「新規融資の件は上首尾でなによりでした」

 社長室の巨大なデスクに凭れ、細い指で端末のエンターキーを押しながら、モニタ上に次々現れる数字を見るともなく眺めている物憂げな蒼い瞳。
 それがふと、椅子に座ったプレジデントに向けられる。
「私も贈り物には感謝しています。プレジデント」

「なんのことだ?」

「貴方に何かもらうのは、ダークネイション以来ですか。それにしても、貴方はよほど黒い毛皮がお好きらしい」
 ルーファウスは喉の奥で笑う。
「私には白い服を。そこに配するならば黒を、というわけですか?」
「なんのことかわからんな」
「黒い髪のタークスですよ。私の身体を慰めるために下さったのでしょう? あれはなかなかいい具合でした」
「な…っ」
 プレジデントの顔色が、怒りにどす黒く変色した。
「あれから、一人でするのは物足りなくて」
 ルーファウスは俯いて笑う。
 驚くほど淫蕩な気配がその身体から漂った。
「やっぱり生身の男が一番いい」
「おまえは…!」
「ああ。頭取には、次は違うやり方で楽しませてさし上げますとお伝え下さい。他の方々にも」
 喉を反らし、気怠げな笑い声を上げるルーファウスをプレジデントは睨みつける。
「私でお役に立つことがあればいつでもおっしゃってください。プレジデント」
 間近に顔を寄せ、囁く。

「おまえは…偉そうに」

 その白い頤を捉えようと伸ばされた手を、ルーファウスはあざやかにかいくぐった。
「殴るのは無しです。お父さん」
 金の髪を揺らし、澄んだ声で笑う。
「商品価値が落ちますよ」
 そう言いながらもう一度自ら父にすり寄り、素早く取り出したナイフを、その首筋に押し当てた。

「な、にを…」

「私だっていつまでも無力な子供じゃない。わかりますか?お父さん。これから私と会うときはSPを付けた方が良い」
「馬鹿げている。自分が何をしているか、わかっているのか」
 すっ、と刃先が下げられる。
「十分に。それにまだあなたを殺す気はありませんから、ご安心なさい。これはただ、私にだって人を殺すことくらいできるのだ、というプレゼンテーションです」

「くだらん! 猿芝居だ」

「そうですか?」
 ルーファウスは一歩下がって、再びナイフを上げる。
 そして今度はその切っ先を自分の喉に押し当てた。
「もしあなたがあの男に手出ししたら」
 ぷつり、と小さな血の玉が浮かぶ。
「それを証明してみせる」
 じわじわと食い込む刃先の下から、流れ出した血がシャツの襟元を染めていく。

「ル、ルーファウス!」
 今度こそ驚愕の声が上がった。

「こんなものを切り裂くくらい簡単だ。これで永久にあなたの楽しみを取り上げられるのだと思うと、ぞくぞくする」
 少しの曇りもない笑みを浮かべて、ゆっくりと刃先を引く。
 盛り上がり、溢れ出す血がスーツまで染みこみ、真紅の柄を描いた。

「よさないか!」

 プレジデントの狼狽えた顔にちらりと目をやり、ルーファウスはつまらなそうに腕を下ろす。同時に握っていたナイフを投げ捨てた。
 金属の固い音と共に、社長室の床に血が弧を描く。

「ではよしなに。プレジデント神羅」

 優雅に腰を折り一礼すると、振り向きもせずにルーファウスは社長室を出た。
 
 

 

「ルーファウス様」
 エレベータに向かう途中で、腕を掴まれた。
 あまりにも気分が高揚していたため、人影にも気づかなかったのだ。
「ヴェルド? なんだ」
「なんだではありません。そんなお姿で何処へ行かれるおつもりですか」
「別に…いつもと同じ服だぞ」
「服のことではありません」
「変なヤツだな。放せ。私はオフィスへ戻る」
「馬鹿をお言いでない。社員が卒倒します。こちらへ」
 強い力で掴まれた腕を引かれた。
 この男に力で逆らっても無駄なことくらいはわかっている。
 ルーファウスはおとなしくヴェルドに付いて警備の控え室に入った。

 この部屋へ入るのは、初めてだった。
 ルーファウスは物珍しさに辺りを見回したが、その場にいたSPとタークスの数名は慌てて立ち上がった。その顔には一様に驚愕の表情が張り付いている。
 こんな場所に来るはずのない副社長が、いきなり血まみれのスーツで登場したのだから当然だ。
 
「医務室から誰か寄こすように連絡してくれ。それと、副社長に着替えを」
「は、はい」
 タークスの若手らしい見慣れぬ男がわたわたと部屋を出て行く。
「もちろんこのことは他言無用だぞ」
「はい」
「ちょっとオヤジとケンカしただけだ。どうってことない」
「貴方は黙っておいでなさい」
 不満げに洩らすルーファウスをヴェルドは一喝する。
 
 

 

 隣接した個室にルーファウスをいざない、椅子に座らせた。
「こんな状態で歩き回っていたら、じき倒れますよ。せめて止血くらいなさい」
 首の傷をハンカチで押さえながら上衣を脱がせる。
「うん」
 いたずらを叱られた子供のように、ルーファウスは首をちぢめた。

「ツォンを庇護ってくださったこと、お礼申し上げます」
 耳元にそっと囁かれた。
 ルーファウスは目を見開く。
「なんで」
「我々はタークスですから」
 不敵な笑いに、ルーファウスも笑みを返す。
「そうだったな」

「先のことがあってから、貴方とプレジデントの会話は監視させていただいております。我々はプレジデントも貴方も失うわけにはいかないのです」
「ああ…そうなんだろうな」
「ことに貴方は、神羅の次代を担うお方なのですから」
「うん。わかっている」
「プレジデントはあれで、貴方しか信用なさらない。貴方以外の者に神羅を譲ることは決して無いでしょう」
「では尚更効果的だな」
 ルーファウスは笑う。
「私はあの男の無二の楽しみと神羅の未来の二つをこの手に握っているわけだ」
「解っておられるなら、自重なさってください」

「いつまでもうるさいな。ツォンはどうしている」

「任務でアイシクルへ」
「用意周到だな」
「今日の会見のことは、彼には隠し通すつもりでした。だが、貴方のおかげでそれも無駄になった」
「…悪かった」
 ルーファウスは肩を竦める。
「ばれるだろうな」
「あたりまえです」
 俯いて、靴先で床を蹴るルーファウスをヴェルドは見下ろす。
 そんな仕草はずいぶんと子供っぽく、ヴェルドは僅かに哀れを催した。
 もう子供という年令ではないが、大人というには幼すぎる。
 希薄な人間関係の中で育ったルーファウスがツォンに寄せる想いは、彼がプレジデントの前で言い放って見せたような性的なものではないだろう。
 だがそれは、より厄介なものになりうる感情だ。

「当分の間、ツォンはミッドガルからは遠ざけます。あれはどうも情に脆いところが抜けない。貴方のお側に置いたのは失敗でした」
「そうだな…」
 呟く声が寂しげに響くのは気のせいではないだろう。

「でも私は感謝している」

 だが続いた言葉は、ヴェルドにも意外なものだった。

 ルーファウスは凛と顔を上げ、ヴェルドを見上げる。
 ヴェルドは心の中で感嘆する。
 ルーファウスが、ひどくアンバランスな子供であることはわかっている。
 それでもなお、王者の資質というのはこういうものなのだろうと思う。
 なぜならこの方の視線はこんなにもくっきりと透明で、人の心を捉えずには置かない。

「今日初めて、オヤジの顔を正面から見られた」
 
 そう言って笑った顔には、すでになんの翳りもなかった。

end

まぬけなツォンさん
据え膳食い損ね(笑)
Σ「そういう話だったんですか――っ!?」(ツォン)

あとがき