HOWEVER

ルーファウスがいなくなった。
すわ誘拐かとタークスは色めきたったが、状況を聞くにつけどうやら自ら姿を消したらしいことが判明した。
八番街の広場で行われた、神羅主催のちょっとしたイベントに出席した後である。
護衛の隙を突き、止める間もあらばこそあっという間に小さな姿は人混みに紛れていたというから、ことは誘拐ではなく脱走である。
ルーファウスは犯罪者でもなく勾留されていたわけでもないのだから、脱走という語は適切ではないのかもしれないが、事実上彼に行動の自由は無い。
逃走の仕方を見れば、計画的な犯行だろう、とヴェルドは言ってから、いや、犯罪ではないのだが、とこれまた苦々しげに付け加えた。
ルーファウスを取り逃がしたのはSSだが、捜索に駆り出されたのはタークスだ。
あの狡知な少年の相手をするに、SSでは頼りないとの判断だろう。

逃げ出したくなる気持ちはわからなくもない、とタークスの誰もが思うのだ。
なんといってもまだ子供だ。
365日24時間監視される生活の上、屋敷から出られるのは窮屈なレセプションか、くだらないイベントに出席させられる時くらい。
神羅の御曹司、といえば誰もが羨む立場のはずだが、実際間近で見ているタークスは誰も成り代わりたいなどと思わない。
しかし、一人で逃亡したとなると放っておくわけにはいかない。
ミッドガルはそれほど危険な街ではないが、なにしろ彼はただの子供ではないのだ。
誘拐計画は年中行事だし、暗殺計画も珍しく無い。もちろん、全て事前に潰されてきたのだが。
またそうでなくとも、ルーファウスは綺麗な子供である。
中身はともかく、外見は一人で不案内な街を歩き回るのが危ないぐらいには可愛らしいのだ。
神羅の御曹司だとばれなくとも、危険なことにかわりは無い。
だが不案内というのは本当だろうかとも、ヴェルドは疑問に思う。
あの子供のことだ。ミッドガルの地図ぐらい頭に叩き込んでいても不思議は無い。しかもその地図は市販されるような不完全なものではない。タークスが使用する詳細なデータの書き込まれた地図にも、彼ならアクセスできるのだ。
あの頭の良さは、神羅の御曹司としては大変ふさわしいが、敵に回した時は極めてやっかいだ。
いや、敵というわけではないのだが、とまた一人突っ込みを入れてしまうヴェルドなのだった。

タークスたちは指示にしたがって、それぞれ街へ散って行った。
本部に残ったのはヴェルドとツォンだけである。
「見つかるでしょうか」
捜索に出たタークスたちの位置を示す赤い点が明滅する壁面のモニタを見ながらツォンが言う。
「まあ無理だな」
「は?」
思いがけぬ主任の返事にツォンは振り返った。
ヴェルドは顎を擦りながら続ける。
「どうやったのかわからんが、ルーファウス様のGPSは機能していない。ミッドガルは子ども一人が隠れるには十分な広さだ」
「あの方が立ち寄りそうな場所を割り出して張り込めば」
「こちらが思い付くような所には近寄らないだろう」
「そう…ですね」
ツォンはルーファウスの綺麗な金色の髪と大きな青い眼を思い描く。
なぜ彼がいきなり逃亡などという暴挙に出たのか、その原因―――少なくとも遠因について知っているのはツォンだけだった。
 
ツォンがルーファウスと会ったのは、それほど昔のことではない。
屋敷から出ることを禁じられて育った子供が、初めて本社を訪れたのが4年前。その時警護に付いたのがツォンだった。
それ以前のルーファウスを知っているのは、屋敷に立ち入ることを許されていたヴェルドだけだ。
ルーファウスは、利発というよりは怜悧という語がふさわしい少年だった。
年齢より幼く見える愛らしい外見からは想像もつかない辛辣な言葉が出てくるかと思えば、カメラに向かえば極上の笑顔を見せる。
ツォンのみならずタークスたちは、これが神羅の跡継ぎというものかと舌をまいたものだった。
その後も、ルーファウスと顔を合わせることがしばしばあったわけではない。
父親が息子を本社に伴って来るのは、なにかしらのイベントがある時に限られた。
ルーファウスがそういったものに一人で出席するようになったのは、ごく最近のことである。
おそらく父親は、近いうちに彼を入社させる心づもりがあるのだろう。
その前哨戦として露出を多くしているのだ。
だがそれに伴って誘拐計画だの暗殺計画だのが次々と湧いて来て、タークスもSSも大忙しなのだった。
その上、彼自ら逃亡を図る事態まで持ちあがると来ては、ヴェルドで無くとも苦虫を噛み潰したような顔になろうというものだ。
だが、ツォンばかりはそうもいかないのだった。
なぜなら、ルーファウスの出奔にはツォンにも責任の一端があるのではないかと思われたからだ。
 
ことは少し前に遡る。
ルーファウスが頻繁に本社に顔を見せるようになってしばらくした頃だ。
年端もいかぬ少年をターゲットにした物騒なテロ計画がコバエのごとく湧いて出て、タークスも駆り出されることが多くなった。
それに社内でごついSSに囲まれた姿を見せるのも憚られ、自然と少数精鋭であるタークスが付くことが多くなっていた。
社内に置いては、タークスに警護されるということ自体が、彼の地位を示すものであったせいでもある。
なかでもツォンはルーファウスに気に入られたのか、警護を命じられることが多かった。
さりげなく訊ねてみると、「おまえはヴェルドの後任と言われているそうじゃないか。私の警護をするのに一番相応しい人材だと思うが?」と返されて、なにやら複雑な気分になったものだ。
15かそこらの少年の言いようとしてはあまりに殺伐としている上に、傲慢さも漂う。
確かにカンパニーの跡取りとしては相応しいと思うものの、なにもかもを損得と計算で割り切っているのかと思うと反感というよりむしろ哀れさを覚えた。
それはたぶん、ルーファウスの見た目が愛らしかったことと無関係ではない。
見た目も中身も人間と言うよりは人形のようなこの子供に、興味が湧いた。
マスコミに向けて振りまく笑顔の他はほとんど無表情なその顔が、感情で動く様を見てみたいと思ったのだ。
タークスは荒っぽい戦闘などもこなすが、本来は情報収集を主とした諜報活動の任務が多い。当然、人の感情を操るようなテクニックも習得している。そんな大人の手にかかれば、いくら賢い少年でも懐柔するのはさほど難しい話では無かった。
ツォンは慎重にルーファウスに接近した。
少しずつ、仕事以外の話を持ちかけ個人的な話題を振り、少年の警戒心を解くことに専念した。
べつに邪な下心があったわけではない。
ツォンの性的嗜好は至ってノーマルであったし、子供を性的対象として見ることも考えられなかった。
ただ、年相応の表情を見てみたいと思っていただけだ。できれば心から笑った顔を。
しかし物事はそうそう思う通りには運ばないもので、結果的に見ればツォンはやりすぎたのだ。
 
他人との接触を極度に制限されて育った子供は、自分に向けられる好意に対して免疫がなかった。
なまじツォンのそれが全部嘘ではなかったが故に、ルーファウスは拒絶する術を持たなかった。
ツォン自身もまた、自分の『興味』が『好意』と表裏一体であることをさほど重要とは思っていなかったのだ。
二人にとって互いの立場は、互いの利益に裏打ちされた信頼を置くに足るものだった。だからルーファウスに対して好意を持つことも特に不自然でもなく忌避すべきことでもなかった。
それはルーファウスにとっても同じで、そこに二人の油断があったのだ。

ツォンは自分の思惑が成功したことを、単純に喜んでいた。
ツォンに対してルーファウスが時折見せるはにかんだような微笑みは、ほんの僅かな表情の動きだったが、はっとする程魅力的だった。偶然居合わせてそれを見たレノが、ぽかんと口を開けて固まるくらいには。
そんな顔を見せるようになった少年は、以前に比べるとずいぶんと感情豊かになったように思えた。それは決して悪いことではない。なにしろルーファウスはまだ15才なのだ。
物心つく前に母を失い、あの権威主義的な父親だけを家族として育った子供は、必要以上に感情を律する術を身につけていた。
その頑なな殻を破り、人間らしい感情を表現する彼を見ることは、ツォンに達成感と誇らしさを感じさせた。
だが、ツォンが見落としていた重大な瑕疵がそこにはあった。
マスコミが『天使のように愛らしい』と評する容姿、幼さの残る声に惑わされていたのかも知れない。
ルーファウスはまだ15才。されど15才の少年は幼児ではない。思春期まっただ中の『お年頃』だったのだ。
 
ことの始まりは、一ヶ月ほど前だ。
ルーファウスの誕生日が、盛大なパーティで祝われた。招かれたのは当然各界の名士たちだ。本日16才になったばかりの少年に相応しい友人など、一人もいない。
けれどルーファウスは完璧なマナーと完璧な営業用スマイルで完璧な主役を演じきった。
ツォンは終始ルーファウスの後ろに控え、ご婦人方が白いスーツの彼を本当に天使のようだと評するのを聞いていた。
会場を後にすると、ルーファウスは車のシートに沈み込み、眼を閉じた。さすがに疲れたのだろう。眼の下に薄くクマが浮いている。
「お疲れになりましたか」
「そうだな…。誕生日など祝ったのは初めてだからな。居心地良いとは言いかねるイベントだ」
ツォンは少しばかり驚いた。
確かに昨年までこんなパーティが開かれることはなかったが、当然屋敷で誕生祝いをしていたものと思っていた。
「お屋敷では?」
「なにもやったことはない」
「そうですか…」
「普通はやるものなのか?」
ツォンの戸惑いを感じ取ったらしいルーファウスが訊ねてくる。
「そうですね、家族や友人と祝うことはあります」
「ふうん…」
おそらくそれがどんなものなのか想像がつかなかったのだろう。ルーファウスは曖昧に頷いた。なんでも与えられていると思われているこの少年は、誕生日を祝って貰ったことすら無かったのだ。
それきり黙ってしまったルーファウスの横顔を眺めながら、ツォンはせめてもう少し人並みの楽しみを味合わせてやりたいものだと考えていた。

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