僕達の勝敗 ヒーリンのロッジを訪ねたのは、ほんの気まぐれからだった。 2ヶ月ほど前まではしばしばあった輸送の依頼が、ぱったり途絶えた。 代わりにWROからの依頼が増えて『業績が落ち込む』ことはなかったのだが、3日に一度は足を運んでいたそのロッジにまったく立ち寄らなくなると、幾分物足りない気がした。 ロッジの主人は御世辞にも善人とは言いかねる上、自分との仲も訳ありすぎて良いとも悪いとも判断がつかない。 だがその主人に仕えている連中とはそれなりに気も合ったし、彼等が(主人も含めて)今の世界に必要な仕事をしているのだということには、敬意を払っても良いと思っていた。 実際、メテオ災害直後から彼等が復興のために動いていたのだとは後から知った話で、さまざまの経緯から敵味方に分かれて戦ったこともあるとはいえ、彼等には彼等なりの正義と義務感があったのだと今はわかる。 ケータイ一つだって、こう早く復活したのは『何よりも通信を』というあの男の意志があったからで、自分たちではそんなものを運営することすら考えられない。あってあたりまえのように思っていたものが、すべて人の働きによって維持されていることが理解できたのは、つい最近だ。そういう意味では、あの男が見ている世界と自分たちが感じている世界は全く違うものなんだろうと思う。 通い慣れた道を辿り、ロッジの階段を駆け上ってドアを叩いたが、なんの返答もない。 中に人の気配がないことは容易に知れて、それでも一応ドアを開けてみた。 先日までは確かにあった生活の匂いは、きれいに消えていた。 うっすらと埃の積もった床は、ここが放置されてそれなりの時間が経っていることを示している。 引っ越したのだろうか。 ならば何故知らせてこない。 身勝手はアイツの身上、とわかっていても腹が立つ。 いつだってそうだった―― 1年半ほど前、クラウドはルーファウスと関係を持った。 いや、正確に言うならば持たされた。 襲われたという方がいいのじゃないか、とクラウド自身は思うが、世間的にはそういう言い訳は通らないとはわかっている。 彼を抱いたのはどう考えても自分の意志で、強制されたわけではない。そもそも男に対してそういうことを強制できるのかすら疑問だ。 男に抱かれることに、もっと言うならば男を誘惑することにもおそろしく手慣れたその手管に、理性のタガが外れたことは間違いないのだ。 神羅カンパニーのトップとして――あの男はカンパニーに入社したときから副社長だった。一兵卒だった自分とは違って――世界に君臨した者が、淫らに脚を開いて男を誘うとは驚きだったが、それを組み敷いて喘がせることに格別の快感がなかったと言ったら嘘になる。 その証拠に、その後再び誘いを受けたときも、その目的がわかっていながらまたあの別荘へ足を運んでしまったのだ。 行為の最中のルーファウスは普段の尊大でひとを食った様子とは大違いで、潤んだ瞳の蒼も縋る腕の力も儚ささえ覚えさせる。もちろんそのテクニックも極上で、男を抱いた経験など他にはないクラウドにもそうとわかるほどだった。 落魄したとは言っても彼はいまだ世に並ぶ者のない財を持っており、その育ちと血統の良さから来る優雅さは誰にも真似できない。 神羅カンパニーの副社長が、身体を使って取引先をたらし込んでいるという下世話な噂をその昔聞いたことがあったと思い出す。 セフィロスとの関係も、軍の中ではしばしば囁かれる噂だった。 それらが単なる噂ではなかったのだと、今にして了解する。 彼の誘いをはねつけるなど、並の人間に――いや、あの英雄にさえ――出来ることではなかったのだ。 夢中だった最初に比べ、二度目以降は少しは余裕を持って行為に臨めたと思う。 ルーファウスの反応を楽しむことも出来た。 並んでいればさほど体格に差があるとも見えないのに、服を脱ぐとその身体がひどく華奢なことも、金の髪が細く柔らかく、色こそ似ていても自分の髪とはおよそ違うことも、そこからたちのぼる甘い香りが彼自身の体臭だということもわかった。 喘ぎ混じりに耳元に囁かれる声はぞくぞくするほど艶っぽい。 男のそんな器官が性欲を刺激するなどそれまで考えたこともなかったが、一度その快楽を知ってしまえばためらいは無かった。その締め付けの強さと中の感触に溺れて欲望を吐き出すのは、信じられないほど快感だった。 だが、そんな関係を持つことに罪悪感がなかったわけではない。 ルーファウスはどうか知らないが、自分にはずっと心を寄せ合ってきた女性がいる。 彼女を裏切っているという意識は、消しようもない。 自然にもれたため息に、彼は笑って『気にすることはない』と言った。何もかも見透かしたようなその笑いにむっとしていると、 『こんな事を気に病むくらいならさっさと結婚して子供を作れ』とけしかけられた。 よけいな御世話だ、と言いたかったが、続けられた言葉にきっかけを失った。 『世界は子供を必要としている。愛し合う両親から生れた愛される子供をだ』 彼自身は愛される子供ではなかったのだろう、と思わせる口調だった。だがそれがなんだというのだ。何もかも手に入る環境で育ったくせに。 『アンタこそ、そうしたらどうなんだ』 軽くいなしたつもりの言葉は、しかし思いがけない反撃にあった。 『神羅の血を私の代で終わらせることが、私の義務だ』 今度こそ、クラウドは返す言葉を失った。 ルーファウスの絶望の深さを、初めて知った気がした。 ロッジを出て、WROの本部へ向かった。リーブならば、ルーファウス達の居所を知っているだろう。 向うが連絡してこないなら放っておけばいいと思う反面、文句の一つも言ってやりたいとも思う。 考え込んだ挙句行動に出ないのは自分の悪い癖だ、と最近は思うようになった。 ザックスを見習うなら、彼のフットワークの軽さこそを見習うべきだったのだ。 だからここは是が非でも居所を突き止めて文句を言ってやる。 そう心に決めてフェンリルを走らせた。 「ご存じなかったのですか…?」 思いの外暗い声で、リーブはクラウドの問いに答える。 「何を?」 「彼は――亡くなりました」 「なくな… 死んだ?」 一瞬、言葉の意味を掴みかねた。 「一月ほど前のことです。そうですか。連絡は行っていませんでしたか…」 「なんで」 「ずっと…体調が思わしくなかったようです。4年前の怪我と星痕のせいで」 「でも星痕は良くなったはずだ!」 自分も同じ病を患っていたのだ。なんの後遺症もないことは、誰よりよくわかっている。 「ええ…。彼の場合は、症状を抑えるために使っていた薬の副作用の方が問題だったようですね」 「そう、なのか…」 「星痕の発症から半年…良く持ったものだと思っていましたが、やはり身体にはずいぶん負担だったのでしょう。それでも一時はかなり回復しているようだったのですが…」 「…急だったのか?」 「そうですね。我々には寝耳に水でした。おかげでいまだにてんてこ舞いですよ。業務の引き継ぎだけでも」 僅かに冗談めかして言うリーブにとってその訃報は確かに一月前のことだったのだろう。だが、クラウドにはたった今知った事実だ。 「タークスは、どうしている?」 声が喉に絡む。 どういう顔をしたらいいのかわからなかった。 リーブにとって、彼はどんな存在だったのだろう。 かつての上司。 幼い頃のルーファウスも、この男は知っているはずだった。 世界の命運を賭けた戦いの中で、土断場での裏切り。そして再び彼等が手を結んだ経緯については、よくは知らない。 もしかしたらその裏切りすらも演出されたものだったのかもしれない。 そんな話は、したことがなかった。 人の良さそうな笑顔に隠されていても、リーブはあの神羅カンパニーの重役であったわけで、それに相応しいだけのしたたかさと世知を持ち合わせている。 本当の意味でルーファウスと渡り合うことが出来たのは、自分たちの中ではこの男だけだったろう。 単純に、神羅カンパニーの社長は敵だと思っていられたら良かったのに。あの屋上で対峙した時のまま。 「彼等はエッジにいますよ。ああ、ちょっと待ってください。今、連絡先を」 ケータイのナンバーも聞いたが、直接顔を見て話を聞かねば納得できない。 クラウドはまず教えられたレノの住所を尋ねた。一番話しやすそうな相手だったからだ。 「墓はないんだぞ、と」 いつもの調子で返されて、思わず「オレをからかってるんじゃないだろうな!?」と怒鳴り返していた。 「冗談だったらちゃんと墓も用意するんだぞ、と。社長ならそのくらいやるぞ、と」 ふざけた言葉だったが、そのセリフを吐いているレノの眼は笑っていなかった。 「社長の身体は、神羅ビルの跡地に運んでオレ達が焼いたんだぞ、と。4人でファイガかけたら、灰も残らなかった」 そうしろと言ったのは社長だったから。 ルーファウス・神羅はウェポンの攻撃で死んだのだからと。 それきりレノは口を噤んだ。 ただ、ツォンに会いに行けとだけ言って。 教えられたツォンの住所を尋ねると、顔を見せたのは若い女だった。 無防備にドアを開けたその女に不用心だと一瞬思いかけたが、そういえばこの女もタークスだったと思い直す。 なまじな賊など当然太刀打ちできないだろう。 ツォンは留守だがすぐ戻ると言いつつ、イリーナはクラウドを迎え入れた。 何故ここにいるのかと問えば、一緒に住んでいるのだという。 その意味を計りかねて沈黙してしまったクラウドに茶を差し出しながら、イリーナは聞かれもしないことの経緯をしゃべり出した。 「これは社長の指示なんです。社長ったら、わたしに主任を襲えなんて言ったんですよ。呆れちゃいますよね。女性に対して言う言葉だと思います? しかも主任がダメなら他の男とでもいいから子供を作って育てさせろって。社長は昔よくわたしの姉と間違えられたから私の子供ならきっと社長に似ているだろうって。そうしたら主任は喜んで育ててくれるなんて、冗談じゃないですよね。ひとをなんだと思ってるのかしら」 機関銃の如きセリフに、クラウドはたじたじとなる。 思い出せば確か彼女はあの戦いの日々の中でも実によく喋っていた。 時には重要な情報を漏らしてくれ、ありがたい存在だったのだ。 だが今思えばそれも、ルーファウスの指示のうちだったのかもしれない。 彼が自分たちを泳がせていたことは、分かっている。 そして最後にはすべての命運を托されたのだと言うことも。 「…でもきっと社長は、主任に人並みの幸せを味わって欲しかったんだと思うんです。私が主任を好きだったってことも、ご存じだったし。ああ、もちろん、社長が生きてらしたときは社長と張り合おうなんて思ってなかったです。そんなの無理だし。主任は社長がお小さかったときからずっと、社長のことを好きだったんだって、レノ先輩も言ってました。そんなの、かなうわけ無いでしょう? それに社長はとってもキレイで色っぽかったし。あら、それはあなたの方がよくご存じでしたね」 そう言って彼女はけらけらと笑った。 クラウドは目眩いか頭痛か分からぬものを感じながら、ただその言葉の攻撃を甘んじて受けていた。 笑いで誤魔化してはいても、彼女の声には悲嘆が滲んでいる。 ルーファウスは自分に言ったのと同じことを彼女にも言ったのだ。 子供―― 死んでゆく自分の代わりに愛される新しい命をと―― 「イリーナ」 咎めるような声がドアから響いた。 金髪のタークスは首をすくめて舌を出し、 「お茶のお代わり、淹れてきます!」 と言って部屋を出て行った。 入れ違いに入ってきたツォンはきっちり着込んだ制服も相変わらずで、一瞬時が巻き戻されたような錯覚に陥った。 「あなた方には、容易に納得できないことかも知れませんが」 イリーナの置いていった茶をクラウドに勧めながら自分は座ろうともせず、ツォンは視線を外したまま語り始めた。 「あの方の一生は、まるで人の罪を贖うためにあったようでした」 「人の? 神羅の、の間違いじゃないのか」 思いもかけぬことを言われて、さすがに素直にはうなずけない。 どんな言葉で取り繕っても、結局神羅カンパニーがこの災厄すべての原因には違いなかったのだ。 「神羅の? 彼が神羅の名を持っていたからですか? 彼が、僅かの間でもカンパニーの社長だったからですか? 彼になんの咎があったと言うんです。ジェノバのこともディープグラウンドのことも、魔晄のことさえ、何一つあの人の意志で行われたものではなかった。カンパニーを取り巻き己の欲望を満たそうとした多くの者たちと、それによる繁栄を享受した無辜なる民こそが、その主体だったのではありませんか」 ツォンの声は低く抑えられていたが、そこに揺れる激情は隠しようもない。 この男にもこんな感情があったのかと、クラウドは驚く。いつも無表情にルーファウスの後方に控えていた。必要最低限のことしか喋らず、笑うこともなかった。 「貴方は、ソルジャーになることを望んでミッドガルへやって来たのでしたね。私でさえも、かつてタークスになることを望み、ナンバーワンと言われることに誇りを持っていた…。けれど彼には、そんな選択の余地はありませんでした。神羅の跡継ぎであり続けるか、死か」 「あの時なら…メテオの後ならば、やめることが出来たんじゃないのか」 「それこそあり得ない。彼はあの災害も自分の責任だと思っていました。わずか2ヶ月足らずでも、確かにその時カンパニーの社長は彼だったのですから。彼の受けた教育も、彼自身の性格も、それを放り出して良しとすることは許せなかったでしょう」 力ない反論はただちに否定された。 それはその通りなのだろうと、クラウドも思う。 今までルーファウスのしていたことを考えれば、彼が神羅の成したことの責任を取ろうとしていたのだということは明らかだ。 「彼が本当にカンパニーの社長であったのは、だからその後のことだと言っても良いのです。それはそれで良かった。世界を立て直す仕事は、我々にとってもやりがいのあるものだった。あの方が健康でいてくれたなら、それで充分だったのに」 怪我と星痕のせいで、とリーブは言っていた。ということは、4年経ってもその怪我は治りきっていなかったのだ。それがどれほどの重傷だったかくらいは想像が付く。 思い返してみれば、彼はいつも具合が悪そうだった。 片手で足りるほどしか肌を合わせたことはない。 誘ってくるのは必ずルーファウスで、その最中は呆れるほど奔放だった。 しかしことの後はぐったりとベッドに沈んでいて、それは単に情事の余韻などというものではなかったのだと今にして思う。 「最後まで彼は神羅カンパニーの社長でした。どんなに辛い時も、仕事を投げ出すことは決してなかった。最後まで…本当に最後の一日まで、つまらない決裁の書類にサインすることをやめようとしなかった。それが社長の業務だったからです。そんな業務があること自体が、世界の安定を示しているのだと言って」 書類にサインする仕事がそれほど激務だったのかとクラウドは思いかけたが、そうではなくサインすることさえ難しいほどルーファウスの容態は悪かったのだと気づく。 彼のその執念はいったいどこから来たものだったのだろう。 「彼が何を望み、何を成そうとしていたか、あなたは考えたことがありますか」 ツォンの声を聞き続けることは辛かった。 「誰も、彼の言葉に耳を傾けようとしなかった。副社長であった頃からずっと、あの方は実の父に疎まれ、カンパニーの中で派閥を争う者たちから排斥されていた。ただ一人セフィロスだけが、あの方の味方だった」 そんな雲の上の力関係が一兵卒に分かるわけがない。 社長の息子は、危険思想の持ち主で本社から遠ざけられている。血も涙も無い冷血漢だと。そんな噂だけが独り歩きしていた。今思えばそれもまた、カンパニー内部での熾烈な情報戦だったのかもしれない。ルーファウスの失脚を願う勢力がどれほどあったのか。 だがその噂をも利用して、彼は社長の座をもぎ取った。そういうことなのだろう。 だから本来のルーファウスは、彼がそう見せたがっていたような傲慢な人物でも冷酷でもなかったのだ。そうでなければ、この男たちがこれほどまでに彼を慕うはずがない。 そんなことは、自分だって分かっている。 分かっているのだ。 「神羅の帝王の手に入らぬものはないと、誰もが思っていた。けれど、あの方は何一つ持っていなかった。家族も、友人も、自由も、未来も…。ご自分の命さえ、あの方のものではなかった」 それがどんな人生か。 クラウドは少しだけ理解できる。 あの、神羅屋敷の地下でとらわれの実験材料だった日々。自由もなく未来もなく、命の保証さえもなかったあの数年間――― だがその時でも、ポッドの外には自由があり、傍らにはザックスが、外の世界にはずっと自分を思い続けていてくれたティファがいた。 自ら自分を閉じ込めていた檻を壊して見た真実の世界は、決して優しいばかりではなかったけれど、かけがえのないものだった。 だがルーファウスは、その檻を壊すことを最期まで望まなかったのだ。 神羅の社長であり続けることを拒否し、その責任と重圧から逃れることを。 それは彼の強さだったのか、それとも弱さだったのだろうか。 「もしも出来るのならば、あの方の手にあの方の人生を取り戻して差し上げたかった。自分自身のために生きることを―――」 それはまるで――― 死に場所を探していたようだ―― と、クラウドは思う。 『神羅の血を終わらせる』と彼は言った。 その中には彼自身も含まれていたのではないのか。少なくともそう言った時、彼は自分の死を予期していた。 ――約束の地 唐突に 古代種の話を思い出した。 星の命を守るために生涯辛い旅を続けた古代種達は、ライフストリームに還ることを福音として受け入れた。 だから古代種にとって死を迎える場所は幸せに満ちた約束の地と呼ばれたのだと。 だとしたら彼にとっての約束の地は何処だったのだろう。 重荷を負って駆け抜けた25年の人生―――その果てに彼は約束の地を見つけられたのだろうか。 「これを」 ツォンが差し出したのは、古風な鍵だった。 「なんだ?」 鍵とタークス主任の顔を見比べてクラウドは逡巡した。どう受け取ったらいいのか分からない。 「貴方に差し上げるようにと言い付かりました」 「どういうことだ?」 「これは貴方がご存じの場所の鍵です」 クラウドは謎かけのような言葉に首を捻る。 ルーファウスに関係する場所で知っているところと言ったら 「ヒーリンの…?」 「いいえ」 溜め息のような声で返されて、悪いことでもしたような気分になる。 「あの方はそんな意味のないことはなさらない」 意味のある場所――― 一つだけ思い当たり、その鍵の古風さと釣り合うその場所を思い起こしてクラウドはどういう顔をしたらいいのか分からなくなった。 「厭味…なのか?」 ツォンは今度こそ大きなため息を吐く。 「そう思っていただいても結構です。しかし、それだけではないともお知りおき下さい」 慇懃無礼とはこのことか、と、クラウドは頭を抱えたくなる。 さっきまで見せていた本音の表情はすっかりビジネスライクな無表情に蔽われ、この男が荒っぽい仕事を得意とするタークスでありながらも、トップ企業として世界に君臨した神羅カンパニーの上層部に仕える会社人間であったことを思い出させる。 ここで受け取りたくないと駄駄をこねることはさすがにためらわれた。 クラウドは黙ってその鍵を受け取った。 「おいでなさいませ。ご主人様」 呼び鈴を押す間もなく開かれた扉。そこから現れた老人は深々と頭を下げてクラウドにそう言った。老人の後ろには、20人以上の人間が控えていっせいに頭を下げている。 「主人…って、俺はそんな」 狼狽えて数歩下がる。すぐにでもこの場を逃げ出してしまいたかった。 「これを返しに…」 「諸手続はすでに済んでおります。この館と我ら一同、ご主人様をお待ち申し上げておりました」 「俺は」 「お受けなさいませ。ストライフ様。ルーファウス様は決して戯れでこのようなことをなさる方ではありません。必ず必要とお考えになってのことです」 「悪いが俺はこんな屋敷なんか必要じゃない」 「子供達はいかがです? エッジの環境は、まだ子供達にとって良いものとは言えないのでありませんか?」 クラウドが親を失った子供等の面倒をみていること。それでもまだ街には親のない子供が多く残されていること。その子達が置かれている状況はスラムと大差なく、エッジは活気のある街ではあったが、確かに子供にとってのびのびと出来る場所ではないということ。それらすべてを含んで差し出された条件にクラウドは目眩いを覚える。 俺に孤児院を運営しろとでも言うのか――― 「お一人ではご決断が難しいようでしたら奥様にもお尋ねしましょうか」 「オクサマって、誰だ!?」 「ティファ様、と伺っておりますが」 これが厭味じゃなくてなんだというんだ! 「…第一俺にはあんた達の給料なんて払えない」 「我々の給与は信託財産から支払われるよう取りはからわれております。どうぞご心配なく」 幾重にも張られた蜘蛛の巣にかかった気分だった。 生きていても死んでいても、あの男は天敵だ。 クラウドはがっくり肩を落とし、手のひらに握ったままの鍵を見る。 重厚な作りの、豪華な館。 周囲を囲む庭も、隅々まで手入れが行き届いて緑の芝生と木々に蔽われている。 『目的は、世界の再建だ、クラウド』 ヒーリンのロッジで再会したときの、ルーファウスの言葉を思い出す。 その時は自分を言いくるめるための口先だけ、と思っていた。 けれど案外あれはアイツの本音だったのかもしれない。 その証拠に――― 『子供達に笑顔を取り戻してやりたくはないか?』 とか言いながら、その役割をきっちりひとに押しつけて行きやがった。 アイツのやり方は神羅カンパニーのやり方そのものだ。 一度関わったら最後、思い通りに躍らされるばかり。 「もともとこの館は神羅家の別邸でございました。かつて神羅本家のお子様方はここでお育ちになったのです。けれどルーファウス様はミッドガルの本邸で暮らされて、こちらにおみえになることはありませんでした。長らくこの館にお子様のお姿はなかったのですが…」 そう言って老人は庭を見やり、眼を細めた。まるでそこを歩く誰かの姿を見るように。 クラウドはつられて窓を見る。 ガラス越しの庭には光が溢れて、そこに置かれた白いベンチはもう訪れることのないこの館の本当の主人を待ち続けているようだった。 end WORLD'S END |