「明るいな。こんな明るい海を見たのは初めてかも」
日射しの眩しさに手を額にかざしながら、ルーファウスは水平線を見つめた。
しかししばらくそうしていたと思ったら、いきなり砂浜に座り込む。
「……疲れた」
「アンタは後ろに乗ってただけじゃないか」
呆れたように言って、クラウドもその横に座る。さらさらした白い砂が、心地よかった。
「それだけでも大変だ。振り落とされるかと思った」
「非力だな」
「君の彼女より、非力だよ」
「彼女なんかいない」
「じゃあティファは妻なのか?」
「馬鹿言うな!」
「確かにまあ、君は浮気するタイプには見えないが…。ならどういう関係なんだ」
「アンタには関係ない」
「セフレなのに」
「セフレだからだろ!」
「はは」
手放しで笑うルーファウスに、クラウドは眼を細める。笑っているコイツは、なんだか妙な色気がある。
今朝、仕事場から拉致って来た時にはきちんとセットされていたルーファウスの髪は、バイクに乗っている間に吹き散らされ、前髪が額を覆っている。その髪の滑らかな手触りを思い出すと下半身が熱を帯びそうになり、クラウドは思わず目を外らした。
「非力だなんて嘘だろう。アンタ本社の屋上で戦った時、ヘリに掴まってとんずらしたじゃないか」
「あれはレビテトがあったからだ」
「嘘つけ」
そんな魔法はこの世界にはない。そもそも、魔法が使えないくせに。
「それは嘘だが、カンパニーの技術には君が知らないものもいろいろあったのは本当だ」
 そう言われると、否定はしきれない。たかが一兵卒程度には知り得ないことも、社長だったコイツなら知っていて当然だ。
「今でもな。たとえば、男をその気にさせる薬とか」
 クスクス笑いながらしなだれかかるルーファウスに、一瞬ぎょっとなる。
「嘘だよ」
腕が伸びてクラウドの首を抱く。柔らかな唇が重ねられた。
「そんなものがあったら、苦労しない。君をいつでも呼び出せるのに」
耳元で囁くルーファウスに、納得がいかないクラウドだ。
「いつだって勝手に呼び出してるじゃないか」
「それは仕事の話だろう。そんなんじゃなく、真夜中に目が覚めた時とか、朝の雨が憂鬱だった時とか、君が傍にいてくれたらと思うんだ」
あまりにも予想外の言葉に、声が出なかった。いや、予想外だったからだけじゃない。クラウド自身も、そう思うことがあったからだ。
ルーファウスは貝殻を拾って海に投げる。
穏やかな波に、小さな貝殻は音もなく沈んでいった。
「仕事にかこつけたり、逆に君の仕事や仲間との付き合いを邪魔しないかと、細々考えたりしなくてもすむなら、どんなにか楽だろうと、思う時がある」
『オレも』と言いそうになってクラウドは危うく踏みとどまる。それはまるで愛の告白だ。
「でも今日みたいにいきなり君が来てくれたりすると、すごく嬉しいものだな」
ルーファウスはもう一度クラウドに身を寄せ、口づける。次第に深く、はっきりと欲情を伴ったものになっていく口づけに、クラウドは目眩いがするような心持ちだった。
こんな明るい陽の下で――
誰が来るかも分からない海辺で――
縺れ合って砂の上に倒れ込み、口づけを繰り返しながら幾重にも着込んだルーファウスの服の中に掌を忍ばせる。
微かな声が上がり、服の下でも明らかな二人の昂ぶりが触れ合って、もう人目なんかかまうものか、と思ったところでルーファウスが声を上げた。
「無理だ、クラウド。これ以上こんな所でやったら、日射病で死ぬ」
珍しく色気のない言葉は、掛け値無しの本音だからか。
吐く息も熱く、頬が赤いのは情欲のせいばかりではないだろう。確かにこのままここにいたら、まずいことになるのは目に見えている。
「よし! 場所変えるぞ」
クラウドは宣言して、ルーファウスを抱え上げた。
「わ、なにをする! クラウド!」
いきなり抱き上げられたルーファウスは抗議の声を上げたが、無視だ。そのままバイクまで走り、ルーファウスを後部座席に乗せる。
「行くぞ、お姫様、ちゃんと捕まってろよ」
「誰が姫だ、わああ」
急発進するバイクから振り落とされまいと、ルーファウスは必死でクラウドにしがみついた。


海岸沿いの、小さな町の小さな宿に部屋を取った。
「声、押さえろよ。アンタ声でかいからな」
ルーファウスの上にのしかかり、服をはだけながらクラウドは言った。
「こんな壁の薄い建物には住んだことがないんだ」
「あのロッジだって、タークスの連中にはまる聞こえだろ」
聞こえたってかまうもんか、とオレは思うけど、コイツは恥ずかしくないんだろうか。
「彼らは私のプライベートは詮索しない」
あ、そ。お育ちが違うっていうのは、こういうことなんだろう。
「まあ、声がでかいのは悪くないけどな」
一瞬、ルーファウスの瞳によぎった陰をクラウドは見逃さなかった。普段は人一倍鈍いと言われるのに、たまに常人より鋭敏なソルジャーの知覚が戦闘以外でも働くことがある。
「どうした」
反射的に問うていた。
「なにが?」
はぐらかされた。
こんなふうにあからさまにはぐらかされることなど、ほとんどない。
いつも、正直以上に言葉をばらまいて人を混乱させるのがルーファウスのやり方だ。どこまでが真実で、どこからが偽りなのか。その境目の誤魔化しかたが、絶妙なのだ。
なのにこの不器用な視線の外らし方。
「何が気になったんだ。昔、誰かに声がでかいって言われたのか?」
「……まったく君は」
ルーファウスは目を閉じ、腕を額に載せた。
「どうしてそんな時だけ鋭いんだ」
「誰が言ったんだ。営業の相手じゃないよな。そんなヤツらのこと、アンタもう覚えて無いだろ。だったらセフィロスか」
「それは答える必要のあることなのか」
真っ直ぐ見つめられて、今度はクラウドの方がたじろいだ。
「……ない」
調子に乗りすぎたと思う。ルーファウスの隙を突けたことで、くだらない優越感を持ったからだ。彼の過去のことを詮索する権利など、自分にはない。
クラウドの萎れた様子に、ルーファウスはふっと息を漏らし、その首を抱えて胸に抱き込んだ。
「セフィロスはよく、声を出せ、と言ったんだ。その頃私はまだ本当に子供で、セックスがどういうものかも良くわかっていなかった。だから声を出せば楽になると」
ルーファウスの鼓動と声を聞きながら、クラウドは思いを巡らす。ミッドガルやジュノン。あの街のどこで、二人は抱き合ったのだろう。いつも人目に晒されていた英雄と副社長。二人並んで壇上に立てば、これ以上ないくらい画になった。
「アンタ、セフィロスとオレを比べてるのか」
「は?」
素で驚いた声が返った
「比べる? 君とセフィロスを? そんな事はあり得ない」
「差がありすぎて比較にならないって言いたいのか」
「そもそも人を誰かと比べる意味が分からんが。それにしても、セフィロスと君では私の条件が違いすぎて比較できない」
「アンタの条件?」
「さっきも言ったが、セフィロスとつき合った頃、私はまだ子供だった。まあ、あれでセフィロスは意外と子供っぽいところのある男だったが、それを勘定に入れても、とても対等とは言いかねる関係だ」
「セフィロスは、子供なのが良かったのかな」
「……さすがにそれはないだろう」
それではあの英雄が本物の変態だったみたいだ、と二人とも心の中で思う。
「彼が私を気にしたのは、私が神羅だったからだ」
「そう…なんだろうな。アンタ等二人が並んでるところはよくグラビア雑誌なんかに出てたよな」
「神羅の御曹司に手を出してみたいと思ったんだろう…そう考える男は、少なくないようだからな」
「オレもその一人か」
「君は違うだろ」
ルーファウスは笑う。
「私が、君に手を出してみたいと思ったんだ」
そう言えばそうだった。いつの間にか、最初の時の途惑った気分なんか忘れていた。なぜだか、ずっとこの男をものにしてみたいと思っていたような気がしている。
「君とは…」
ルーファウスは腕を伸ばし、クラウドの首を抱く。
「大人同士の対等な関係だ。そうだろう?」
耳元で囁き、口唇を合わせる。
「君となら、最高に気持ち良くなれる……」
あとの言葉は、口づけと嬌声に呑み込まれた。

あんなに明るかった陽も落ちたらしく、窓の外は薄暗い。
いったいどのくらい抱き合っていたのか。
ルーファウスは死んだように眠っているが、クラウドは腹が減っていることに気づいてしまった。そういえば、昼飯も食っていない。
ルームサービスがあるようなしゃれた宿ではない。なにか買い出しに行こうかとも思ったが、ルーファウスを一人にするのはためらわれた。
タークスの連中――特にツォン――が、渋々ながらもルーファウスを連れ出すことを黙認しているのは、クラウドに彼を護るだけの力があると認めているからだ。
メテオの後に拉致され、暴行されたという話を聞いてしまったら、僅かの間でも目を放す事ができないのも納得だった。
今もルーファウスの身体に残る傷跡は、彼がどんな仕打ちを受けたかを、しかもろくな治療もされないまま時が経ってしまったことを物語っていた。
枕に顔をうずめて伏したルーファウスの滑らかな背中に残る、ひときわ深い傷痕を指先でそっと辿る。それでも彼は、目を覚ます気配もない。
事の後、立てない眠いと繰り返す彼をバスルームへ引きずっていき、汚れ放題になった身体を洗った。
クラウドを受け入れていた部分に指を忍ばせると、そのままでいいと言う。中にさんざん放ったのだから、後で流れ出てくるだろう、と訊いたら、その感じがいいんだと返された。終わった後も、ずっと君と繋がっている気がするだろう?と臆面もなく言われて赤面する。
なんでそんなことを恥ずかしげもなく言えるんだと思う一方で、悪い気がしないのも事実だった。
権力欲とプライドの権化のように言われていた神羅社長の実像は、多彩な言葉を使い分けて人を操る魔術師だ。
しかも無防備に眠っている姿は、グラビア雑誌で天使のようだと形容された子供時代を彷彿させて愛らしい。
確かに、本物の子供だった頃のルーファウスはどれほど魅力的だったろうか。
セフィロスも夢中になったのだろうか。自分のように。
クラウドはようやくそう認識した。
認めたくはなかったが、気がつけばルーファウスの事を考えている。傍にいれば満たされる。身体を重ねれば、これ以上ないほど興奮する。
これを夢中と言わずしてなんと言うのだ。
小さなため息が零れ落ちた。

名を呼ぶ声に目を開ける。
考え事をしているうちに寝入ってしまったらしい。
部屋の中は真っ暗で、窓が明るい。月が出ているのだろう。
その窓を背に、ルーファウスの姿が仄白く浮かんでいる。
「クラウド、起きてなにか食べに行かないか」
「何時だ」
「7時……いくら田舎でも、まだ居酒屋くらいはやっているだろう」

宿のカウンターにいたおやじに、ルーファウスが手近な店の情報を訊ねると、おやじは頬を赤らめんばかりにして汗をかきながら、何軒かの店を挙げた。
ルーファウスが礼を言うと、大袈裟に恐縮してぺこぺこと頭を下げる。
昼間クラウドがチェックインした時には、うさんくさげにクラウドを見やり、背後に佇んだルーファウスをしげしげと眺めていたくせに、その対応の差はなんだ。
クラウドは大いに不満だったが、反面、しかたないような気もしている。
なにげなく振る舞っていても、ルーファウスはおそろしく優雅だ。ただそこに立っているだけで、その場の雰囲気が変わるくらいに。
たとえ砂と埃にまみれていたとしても、着ている服も高級だ。どこからどう見ても、紛れもなく上流階級の人間だった。
対してクラウドは、ごくごく平凡な田舎育ちの青年でしかない。
そんな二人が昼間っからチェックインすれば、どんな目的か嫌でも分かる。
いかにも怪しげなカップルに見えただろう事は、否めない。
それでも、ルーファウスと直に会話すれば、田舎宿のおやじごときが舞い上がってしまうのも無理はないのだ。
よもやあの神羅社長だなどとは気づきもしないのだろうが、今までの人生で出逢ったこともないような人種だということは分かるのだろう。
宿を出る時にちらと振り返ると、おやじは呆けたような顔でルーファウスの後ろ姿を見送っていた。
負けたような気分になればいいのか、それともこんな男を恋人、いやセフレにしていることを誇るべきか、複雑な気分に陥るクラウドだ。

とても上等とは言えない店だったが、酒と料理はまずまずだった。
ルーファウスはよく飲み、よく食べ、良く笑った。
その笑顔を見ながらクラウドは、ささやかな計画が思った以上に成功したことに気をよくしていた。
巨大な神羅ビルを失っても、ミッドガルを失っても、ルーファウスは神羅社長だった。
いつでも指示を待つ部下がいて、四六時中仕事の連絡が入る。
甚だしい時は、コトの真っ最中にもドアがノックされる。
無視するか答えるかはその時のルーファウスの気分次第だったが、興ざめなことは確かだ。もっともルーファウスは、そんな事はすぐ忘れさせ夢中にさせてくれたのだが。
それにしても、邪魔の入らないところでゆっくりしてみたい、社長の顔でないルーファウスを見てみたい、とクラウドが思うほどには、鬱陶しい環境だった。
そして、社長の顔でない彼は、文句なく魅力的だった。
料理を運んできてルーファウスに礼を言われた居酒屋のおかみは、顔を真っ赤にして何度もお辞儀を繰り返した。
ルーファウスはさりげなく一言「ありがとう」と言っただけなのだが。
二人で飲み食いしながらバカ話をしているだけなのに、気づけば周囲の客たちもちらちら彼を盗み見ている。
クラウドのくだらない失敗談にルーファウスが笑うと、どこからとも無くほうっとため息が聞こえた。
社長の顔でなくとも、コイツは本当に特別なんだとクラウドは得心した。
いや、むしろ神羅社長というマイナスの肩書きを取り払ってしまえば、誰もが心を奪われるような存在なのだ。
姿形もさる事ながら、その立ち居振る舞い、さりげない心遣い、そういうもののすべてが最高級だ。
本当に高級だというのは、価格が高いとかブランドとかそういうものではなく、人をどれだけ魅了するかという基準なのだと初めて気づく。
それは多分、彼のもともとの資質に加えて幼い頃から叩き込まれた礼儀作法や帝王学の成せる技なのだろう。
一朝一夕に身につけられるものではない。
ルーファウスの弛まぬ努力の賜物でもあるのだと思うと、クラウドはなんとなく胸苦しくなるような気がした。
自分が故郷の村でティファたちと遊んでいた頃にも、コイツにはそんな事は許されていなかったのだろうと、ようやく実感したのだ。
でもそれが今のルーファウスを作り上げ、とても魅力的だというのも確かだった。
男と関係するのに抵抗がないのも、ありふれた常識や下らない矜恃と無縁だったせいだろうか。
あらゆる意味で、コイツと自分は正反対なのだと改めて思う。
故郷の小さな村で、自分は特別なのだと幼い矜恃を精一杯掲げてミッドガルへ出てきた己と、溢れる情報と容赦ない大人達の中で、周囲の期待以上に特別な存在となるべく努力し続けてきたコイツと。
おそらくはそれが行きすぎたこともあったのだろう。
父親の失脚を狙って失敗したという話を聞けば、ルーファウスはプレジデント神羅とは異なる理念を持っていたのだろうと想像が付く。
そこにはもしかしたらセフィロスが関係していたのだろうか。
セフィロス――『英雄』と呼ばれた男は、新聞や雑誌の記事だけですら、田舎の少年をソルジャー志願に駆り立てるほどの影響力を持っていた。
まして直に接し、言葉を交わし、身体を合わせさえしたルーファウスにとって、セフィロスはどんな存在だったのだろう。
ちりりと、心の底で嫉妬の火がともる。
セフィロスの前でも、コイツはこんなふうに笑ったのだろうか。
「私の顔が今更そんなに珍しいか?」
ルーファウスが首をかしげて、クラウドを覗き込む。
想いに沈んでじっと睨みつけていたらしい。
クラウドは
「いや…」
と口の中で呟いて顔を逸らした。
それ以外どうしたらいいか分からなかった。
とうの昔に死んだ男の事を引っ張り出して嫉妬するなど、器が小さいにも程がある。
セフィロスの思念体だかリユニオンだか、幽霊のようなものが現れたりはしたが、かつての彼とは別物であるのはクラウドにだって分かった。
英雄と呼ばれるに相応しい男だった頃のセフィロスのことは、ほとんど噂でしか知らない。
一度だけ間近で見た事はあったが、結局、言葉を交わした事さえなかったのだ。
本当は、どんな人間だったのだろう。
「なあ…」
と切り出したはいいが、どう言葉を続けたらいいか詰まってしまった。セフィロスの事は、まだ二人の間で話題にできるほど軽い問題ではないのだ。そんな気がした。
「なんだ? クラウド」
首をかしげて聞いてくるルーファウスが妙に可愛らしく見えて、思わず全然思っていたのと違う事を聞いていた。
「子供の頃、楽しい事ってなんだった?」
「楽しい…」
繰り返したまま詰まったのは、今度はルーファウスの方だった。
「楽しい、というのがよく分からなかった…な。ついこの間まで」
またまた「は?」となってしまうような返答だ。
「私はずっと、楽しいというのが、こんなふうに心が弾む気持ちなのだというのを、知らなかった」
言いながらルーファウスはクラウドの手に自分の手を軽く重ねた。
人の悪そうな笑みを浮かべてはいるが、重ねられた手は、愛しげにクラウドの指に触れる。
表情や言葉よりも、身体の方がずっとストレートに気持ちを語る事があるのだと、クラウドが気づいたのもルーファウスとこういう関係になってからだ。
「じゃ」
なにやらいささか場違いな気分になりかけている自分に戸惑いながら、クラウドは重ねて聞いた。
「子供の頃は、楽しい事なんかなんにもなかったのか」
「そうだな…」
ルーファウスは相変わらずクラウドの指をもてあそびながら答える。
「そういえば、パルマーと話すのは楽しかった…ような気がするな」
「パルマーって、宇宙開発統括だったあのパルマーか」
「そうだ」
意外すぎる。そもそもあんなのと子供の頃のルーファウスが知り合いだった事自体が謎だ。
「子供の私には、面白い話をしてくれる男だった。屋敷にやってくる客は、部門統括くらいしか居なかったからな。宝条は来た事がなかったし、スカーレットは当時から怖い女だった」
それは逢いたくない、とクラウドも思った。それにしても、ルーファウスでも怖いと思う事があったのかと、新鮮な気がする。
「アンタにも怖いものなんかあったんだ」
「5歳くらいだからな。当時はおやじが一番怖かった。よく殴られたし」
そうなのか。
プレジデントは、息子を溺愛している親バカだというのがあの頃の一般常識だった。ご家庭の事情が一般常識になるというのはよく考えたらすごい事だが、神羅家はそれほどに特別だったのだ。
でもそれは作られた情報だったのか。
「オレ、アンタの事はほとんど噂話しか知らなかった」
「そんなものだろう。意図的に流したものもあったからな」
「意図的?」
「コスタで波乗り三昧とか」
ルーファウスは笑って言う。
確かにそんな噂も聞いた。
プレジデントボンボン、なんてあだ名がついたとか―――
「前にも話したが、あの当時私は本社の一室に幽閉されていた。それはタークスとおやじしか知らない事だった。しかし、仮にも副社長が長期所在不明というのもおかしいだろう? だから噂話はいろいろ流したんだ」
「影武者とか使ったのか」
「いや。噂は噂だけの方がいいんだ。きっかけさえあれば、一人歩きしていく。タークスはそういう情報操作にも長けている」
「じゃあ、バレットが言ってた危険思想でどうとかいうのも…」
「おやじにとっては確かに危険だったろうな。なにしろ暗殺未遂まで企てたんだ」
「暗殺…父親をか」
さすがに呆れた声が出た。
「未遂だ」
楽しそうに言うルーファウスは、いつだかヒーリンのロッジで再会したときの顔を思い出させる。
何事か企んでいるとき、コイツはこんな顔をするのだと気づいた。
今はただ、その時の事を思い出しているのだろうけれど。
「そういう計画を立てるのは、楽しかった」
クラウドの心を読んだように、ルーファウスは続ける。
「スリルもあったし、わくわくした。事が上手く運べば達成感があった。上手く行かなければ、次はもっと上手くやろうという目標ができる。そういう気持ちを『楽しい』というのだと、ずっと思っていた」
話が最初に戻ってきたらしいと気づく。
「けれど」
ルーファウスはクラウドの手を握る。細い指は骨張っているが、滑らかでしなやかだ。
「この方がずっと良い」
指を絡め、クラウドを見つめる目には、熱がこもる。
明らかに情欲を湛えた視線。
「…そろそろ戻るか」
あからさまに声が掠れた。クラウドはぎくしゃくと立ち上がる。
「ああ」
ルーファウスの方は涼しい顔をしていて、余裕の差を見せつけられるようだ。
こんなことにも逐一勝ち負けを意識してしまう自分が、アホらしかった。
外に出ると涼しい風が吹き抜けていた。
「いい月だな、クラウド」
空を見上げてルーファウスが呟く。
その楽しげな横顔を見ると、さっきのアホらしい感情がウソのように消えていった。
それは、何事か企んでいる彼の表情とは、まったく違っている。
白い月の光に照らされた髪が銀色に輝き、細められた瞳は薄青だ。
人気のない田舎町の裏通りを歩きながら、クラウドはルーファウスの手を握ろうかどうしようか迷う。
そんなクラウドの先を越して、ルーファウスは身体を寄せ、指を絡めてきた。
「こんな夜は、恋人同士のまねごとも良いだろう?」
コツンと肩に頭をもたせかけたルーファウスの腰を抱き、引き寄せようとした時それは起きた。
一発の銃声。
続けてもう何発か。
クラウドはルーファウスを抱えて跳び、銃弾を避ける。
武器など持ってきていない。
剣はフェンリルに装備したままだ。それも主に荒野でモンスターに遭遇した時に使用するもので、人相手に戦うことなどDGソルジャーの襲撃事件以来ほとんどなかった。
姿を現した襲撃者は三人。いずれもならず者風ではあってもただの人間だ。
たとえ素手だとしても。クラウドの敵ではない。
ただ、ルーファウスを護りながら戦うことに一抹の不安を感じただけだ。
だがそれも、すぐに消えた。
ルーファウスはまったく邪魔にならない護衛対象だったのだ。
まるでクラウドの意図が読めるかのように動く。
それもまた、長年の訓練の賜物なのだろうとは、後になって気づいたことだが。その時はただ、ほっとしただけだ。
一人を蹴り飛ばし、もう一人を殴った時点で、斜め後方にいた残りの一人が、銃を構えたまま額から血を飛び散らせて倒れた。
振り返ると、どこに隠し持っていたのか、小さな銃を真っ直ぐ構えたルーファウスがいた。夜目にも顔色は蒼白で、見開いた瞳は微動だにしない。いつもの余裕綽々の彼ではなかった。
「ルーファウス!」
異変を感じ、叫んで腕を掴む。
ほとんど銃声もしなかった。小さくても十分な殺傷能力のあるらしいその銃は、ずいぶんと高性能なのだろう。
「もういい。ルーファウス」
握りしめている銃をもぎ取ろうとしたが、よほど強く握っているのか、なかなか放さない。
「ルーファウス、騒ぎにならないうちに行こう」
クラウドは、ルーファウスの手が震えていることに気づいた。
手だけではない。
「ク、ラウド……」
ようやくクラウドを見た瞳は、まるで今にも泣き出しそうだ。
「もう大丈夫だ。行くぞ」
震える身体を抱きしめ、倒れた男を跨ぎ越して、宿へ急ぐ。
部屋へは入らず、そのままフェンリルを引き出して夜道を走った。宿代は払ってある。問題はない。

酒場にルーファウスの顔を知っている者がいたのだろうか。
あんな場所で無防備に神羅時代の話などしたのを、聞かれていたのか。
どちらにせよ、自分の失策だ。
銃弾は、ルーファウスではなくクラウドを狙っていた。
ルーファウスの拉致が目的だったのかもしれない。
ルーファウスには、あらゆる意味で価値がある。
いまだに、世界で一番命の値段が高い男であることは、変わっていないのだ。
まるで縋り付くようにクラウドにしがみついているルーファウスの腕の暖かさを感じながら、クラウドは苦い後悔に唇を噛み締めた。

村から十分離れた海岸でバイクを止め、動こうとしないルーファウスを引きずり下ろすようにして浜辺まで歩いた。
「大丈夫か?」
胸に抱き込み、背を叩く。
さすがにもう震えてはいなかったが、強ばった身体は強い緊張を伝えて来る。
「もう危険はないから」
「……わかってる……」
波の音にかき消されそうな、弱々しい声。これがあのルーファウスだろうか。
「あの時だって、わかっていたんだ……危険はないと」
「村で?」
「……ああ、あんなヤツらが、君に敵うはずはない。私が手を出す必要などない」
男を撃ち殺したことを後悔しているのだろうか?
しかしそんな局面は今までだって幾らでもあったろう。
人が死ぬ光景だって、嫌というほど見てきたはずだ。いまさらそんな事で傷つくようなヤワな神経だとは、信じがたい。
「君に……任せておけばいい。君は誰より強い。そんな事は分かっていた……でも」
クラウドの胸に伏せられていた顔が上がる。
月明かりに光る紺青の瞳が真っ直ぐクラウドを見つめた。
「どうしてあんなことをしたのか分からない」
「ルーファウス?」
見開かれた瞳から、涙が頬へこぼれ落ちる。
クラウドは息を呑んだ。
世界がひっくり返ってもあり得ないだろうものを見た気がした。
「君が……」
掠れた声、クラウドの服を握りしめた手に力がこもる。
「クラウド、君が」
溢れる感情をどう表していいか分からない、ルーファウスにとって、それこそが未知の体験だったのだろう。
クラウドは、ルーファウスを強く抱きしめる。その髪に顔をうずめ、囁いた。
「ルーファウス、もういい。もう、わかったから」
ようやくクラウドは気づいた。
ルーファウスが何に怯えているのか。
そして、怯えるという感情が、彼には理解できないのだということが。
そうだ―――
この世界の誰よりも強い、と謳われた男をルーファウスは喪ったことがあったのだ。
その喪失が、彼の心にどれほどの傷を残したのか、クラウドは目の当たりにした気がした。
あのルーファウス、あの神羅社長が、これほど狼狽え自分を見失うことがあろうとは、彼を知る誰もが思ってもみないだろう。
「クラウド……クラウド」
名を呼ぶ声を唇で奪い、抱きしめた力のままに砂浜へ押し倒した。
緊張と激情は興奮を呼び、二人は服を脱ぐのももどかしくその場で身体を繋げた。

「ぐちゃぐちゃだ」
汗と砂と精液に塗れた身体を見下ろしてルーファウスが笑う。
「洗っちまえ!」
言いざまルーファウスの腕を掴んで、クラウドは海へ走る。飛び込むようにして水を被った。
「乱暴だな!」
「綺麗になったろ」
「ふふ」
ルーファウスの濡れた髪が、傾いた月の光に輝く。奇麗だと思う。
この優雅で矜持の高い男が、自分のためにあんな表情をするなんて、思ってもみなかった。
頬に流れる水滴が先刻の涙を思い出させ、クラウドの胸を締め付けた。
裸の身体を抱き寄せる。
濡れた身体は冷たく、けれど触れ合ったところから熱が生まれた。
愛しいと思う気持ちに、もう逡巡いはなかった。
何も言わなくても、ルーファウスがどれほど自分を思ってくれているか、分かってしまったから。
冷酷、傲岸不遜と言われる神羅社長の真実を知ってしまったから。
クラウドは言葉の代わりに、口唇を重ねた。


朝になってロッジに帰り着いた二人の服は、砂まみれ埃まみれの上、なにやら生臭い臭いまで放っていて、ツォンの顔を盛大に顰めさせた。
社長の髪には白い結晶が光る。塩か!
服を着たまま海に入ったのか、それとも服も海で洗ったのか。
どちらにせよ、夜の海でけしからぬ行為に及んだのであろう事は明白だった。
クラウドはロッジの中まで入らずに去って行ってしまったので、文句の言いようもない。軽い足取りで階段を上ってきたルーファウスを捕まえて、
「社長」
と言ったところで唇にルーファウスの人差し指が当てられた。
「私は今、気分がいいんだ。それに疲れてる。午後まで寝むから、邪魔をするなよ」
ツォンはしばし呆然とし、ルーファウスの姿がドアの向こうに消えてから、自分の唇にそっと触れた。まだ彼の指の感触が残っている。
あんな行動を見たのは初めてだ。もっと言うなら、あんな表情も。
昔から、一般に思われているよりはずっと茶目っ気もあり冗談も言う人だったが、本心から楽しそうな彼を見た事はなかったのだと、今になって気づく。
そしてその彼の表情は、ツォンですら思わず見惚れてしまうほど魅力的だった。
それは多分、良いことなのだろう、と、ツォンはなぜだか切ないような気分になった。
ルーファウス自身にとってはもちろん、世界にとっても。

父親が死んでから、彼は実質世界のリーダーだった。
本社社長室で執務していたときも、このロッジに来てからも。
彼が不在だった半年ばかりの混乱を思えば、自分たちがどれほど彼に頼ってきたのかが如実に分かる。
本当にそれを理解しているのは、タークスとリーブ、ジュノンの軍を率いるレスコー准将くらいだったろうが。
ルーファウスはいつも、世界をより安定した方向へ導きたいと望んでいるようだった。
彼自身のありようも、同じだった。
常に冷静沈着、淡々と、為すべき事だけを為していく。
成功も失敗も、同じ比率で評価される。
自分たち部下に対しては、慰労や称賛の言葉を惜しむことはないのに、それが彼自身に向けられる事は決してない。
ルーファウスには、自身の楽しみや歓びを敢えて排しているかのように見えるところがあったのだ。
大局を見据えて行動するためにはやむを得ないと思う反面、それでは、市井の人々のささやかな喜びも分からないのではないかと思う事もままあった。
だから、もしルーファウスがそういう感情を理解したなら―――というより彼自身に対して許したのなら、それはとても意味のある事なのだろう。
自分たちがそこに関われなかった事は、残念ではあるが。
しかもそれを為したのが、あの英雄の名にまったくふさわしくない男なのも腹立たしいが。
それでもルーファウスが選んだのがあの男なら、それには何かしら意味があったのだろう。
それにしても、社長を夜の海に漬けるなど許し難い。しかもそのままバイクに乗せるなど。夏とはいえ、濡れたまま風に当たればかなり冷える。今度来たときには必ずとっ捕まえて文句を言ってやろうと、心に決めるツォンなのだった。

fin