気怠い空気さえ流れる午後のロッジにいるのは、ツォンとルーファウスだけだ。 ルーファウスはふと、ツォンのケータイに眼を止める。。 タークスの支給品である黒い携帯には、市販品とは違った機能が搭載されている。 通信網の大半が崩壊してしまった今現在、その機能はほとんど使用出来なくなってはいたが。 「そういえば…」 ルーファウスが何かを思い出すように話し始めた。 「なんでしょうか」 こんな事は珍しい。ツォンは応えながら思う。 無駄話などほとんどしない人だ。常に計算され吟味された結論しか口にしない。 まして思い出話など、聞いたこともない。 思い出話なのかどうかはわからないが、ルーファウスが話そうとしているのは命令でも相談でもなさそうなのは確かだった。 思念体事件で星痕症候群騒ぎが落ちつき、世界が安定を取り戻しつつあるこの時期だからなのかも知れない。ルーファウス自身も病から解放され、弱っていた身体も復調しつつある。 「以前おまえにくれてやったストラップはどうした」 突然の質問に、ツォンは一瞬なんのことかわからなかった。次の瞬間には、それがルーファウスにオリエンス土産だと言って渡されたモーグリストラップのことだと思い出す。 「あれは…」 ほとんど嫌がらせのようなものだった。 『私の好意だぞ』 と言いながら渡されたものを使用しないわけにもいかない。 それ以降ツォンのケータイにはタークスには不似合いな可愛らしいストラップが下げられることとなり、皆にずいぶんと冷やかされたものだった。 「古代種の神殿で、以前の携帯と共に失くしてしまいました」 「ああ…」 ようやく気づいた、という調子でルーファウスが応じる。 「そうだったか」 「はい」 あの事件は、ルーファウスとツォンの関係に置いて一つの転機だった。 それまで頑なに上司と部下、という態度をとり続けていたツォンも、敢えてそれを踏み越えようとはしなかったルーファウスも、それが意味のないものだったことに気づいたのだ。 かつてルーファウスと父親の間に存在していたと同じ、神羅カンパニーという障壁が二人の間にも存在した。 すでにカンパニーが崩壊した今となっては、どのみち意味など無くなってしまったのだったが。 「もしかしたらあれが」 ルーファウスはゆっくりと、なにかを懐かしむような表情で話し出した。 「おまえの身代わりになってくれたのかもしれんな」 ツォンは少しばかり驚く。 そんな感傷じみたことをルーファウスが言うのは初めて聞いた。 「なんだ。そんなにおかしいか」 いささか憮然とした顔で、ルーファウスはツォンをねめつけた。 「いえ…はい、正直言えば、少々驚いております」 「そう…かもしれんな。だがあれは、オリエンスの魔導院で買ったものだった。魔法系のグッズではなかったが、多少の魔力が宿っていたとしても不思議はない。この世界にただ一つの、オリエンスの品だったのだからな」 そうだったのか、と改めてツォンは思う。 ルーファウスは、あれの他に何一つ、あの世界から持ち帰らなかったのか。 想い出の品にこだわるなどの感傷とは無縁な人だと、今自分でも思ったばかりというのに、そのことにはやはり不思議な気がした。 ルーファウスにとって、あの世界の生活は特別なものだった。 一度怪我をして戻り、再び行くことを止められたときの、彼の必死で真剣な嘆願はよく覚えている。あんな彼はそれ以前もその後も、見たことがない。 ウェポンの攻撃に遭ったときも、メテオ落下の際も、数ヶ月にわたる拉致監禁の挙句死病に取り憑かれた時さえも、常にどこか他人事のように超然としていた人だ。 思い返せば、そのオリエンス留学の遠因となった誘拐事件の時さえ、そうだった。 録画の中の泣き叫ぶ子供は、演出されたものだった。彼は救出された後のことまで計算に入れて行動したのだ。 常に冷静沈着――― それだけではない。 この人は 人間らしい感情をどこかに置き忘れてきたのではないかと、ツォンでさえ思うことがしばしばあった。 そしてその置き忘れられた感情が、彼自身にもコントロールできない形で表出することもあったのだ。 けれど、『どうしてももう一度オリエンスに戻りたい』と父親とヴェルド主任を説得した時の彼は、別人のように率直だった。あの二人の心を動かすほどに。 それは、彼の地でのルーファウスが別人だったからなのだろうとツォンは思う。 そうか――― ツォンはようやく合点する。 『私の好意だ』 と言って渡されたストラップは確かにツォンには不似合いで、それを選んだこと自体はかつてルーファウスの要請に応えなかったツォンへの嫌がらせもあったのだろうけれど――― そこに込められた気持ちに嘘はなかったのだ。 だから、あの小さな人形が、古代種の神殿で九死に一生を得たツォンの身代わりとなったのは、本当だったのかも知れない。 オリエンスでは強大な魔法も使えたのだというルーファウスが、たった一つその世界から持ち帰った品だったのだから。 そう思うとひどく惜しい気がし、同時に嬉しかった。 今はもう、彼の気持ちを疑うことも拒絶する必要もなく、上司と部下という関係は変わらぬままながらそれを踏み越えた想いを分かち合っている。 それでもかつて戯れのように 『おまえが相手をしてくれるのか』 と囁いたときから、彼の心は本物だったのだ。 「ありがとうございます」 ツォンはルーファウスを見つめて頭を下げる。 「なんだ、いきなり」 ルーファウスは面喰らったような声で応じた。 「私は貴方に助けて頂いたのですね」 「ああ…、戯れ言だ。真に受けるな」 ルーファウスは苦笑する。 ツォンは立ち上がり、ルーファウスの頬に手を添えた。 「それでも。今こうして貴方に触れることができるのも、生きていればこそです」 「そうだな…」 そっと口唇を重ねる。 口づけは次第に深くなり、ルーファウスの腕がツォンの首を抱く。 熱い吐息がこぼれ、情欲に潤んだ瞳がツォンを見上げた。 今は何の飾りもないツォンの携帯が鳴る。レノからの任務完了の報告だ。 だがツォンはそれを取り上げ、無造作に電源を切った。 それだけで、部下たちは当分戻っては来ない。おそらくそのままエッジあたりへ繰り出すだろう。 ルーファウスが喉の奥で笑う。 「珍しく積極的だな」 「今すぐ貴方を確かめたい」 「いくらでも」 幾度もの死線を越えて、ようやく訪れたこの時は本当に貴重なものだったのだという想いに、ツォンの胸は熱くなる。 ルーファウスもまた、同じ気持ちだろうと思う。 「寝室へ…」 「最初はここでいい。今すぐおまえが欲しい」 悪戯な表情は、幼かった頃の彼を思い出させる。 「御意のままに」 ツォンも笑って、もう一度ルーファウスに口付けた。 END |