サラギの灯









 いつの間にか、窓の外が夕暮れに彩られていた。
 部屋の中は当然、凝った闇がわだかまっている。
 ルーファウスは緩慢な動作でソファから起き上がり、明かりを燈した。
 ちらちらと瞬く弱い炎が、ぼんやりと部屋を照らし出す。
 金色の髪が明かりに照らされて美しく輝いたが、もちろん自分で見ることはかなわない。
 この殺風景な部屋には、鏡もなかった。
 まだ戻らぬ男を待ちながら、せめて彼が戻ったときに暖かいものでも飲ませたいと思い湯を沸かそうとしたが、暖炉の熾は疾うに灰になっており改めて火をおこす事はできそうもなかった。
 そう思ってみれば部屋の中はしんと冷え切って、自分の手もひどく冷たい。
 寒さも暑さも感じさせない環境で育ったルーファウスは、自分でそれを調節するという生活になれていない。いや、それだけでなく生活能力全般に欠けていた。
 自分の手でやれることといったら端末を扱うことと文字を書くことくらいだが、そのどちらも、今のこの生活では縁がない。
 小さくためいきを落とし、もう一度ソファに横になった。
 瞳を閉じながら、早く帰ってくればいいのに―――と遅い男を少しだけ責めた。

「…さま、ルーファウスさま」
 大きな手が自分を揺り起こす。その感触が好きだった。
「ん…ツォン…」
 擦れた声で男の名を呼び、ゆっくりと瞳を開く。笑いかけようとしたが、上手くいかなかった。身体は強ばり、意志とは無関係に震えている。
「せめてベッドでお休み下さい」
 おまえを待っていたんだ。
 眠るつもりじゃなかった。
 そう言いたかったが、声にならなかった。
「熱がおありですよ。こんな火の気のない部屋で毛布も掛けずにやすまれるなんて」
 男の腕が自分を抱き上げる。二人の体格差は歴然としていて、小柄な自分はすっぽりと腕の中に収まって、軽々と運ばれる。
 ベッドに下ろされて服をはだけられた。
 以前よく着ていたようなかっちりしたスーツではなく、安物のシャツとボトムだ。簡単に脱がされていく。
 男の手が素肌に触れると、ルーファウスの口から吐息がもれた。
 慣れた快楽の予感を辿って身体の芯に火が灯る。
 幾度こうやって肌を重ね、夜を重ねたか―――とうに数えることはやめた。
 少し前まで、男はおろか女も知らなかった身体だ。
 いや、恋という感情すら知らなかった。
 厳重に囲われ、閉ざされた籠で育てられた雛だった自分。
 その籠の中の未来を厭い、外の世界に憧れた。
 一番身近にいたその男に、叶うべくもない愚かな夢を語ってみせた。
 本気ではなかったのだ。
 無理だということは、誰よりもよく自分が承知していた。
 けれど、もしかして―――心の奥底に、もしかして―――という望みが湧いたことも確かだった。
 男が、自分に執着していることを知っていたから。
 
「ツォン…」
 腕を伸ばしその首を抱こうとしたが、やんわりと遮られた。
「着替えて、お休みになった方がいい。すぐ食事をお持ちしますよ」
 欲しいのは食べ物じゃない。


 
 身体を与えることに逡巡いはなかった。
 逃避行の最初の夜。
 場末の宿の狭いベッドで、男と身体を繋げた。
 その行為に、なにがしかの価値があることは知っていた。
 そして今の自分に、それ以外の価値がないことも分かっていたから。
 慌ただしいその時間が快楽をもたらせることはなかったが、それでもルーファウスは満足を覚えた。
 痛みはあったが少しも不快ではなかったし、縋り付くように自分を求めてくる男を愛しいとさえ思えた。
 事が終わると男はルーファウスの髪を撫でながら、
「痛かったですか」
 と、まるで小さな子供に言うように尋ねた。
 この男にとって自分はそんなに子供なのだろうか。
 確かに年は10以上離れている。本来ならばまだスクールに通っているような年令かもしれない。
 だが、そんな子供を相手にこんな行為をするなんて、それはまるで自分で自分のことを変態だと言っているようなものだぞ。
 そんな考えが頭をよぎり、ルーファウスは少し笑った。
 それをどうとったのか、男は微笑みながらルーファウスの額にくちづけた。
 ルーファウスはその微笑みに見とれた。
 それを見ただけで、あの籠を飛び出してきた価値はあったのだと、そんな気がした。



「ツォン」
 もう一度名を呼んで、腕を伸ばす。
 二度目の要求は、拒まれなかった。
「仕方ない方だ」
 服を着せようとしていた手が、違う意図を持って身体をなぞる。
 口付けが降りてきてルーファウスの息を奪う。片手でその頭を支えながら、もう一方の手は脚の間にすべり込んでくる。
「う、んっ」
 その刺戟に身体を捩り、ルーファウスは脚を男の身体に絡めた。



「お辛いかもしれませんが、夜のうちに発ちましょう」
 そう言われて休む間もなく身繕いをし、こっそりと窓から抜け出した。
「どこへ行くんだ?」
「一度ミッドガルへ戻ります」
「そんな…」
「灯台もと暗しと言いますからね。逃亡には準備が必要です」
「金か。だが口座にアクセスすることはできないぞ」
「もっと手っ取り早くて、アシの付かない方法がありますよ」
 そう言ってツォンは不敵に笑った。

 プレート下でももっとも治安状態の悪いスラムで、その日一件の強盗事件があった。
 もちろんニュースにもならず、誰も注目することのない些細な犯罪だ。
 二人組の強盗は銃で武装して両替屋に押し入り、小柄な方の男がマシンガンを連射して店の中を容赦なくずたぼろにする間に、大柄な男が手際よく現金を掻き集め、あっという間に姿を消した。
 幸いなことに人死には出なかった。
 軍も警察も、ここでの犯罪は見て見ぬ振りだ。
 被害者も加害者もどうせ同じ穴の狢なのだ。
 それだけの、事件だった。

「あは、ははは」
 ルーファウスはご機嫌だ。
 スラムで盗んできた車はポンコツで、サスペンションがいかれているらしくひどい乗り心地だったが、そんなことは全く気にならない。
「神羅の跡継ぎが強盗とは、誰も考えもしないだろうな」
「あくまで非常手段ですよ」
「そうか? お前と二人ならこれを生業にしても食べて行けそうだ」
「ご冗談を。あの両替屋はコルネオの息のかかった店でしたから問題はありませんが…」
「ふん。被害者が気の毒だと? カンパニーのやり方は、もっと回りくどいだけであれとなんら変わりはない。私はずっとそういう『仕事』をしてきたのだから、今さらだ。おまえだってそうだろう」
 吐き捨てるようなルーファウスの物言いに、ツォンは顔を顰める。
 それを眺めて、ルーファウスは満足する。
「冗談だ、ツォン。せっかく逃げ出してきたのだからな」
 言いながらツォンの首に腕を巻き付ける。
「シートベルトをしてください。ルーファウス様」
「固いことをいうな。私はもうカンパニーの後継者ではない。ただの、ちんぴら強盗だ」
 そう言って喬い声で笑い、ルーファウスはツォンの頬に口付けた。


「おまえも脱げ、ツォン」
 荒い息を継ぎながら、ルーファウスは男のシャツのボタンに手をかけて言う。
「これじゃあ、温かくない」
 ツォンは笑い、手早く衣服を取り去った。

 熱い肌が心地いい。
 その肌に抱き込まれて、その熱を身の内にも感じる。
 冷え切っていた腕も脚も、熱に翻弄されていく。
 突き上げられ、引き抜かれる、その律動の繰り返しに溺れて。
 ツォンに触れている部分が全部、手のひらも、胸も、腰も、身体の内側の粘膜も、全部が熱い。
 それが痛みなのか快感なのか、ルーファウスにはよくわからない。
 ただ、これが無くては生きていけない―――そう思う。



 盗んだ金を使いながら、街々を転々とした。
 ツォンはタークスのやり方を熟知していた。だから、その追及の手を逃れるのは簡単ではなかったけれども、不可能ということはなかった。
 姿を変え、名を変え、痕跡を残さぬように。
 ルーファウスは髪を染め、ツォンは髪を切った。
 その髪の手触りが惜しいとルーファウスは思ったが、髪を短く刈り上げたツォンは精悍で、以前より生き生きとして見えた。
 強面の兄貴といかにもなちんぴらの弟分。
 二人はたまに強請ゆすりをしたり、場末の賭場で博奕をしたりした。
 ルーファウスはおそろしく博奕に強く、小金を稼ぐのは簡単だった。そしてどこの賭場の元締めも、はした金のためにツォンに文句を付けようとはしなかった。
 しかしそれも長く続けば必ず噂になる。
 だからその前にヤバイ仕事からは足を洗い、今度は仕事にあぶれて村を出てきたごく普通の若者を装った。
 半端仕事をして日当を稼ぎ、安酒屋で食事を取る。
 そんな『真っ当な生活』も、ルーファウスを楽しませた。
 慣れない労働にへとへとだと言いながら、額に汗して働くのを厭うことはなかった。
 自分と同じ年頃の若者たちと接することや、年嵩の男たちが乱暴に頭を撫でて「頑張ってるな、ぼうず」と声をかけてくれること、賄いのおばちゃんが少しだけ大盛りにしてくれること。そんなことの全てが、ルーファウスにとって新鮮だった。
 だが、それも長くは続かなかった。
 崩れてきた荷物の下敷きになって、ルーファウスが怪我をした。
 たいした怪我ではなかったのだ。
 足の骨にヒビが入ったのだろう、できればしばらくは安静にしていろと、それが町医者の診たてだった。
 だがツォンはそのことをひどく気に病んだ。
 宿の女将は怪我をした子供に食事を運んでくれたが、それもツォンに警戒心を抱かせた。
 必要以上に街の住民と親しくなることは避けなくてはならない。
 ある朝、3日分の宿代を踏み倒して二人の姿は街から消えていた。あとから、二人に金を貸したという者が何人か現れた。それは全て借金とも呼べないような額で、貸した者たちの方が『気にすることはなかったのに』と二人を憫れむくらいだった。
 ありふれた夜逃げを演出し、渋るルーファウスを急き立ててツォンは次の街へ急ぐ。
 ルーファウスは怪我した足が痛むと言って、途中からツォンの背に負ぶさって夜を越えた。



 ツォンの放ったものが身体から溢れ出して脚の間を伝う。それがシーツを汚していくのをぼんやりと感じていた。
 離れていこうとする男の身体を引き止め、縋り付く。
 まだもう少しこうしていたい。
 一日、待っていたのだから。
「食事にしましょう」
 ツォンはルーファウスの腕を引きはがし、身体を拭き清めて手早く服を着せ、毛布にくるんだ。
 ルーファウスはもう逆らわなかった。
 待っていた時間は終わってしまった。
 あとはまた、明日を待つしかやることがない。
 ルーファウスは目を閉じる。
 


 新しい街で宿を取ると、ツォンはルーファウスに外出を禁じた。
 しばらくの間ルーファウスは不満げだったが、やがて何も言わなくなった。
 二人はまた街を渡り歩き、秋の終わり頃アイシクルにほど近い寂れた街に部屋を借りた。
 ルーファウスの体調が悪く、旅を続けることが不可能になったからだ。
 春までここで過ごし、回復したらまた別の街へ移動しましょうとツォンは提案した。ルーファウスは黙って頷いた。

 

 ツォンの運んだ食事は、結局手を付けられることなく冷えていった。
 眠るルーファウスの傍らで、ツォンは夜通しその瘠せた寝顔を見つめていた。


 薄暗い朝がくる。
 この北の地では、この季節晴れ間が見えることはほとんど無い。
「お目覚めですか」
 男の声が、ルーファウスの意識を一気に覚醒させた。
「ツォン?」
「はい」
「仕事に行かないのか?」
「今日は休みです」
 そうだったろうか。ルーファウスは訝しむが、本当のところ今日が何日なのかも定かではない。
 そんなことはどうでもいい。
 一日ツォンが傍にいるのだということが、ただ嬉しかった。

 ツォンの作った食事を二人で取り、ツォンの淹れた茶を飲みながら無駄話をする。
 ルーファウスはベッドに半身を起こし、ツォンはその脇に椅子を置いて。
 一日中部屋に閉じこもって話題のないルーファウスは寡黙になり、反してツォンはすっかりよく喋るようになった。
 けれど今日は少し様子が違っていた。
 何に気を取られているのか、ツォンは時折上の空になる。
 ルーファウスの胸に疑念と不安が兆した。



 踏み込んできたのは、タークス主任ヴェルドと新人と呼ばれていた赤毛の男、金髪の女だった。
 立ち上がろうとしたツォンを、ルーファウスはありったけの力で引き止める。それはなんとか成功して、ツォンは立ち上がる機会を逸した。

「ツォン、おまえは控えていろ」
 居丈高に命じてルーファウスはヴェルドに向き合う。
 ツォンは痺れるような快感と共にその声を聞く。
 この逃亡生活の間ずっと、ルーファウスを庇護し導いてきたのはツォンだった。ルーファウスはツォンに従い、全てを委ねてきた。
 ルーファウスのために金を稼ぎ、食事を作り、服を整える。その身体を隅々まで愛撫し、快楽を共にする。
 最初はただなされるがままだった身体も、次第にツォンを受け入れて悦びに喘ぎ昇りつめるようになった。そんな彼を愛しいと思い、それが自分のものであることが嬉しかった。
 だが、これがルーファウスの本質だ。
 何者にも、決して屈することのない毅い魂。
 どこにいても、どんな時でも、この方は真実神羅カンパニーの後継者だ。

「お迎えに上がりました。ルーファウス様」
「そう言われておとなしく付いていくと思うのか?」
「貴方に選択肢はありません」
「そうでもない」
 言うなり、ルーファウスは枕の下からナイフを取り出した。
 かたや訓練を積んだタークス、かたや戦闘の経験もない子供―――ではあっても、そのナイフの狙う先が彼自身の身であったが故にヴェルドも二人のタークスも咄嗟に対処することができなかった。
「茶番はおやめください、ルーファウス様」
 ヴェルドが顔を顰める。平静を装っているが、声には焦りが滲む。
 ルーファウスが本気であること。必要と思えばどんなことでもやってのける性格であることは、十分承知していた。
 何よりの証拠に、1年近くもカンパニーの追跡の手を逃れて逃げ続けて見せたのだから。それが多くをツォンの能力に負っていることは確かだったが、そのツォンを取り込んで逃避行を実行させたのは他ならぬルーファウスだ。
 この方は、目的のためならば最大限使えるものはなんでも使う。
 自分を傷つけることなど少しも逡巡いはしないだろう。
 そして当然、それはヴェルドの任務の失敗を意味するのだ。
 ヴェルドの焦躁を聞きつけて、ルーファウスは嗤った。

「茶番で結構。おやじを呼び出せ、ヴェルド」

 真っ直ぐに、胸の真ん中に当てられた切っ先。刃渡り10センチほどの小振りなナイフではあったが、やや左に向けられたその刃先を見ればルーファウスの意図は明確だった。
 ほんの少し力を込めれば、その刃は簡単に心臓を貫くだろう。どんな救命措置も間に合わないに違いない。
 狼狽えたのは、ヴェルドよりもむしろツォンだった。
 
「ルーファウス…さま…」
「黙れ、ツォン。おまえと話すことは何も無い」
 ルーファウスの声は冷ややかで少しの動揺も緊張もない。
 この場の支配者は15を過ぎたばかりのこの子供なのだと、居合わせた者たちは思い知らされる。
 ことにツォンは―――その声に打ち拉がれた。
 ルーファウスは、ヴェルドを呼び寄せたのがツォンであることに気づいている。
 考えあぐねた末に出した結論だ。
 その判断に誤りはないと信じている。
 このまま、この方をここに置いておくわけにはいかない。
 こんな最果ての土地で―――死なせるわけにはいかないのだ。
 だが、それが裏切りであることは否定のしようがない。
 神羅を逃げ出してきたときに、死は覚悟したはずだった。
 共に生き、共に死ぬ。
 言葉にしたことはなかったが、それが二人の想いだったことは間違いない。
 ただ―――
 ツォンにとっては、あまりにも想定外だっただけだ。こんな形でルーファウスを失うかもしれないということが―――

「社長と何をお話しされたいと言われるか」
「おまえたちと戻ってやってもいい。だが、条件次第だ」
「お聞きしましょう」
「おまえではだめだ。おやじと直接交渉する。それ以外は認めない」
 ルーファウスの声は硬く、感情のかけらも無い。ヴェルドは舌を巻く思いでその姿を見つめる。
 頼りなさを残した子供の面影は、もうそこにはない。この1年が彼に与えたものはなんだったのだろう。
「よろしいでしょう」
 ヴェルドはゆっくりと頷いた。

『あまり世話を焼かせるな、ルーファウス』
「戻ることに異存はない。ただ、一つだけ私の要求を呑んでもらえれば」
『…要求とはなんだ』
「この犬を私に与えるという約束だ、社長」
 項垂れていたツォンが、弾かれたように顔を上げる。
『バカなことを。命令に背いたタークスの処分は決まっている』
「だから私が引き受けると言っている」
『規則は曲げられない』
「ふん、そのようなつまらぬ規則さえ己の裁量で変更できぬような統帥の地位に、私が継ぐほどのどんな価値がある」
『…』
「そんな未来などいらない。この地で、木一本分の肥料にでもなった方が余程ましだ」
『ルーファウス!』
「ルーファウスさま…!」
 ツォンの悲鳴のような声が重なる。
 なぜそんなことを。
 貴方のためならば、この命など少しも惜しくはないのに。
 肩で息をし、額に脂汗を滲ませたルーファウスは今にも倒れそうだ。すでにナイフを持った腕はベッドの上に落ちていたが、ヴェルドはそれを取り上げようとはしなかった。
 そんなことをしても意味がない。
 たとえ力ずくで連れ帰ったとしても、彼が自分を害することを止めるのは無理だ。
「社長、ここはわたくしにお任せを」
 ヴェルドは沈黙してしてしまった主人に進言する。
『分かった。倅を連れて戻れ』
 通話はそれで切れた。
 ルーファウスは、父親の声とツォンの叫びを聞きながら意識が遠のいてゆくままに任せる。
 なにもかも、まるで最初から予定されていたようだと―――そんなふうに思った。




「お寝みでしたか」
 柔らかいその声の響きが浅い眠りを破る。
「…昔の夢を見ていた」
 目を閉じたままルーファウスはその頼り無い記憶を反芻する。
「おまえと…」
 逃げていたときの、と言おうとしてルーファウスはふと疑問を感じる。
 それはいったい事実だったのか?
 あの時、ツォンは二人で逃げることを承諾したのだったか。
「痛みはありませんか?」
「ああ…」
 本当はまだ少し鈍い痛みが胸に残っていたが、そのくらいならば無視できる。酷い発作でなければ、薬を使うことはなるべく避けたい。
 そうか。
 この痛みのせいであんな夢を見たのかもしれない。
 あれが事実であったかどうかは、どちらでもいいことのような気がした。
 結局、自分の手に残ったのはこの部下たちだけだったのだ。

「ツォン」
 
 ルーファウスは手を伸ばし、ツォンの腕を捉える。
 そのまま引き寄せて、唇を重ねた。

「おまえが…」

―――いればいい

 ひっそりと囁かれた言葉は二人の間に落ちて、ルーファウスを抱くツォンの腕に力を込めさせた。

end

あとがき