大排気量のバイクの音が遠ざかる。
 ルーファウスはそれを聞きながらくすくす笑った。
 扱いやすい男だ。
 いっそ可愛いと言っても良い。
 まだ身体に残る情事のけだるさを楽しみながら、ルーファウスはドアの向こうにいる男に声をかける。

「水をくれ、ツォン」

 冷えたミネラルウォータの壜とグラスを持って現れた男に、ルーファウスは笑みを向ける。
「充分楽しんだか?」
「お戯れを」
「そんな顔をするなら付いてこなければ良かったろう。ここは安全だし、ましてあれが一緒ならば、護衛の必要はない」
「そういう問題ですか」
「ふっ…」
 ルーファウスは笑って身体を起こす。
 無表情を装うツォンの顔に苛立ちを認めて楽しげだ。
 腕を伸ばし、肩に掛かる髪に指を絡める。
 それを引き寄せて僅かに抵抗する男の唇を塞ぐ。

 そんなに腹立たしいか、ツォン。
 ――ならば、いい話を聞かせてやろう。

「私は、あの男が嫌いだった」
 じっと目を見つめたまま呟かれた言葉に、ツォンは瞠目する。

「アバランチを騙るテロリストに、私は興味があった。だからあの時、屋上で、彼らをこの目で見ようと思ったのだ」

 その時のことはツォンも、忘れようとしたって忘れられない。
 止める間もあらばこそ、あっという間にこの方は飛び出していったのだ。
 そのまま戦闘になったのをモニタで見たときは、驚愕した。
 
「そのテロリストがクラウド・ストライフと名告ったときの衝撃を想像出来るか? それは、セフィロスを殺した兵士の名前だった」
 
 それはツォンにとっても意外な言葉だった。
 そう――
 ニブルヘイムでの経緯は、その場に居合わせたタークスによってこの方に知らされていた。
 確かに、クラウドとザックスは魔晄炉内でセフィロスと戦闘したのだった。
 だが――

「あれは…私にとって、生涯で最も驚きの連続だった夜だ。なにしろおやじがセフィロスの亡霊に殺され、ジェノバが脱走し、アバランチを名乗るテロリストが実はセフィロスを殺した元兵士だったと知って、その元兵士に殺されかけたのだから」
 ルーファウスはツォンの髪を放し、ソファの背に凭れて窓の方へ目を向けた。
 走り去っていったバイクの残像を追うように。
「ようやくあの平和で薄暗い幽閉生活を脱したばかりだった私に、天がくれたプレゼントにしては出来すぎだ」

 ツォンは黙って立ったままルーファウスの独白にも似た回顧を聞く。

「あの男がセフィロスを殺したことを、私は許せなかった。それまでただの記号に過ぎなかったクラウド・ストライフという名が実体を持って目の前に現れたときから、あれは私の憎しみの対象になったんだ」

 この方が誰かを憎むことがあるなど考えたこともなかった。
 いつもただ淡々と――実の父を暗殺せよとテロリストに命じたときでさえ、そこに憎しみの感情など介在していなかったのだ――しなければならないことだけをやり続けているように見えていた。
 少なくとも、あの頃のこの方は。

「だから…」
 ルーファウスの声に籠る感情がツォンの心をかき乱す。

「私は彼らに対して公平な態度で接することが出来なかった。そうすべきだとわかっていて、できなかった」

 窓の外に据えられていたルーファウスの瞳が、ツォンの上に戻ってくる。
 そこに揺れ動く感情を見て、ツォンは胸苦しくなる。

「知っていたか?ツォン。タークスが、脱走したソルジャー1.stのザックスと、あのクラウド・ストライフを保護するために動いていたとき、私が敢えてそれを無視していたことを」
 自分が、今の今までそれに思い至らなかったことにツォンは驚く。
 あの頃、この方は閉ざされた部屋の中にいても世界のあらゆる情報をリアルタイムに捉えていた。
 ましてタークスが総出で当たっていたあの事件について、すぐ傍でそれを見ていた彼が気づかなかったはずがない。
 だが、あの頃自分たちは自分たちのことだけで手一杯で、この方の思惑にまで思いを巡らすことなどできなかったのだ。

 ――敢えて無視していた
 それは興味がなかったからではなく――

「軍に捉えられて処分されてしまえばいいと――そう願ったからだ」
 
 挑むような目をツォンに向けて、その声は限りなく低く暗い。
 そんな主人の目を見ることも、声を耳にすることも、初めてだった。

「それは間違いだった――明らかに。あの時二人が保護されていれば、結果はおおいに違っていただろう。そして私にはそれが出来たはずだった――」

「ルーファウス様…!」
 ツォンは腕を伸ばし、その身体を抱きしめた。
 これ以上の言葉を聞きたくなかった。
 過去を悔いるなど、この方には相応しくない。

 それ以上に――

 この方にとってセフィロスがどれほど大きな存在だったか――それを思い知らされることが耐えがたかった。

 抱きしめた身体をソファに押し倒し、唇を重ねる。
 もう何も聞きたくない――
 その意思表示は、当然主人に伝わった。
 ルーファウスは口付けに応えながら、ツォンの背に回した腕に力を込める。

「…ツォン」
「それは私とて同じです。私は貴方にお願いすべきだった。彼らを救命していただきたいと。そうすれば、貴方はきっと拒まれなかった。そうしなかったのは、自分たちだけでなんとかできるはずだという奢りと…」
 ツォンは言葉につまる。
 ルーファウスの告白を聞いてなお、自分もそれを吐露することは躊われた。
「…私はセフィロスに関わった者たちを貴方に近づけたくなかったのです。出来るのならば、貴方の中からセフィロスの影を消してしまいたかった」
 
「ツォン…」
 ルーファウスはツォンを見つめ、ほんの少し首をかしげた。
「過ぎたことだ、すべて」
 幼い頃よく見せた癖。
 あんなにも小さかった子供は、激動の時を経て名実ともにツォンの主人と呼ぶに相応しい男に成長した。
「クラウドが生き残ったのは、我々にとって幸いだった。そうだろう?」
「はい…」
 そうなのかもしれない。
 哀しみも憎しみも感じない顔をして、ただ課せられた責任を全うするためだけに生きているようだったこの方に、その人間らしい感情を教えてくれたのが彼らだったのなら、感謝するべきなのだろう。
 ――そう、思う。
 だがそうはいってもツォンの思いは複雑だ。
 
 セフィロスの残像はいまだ鮮やかに過ぎ、こうしてこの腕の中に抱いていても彼の心がそれを忘れられないことを思い知らされる。
 カダージュという名の思念体をこの方の元へ寄こし、リユニオンによって現れたセフィロス本体がクラウドと戦ったのは、つい先日のことだ。
 『あれはジェノバであってセフィロスではない』
 とこの方は言う。
 だが、だからといってクラウドの中にセフィロスの影を追うのでは本末転倒ではないか。
 
 ルーファウスがその感情を抑えられないのと同じく、ツォンもまた心に宿る嫉妬を抑止することが出来ない。

「案ずるな、ツォン。あれは決して私のものにはならない」
 うっとりするほど優しく微笑みかけて、ルーファウスはツォンの瞼にキスを落とす。
 ツォンはその瞳の深い蒼に見とれる。
 主人の気分によって微妙に色を変える瞳。
 
「わたくしは貴方のものです。ルーファウスさま」
「わかっている」
 蒼が閉じられて、キスを誘う。
 ツォンは唇を重ねながらはだけられたバスローブの胸元に手を挿し入れる。
 ルーファウスの身体がぴくりと反応し、ツォンの指先でぽつりと立ち上がってくる胸の飾りが、その快感を伝える。
 これ以上は主人の身体に負担であると、わかっている。
 だが今ツォンにとって、身体を繋げずにいることは到底出来なかった。
 そして、主人もそれを望みはしないだろう。

「ツォン」
 呼ぶ声は低く柔らかく耳を擽る。
「おまえがいるから…」
 言葉はそのまま吐息に変わり、甘く優しくツォンを誘う。
 脚を絡め、腰を擦りつけてツォンを誘ういつもの仕草。
 いつもの手順を踏んで、高まっていく主人の熱を感じる。
 さまざまな顔を使い分けるこの方の、その中の一つに過ぎないとわかっていても、この穏やかで愛らしい表情を見せるのはこの時だけだと思うと、ただ愛おしい。
 初めて身体を重ねたときから、ツォンにだけ許してきた顔だ。
 それは少しも変わらない。
 ツォンだけに向けられる、信頼のまなざし。
 自分はそれ以上の何を望むというのか。

 ツォンは深く息をつき、主人の熱をその身で感じながら耳元に囁く。

「愛しています…貴方だけを。…ルーファウス」

 主人は満足げに笑い、喉を仰けぞらして小さく悦びの声を上げた。

end



epilog