ビリビリクラッシュメン







 神羅カンパニー社長、ルーファウス神羅は、その朝出社したときから社内の微妙な空気に気づいていた。

 いつもと変わらない朝だ。
 世はなべて事もなし、新聞の1面を賑わすような大事件があったわけでもなく、社の業績は安定、株式相場も為替相場も昨日と大差なく、ルーファウス自身にも何も問題はない。
 もしかしたら自分の顔に何か付いているのか、それとも服装におかしな点でもあるのか(いつもと同じ、社長の制服といわれている白のスーツだったが)、とわざわざ化粧室で確かめもしたのだ。
 だが、社員達の反応は変わらない。
 男性はなにやら気まずそうにさりげなく視線を外らし、女性は何処か期待を含んだ目で自分を見た後に、例外なくその口唇の端がほんの僅か吊り上がる。

 いったいコレはどういうことか。

 今日は企業幹部懇親会の朝食会があり、ルーファウスが出社したのは昼近くだった。
 考えてみれば、その朝食会の場では全く問題はなかった。
 いつも通りのメンバーで開かれた懇親会は昨年まで父親が出席していたもので、父の死後自動的にルーファウスが会員となっていた。
 ほとんどが父と同年配かもっとジジイで構成されたその会で、自分は単にお飾り的な存在だと分かっている。もう一人まだ20代の商社社長がいて、彼と自分とがなにかと広報的な役割を押しつけられるのだ。
 まあ、そんなことは今現在関係がない。
 とにかくあの場では、誰もそんな目で自分を見たりはしなかった。
 とすれば、問題は社内で発生しているのだ。それも全社的――少なくとも本社内すべて――規模で。

 ルーファウスは極めて不機嫌な顔で社長室へ入った。
「おはようございます。社長」
 秘書達が立ち上がって挨拶をする。
 多くは父の代からの秘書で、美女揃いではあるがルーファウスの好みからはやや外れていた。しかも全員年上だ。しかし、彼女らは社の業務を熟知しており、新米社長であるルーファウスにとっては外せない戦力だった。
 そんな華やかな装いの女性達に囲まれてただ一人、黒ずくめの制服に身を包んだ男がいる。
 ルーファウスの代になって社長室詰めになった男の肩書きは『総務部調査課主任』。秘書ではないのだが副社長時代からのお目付役的な存在で、ついでに護衛の役も兼ねている。調査課は、総務に属していても実質は後ろ暗い業務を担う部署だという認識が社内にはある。
 その黒ずくめの制服は、畏怖の対象でもあった。
 今日もその男――ツォンは、ルーファウスと共に会食の席へ出向き、共に出社したのだ。
 白のスーツに身を包んでもほっそりして見えるルーファウスとは対照的に、黒いスーツの長身は威圧的だ。
 にもかかわらず、この社長室でもまた秘書嬢達の目は二人に向けられると不思議な輝きに彩られた。
 極めて有能な人材である彼女らは、さすがに下層階の一般事務職のようにあからさまな好奇心を見せることはなかったが、いつも側にいる分その僅かな反応もルーファウスを苛だたせるに十分の威力があった。

「いったい何事だ」
 低い声で誰にともなく問う。
 だが、何処からも応えはなかった。
 ますます不機嫌を募らせながらルーファウスは席に着く。
 もっと突っ込んで問い質したいが、何をどう訊けばいいのか解らない。なぜ自分を見て皆が笑うのか、などと訊けば自意識過剰だと言われても仕方ないような気がする。父が残した秘書達は、どう考えても自分を軽く見ている。無理からぬと思う反面、不満ではあるのだ。
 秘書にしても調査課主任を社長室付きにする件にしても、父の死後社長就任するに当たって重役会が付けた条件だった。
 あいつらはそのうち社から一掃してやる。いや、いっそこの世から消去してやるか、と物騒なことを計画するルーファウスだが、今はまだその時期ではない。
 とりあえずは目の前の問題だ。
 どうしてくれよう、と腹立ちのまま機械的に端末のアクセスをONにし、いつもの業務チェックを始める。
 心ここにあらずな境地ではあったが、事務的な作業はてきぱきと進めていく。
 一通りのチェックを終えて秘書の運んできたコーヒーに手を伸ばしながら、ルーファウスは一つの見慣れぬフォルダに気づいた。
 社内の共有フォルダに紛れ込んでいるが、確かに昨日まではなかったものだ。
 奇妙に思いながらファイルを開く――

だん!

 静けさに支配された社長室に、不似合いな音が響く。
 なにごとか、と顔を上げたのはツォン一人で、見渡せば秘書嬢達は我関せずといった面持ちでそれぞれ端末に向かっている。
 次に視界に入ったのは、マグカップを持った手だった。ふるふると小さく震えているのは、何か余程神経を高ぶらせるようなことがあるせいだろう。
 顔はモニタの陰になって見えないが、ルーファウスが何事かで激昂しているのは確かだった。

 モニタに向かっていた顔が、ゆっくりと上げられる。
「――ツォン」
 真っ直ぐに自分を見据えた瞳は鮮やかな青だったが、その奥には怒りの炎が燃えている。
「はい」
「これは、なんだ」
 疑問ではないと、すぐ解った。
 返答も期待されていない。
 どういう態度を取るべきか判断しかね、ツォンは黙ってルーファウスを見返した。
 沈黙の落ちた室内に、秘書の叩くキーボードの音だけが響く。
「これは何だと訊いている」
 今一度の問いかけ。
 仕方なしにツォンは席を立って社長のデスクに歩み寄り、モニタを覗く。

 そこにあったのは――


「これはおまえのファイルだな?」
 カチカチと軽いクリック音に従って開かれてゆくいくつかのテキストファイルと画像ファイル。間違いなくそれは、ツォンのPCにあったものだ。


「なぜこれが」
 狼狽したツォンの声を遮断してルーファウスの怒声が響いた。
「この、大バカ者っ!」
 言うなり立ち上がったルーファウスは、部屋を横切ってツォンのデスクに向かい、いきなり脚を振り上げてPCを蹴倒した。
 唖然とそれを見ている秘書達と慌てて止めようとしたツォンの目の前で、PCの上にコーヒーをぶちまける。

「わあ――っ」

 悲痛なツォンの声が社長室に響き渡った。

 コーヒーをぶっかけられたPCを救おうと、咄嗟に手を出したのがまずかった。それにしても余程間が悪かったのだろう、ルーファウスの蹴りを受けて筐体が破損したPCは水をかけられてショートし、ついでにそれに触れたツォンは、
――感電した。

■ ■ ■


「馬鹿にも程がある!」
 まだルーファウスの怒りは治まらない。
 幸いにも感電死には至らなかったが、ショックで失神したツォンはすぐに医務室に運ばれた。
 目を覚ましたらそこには敬愛する主人がいて、優しい言葉の一つもかけてくれるかと思いきや待ってましたとばかりに罵声を浴びせかけ始めた。
「あんなファイル共有ソフトを社の端末に入れるなど、呆れ返ってものも言えん!」

 ――社長、突っ込みどころはそこなんですか!?――
 その場に居合わせた秘書と医務室勤務の医師、看護師達は顔を見合わせる。
 
「はっっ! まさか調査課の端末にも入れたんじゃないだろうな!?」

 ――それも突っ込みどころなんですか!?――
 呆然とするギャラリーを前に、ルーファウスはツォンの襟首を掴んで怒鳴った。

「め、滅相もありませんっ。調査課のサーバは完全に独立しておりますから、そのようなことはあり得ませんっ」
「あり得なくなかったらやろうとでも言うのか、このおたんこなす!」
 ますます顔を寄せて、ルーファウスはツォンを罵倒する。
「馬鹿げたソフトを入れて、社長室内のデータを会社中にばらまく気だったのか、すかぽんたん!」

 ――社長、罵り言葉の語彙がキャラに合ってません…――
 すでに観客も問題の本質を見失っている。

「そんなことはありません。重要なデータはちゃんと保護してありますので、流出することはあり得ません!」
 ツォンの弁明もほとんど悲鳴だ。
「ではアレは何なんだ! アホたれ!」
「あれは、あれはその…」
 ツォンが詰った。
「いったいどう言うつもりだったのか、きちんと説明して見せろ、抜け作!」
 ここぞとばかり、ルーファウスは責め立てる。
「あれは…その、て、て」
「手がどうした!」
「て、手すさびに書いたしょ、小説で…つい、」


「誰がそんなことを訊いている――――――――――っ!!!」




■ ■ ■




 社長にとっては、ツォン作のドリーミーな小説も、そこに添えられた、何処で盗み撮りしたのか不明ながらも明らかに社長本人のベッドシーンと解る画像も、すべて全く問題外だったらしい。
 キャラに合わない言葉でツォンを罵り続ける社長を眺めながら、その場に居合わせた社員達は『もしかしてこの若社長は、大物なのかもしれない』と思ったのだった。


end

補足・この社長とツォンは、「よこしまマンガ世界」の二人でお読み下さい。



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