おまけ 


                              いつかの夜とその明日

 ミッドガルに朝が訪れても、神羅ビルの中心部にあるタークス本部に朝日が射し込むことはない。当然、そのもっと奥に位置するルーファウスの監禁部屋にも。

「おはようございます。ルーファウス様」
 ツォンは返事を待たずにプライベートへ続くドアをくぐる。
 他のタークスはともかく、一応は『恋人』という立場であると自認しているのだ。それも、つい先日晴れてそういう仲になったばかりである。
 まあそうでなくとも、自分の世話をする使用人が四六時中周囲をうろうろするという生活に幼時から馴染んでいるルーファウスは、プライベートという感覚が庶民とはずれている。入室の許可など、いちいち返事をしないことの方が多い。
 なにしろ着替えも沐浴も、ここに来るまで一人でやるということはなかったのだ。
 監禁生活一日目の朝には、ベッドに腰掛けたままクローゼットを開こうともせずに小一時間ぼんやりと辺りを見回していたくらいだ。
 朝食を運んできたシスネが、クローゼットを開いて『ご自分で着替えをなさってください』と言うまで、そんな事は考えつかなかったらしい。
 他にもルーファウスの日常生活については驚かされることがいろいろとあったのだが、それもいつの間にか双方の妥協点で落ち着いた。
 いくつかの点では、ルーファウスは自分一人で行うことを学んだ。一人で服を着替えるとか風呂に入るとか、手を洗っても差し出されるタオルを待つことはしないとか。
 タークスの側が慣れたことも多い。脱いだ服を辺り構わず放り出しておくことにも、それをハンガーに掛けようとすると、嫌な顔をして『ランドリーへ廻せ』と言われることも、床に落ちたゴミ一つ、けっして拾おうとはしないことも。
 文句を言う者もあったが、これこそがルーファウス・神羅なのだとツォンなどは思う。
 我が儘、というのとは違うだろう。
 その証拠に、ごみを片付けるのがどんなに遅くなろうと、たとえ食事を出し損ねようと、彼が不満を漏らすことは決してなかったからだ。
 
 朝食の乗ったトレーを小さなテープルに置く。
 トレーでテーブルはいっぱいになる。
 ルーファウスの食事は、1週間分が纏めて届けられる。冷凍とレトルトが主だが、作っているのは彼専用のコックで内容は豪華だ。その食事は、どこともしれぬ『出張先』に届けられていることになっている。
 それらを解凍し、温めて食器に盛りつける。
 最初のうちはレノやロッドなどはこぼしたり食器を割ったりして目も当てられない状態になったが、それでもルーファウスは文句一つ言わずに食べた。労いの言葉もない代わりに、叱責もない。当初は誰もが拍子抜けしたものだ。
 今は皆手慣れてそんなこともなくなり、女子たちはてんでに季節の果物や話題の菓子などを添えて出すこともするようになった。
 それに対して、ルーファウスは礼の言葉を欠かさない。
 食事を供されるのは当然の行為だが、添えられた好意はそれとは別物だと認識しているらしい。
 そういうことの一つ一つが、彼を際立たせる要素だった。

 今日の朝食は、焼きたてのパンにソーセージと温野菜、卵のココット、数種類のジャムとコーヒーというシンプルなものだったが、なにしろ皿が大きい。
 庶民の朝飯のように、紙包みだの丼飯だのというわけにはいかないのだ。
 いや、どんな皿で出そうがルーファウス自身は気にしないだろう。
 だが、彼にそんなみすぼらしい食事を取らせることは、ツォンも、他のタークスたちもしたくなかった。
 誰よりも優雅にカトラリーを操るその指先や、ピンと背筋を伸ばしてカップを口元へ運ぶ仕草には、高級な食器が相応しい。
 それは美しい絵画を損ねたくないというのに近い気分だった。
 そんなわけで小さなテーブルいっぱいになった朝食を横目に、ツォンはパーテーションの向こうにもう一度声を掛ける。

「ルーファウスさま、朝食です」
 まだ目覚めていないのだろうか。
 そっと覗くと、ブランケットから出ている金色の頭と真っ白いパジャマの肩が目に入った。
 少し身体を丸めるようにして、横になっている。
 小さな寝息が聞こえた。口をきけば権高い人だが、眠っている姿は稚く愛らしい。
 思わず顔がほころびかけたが、ふと、ルーファウスの胸に抱き込まれているものに目が止まった。
 咄嗟に腰の銃に手が伸びかけた。
 しかし、無防備に眠る人の様子を見れば、危険なものとは思われない。
 ぬいぐるみか何かだろうか。
 落ち着け、と自分を宥めてそうっとブランケットをめくる。

「「わっっ!」」
 思わず声を上げてしまったのは、その黒いものが顔を上げて目が合ってしまったからだ。
 ついでにそいつの方も声を上げたので、思いの外声は大きく響いた。

「ん…」
 さすがにルーファウスが目覚める。
 もそ、と身動きして、目をこすった。
「ツォン…?」
 開かれた蒼がツォンを見上げる。
 まだ半分眠りの中なのか、瞳の色は淡く、薄い涙の膜が覆っている。
 常であればその愛らしさに思わずキスの一つも落としていたであろう局面だったが、ツォンの視線は別のところに固定されていた。
 白い絹の上衣の裾からは、ほっそりしたむき出しの脚が覗いていたのだ。
 しかも、彼が抱きしめるようにしていたものはぬいぐるみではなく、昨日見たばかりのリーブ操るロボットだった。
 ロボットはツォンを見上げると、バネ仕掛けのようにベッドを飛び出した。
 その行動が、ツォンの頭に血を上らせた。

 何を逃げ出すか―――
 そのこと自体が、邪な行動を肯定しているようなものだ。

 さすがに銃を抜くことこそしなかったが、必殺の気合いを込めた蹴りを、ほとんど無意識に繰り出していた。

「ぎゃっっ」

 がつん、という硬い音と共にロボットの小さな身体は吹き飛んで壁に激突した。
 目の前をツォンの脚が横切って、その風圧が前髪を散らす。
 さすがにルーファウスもいっぺんに目が醒めたようだった。
「ツォン…!」
 驚きと共に、咎める口調の混じった声だ。
 その視線の先には、壁際で蹲ったまま動かない人形がある。
「何をする。壊れたんじゃないのか?」
 その冷静な声に、ツォンははっと我に返った。
「…ご無礼を。貴方に危険があってはと…。つい排除してしまいました」

 嘘をつけ、とルーファウスの顔が言っている。
 だが、彼はそれを口にすることはなかった。
 黙ったまま膝を立てて起き上がり、ツォンの目が思わずその狭間に釘付けになるのを無視してベッドを下りると、動かない人形を抱き上げた。
 軽く揺すってみる。
「やっぱり反応がない。どうするんだ、ツォン。これはリーブのものだぞ」
 ツォンは軽く咳払いして動揺を誤魔化す。
 ルーファウスの下半身から無理矢理目を引き剥がして宙を見据えた。

 部長―――
 何があったのかは後できっちり説明してもらいますよ。

 その心の誓いは心の中だけに留めて、
「お詫びは私から部長に申し上げておきます」
 と言うなりルーファウスの手から人形をひったくった。
 力を失った細い手脚がぷらんと揺れる。
「貴方はお食事をなさってください」
 あっけにとられたようにツォンを見上げていたルーファウスは、額に落ちかかる前髪をかき上げながら緩く首を振った。
「まあ…いいだろう」
 立ち上がると、そのままテーブルへ向かう。
 ルーファウスがベッドを出たことを感知して部屋の灯りは照度が上がり、壁のモニタには朝の景色が映し出される。あいにくと曇り空の今朝のミッドガルではなく、グラスランドエリアあたりの爽やかな朝景色だ。
 ルーファウスが席に着いたことを見届けつつ、ツォンは手にしたロボットを見下ろす。
 どう見ても、邪な行為に使用できるような機能はなさそうだ。

「そいつはあんまり使えないぞ」
 顔を上げると、ひどく楽しげなルーファウスがツォンを見ていた。ツォンの心の内などお見通しだと言わんばかりに。
「専用のタイプを作らせるか」
「ご冗談を!」
 何専用かは、聞かずとも明らかだ。それがとんでもないということも。
「ご不満がおありですか」
 私に、という言葉はかろうじて呑み込んだ。
「不満、というわけではないが…」
 ほんの一月ほど前に、恋人と呼べる関係になったばかりだ。監禁という状況に置かれているルーファウスのために、ツォンとしてはせいいっぱいの時間を割いて愛の行為に励んできたつもりだった。
 それは長い間ツォンが望んできたことでもあったし、ルーファウスも同じだったはずだ。
「まあ、ちょっとした遊びだ」
 ツォンは手にしていたロボットを投げ出し、一足でルーファウスに詰め寄った。
 ルーファウスはツォンを見上げて目をしばたたいた。
 その身体に腕を回し、きつく抱きしめる。そのまま抱え上げて、ベッドへ運んだ。

「ツォン…」
 腕を押さえつけただけで、パジャマの上衣がめくれ上がり何も纏っていない下半身がむき出しになった。その中心はすでにほんの少し反応を示していて、名を呼んだ声は甘く掠れている。
「…全部計算ですか」
 ルーファウスの首筋に顔をうずめながら、ツォンは囁いた。
「その格好も、あのロボットも」
「…だとしたらなんだ。不愉快か? 腹立たしいか?」
「いいえ…それすらも、貴方の罠に堕ちることすら、喜びです」
「…はっ」
 それが返事だったのか、喘ぎだったのか、ツォンにもルーファウスにも分からなかった。
 
 
「お食事が冷えてしまいましたね」
「誰のせいだ」
 気怠げにベッドに横になったまま、ルーファウスは応えた。
「召し上がるなら、新しいものをお持ちしますが」
「いい…。少し眠る。…私は少しばかり不調だ。そう、皆には言い訳しておけ」
 すでに半分眠りかけたような声でしっかり言い訳まで指示され、ツォンは忍び笑った。
 いまさら言い訳など必要ないほど、二人の関係はタークスの間では周知のことだった。こんな閉ざされた場所で、気配に聡いタークスたちにそれを隠し通すことなど、とうてい不可能だったからだ。
 だが、確かにこんな朝っぱらからことに励んでいたなどというのは、些か極まり悪いかもしれない。

「ではそのように」
 ルーファウスの髪にキスを落とし、ツォンはロボットとトレーを抱えて部屋を出る。
 ルーファウスのオフィスへ入ってドアを閉めると、タークス本部へ通じるドアも閉っていることを確認し、トレーをデスクに置いた。
 改めてケット・シーを抱え上げる。
 目線の位置を合わせると、声を低めて語りかけた。

「部長。寝たふりをしてもだめです。この貸しは、高く付きますよ」

 ロボットはびくりと身体を竦ませて、
「なんやねん、ボクは被害者やで。ようもまあ、力一杯蹴飛ばしてくれたな。目から火が出たわ」
「その分たっぷりお楽しみ頂いたでしょう」
「…」
 二人のセックスシーンをこっそり伺っていたことなど、とうにこの男は気づいていたのだろう。どうりで朝から見るには刺激的に過ぎるものだった。
「貸しについては、いつかきっちりお返し頂くとして」
 ツォンはロボットの首に片手をかける。
「二度と夜中に本部を覗こうなどという気は、起こされませんよう」
 ぎち、とどこかひび割れるような音が響いた。
「わ、分かった。分かったから壊さんといてくれ。もう予備はあらへんねん」
「おわかり頂ければ結構です」

 ツォンはゆっくりとロボットとトレーを抱え直し、オフィスを後にした。

END 



リーブは後々、この時の借りをスパイ活動で返すことになるはめに陥ったわけです(笑)