「よー! ルー坊ちゃん、もうお帰り?」

 あっかるくかけられた声に、ルーファウスは無表情で振り向いた。
 表情には出ていなかったが、振り向いてしまった時点で不機嫌はありありとわかる。
「なーなー!」
 それを完璧に無視して走り寄ってきた男はルーファウスの肩をばしばし叩きながら続ける。
 今度こそルーファウスは露骨に顔を顰め――その主な理由は叩かれた肩が痛かったからだが――男をねめつけて精一杯低い声で言い返した。
「その呼び方はやめろ。しかも気安く私に手を掛けるな、馬鹿者」
 尊大な態度と冷ややかな物言いは神羅家の嫡子として十分に相応しかったが、いかんせんその声はまだ声変わり前の響きを残して高く、相手の男は小柄なルーファウスに対して頭一つ大きい。
 しかも、実際にはその男もルーファウスとさほど年の変わらない少年で、端から見れば明らかにお友達同士のお子様だった。
「じゃあなんて呼べばいいんだよ。神羅くんか?」
 にこにこと全く他意のない顔で聞き返されて、ルーファウスはしばしフリーズした。
 そんな名で自分を呼んだ者はかつて無い。
 ルーファウスはその時切実に、この無礼なソルジャー2ndから役職で呼ばれるようになりたいと思った。
 が、今の彼は社内で宙ぶらりんな立場にある。
 そもそもが仮入社という形だ。
 もともと会社に入るには若すぎる。というか、幼いと言っても良いくらいなのだ。
 それは、今目の前にいるこのソルジャーや一般兵達の中には同じくらいの年齢の者も少なくはない。
 田舎から都会の生活に憧れて出てきた少年達の受け皿として、カンパニーの治安維持部門はちょうど良かった。
 学歴も低く特別な取り柄もない少年達でも、一般兵として雇われればとりあえず衣食住が保証され、わずかながらでも現金収入が得られた。
 だが、ルーファウスの立場はそれらの少年達とは遙かに隔たっている。
 年少とはいえ、学歴で言えばミッドガルの最高学府をトップで卒業したに等しいだけの実力がある。
 物心つく前から徹底した英才教育を受けてきたのだ。
 神羅家のただ一人の嫡子であり、莫大な財産を相続する事が決まっている。
 プレジデントが彼を後継者として考えている事も、周知の事実だった。
 それでも今のルーファウスが役職も無い仮入社の身であるという事には変わりなかった。
 
 ソルジャー達は普段本社ビルの49階にたむろっている。
 主に高層階で仕事するルーファウスとは、ほとんど接点がなかった。
 だが、この図々しい2ndはそんな事はお構いなしだった。
 もちろん、2ndごときに高層階への立ち入りが許可されているはずもない。
 だから顔を合わせるのはたまたまルーファウスが低層階へ下りてきた時だ。
 それなのにどういう巡り合わせか、その滅多にない機会の度にこの2ndに捕まってしまう。
 単に縁があると言ってしまえばそれまでなのだろうが――

「おまえは余程ヒマだな」
 ルーファウスは名称の話題を打ち切ると早足でエントランスを横切りながら言い放つ。
 強面のSSが周りを取り囲み、社員やその場に居合わせた一般人は遠巻きにしてそれを眺めている。
 ただ人なつこい2ndだけが金髪の少年を追いかけて話しかける。
「ルーだってもう帰るんだろ? まだ4時前だぜ」
 いつの間にか呼び名がまた変わっている。
「あいにく私はこれから社長の名代で会食だ」
「みょう、なに?」
 ルーファウスは溜息だ。馬鹿に付ける薬はない。
 だいたいこいつとの出会いが悪かったのだ――





再度ふたたびの空





 風の強い日だった。
 屋上のヘリポートへ出ると、魔晄炉の排気と砂埃の混じったものが叩きつけるように吹き付けてきた。
 髪も上衣も風に吹き散らされて前もよく見えない。
 こんな日にヘリを飛ばして大丈夫なのか?
 と思ったのはむろんルーファウスだけではなかったようだ。
 駆け寄ってきた黒服が、
「申し訳ありません、ルーファウス様。この天候では離陸は危険です。お車をお出しします」
 と慇懃に頭を下げた。
 うんざりしなかったと言ったら嘘になる。
 ヘリなら10分ほどの距離でも、車ではいくら高速を使っても1時間以上はかかる。
 だがそういったことに不平を言うのはトップとしては相応しくない。
「わかった」
 ルーファウスはおもむろにうなずいた。

 エントランスに下りると、普段あまり姿を現さない神羅の御曹司を一目見ようとでもいうのか、一般社員が溢れるほど集まっている。
 どこから情報がもれたのか。
 いや、ルーファウスの外出は別に秘密事項ではなく、むしろ会社としては公の仕事であるからこそわざわざエントランスに送迎車を着けさせたのだ。
 ただの通勤だったなら、安全のためにも専用の地下駐車場から出入りする。
 その駐車場の場所さえ秘密だ。
 だがそれが使われる事も稀だ。
 カンパニーの幹部は基本的にヘリで移動する。それは役職を持たないルーファウスも例外ではなく、ミッドガル郊外に位置した神羅邸への行き来にも普段はヘリが使われた。
 だが今日の行き先は私邸ではない。
 ミッドガルとジュノンを結ぶ予定のハイウェイの、工事予定地の視察だ。
 こんな荒天時に野外の視察とはいかがなものかと誰もが思ったが、予定は何週間も前に決められていて今さら変更できなかった。
 
 ルーファウスがエントランスへ下りると、そこには二人のソルジャーが待機していた。
 一人は1stの制服を着ており、もう一人は2ndだった。
「お車での視察は危険を伴いますので、ソルジャーを同行させます」
 ルーファウスに付き従ってきたタークスがそう言うと同時に、
「やあ、要人警護なんて言うから誰かと思ったらルー坊ちゃんですか」
 と1stが相好を崩して呼びかけた。
 見た目はオヤジ―――ルーファウスから見ればそうでしかなかった―――だが実は意外と若いトップクラスの1stだ。
 ソルジャーにはランクがある。
 それは誰もが知っている。
 ソルジャーは神羅カンパニーの看板の一つであり、英雄と呼ばれるセフィロスを筆頭に、若者の憧れの対象となる存在だった。
 3rdから1stまで3つのランク。
 しかし現実には同じ1stでも実力の差は歴然とあり、セフィロスは特別だとしてもこのアンジール・ヒューレーという名の1stもそれに次ぐ力を持った者である事をルーファウスは知っていた。
 カンパニーの後継者として、ソルジャー1stの顔と名くらいはもちろん全て覚えている。
 それに、アンジールに会うのは初めてではなかった。
 何度か護衛として父と共に行動した事がある。
 初めて会った時まだ10才ばかりだったルーファウスは、いきなりこの大柄な男に担ぎ上げられて吃驚した。周囲の者たちも驚愕したが、ソルジャー1stに肩車される神羅の御曹司、という構図は愛らしくも頼もしく絵になったので、咎める者はなかった。そのムービーは翌日のニュースで繰り返し流されたものだ。
 アンジールはいささか変わり者の多い1stの中では実直で生真面目、後輩の面倒見も良く統括の信も篤い実力者だ。
 それはわかっている。
 だが自分を坊ちゃんと呼ぶのはいい加減やめて欲しいと思う。
 けれどそれを正面からこの男に言うのは、逆に自分の幼さを露呈するようでためらわれた。
 しかし―――
「ルー坊ちゃん! 今日はオレ達がバッチリ護衛すっから、大船に乗った気でいてくれよ!」
 と横から声を掛けてきた2ndは何者か。
 さすがにいくらも年の違わなそうなこの2ndに坊ちゃん呼ばわりされる謂れはない。
「おまえ」
 と言いかけたところでアンジールが割って入った。
「こいつはザックス」
 ザックスの頭を押さえつけ、無理矢理礼を取らせる。
「2ndですが、腕は確かです」
「いてて、アンジール〜っ」
「きちんとご挨拶しろ、坊ちゃんは将来おまえの上司になられる方だ」
 だからその坊ちゃんというのは―――
 心の底で溜息のルーファウスだ。

 車は特殊装甲を施したリムジンだ。
 なぜかアンジールはガラスで仕切られた助手席に座り、後部座席には自分とタークス、そしてお調子者の2ndが乗り込む事になった。
 タークスは寡黙な男で周囲に気を配る他はまったく動かない。
 そんな中でルーファウスはザックスの攻撃を一身に受ける事になってしまった。
 何度も「うるさい」と言った。「静かにしろ」「話しかけるな」「仕事の邪魔だ」とも。
 けれどそれが効果を発するのはほんの1、2分の間だけだ。
 向かい合わせた前の座席に座ったタークスが、秘かに笑っている事もわかってしまった。 道程の半分もいかないうちに、ルーファウスはうんざりを通り越してどうでもいい気分になっていた。
 とめどないザックスのおしゃべりを聞き流す。
 そう開き直ればそれはさほど不愉快な事ではなく、アンジールがこの少年を連れてきたわけも、タークスが口を挟まず黙っているわけもなんとなく推測がついてしまった。
 まったくよけいな御世話だ―――
 『お友達候補』として連れてくるならば、セフィロスとは言わないまでもせめて、少年時から学業優秀と言われたソルジャー1stジェネシスレベルの人材はいなかったのか。
 この2ndは不屈のお調子者、というのだけが取り柄のようだ。
 確かにある意味得難い長所ではあったが―――


 荒天が災いしたのだ。
 ジュノンルートはもともとモンスターが多く、その排除が最大の問題だった。
 治安維持部隊とソルジャーの配置で安全を確保しながら工事は進められていた。
 だが、この砂嵐で配置された兵達もモンスターに気づくのが遅れた。
 気づいた時はすでに、モンスターはルーファウス達の背後に迫っていた。
 真っ先に動いたのはザックスだった。
 タークスはルーファウスを庇護ってリムジンへ誘導し、アンジールはそれを護る形で立ちはだかった。
 そしてザックスは、剣を抜くと真っ直ぐモンスターに向かっていった。
 その全てが同時に起こった事だ。
 砂塵の中でさえ、鮮やかな軌跡を曳く切っ先。それにルーファウスは見とれる。
 その刃が食い込んで、モンスターの首が落ちる。
 勢いのままに地に伏した巨大な身体を身軽に避けて、ザックスはその背後から現れたもう一匹を、これも軽々と始末した。
 その間にも横手から新たな襲撃が続き、アンジールの振るう剣がモンスターの身体を切り裂く音と兵達の銃声が響き、モンスターの叫びがそれに被さる。
 たちまちあたりは阿鼻叫喚の戦場となった。
 タークスの声に、ルーファウスは振り向く。
 リムジンのドアを開け、「中へ!」と叫ぶタークスの手にも銃が握られ、それは空から襲撃してくるモンスターに向けられていた。
 まるで地から湧いてでるようなモンスターの群れに、一般兵だけでは到底対処できなかっただろう。
 だがさすがにソルジャー1stの力は桁が違う。
 アンジールの斬り込む先では、モンスターがまるで紙でできた人形のように蹴散らされていく。
 そんな戦闘を間近で見たのは、ルーファウスにとって初めての体験だった。
 モンスターの襲撃もソルジャー1stの能力も、今までのルーファウスにはモニタの上の数字でしかなかった。
 
―――素晴らしい

 ルーファウスは素直に感嘆した。
 ソルジャーとは、これほどの力を持つものなのか。
 これを見ただけでも、今日ここに来た価値はあった。

「ルーファウス様!」
 焦りと怒気を含んだタークスの声がルーファウスを我に返らせた。
 まだ見ていたいという気持ちを振り切って、リムジンへ向かう。
 だが、その時車の上を越えて蛙に似たモンスターがルーファウスめがけて襲いかかってきた。
 右手から迫っていたモンスターに銃を向けていたタークスは出遅れた。
 バリアの発動はしてあったが、この至近距離では攻撃を完全にくい止めるだけの効果はない。
 ルーファウスはモンスターを見上げ、それが自分に鋭く尖った舌を伸ばしてくるのを見た。
 立ちすくんだルーファウスの前で、だが一瞬にしてそのモンスターは地に叩きつけられた。
 リムジンの屋根を蹴ってモンスターを叩き斬りルーファウスの前に着地したザックスは、瞬きする間もない速さでルーファウスを抱え上げ、車内へ放り込む。
 何事が起きたのかわからなかったルーファウスは、ばたん!と乱暴に閉められたリムジンのドアの音を聞いて顔を上げた。
 どうやらここへ突っ込まれたらしいという事は見当が付いたが、覚えているのは一瞬見えたザックスの真剣な表情のみだ。
 幸い何処にもぶつかったりはしなかったらしく、痛みもなかった。あの状況でも一応気を使ってくれたという事か。
 2ndでもあれほどの能力があるとは……と考えて、いや、あれは彼が特別なのだろうと思い直す。
 アンジールが目をかけているだけの事はあるのだ。そういう事だろう。
 リムジンの窓から外を見る。
 砂嵐でよくは見えないが、襲撃は収まりつつあるようだった。
 時折閃くように光るのは、アンジールかザックスの振るう剣か。
 幾度かリムジンにがつんと何かが当たる衝撃音が聞こえたが、特殊装甲を施された車体はびくともしない。
 微かに聞こえる銃声も、だいぶまばらになってきた。
 ここを護る一般兵にとって、今日この時にたまたまソルジャー1stが居合わせたことは幸運だったろう。そうでなければこの部隊は全滅していたかもしれない。
 モンスターの驚異とカンパニーの戦力とを実地に見ることが出来たのは、自分にとってもラッキーだった。そう、ルーファウスは思った。
 砂まみれになったザックスと一緒の帰りの行程は、快適とは言い難いものではあったが―――

 そんな経緯があって、ソルジャー2ndザックス・フェアは、ルーファウスに近づくことをなんとなく大目にみられている。
 ルーファウスもさほど嫌なわけではない。
 ただ、アンジールを真似て自分を『坊ちゃん』と呼ぶのは許し難いものがあったが―――


 それからの数年間―――


 ザックスの運命も、ルーファウスのそれも、世界の命運と共に大きく変動することとなった―――


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