるぐことのない人だ。王者の資質とはまさにこのようなものであると、自ら彼の部下であることを選んだ者たちは皆感じているはずだ。 未来を見据えるその瞳の強い輝きに、魅せられていた。 だからこそ共に歩きたいと、常に傍近くいたいと願ったのだ。 それは今も変わらない。 神羅の名を持つ貴方を誇りに思う。そのことがどれほど我々タークスにとって幸いであったか。おそらく貴方には分からない。 もちろん―― それだけではなかった。 心から愛しいと思った、ただ一人の人だった。 その身体の隅々まで――この過酷な年月の間に刻まれた傷痕の一つ一つまで愛し、慈しんだ。 美しい人だった―― 求め合い与え合う行為の合間に、滅多に見せない本音がこぼれ落ちてくるのを受け止めることが、なにより嬉しかった。 部下としてだけではなく、その支えになれればとずっと思っていた。 ――すべて、 過去のことだ。 過去のことにしたかったのは、自分だ。そう決断し、彼の下を去ったのも。 だがいまだにそうできずにいるのも、自分の方だ。 あの方の眼は、一度も自分を見なかった。レノを叱責している間も、一度も。まるでそこにいない者のように、その視線は自分を素通りしていた。 ツォンはうなだれたまま古い家のドアを開け、リビングのテーブルに紙袋を投げ出すと椅子にどさっと座り込んだ。 テーブルに肘をつき、組んだ指に額を乗せる。 堪えきれなかったため息がこぼれ落ちる。体中の力が抜けて、地の底に沈んでいくようだ。 声を聞くことも、顔を見ることもなければ耐えていける───そう思っていた。 カンパニーが事実上消滅し、社長はウェポンの攻撃で爆死したことになっている現在、ルーファウスの名を見ることもほとんどない。社長の存命は関係者の間では周知の事実だったが、マスコミには徹底した統制が敷かれていた。 神羅軍はWROとシド将いる飛空挺団に再編され、各地の魔晄炉は段階的に縮小しつつ代替エネルギーの確保が進められている。通信と交通については真っ先に復興がなされ、以前と同じレベルとはいかないまでもなんとか日常生活に不便はない状態にまで戻っている。 それらのことを、先頭に立って行ってきたのはルーファウスとタークスだ。 だが、そんな彼らの努力など知るよしもなく神羅に対し恨みを抱く者も決して少なくはなかった。だから神羅社長が存命と知ればその命を狙う者は次から次へと現れた。恨みだけでなく、神羅の勢力が現存していることを邪魔に思う者たちの襲撃も頻繁に起きていた。ルーファウスがより問題にしたのは、彼個人に対して復讐を企てる者ではなく、カンパニーの残存勢力が持つ技術とインフラを我がものにしようと企む者たちだった。 だから、オメガ事件の後、生き残ったDGSを再編したソルジャー部隊を使って、ルーファウスはそれらの勢力に対する徹底的な弾圧を行った。 それは、神羅の亡霊がいまだこの地の闇に生き続けているのだと知らしめるための行為だった。オメガ事件の記憶も生々しい時期に行われたその容赦ない攻撃は、神羅亡き後の覇権を争っていた者たちを恐怖のどん底にたたき込んだ。 その効果は絶大で、各地で起きていた抗争はぱたりと止み、ルーファウスへの襲撃も格段に減った。 だから─── 油断があったのだ。 その日社長を狙ってきたのは、組織でもプロでもなく、まだ若い女だった。 おそらくは家族をメテオ災禍で失ったのだろう。ごく単純な───と言ってしまうのは非情なことではあったろうが───理由から起きた攻撃だった。 カンパニーが存在していた頃とは違って、ルーファウスはずいぶん気軽に外を出歩くようになっていた。幾重にも厳重に護衛された状態でしか外出できなかった過去、そして本社ビルに監禁されていた年月は、決して楽しい生活だったとはいえない。それをよく知っているからこそ、タークスたちは社長のそんな行動を咎めようとはしなかった。 エッジの商店街をうろついたり、たまにはセブンスヘヴンに顔を出したり。 ティファの愛想笑いやクラウドの嫌そうな顔を見るのが楽しいのだと言って笑っていたが、実のところそういった気の置けない付き合いというものをルーファウスは子供時代からほとんどしたことがない。対等の立場での人付き合いなど、以前は考えられなかったことだ。しかもなぜかマリンやデンゼルといった子供たちは、意外にもルーファウスによく懐いた。 そんな穏やかな日常こそが社長には必要だと、これはタークスの一致した意見だった。 それに慣れきって、警戒を怠っていなかったかと言われたら否定は出来無い。 事件はセブンスヘヴンを出てすぐに起きたのだ。 最初は客かティファの友人だろうと思った。 女はそれなりに鍛練を積んでいたのだろう。少しの殺気も見せることなく、近づいてきた。 平凡な容姿ではあったが、人の良さそうな雰囲気の女だった。両手で紙袋を抱え、ポニーテールにした茶色の髪が揺れている。 少しだけ───エアリスを思い出すと、ツォンはそう思ったのだ。似ているのは髪の色だけだったが、後から思えば心に秘めた強い決意がそう見せていたのかもしれない。 そのまま近づき、無意識のうちにも女とルーファウスの間に入ったツォンの横を通り過ぎると、女は振り向きざまルーファウスめがけて手にしたナイフごと身体をぶつけてこようとした。 まさに一瞬の出来事だった。 だが、どれほど修練を積んでいようと、所詮は素人だった。戦闘のプロであるタークスには敵うべくもない───はずだったのだ。 ツォンは当然ルーファウスを庇護って女の手にしたナイフをたたき落とす───そうするつもりだった。 だが、古傷がその動きを妨げた。 僅かにツォンの動作は遅れ、ナイフは彼の腕を擦りつつそこを過ぎて目標へ向かった。 もちろん、そんな攻撃で易々と主人を傷つけさせるほどタークスは甘くはない。ナイフの切っ先が届くより先に、レノの容赦ないロッドの一撃が女をはじき飛ばしていた。 腕から血を滴らせつつ主人の無事を確認し失態を詫びるツォンを、ルーファウスは無表情に見つめながら、女を丁重に葬ってやれとそれだけ命令した。 殺す必要はなかったはずだった。 圧倒的に力の差があったのだから、ただ凶器を取上げて多少痛い目に遭わせるだけでよかったのだ。女は組織的なテロの人員ではなく、単独犯だった。動機も単純な復讐だったのだろう。再度社長を狙うことがあったとしても、また阻止すればいいだけのことだ。 そうできるはずだった。本当ならば。 社長の不興をかったのは、彼を危険に曝したことではなく必要ない殺戮だったと、ツォンもレノも気づいていた。 レノには、手加減する余裕がなかったのだ。女の攻撃は当然ツォンが防ぐだろうと軽く見ていた分、反応が遅れた。慌てて振るったロッドが女の急所に入ったのは不幸な偶然だった───女にとってではなくレノとツォンにとって。 女はルーファウスの命を狙ったのだから、自らの命でその代償を支払うことになっても仕方ない。だがそれを失態とみるタークスにとっては、仕方ないでは済まされない問題だったのだ。 そのことがあって数日後、ツォンはルーファウスにタークス主任を退き、傍に仕えることを辞退したいと申し出た。 ルーファウスはただ、「そうか」と言ったのみ。 許しを得てツォンはロッジを後にした。 そうやって、月日が過ぎた。 心に虚ろを抱えたまま。 世界を流れ歩く暮らしは、穏やかではあったが味気なく侘しい日々だった。 命よりも大切にしてきたものは、いまは彼方にあって触れることも叶わない。 身を噛むような孤独と後悔に苛まれる夜をいくつ過ごしたろうか。 それでも。 自ら下した決断を間違っていたと思ったことはない。彼を護りきれぬタークスなど彼の傍にいてはならないのだ。 その証拠に、社長はツォンの申し出に対し否とは言わなかった。表情一つ動かすことなく、承諾したのだ。それは、ルーファウスもまた、同じ考えであったからに違いなかった。 そうでなければ、ツォンの申し出など一蹴されていただろう。彼はそういう人だ。 彼に必要とされていない、という認識は、思いの外ツォンを打ちのめした。 時折送る報告に、返事のあったためしもない。 律儀に振り込まれる給与だけが、彼とのつながりだった。それを拒否することだけはすまいと、ツォンは心に決めていた。それはタークスでなくなること───即ち死を意味していたからだ。 彼より先には死なないと、いつか戯れに約束した。遠く離れてはいても、その約束くらいは守りたいとツォンは思う。 深いためいきを落とし、ツォンはゆっくりと立ち上がる。いつまでも思い煩っていても仕方ない。 冷え切った部屋は空気が淀んで、薄闇が辺りを覆っていた。 その夕暮れの部屋にノックの音が響いた。 一瞬『レノか?』と思った。 だが、レノならノックなどするはずもない。無礼を無礼とも思わぬ男だ。 「誰だ」 形式的な問いかけだった。訪れた人物については、見当がついていた。 「私です。主任……」 ドアを開けて姿を見せたのは、予想通りの人間だった。 「何故ここに来た、イリーナ。社長のお側に居るべきではないのか」 暗がりの中でも明るい金の髪が、彼の人を思い起こさせる。 「社長にはレノセンパイとルードセンパイが付いてます」 ツォンは僅かに眉を寄せる。 「あのままお帰りになったのではないのか?」 「いえ…、まだこの町に。最初からその予定で宿を取りました」 「何故だ? ここはヒーリンからそれ程離れてはいない。直帰出来無いような距離ではないはずだ」 「社長の…体調が思わしくないんです。とても長時間ヘリに乗り続けることは出来なくて」 「なら尚更だ! なぜ社長をこんな所までお連れした!?」 「それは…それは社長がどうしてもと」 身を竦めたイリーナを見て、ツォンは言い過ぎたと後悔する。彼らが社長の意向に逆らえるはずもなく、彼は言い出したらきかない人だった。 「すまない。私がとやかく言えることではなかった」 「いいえ…! 嬉しかった…です。ツォンさんに叱られるの、久しぶりだなあって…」 僅かに涙含むイリーナは、縋るような目でツォンを見た。 彼らの負った重圧を思うと、哀れを催さずにはおれない。だがそれよりも、彼の人の容態が気にかかる。レノを叱責した時は、不調の影も視えなかったのに。 「社長はどうなさっている?」 「今はお寝みに」 イリーナは俯く。 「主任が出て行かれてから、社長はずっと働いてばかりで…前みたいにお出かけになることもなくなって、ほとんどいつ寝まれているのか分からないくらいで…」 確かに、無理矢理にでも彼をベッドへ引っ張っていくのはいつもツォンの役割だった。時にはそのまま身体を重ね、湯を使い、同じベッドで眠ることもあった。 常には性欲などと無縁のように澄ました顔をしていても、彼は意外に快楽に対して奔放だった。ただ寝めと言ってもなかなか聞き入れてはくれなかったが、情事の誘いならばまず拒否されることはなかった。 そうして事が終わった後は大抵気を失うように寝入ってしまう。 ウェポンの攻撃で負った怪我と続いて罹患した星痕症候群のために彼の体調はいつもぎりぎりのラインで、にも拘らずいっこうに自分の身体を労ろうとしない彼の健康を守るためには、そうやって強制的にでも寝ませることが必要だった。 もちろん、ツォンとてそれを義務や仕事と思っていたわけではない。 むしろそう言い分けをして彼の身体を貪っていたのだと───そんな罪悪感を持ったこともある。 「主任! お願いです。戻ってきてください!」 胸の前でぎゅっと手を握りしめ、ツォンを見つめたイリーナの瞳からは、大粒の涙がこぼれ落ちる。 闇の落ちかけた部屋の中で色を失った瞳と揺れる金の髪は、嫌でも彼の人を思い出させた。 ツォンは腕を伸ばし、イリーナの肩を引き寄せた。そのまま胸に抱き込む。 「……すまない」 ぽつりとこぼされた声には苦渋が滲む。 その意味を悟り、イリーナはツォンの胸に顔を押しつけて泣いた。 この人は決して戻ってはこないだろう。 この人の心を占めているのは社長のことだけで、私たちの声など届きはしないのだ。社長が求めない限り、この人の心が動くことはない。そして社長がそんな事をするなんて、あり得ないだろう。 どこで道を間違えてしまったのか、分からない。 けれど、すでに道は分かたれ、もう二度と交わることはないのだと─── 次第に濃い闇に閉ざされていく部屋の中で、まるで私たちはこの闇の中で迷子になった子供のようだ、とイリーナは思った。 次へ |