HOWEVER Side Cloud

クラウド・ストライフはその時、なけなしの現金で買った菓子パンを手に寮へと急いでいた。
神羅カンパニーに入社して3ヶ月。ソルジャーを目指してミッドガルへやっては来たが現実は厳しい。これと言った特技もなく体格もいいとは言い難いクラウドは、当然一般兵としての入社であり、しかもまだ訓練兵という立場だ。よって、彼の給料は雀の涙ほどで、その中から嗜好品を購入するのはなかなかに難しい。
もちろん、三食十分な量の食事は供給されたが、味の方は量を確保するために犠牲にされている感が否めない。早朝から夕刻まで訓練に費やされる日々の中で、ささやかな贅沢が購買で買う菓子パンだった。
ミッドガルにおいて兵たちが寝起きする場所は、雑魚寝のような兵舎ではなく、一応寮という体裁をとっている。とは言っても、古いホテルのような建物を転用したものだ。
兵舎での早い夕食の後、三々五々寮へと戻るのが訓練兵の日課だった。

歩きながら、クラウドは昼間の訓練を思い出していた。
その日は射撃の訓練があり、軍事学校の学生が教習に来たのだ。カンパニーの軍事学校はエリートを育成するためのもので、学生とはいえクラウドたち一般兵とは実力に雲泥の差がある。
クラウドたちの班に付いたのは、女子学生だった。
綺麗な金髪を短く切りそろえ、大きな青い目とはきはきした言葉遣いが印象的だ。実習生の中に女は彼女一人だけで、クラウドたちはなんとなく貧乏くじを引いたような気がした。
しかし、銃を持つと彼女は抜群に優秀だった。
標的は必ず真ん中を打ち抜く。どんなにややこしい場所でも、急に現れても、外すことがない。おそらくこの教習生たちの中でもぴか一の腕前だろうと、すぐに知れた。
しかも彼女の指導は丁寧で分かりやすかった。銃の持ち方や照準のぶれについてのちょっとしたアドバイスで、クラウドたちの射撃の正確さは格段に上がったのだ。
ああいう人もいるんだなあと、クラウドは思い返す。
故郷の村では、自分は特別なんだと思っていた。
同じ年頃の子供たちはもちろん、そこら辺のオヤジにだって知識でも知恵でも負けはしないと。
けれど、ミッドガルではあらゆるものが質的変貌を遂げている。
目も眩む高さの神羅ビル。ハイウェイを疾走する新型の車やバイク。街に溢れる贅沢な品々。それらを所有している特権階級。
同じ訓練生レベルでは、決して自分が劣っているとは思わなかったが、軍事学校の学生はランクが違った。知識も、腕も。
そして彼女はそれをひけらかしたり訓練兵を見下したりすることもなかったので、クラウドはいろんな意味において負けを認めざるを得なかった。
綺麗な人だったな、と思い返す。
さらさらの金髪。機敏な動き。都会的な言葉遣い。
ぼんやりとそんなものを思い出しながら歩いていたら、真正面から何かがぶつかってきた。
咄嗟に脚を踏ん張って、どうにか倒れることはまぬがれた。そしてぶつかってきた相手はというと、それは見事にクラウドの目の前にひっくり返った。
当たった感触から想像するに、そう変わらない体格の人間のようだ。こんな所にも日頃の訓練の成果が出たと言えなくもないのかもしれない。などと一瞬思ったクラウドだが、目の前に座り込んだ相手の金色の頭を見て、目を丸くした。
綺麗に切りそろえられたさらさらの金髪。
 もしかして、今日の教習生とか!?
だが、その期待(期待?)は、次の瞬間当然のように裏切られていた。
 
「何をしている、馬鹿者!」
怒声と共に上げられた顔はなぜかちょっと彼女に似ていたけれど、声は全然違っていた。幾分高めではあったが明らかに男の声だったし、彼女の口調とは似ても似つかない。
「何言ってやがる、ぶつかってきたのはそっちだろうが!」
お返しのように口調が荒くなったのは仕方ない。
もともとお上品な育ちではないし、今現在所属しているのは私設とはいえ軍隊だ。軍隊は荒っぽいものと相場が決まっている。しかし、相手は怯む様子もない。それどころか、
「おまえ、神羅兵だな。曲がりなりにも兵士なら避ける位したらどうだ」
と、呆れた物言いだ。
「バカはおまえだ。ぶつかってきておいてそのセリフか」
だがクラウドの声をきっぱり無視して立ち上がった相手は、小柄なクラウドよりまだ幾分背が低い。どう見ても子供だ。さすがにまともに相手する気にはなれないが、だからといって無礼を許しておく程甘くもないつもりだ。
「こら、聞いてんのか… あーっおまえ!」
クラウドの目が一点に集中する。そこには、地面に投げ出され見事に潰れた菓子パンがあった。
「俺のパン! こらっ、どうしてくれるんだっ」
その悲痛な叫びも無視し、少年はちらと後ろを振り返る様子を見せたと思うといきなりクラウドの腕を取った。

「おまえ、兵なら宿舎があるな。私をそこへ連れて行け」
「は?」
なんの前置きもなく、見事な命令形だ。
目が点になるとはこのことか。
「宿舎へ連れて行けと言っている」
要求が通じなかったと思ったのか、ますます居丈高に言い放つ少年にクラウドは返す言葉を失った。

 
なんでこうなったのか、よくわからない。
目の前できょろきょろと部屋を眺め回している少年を見据えて、クラウドは眉間に皺を寄せた。
一般兵の宿舎など、セキュリティは無いも同然だ。貴重品はおろか、まともな家具や衣類すらほとんどないのだから、盗みに入ろうなどという物好きはいそうもない。テロ組織ならばもっと重要な場所を狙うだろう。変質者が忍び込みたいような場所でもない。
そんなわけで、少年を連れて部屋へ戻っても咎める者はなかった。誰かに見つかれば何か言われたかもしれないが、あいにく誰ともすれ違わなかった。

「俺のパン、弁償しろよ」
とりあえず、言うべきことは言っておこうと思う。あそこで振り切って来なかった理由と言えば、クラウドにとってはそれしかない。
「パン?」
少年が振り向いた。柔らかそうな金髪が、さらりと頬に揺れる。昼間の教習生を思い出して、なぜかどきりとした。
「これだよ!」
未練がましく持ってきた――というか、さすがにその場に捨ててくるのもためらわれた――潰れた菓子パンを、目の前に突き出す。
「パン、なのか?それは」
「は?」
首を傾げた少年に、クラウドはまた一瞬フリーズしてしまった。いちいち反応が予想の斜め上を行く。
しかも、言動はともかく見た目は妙に整っていて、クラウドが見ても明らかに分かるほどすべてが高級だ。服や靴だけじゃなく、ほんのり香るシャンプーだかセッケンだかの匂いや、綺麗にカットされ整えられた髪、長めの袖口からのぞく細い指の先に光る爪は、指から僅かに出るほどの長さで磨かれている。男の爪がこんなにぴかぴかしてるのなんか、初めて見た。
重い剣を握るせいでマメができ、がさついた自分の手とは大違いだ。
年令はそれほど変わらない――ひょっとしたら同い年かもしれない――と思う。
そんな同じ年頃の金持ちの子供なんて見たことがなかった。村の地主の息子くらいは知っているが、コイツはそんなのとは多分レベルが違う。そう、今日来たあの教習生がそうだったように、ここミッドガルでは何もかもが桁違いなのだ。
「弁償するのはかまわないが、それは幾らくらいのものだ」
「2ギル」
突慳貪に言ってパンを放る。反射的にそれを受け取って、少年は顔を顰めた。
「2、ギル?」
「そーだよ、2ギルっ! まさか金持ってないとかぬかすんじゃねーだろうなっ」
「あいにく2ギルは持ち合わせがない」
「なにーーーっっ」
「小銭を用意することまでは考えなかったな…」
憤るクラウドを前に、少年は顎に指を当てて思案顔だ。クラウドの怒りなど、どこ吹く風という風情である。
「釣り…などありそうにないな」
なにげに失礼ではあるが、なかなかの慧眼だ。クラウドの財布には、現在6ギルしか入っていない。札しかないなら最低でも100ギル。もしかしたら1000ギル札しか持っていないのかもしれない。いや、絶対そうだろう、とクラウドは思った。
「おまえな」
一応は失礼を咎めておこうとしたが、
「まあ、一般兵の見習いでは給料など無いようなものだからな。それに給料日は明後日だろう」
と図星を指されて続くセリフを飲み込んだ。
頓珍漢な世間知らずのぼんぼんだと思ったが、給料日まで知っているとは侮れない。外見に似ず意外に物知りなのかも…
途惑うクラウドの腕をとって、少年は
「では金を崩しに行こう」
とさもあたりまえのように言い放った。
「これからかよ!」
「そうだが?」
「俺は仕事終わったばかりで疲れてンだよ! 行くならおまえ一人で行け!」
「私を一人でここから出したら、もう戻ってこない、という可能性は考えないのか?」
「何だそれは! 自分で自分を信用できないヤツだとぬかすのか!?」
「信用の問題ではないが、そうなる可能性は低くない」
「わけわからん!」
「どこが分からない。おまえが2ギルを確実に取り戻したいなら、私と一緒に来た方がいいという話だ。単純なことだろう。頭が悪いな」
「おまえな!」
言うに事欠いて『頭が悪い』だと!?
クラウドは決して自分を沸騰しやすいとか切れやすいとは思わないが、コイツを相手にしているといちいち怒鳴らずにはいられない。しかも幾ら怒鳴っても相手がしれっと落ち着いているから尚更だ。自分が童顔で身体も小さいから迫力に欠けることは分かっているが、自分より小さい相手に侮られるのはさすがに不愉快だ。

「行動は迅速に、と演習で習わなかったか? 一瞬の迷いが戦場では命取りだぞ。クラウド」
クラウドの怒りを他所に、少年は勝手にロッカーを開いて中を物色している。
「おいこら、てめぇ!人の言うこと聞いてんのかっ…って、なに勝手に他人のロッカー漁ってんだよ!?」
「これでいいか…」
引きずり出した上衣を、これまた勝手に羽織る。自分が着ていたものは無造作に脱ぎ捨てて床に放り出した。
「こら、服は脱いだらちゃんとハンガーに掛けろって親に教わらなかったのか! …あれ?そういやなんで俺の名前知ってるんだ」
母子家庭で育った上に母親の厳しい躾のおかげで、反射的に投げ捨てられた服を拾って埃を払いながらクラウドは、支給品の上衣を着込み、ついでのようにワックスを手にとって髪をかき上げている少年を睨みつけた。髪型と服だけで、ずいぶん印象が変わっている。
もしかしてコイツは最初から俺のことを知っていて押しかけてきたのか? だとしたらいったい何のために?
警戒心がむくむくと沸き上がる。だが――
「部屋のドアに名札があった」
簡潔な返事にがっくりきた。言われてみればその通りだ。
「おまえも名乗ったらどうだ」
「ああ、これは失礼」
振り向いてにっこり笑った顔が、やたら奇麗だ。造作が整っているのはむろんだが、それだけじゃない。華やかではっとするような笑顔だ。こういう顔をどこかで見たことがある――ああ、そうだ。雑誌のグラビアとか映画のポスターとかだ。つまりこれは、作られた笑顔なんだろう。でもそれを感じさせないくらい自然で、しかもこの上なく魅力的だった。その効果を十分に心得た上で作られた表情だ。

「私の名はルーファウスだ」

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