前回までのあらすじ――

嘘です(笑)
前回は、「迷想天国」様の「変な夢〜Thousand Dreams」になります。
こちらから






















HAPPY SWING







「3日、今日でみっかだよね」
 これ以上ない、というほど笑顔全開で少年はルーファウスの顔を覗き込んだ。

 確かに約束をした夜から数えて3日目だ。
 しかし今はようやく朝の8時を廻ったところ。身体に負担のかからないスケジュールで過ごしているルーファウスは、目覚めたばかりだ。
 当然そこはベッドの中で、いったいこの思念体がどこから入り込んでくるのかは謎だったが、部屋のドアも窓も閉ざされたまま。
 おそらくキッチンではツォンが朝食の支度をしていて、もうじきトレーに載せたそれを持ってここへ姿を現すはずだ。微かにコーヒーの香りが朝の空気に混じっている。

 数字の次は時計の見方を教えなければならないのか。
 ルーファウスは嘆息する。

 思念体の少年は見かけの年齢は少なくとも10代後半。言葉は過不足無く操る。だから字が読めないだとか数字が数えられないなどというのは、外見から想像するのは難しい。
 
「社長、せっくすしよう。ちゃんと気持ちよくしてあげるよ」

 少年の言葉が処々ひらがなに聞こえるのは、勉強の成果というものなのだろうか。
 それはいいが、こんな朝っぱらから『せっくす』したい気分には到底なれないルーファウスだ。
 もともと寝起きはさほどいい方ではない。
 しかも熱はやっと昨日引いたばかり。それになんといっても、先日の『せっくす』の痛みの記憶がルーファウスを消極的にさせている。
 思念体をてなづけられたのはいいが、行為自体はいただけなかった。
 もの凄く久しぶりのセックスだったのに、今まで思ってもみなかった女役とは。それも相手は超初心者。
 もしかしなくても、自分はかなり不幸なんじゃないかとルーファウスはようやく思い当たる。
 自分の境遇について深く考えたことなどなかった。
 いつも目的は前にあるもので、それを追うこと以外に意識を振り向けるつもりもなく、手に入れたいと思ったものは必ず手にしてきたのだ。そのために何を犠牲にするのも、厭うたことはない。
 しかし振り返ってみれば、6年以上もまともなセックスすらしていない。10代の後半を監禁生活で過ごしたあげく、その座敷牢から出たとたん僅か4ヶ月あまりで死に損ない、怪我、病気と立て続けに抱え込んだ身体には到底そんな余裕はなかった。

「社長…?」
 黙り込んでしまったルーファウスの顔をなおも覗き込んで、少年の笑顔が曇る。
 その声で現実に引き戻されたルーファウスは、目の前の少年を見つめて策を練る。
「カダージュ」
 笑いかけてやると、少年の瞳が輝いた。
 ちょろいものだ、という冷静な判断の裏に不思議な歓びが湧いてルーファウスを途惑わせる。今までどんな女と関係を持っても、こんな気持ちを抱いたことはなかった。
 少年の頬を撫で、唇に指を滑らせた。
「セックスというのはな、ただやればいいというものではない」
「?」
 首を傾げると、さらさらと銀の髪が揺れる。
 光を弾くそれを美しいとルーファウスは思う。
「それは二人で楽しむものだ」
「うん」
 力一杯頷いた顔は、期待に満ち満ちている。

「だから、」
「だから?」

「まずは食事だな」
「…は?」
 思いっきり疑問だという思念体の表情にルーファウスは失笑しかけ、だがすぐまじめな顔を修繕って宣言した。
「二人で共に食事をするというのは、大事な最初のステップだ」





「美味いか?」
「うん!」
 楽しげに話しかける主人と、もっと楽しげにそれに応える少年を前に、ツォンは目眩いとも頭痛ともつかないものに苛まれる。
 主人のためにと調理して運んだ朝食の半分は、思念体の口に消えている。
 あんなモノにせっかくの朝食をくれてやることはないのに――と、イラだつ気持ちを抑えきれない。しかも――
「ほら」
 と、主人は少年の口に向けてフォークを差し出す。その先にはツォン会心の作のオムレツが、無造作に載せられている。
 ああ、またそんなに。貴方の食べる分が無くなってしまうじゃありませんか!?
 言いたい言葉をぐっとこらえる。
 あんなモノに『美味い』と言われても、少しも嬉しくない。最悪だ。
 カダージュにオムレツを与えたそのフォークで、ルーファウスはハニートーストを今度は自分の口に運ぶ。
 それを見ているツォンは、出来るならば今すぐそのフォークをひったくってアルコールで消毒したい。思念体の口に入れたようなものをルーファウス様が口にするのは許し難い。
 だいたいあれに食事をする必要などあるのかも疑問だ。
 しかしそう思う間にもママゴトのような食事風景は続いていて、ツォンはルーファウスの「コーヒーのお代わりをくれ」という言葉に黙って従うのみだ。
 そのお代わりを持って私室のドアをくぐった途端、カダージュの頬についたケチャップをなめている主人を見て、思わずカップをトレーごと床に叩きつけそうになった。
 この思念体に根気よく小学生レベルの算数や国語を教えている姿も驚天動地だったが、バカップルよろしくいちゃいちゃと食事しているなど、彼はいったいどうしてしまったのか。
 もちろん、ルーファウスの思惑がどのようなものであるか想像も付かない。そもそもこの時点でまだ、二人の間に肉体関係があるなど気づいていないツォンである。

 ルーファウスは、ツォンにとって誰よりも大切な『神羅カンパニー社長』だ。
 たとえ今現在表向きカンパニーは存在していなくとも、事実上の組織は活動を続けており彼が社長の任を負っていることは間違いない。
 常に冷静で、利益のためならば非情と思える命令も容赦なく下し、弱さなど見せたことがない。彼のしてきたことがすべて正しかったとは言えないとしても、怯むことも臆することもなくあらゆる事態に応じてきたその精神力は感嘆に値すると思っている。

 それなのに――

 その大切な主人が見せる呆れた姿にツォンは怒りを通り越して脱力する。
 だがそんなツォンを一切無視して食事を終えると、ルーファウスはまた更にツォンを打ちのめす言葉を発してくれた。

「さて、じゃあ食後の散歩でも行くとするか。カダージュ、車椅子を用意してくれ」

 思念体はいそいそと車椅子を運んでルーファウスを抱き上げる。
 それだって常はツォンが行っていた役割で、仕事が一つ減ったなどと素直に喜ぶことは到底出来ない。

 ――社長! いったいどういうおつもりなんですか!?

 ツォンの心の歎きなど何処吹く風で、二人はロッジを出て行く。
 入れ違いに出勤してきたイリーナは、虚ろな目で洗い物をしているツォンを目撃することになったのだった。





 そして結局ルーファウスがカダージュに『せっくす』を許したのは、夜も更けてからのことである。


end


そして、「ACID HEAD」につづく