―――ハタ迷惑な 恋人たちの戯れは


「ツォン」
昼下がりのロッジの中には、やや気怠い雰囲気が満ちていた。珍しく4人のタークスが揃っており、レノなどモニタの陰でうつらうつらしている。
再建中のWRO本部へ赴こうとしたツォンを、ルーファウスは呼び止めた。
「忘れ物だ」
「は? なんでしょうか」
ツォンがルーファウスのデスクに近づくと、手が伸びてそのタイを掴んだ。そのまま引き寄せられて唇が重ねられる。
「行ってこい」
それだけ言うと社長は何事もなかったようにモニタに向かったが、ツォンはそのまましばし固まったし、イリーナはマグカップを取り落としてコーヒーをまき散らし、何を思ったのかいきなり立ち上がったレノはスタンドに頭をぶつけてついでにモニタにもぶつかった。一人ルードだけは平然としているように見えたが、それはただあまりの衝撃に反応できなかっただけだ。
「あち、あちちちっ」
叫んだのはカップを落としたイリーナではなく隣の席にいたレノだ。
「きゃあ、センパイっ、す、すみませんっ」
イリーナの声が重なり、ロッジの中は気怠い昼下がり一転、大騒ぎになった。
「行って…参ります」
ぎくしゃくとドアへ向かうツォンは、背後の修羅場は綺麗に無視だ。
「何をやっている」
眉を顰めて騒ぎを見やったルーファウスは、自分がその原因を作ったなどとは微塵も思っていないらしい。
「す、すいませんっ、今片付けます!」
口は回っているが、手の方は相変わらず動いていない。イリーナも相当に動揺しているようだ。
だがルーファウスの方はもうそんな彼らのことなど気にも留めていない様子で、モニタに向かっている。室内がどんな惨状になろうとルーファウスが片付けを手伝うことなどあり得ない。彼が関心を示さないのはそのせいだが、タークス3名は割れたカップの周りに集まりつつこそこそと上司の様子をうかがった。
社長と主任が恋人同士だと言うことは、もう10年も前からわかっていた。もちろん、肉体関係もあるということも。10年続いた関係であれば、夫婦も同然だ。男同士だから結婚という形は取っていなかったが、彼らがロッジで同棲し夜を共に過ごしていることも皆承知していた。
しかし。
しかしである。
今まで二人は周囲の目がある中でいちゃついたためしなど一度もない。
ことにタークスメンバーの前では、厳然と上司と部下という関係を保っていた。レノが知る限り、ツォンがレノの前でルーファウスに対してプライベートな態度を取ったのは、レノが早々に追い払われた神羅邸での告白の時だけである。
あれ以来、二人が手を取り合っているところも見たことがない。
飛空挺事件の時は別格として。
とにかく今までの二人の態度からは、こんな風に新婚さんよろしく『お出かけ前のちゅう』をして見せるなんてことは、天地がひっくり返ってもありそうになかったのだ。
 
「社長、どうしちゃったんでしょうか」
キッチンで割れた食器を処分しながらイリーナは声を忍ばせた。
「どう―――しちゃったんだろうな、と」
「うむ…」
3人の困惑は深まるばかりである。


その翌日―――
ルーファウスは4人を前に改まって話を切り出した。
「転居を考えている」
「は? 引っ越し?」
素っ頓狂な声を上げたのはレノだ。引っ越し自体に驚いたわけではなく、皆を集めてわざわざ言うことか?という点が引っかかったのだ。
「それに伴い、配属を変更する」
「え…」
「神羅カンパニーにおける総務部調査課は廃止する」
「ええっ」
「改めてWRO内に調査課を新設する。人員は全てそちらに移行ということになる」
「ちょ、ちょっと」
「同時に、ツォン、おまえには主任を降りて貰う」
「待てよ!」
反射的に叫んだのはレノ、イリーナは目を丸くしてぽかんと口も開けたまま言葉もない。ルードはもちろん、無言だ。
ツォンは冷静な声で聞き返した。
「新主任はどうなさるおつもりです」
「そのポストは設けない。WROに所属するといってもリーブの配下に入るわけではない。直属の上司は私だ。特に主任が必要とはならんだろう」
「それって」
「出向という形で取り扱うが、まあ早い話が私のスパイだ」
「スパイ…」
呟いたのはイリーナだ。
「気に入らないなら連絡係でもいいぞ」
ルーファウスは笑う。
「スパイの方がいいんだぞ、と」
「しゅに…ツォンさんはどうするんですか」
イリーナとしては一番気になるポイントなのだろう。ツォンとルーファウスが恋仲だと知っていても、『それも含めて主任が好きなんです』と言ってはばからなかった彼女である。
「ツォンは私の秘書兼護衛として付いてきて貰う。今は以前ほどの危険も無くなった。4人もの警護は必要なかろう」
ツォンが複雑な表情をしたのを、レノは見逃さなかった。聞いてなかったんだな、この話。とレノはこっそり思う。社長はなんでも一人で決める人だからなあ。
「いくら何でも護衛が一人というのは」
「もちろんセキュリティサービスは別に置く。有能なタークスを4人もそばに置く必要は無いだろうということだ」
二人の論議を聞きながら、社長の本心は俺たちお邪魔虫は追い払ってツォンさんと二人だけで暮らしたいってことなんだろうな、とレノは一人納得する。お邪魔虫と思われるのは心外だが、狭いロッジの中に職場も私室もあって夜中でもかまわず人が出入りするって環境は、とてものんびりできるとは言えない。
「転居先についてだけは、おまえの意見を考慮しよう。以上だ」
社長は有無をいわせず話を打ち切った。
ツォンさんになんの相談も無しにいきなり全員に話をする辺りがいかにも社長らしいけど、途中から夫婦喧嘩みたいになってとてもじゃないが口を挟める状況じゃなくなったのは勘弁して欲しい。俺たちの進退もかかってたのに。
どっちにしろ社長の意向に逆らうなんてできっこないし、だからって今更タークスを抜ける―――昔はいざ知らず、今なら辞めると言ったら二つ返事でオーケーしてくれそうだ―――のも考えられない。
だからどうでもいいんだけどな。

「よくないですよ」
イリーナはぷう、と頬を膨らませて呟いた。
「ずいぶん勝手じゃないですか」
「社長の勝手は今に始まったことじゃないぞ、と」
「そうですけど! そりゃ社長は社長だから…。でも今までいつだって、みんなのことを考えてくれたじゃないですか」
「それは違う…」
珍しくルードが口を挟んだ。
「社長は、自分のことを考えていなかっただけだと思う」
「え…」
イリーナが目を見開いた。
「そうだな…と。食事に文句を言わなかったのは、自分の好き嫌いなんかどうでも良かったからだ。俺たちのことを考えてくれたのは、どうやったら俺たちが一番上手く働くかが重要だったからだ。そういう優先順位を付けていて、社長は自分の個人的問題なんかいつも無視だったんだぞ、と。けど…」
「けど?」
「ツォンさんのことだけは別だった」
イリーナは眉を寄せ、唇を噛んだ。レノの言ったことは、いちいちもっともだった。
「ツォンさんに関することだけ、社長はいつも自分の気持ちを優先してたんだぞ、と」
「…そうですね」
社長の主任に対する気持ちだけは、いつもびっくりするほど率直だった。社長に応える主任も。そんな二人の関係に焼き餅を焼きながらも憧れた。羨ましいとも思った。そんな二人が好きだった。
「…ぐすっ」
「なに泣いてるんだぞ、と」
「べつに泣いてません。ちょっとしんみりしただけです」
離れてしまえば、顔を見ることも少なくなる。あの二人を見ていることが好きだったのだと、今にして思う。
「淋しいけど、社長が決めたことなら仕方ないですね」
「二人だけでのんびり暮らすのも、いいと思う」
ルードがぽつりと言う。
「そうだな、と。社長も主任もそろそろ自分たちだけのことを考えて暮らしてもいいんだぞ、と」
「私、お二人のこと応援します!」
いやそれは余計なお世話なんだぞ、とレノは思ったが、口に出して言うことは無かった。



結局ツォンが選んだのは気候の穏やかな海辺の街だった。
コスタ・デル・ソルほど賑やかでもないが、ヒーリンほど寂れてもいない。もともと神羅カンパニーとは縁の薄かった場所で、メテオの被害も少なかった。
ルーファウスの顔を知る者もほとんど無いだろう。
「おまえは気にしすぎだ」
ルーファウスは笑う。確かに以前はきっちり整えていた髪を自然なままに流し、白いスーツの代わりにチェックのシャツなど着込んだ彼は、とても神羅社長には見えない。だけでなく年相応―――よりだいぶ若くさえ見える。
「私が社長だったのは一月ひとつきにも満たない間だけだし、それ以前は4年以上も表には出ていない。顔を覚えている者などほとんどいないさ」
ルーファウスは窓の外に広がる明るい海を見やりながら言った。
海辺の高台に建つ瀟洒というよりはスタイリッシュな造りの家だ。家自体にそれほどの広さはない。海に面した側はほとんど窓になっていて、屋上には芝が植えられている。外側からはわからないが、造りはジュノンの基地並みに頑丈だ。崖下の砂浜に下りられるエレベータもあった。実はその砂浜一帯を含めてプライベートスペースになっており、常にセキュリティサービスの監視下にあった。
それも民間の警備会社の看板を掲げてはいるが、実体はジュノンの神羅軍からの出向だ。
ルーファウスは過剰警備だと言ったが、ツォンがこれでないと納得しなかったのだ。
この家に住むのは、とある資産家の義理の兄弟と言うが実はゲイのカップルらしいとは街の噂である。周囲のうるさい目と口を避けて、ここに越してきたのだと。それも意図的に流した噂だった。
「それでも。貴方が神羅社長であることは変わらない」
「おまえがタークス主任であることもか? 一生この関係か?」
「主任は解任されましたが…」
「そうは思っていないくせに」
ソファに座るルーファウスに背を向けて飲み物を用意していたツォンは、ルーファウスに近づくと背後から顔を仰向かせた。
そっとキスを落とす。
「貴方のタークス主任であることは、私の誇りでしたから」
「そんなもの、魚のエサにでもしてしまえ」
ルーファウスは容赦ない。
「この世界に残って義務を果たせという私の命令を無視したことは忘れていないぞ」
そんなことを持ち出されるとは思ってもいなかったツォンは目を見開く。
「命令に背いてしゃあしゃあとしている時点でタークス主任など当然解任だ」
「申し訳ございません」
「謝って済む問題ではない。ずいぶんと甘い処分だとおまえも思うだろう」
「確かに」
「ふん、わかればいい。おまえはもうタークス主任ではないし、この先再任することもあり得ない」
「残念ですが、致し方ありません」
「残念なのか」
「はい。貴方の命令を遂行することは私にとっていつも歓びでした」
「私はちっとも楽しくなかったぞ」
ツォンにとっては予想外なルーファウスの言葉だった。
命令を下す者と実行する者という立場ではあったが、ツォンには共に一つの目的に向かって尽力している実感があった。任務を果たしてもルーファウスが褒め言葉をくれるわけではなかったが、彼の描く未来図が現実となっていくのを見ることは嬉しかった。
「おまえがいない間、心が安まることはなかった。古代種の神殿で負傷したときも、大空洞から戻らなかったときも、私が平静でいられたと思うか?」
ツォンは驚きで声もない。ルーファウスの口から出たとは思えぬ、あまりにも率直すぎる言葉だった。
「おまえがタークスでなければ良かったのにと思わぬ日はなかった。ようやくそれを実現できたわけだ」
ソファの背もたれを挟んでルーファウスの言葉を聞いていたツォンは、前へ回り込んで彼の前に膝をついた。その手を取り、軽く握る。
「ありがとうございます」
ルーファウスはツォンの前で大仰にため息をついた。
「おまえは…もう少し言葉を選べないのか」
「はあ」
ルーファウスは首を振り、いきなりツォンに抱きついた。
「言葉はもういい。おまえが欲しい。今すぐ!」
そのままソファにもつれ込み、キスを交わす。
もちろん高級な白い革張りのソファは、二人が愛し合うのに十分な大きさだった。


はだけられたシャツとそこから伸びた素足、しどけなくソファに横たわった彼は目を閉じているが眠ってはいないようだ。
ツォンはミネラルウォータを注いだグラスを差し出したが、ルーファウスが受け取る気配はないとみると、差し出したグラスを自分で煽りルーファウスの上に覆い被さった。
いいだけ叫んで枯れた喉に、冷たい水が心地いい。
誰に遠慮することもなく、好きなときに好きなだけ抱き合える環境をやっと手に入れたのだ。
とはいえ、昼日中からリビングのソファで励んでいるという状況は、どう贔屓目に見てもあまり当たり前とはいいかねる。従って邪魔が入ることもおおいにあり得るのだった。

手土産片手にリビングに現れたレノは、ソファに横になったルーファウスを見るともごもごと挨拶しながら宙に眼を泳がせた。
エントランスに迎えに出たツォンは以前と違ってラフな服装ながらもきちんと身なりを整えていたが、ルーファウスの方は明らかに何事かいたしておりました的な乱れ様だ。一応最低限の服は身につけているが…
―――新婚さんじゃあるまいし、結婚10年を超える夫婦(というのが二人に対するレノの認識だ)が真っ昼間からリビングでナニしてるなんてふつー思わねえじゃん―――とレノは心で言い訳する。
ルーファウスは「何しに来た」とは言わなかったが、歓迎されていないのはありありとわかる。
確かに来ることを予告しなかったのはまずかったかもしれない。けれど近くまで来たからちょっと寄ってみようと思っただけだったんだ。社長の顔も見たかったし、イリーナにツォンさんの様子も報告できる。ちょっと前までは同じ屋根の下に寝起きしていた気安さで訪ねてきたのだ。
そもそもこの家に入ってこられるのは、ごく限られた人間だけだ。だからレノが敷地内に入ってきた時点で連絡が入り、ツォンは迎えに出る用意をしたのだ。ルーファウスだってもうちょっとマシな格好になる時間はたっぷりあったはずだ。
それがこの有様というのはわざととしか思えない。

「おじゃまだったかな…と」
「そう思うか」
なら来るな―――と続けられるかと思ったが、ルーファウスはそれで言葉を切った。
「そんなことは無い」
続けたのはツォンだ。
「社長はおまえたちに会うのを楽しみにしておられるんだ」
「ツォン!」
がば、と跳ね起きてツォンを睨みつけたルーファウスを無視してツォンは、
「今度はイリーナも連れてこい。何を遠慮しているのか、彼女はここへ来たことがないからな」
と付け足した。

―――へえええ
レノは心で呟く。ツォンさんも言うようになったなあ。社長に逆らったことなんか無かったのに。この二人もようやくふつーの関係になってきたってことか?

「イリーナはともかく」
ルーファウスはツォンの顔をじっと見つめたまま口角を上げた。

わ、これはまずいサインだぞ、と。
レノは警戒し、ツォンも僅かに身構えた。

「こいつを」
こいつって言われちゃったよ
「入れて3Pはどうだ。おまえ、確かそういうのも好きだったな。他の男にが」
言葉が途切れたのは、ツォンが力一杯ルーファウスを抱きしめてその口を塞いだからだ。

が?
がの次はなんだったんだろうと、二人の熱烈なキスシーンを前にそればかり気になるレノだ。

「駄目です」
ルーファウスの耳元に囁くように言っているが、至近距離にいるレノにももちろん丸聞こえだ。
「貴方を独占することなど私にはできませんが、この身体は私だけのものです。他の誰にも触らせない」
 
レノは思わず天を仰ぐ。
この二人毎日こんなこと言い合ってるんじゃないだろうな…
バカップルのイチャイチャにつきあってるほど暇じゃないんだぞ、と。
「そのまま第二戦に突入なら俺は引き上げるぞ、と」
嫌味の一つも言いたくなるってもんだ。

「いや、食事でもしていけ、レノ。エッジの話も聞きたい」
ルーファウスの腰を抱いたまま、顔だけ振り向けてツォンは言った。
「よろしいでしょう?」
「ああ…」
こちらはレノの方を見もしなかったが、ため息のようなルーファウスの返事はそれだけでぎょっとするほど色っぽい。
今さっきバカップルと思ったことは返上して、こんな相手から求められたらたとえケッコン10年でもめろめろだよな、なんて思う。
ツォンさん上手いことやったよなあ。
十数年前のことを、まざまざと思い出す。
ツォンに手を取られて頬を赤らめていた、まだ幼かったルーファウス。
あれからずいぶんといろいろなことがあった。
世界は変わり、自分たちの立場も変わった。
変わらないものは、この二人の想いだけだったのかもしれない―――
なんて柄にもないことを思ってしまうレノであった。


―――Fall in Love 惚れた弱みか 初めに好きと言った方が
 負けなんて幾千年の恋の法則なの―――
Lovers change fighters, cool

End