FAME IS DEAD 2

 
「おはようございますッ、主任!」
めいっぱい明るい声で挨拶しながらイリーナが勢いよくロッジのドアを開けた。

「もう少し静かに入れ」
デスクの前に立っていたツォンにそう言われて、イリーナはたちまちしゅんとなる。
「す、すみません…」
「社長はまだオヤスミなのかな、と」
続いてレノが顔を覗かせた。
「そ、そうでしたね。社長、ご病気なんでした」
ますます小さくなるイリーナだ。
「お加減は悪くはないようだが、昨日の今日だ。まだ寝んで頂いた方が良いだろう」
「そうですね!」
「ふうん」
イリーナは大きく頷いたが、レノはどこか腑に落ちない表情だ。

「さっそくだが…」
ツォンはそんなレノをきっぱり無視して任務の話を切り出した。

早々に部下たちをロッジから追い払い、しんとなったオフィスでツォンはほっと息を吐く。
昨晩彼らを早めに下がらせていた自分の判断は正解だった。
ロッジ内に誰かいる状態では、とてもあんなふうに情事にもつれ込むなどできなかったろう。
いや、もしかしたら社長はかまわなかったかもしれないが、自分は無理だ。
しかもさっき自分でも言ったとおり、社長は水に浸かったキルミスターの洞窟から救助されたばかりの上星痕まで発症していて、本当ならゆっくり休ませなければならない状態だった。

本当は―――
そんな彼を無理矢理抱いたなど、部下としても人としてもあるまじき事だったのだ。
一応納得の上であったとはいえ、『進んで』という状態でなかったならやはり無理矢理だった、とツォンは思う。
彼の誠実さに付け込んだ行為だったのだ。
長年の思いを遂げ、その時は確かに天にも昇る心地だったのだが、一夜明けてみると後悔の念が胸を噛む。
陽の下で見た彼の顔色はいかにも悪く、肉のそげた頬と相まってまさに病人以外のなにものでもなかった。
強い光を宿す瞳が閉じていれば、痛ましいほどに瘠せた身体の弱々しい青年だ。
整った顔立ちも美しい金の髪もそのままだが、ツォンが惹かれたのはそういったものではない。


いまだ目を覚ます気配すらなく眠る彼の傍らに膝を付き、そっと額にかかる髪をかき上げる。
昨夜の彼は、ツォンの愛した彼そのものだった。
美しく、強く、したたかで潔い。

幸福と後悔に揺れるツォンの心情など知るよしもなく、ルーファウスは深い眠りの中にいる。
それほどに疲労しているのかと思えば胸が痛む。
だが、元来眠りが浅く、いつ寝ているのか分からないくらい睡眠時間の短い人であれば、ここまでぐっすり眠れるのは安心しきっている証拠かと思うと嬉しくもあった。
カームの家から拉致されて半年近く。
もしかしたら生きて彼に会うことは二度とないのかもしれないと―――そう思うこともあった。
だから彼と二人きりになったとき、思いの丈をぶつけずにはいられなかったのだ。
よもや受け入れてもらえるなど、考えてもみなかったことではあったが。
いや―――
思いが受け入れられたというのは正しくはないのだろう。
彼は行為こそ許してくれたが、ツォンを恋愛対象として見てはいないときっぱり言ったのだから。


ぼんやりと目を開くと、見慣れない場所だった。
いつでも薄暗く土の匂いがした洞窟ではない。
ああ、そうだ。
ここはクリフリゾートのロッジだった、とルーファウスは思い出す。
昨日ようやくタークスが自分を見つけ出し、水没した洞窟からぎりぎりのところで助け出されたのだ。
ここがカンパニーの保養施設であることは知っていたが、実際にクリフリゾートを訪れるのは初めてだった。もっともルーファウス自身はどこへ行っても神羅家の別荘以外の場所に滞在することはなかったので、どこのこともただデータとして知っているだけだ。
簡素な造りのロッジの部屋は清潔で、窓からは爽やかな風が入ってくる。
それまで閉じ込められていた地下はもちろん、長い幽閉生活を送った本社ビルのタークス本部奥に比べても遥かに快適だった。
名実ともにカンパニー社長の地位にあった1ヶ月のことは、よく思い出せない。
何が起き、どう行動したかは覚えているが、その他の日常の生活のことなど、ほとんど記憶になかった。あまりに忙しすぎて―――

意識はようやく覚醒したが、身体の方はまだ寝み足りないとでも言うように力が入らない。
ルーファウスは身体を起こそうとし、右手がひどく重いことに気づいた。気づいたと同時に見やった右手の上には黒い頭がしっかり乗っていて、重いのも当然だった。
なぜこんな所に?

「ツォン…?」
思わず出た声は自分でも驚くほど弱く掠れていて、しかも弾かれたように顔を上げたツォンと真正面から目が合って、なぜかルーファウスはうろたえた。
「ルーファウス様」
その声を聞いた途端、昨夜の出来事がフラッシュバックのごとくルーファウスの脳裡に甦った。
思わずツォンに握られていた右手を引く。
引いたはいいが、思いの外強く握られていたその手は、握っていたツォンの手、ひいてはツォン自身をもルーファウスのそばに引き寄せる結果になった。
間近に迫ったツォンの顔に、ますます焦る。

そうだった、自分は昨夜勢いでこの男と寝たのだった。

何事にも用意周到。
念入りに情報を集め、計画を立て、あらゆる事態を想定して当たるのがルーファウスの常だが、セックスはそのうちに入らない。
それはその場のノリでもつれ込むものだ。少なくとも、今までずっとそうだった。
誘われれば応じる。
なにがしかの営業のつもりでご婦人方の相手をした覚えなど無い。さすがにそれは卑しいだろう。そう思うから、情事によけいな思惑を持ち込むことは、自ら排してきたのだ。
だから―――

ツォンに誘いを掛けたのも、ルーファウス自身の事情を言うなら『溜っていたから』だ。
至極適当な相手だと思えた―――のだ。その時は。
そして確かに、行為は悪くなかった。途中までは。

身体の中に、ツォンの猛るものを深々と受け入れた記憶が、生々しい感触と共に甦る。
しかも、それを挿れたまま二度目の射精をしたあとの記憶がない。
気を失うほど悦かったのか、単に激しい行為に体力が付いていかなかったのか。それも判然としない。

ただ―――

こうして真正面から至近距離で向き合うと、いかにもばつが悪い。

昨日まで性的な対象としてなど見たこともなかった身近な男―――そう、言うなれば家族のような―――とそんな関係を持ってしまったことは失敗だったかもしれない、とここに来てルーファウスはようやく思った。

セックスなどほんの遊び。
気楽な気晴らし程度に考えていた自分が甘かったのだ。
思い返してみれば、そういった情事に熱中していたのはもう随分と前のことで、しかも僅かの間だった。自分はまだ子供といってもいい年齢だった頃だ。
その後4年半にもわたってタークス本部奥に監禁され、その間タークスたちとだけしか接してこなかった。
それも、この男と顔を合わせることが一番多かった。
ツォンは当時主任代行という立場で本部に詰めていることが多かったし、幽閉されているとはいえ神羅家の御曹司で副社長であるルーファウスの世話をするのは、タークスたちにとって気を使う仕事だったのだろう。いきおいツォンに任されることが多かった。
いや、今思えば、むしろ進んでやっていたのかもしれないが―――
とはいえルーファウスの方はそんな事はつゆほども知らず、気の利かないロッドやへらへらしたレノが来るよりずっといいなどと気楽に考えていた。
男連中はもちろん、タークスの女性達も性的な対象として見たことなどない。ルーファウスにとってあの場所は職場でもあったし、彼らはそれまでルーファウスの人生には存在しなかった『友人』といっていい存在でもあったからだ。
ツォンは年令も離れていて友人というイメージではなかったが、もっとも身近な存在であったことは確かだ。
 
そんな男と性的関係を持って、今まで通り接することなどできはしないと、気づいてしかるべきだった。
手を握られて至近距離で見つめ合っているという状況は、あまりにも気まずい。

「放せ」
掠れた声はツォンの耳に届かなかったのか、いっこうに動かない男に、ルーファウスは業を煮やす。
「放せ、馬鹿者」
今度は思いきり強い調子で言い放ち、手を振り払った。

振り払われた手を見て、ツォンは一瞬呆然とした。
昨夜はこの身体の隅々まで触れることを許してくれ、共に快楽を味わったというのに、一夜明ければ手を握ることさえ拒否されるとは。
ツォンにしてみれば、越えたと思った一線が、再び遥か遠くに現れたようなものだった。
ルーファウスの冷たい声と無表情が、更に拍車を掛けた。
そもそもルーファウスの感情は読みにくい。
あからさまに表に出ている表情は演技であることの方が多く、本音がどこにあるのかはなかなか見せない人だ。
だが今ここでツォンに対して演技をする必然性はどこにもなく、合理的であることを好み無駄を嫌う人なれば、それは本心なのだろうと思われた。
ショックでぐらぐらする頭を必死に立て直し、
「申し訳ありません」
と直立する。
ルーファウスは胡乱な目でそれを見上げ、それから目線を外らして
「出ていけ」
と命じた。
返事の言葉も出ぬままふらふらとドアへ向かうツォンだったが、それを見ていないルーファウスは気づかない。
とにかくツォンを追い出して、それからゆっくり今後のことを検討しようと、その思いばかりが空転する。
ルーファウスの内心の混乱とツォンの悲観的な思いこみは完全にすれ違っている―――のだが、もちろん本人たちには分からない。


「社長のご様子はいかがでしたか!?」
オフィスとして使用しているリビングへ戻ると、イリーナがことさらに元気よく訊ねてきた。
「ああ、目を覚まされた。イリーナ、何か暖かい飲み物をさし上げてくれ」
「はいっっ」
ますます元気づいて立ち上がり、スキップでもしそうな勢いでキッチンへ消える。
見送ったツォンは椅子に腰を下ろしてほっと息を吐いた。
溜息とも言えない程の微かなものだったにもかかわらず、それを聞きつけたレノが問いかける。

「なんかあったのかな、と?」

この男の勘の良さには時折舌を巻く。
それは任務の上でも遺憾なく発揮されるが、人間関係――ことに恋愛問題において――は呆れるほどの鋭さであることは、ツォンもよく承知している。
実際、ルーファウスがまったく気づきもしなかったツォンの想いにも、レノは薄々感づいていた気配がある。
だからこの『なんか』は社長の体調や仕事上の問題を指しているわけではないだろう。
ルーファウスとツォンの間に、個人的な――もっと言うならば感情的な問題があったのか、と訊いているのだ。
実の所、今朝の時点でもイリーナやルードはともかくレノは騙しおおせたかどうか怪しかったのだが、やはり斬り込んできたか、と思う。
だがそんな事にはっきりと答えられるはずもない。

「問題ない」
素っ気なく言って、話を打ちきる。
そう。
問題はない―――はずだ。
ルーファウスは仕事にプライベートな問題や感情をを持ち込むことはしない。
ツォンとの間にどんな感情的軋轢があろうとも、それを表に出すことはしないだろう。
そう思う一方で、本当にそうだろうか?という疑問も湧く。
彼が感情的問題を仕事に持ち込み、大問題になったことがあったではないか。
他でもない。反神羅組織アバランチと結託して父親の追い落としを計ったあの事件だ。
半分は少しでも早くカンパニーの実権を握りたいという思いだったろうが(そしてそれは今になってみれば正しいことだった。もしも彼があの時点で社長になっていれば、セフィロスの神羅離反は無かっただろうから)、半分は単純な父親への反抗だった。
彼は冷静沈着の仮面を被ってはいるが、意外に激情家だ。
そんなところもまた、ツォンにとっては好ましい――愛らしいとさえ言える(恋は盲目とはよく言ったものである)――部分ではあったのだが、それが今現在自分に向けられるとしたら、笑ってはいられない。
ツォン自身は、それでもかまわない。
もちろん嬉しくはないが、一夜の夢だったにしても積年の想いを叶えてくれた彼に対して、これ以上望むことはない。
たとえ放逐されようが抹殺されようが、思い残すことはないと言っても良いくらいだ。
だが反面、それは神羅にとっては決して良策ではないとも思う。
以前の組織が崩壊した今、彼の直接の手勢はタークスしかない。
それは彼も十分に承知しているだろう。
だから、ツォンに対する処分は無いはずだ。
問題は、それが彼の意志に反しているとすれば、そのこと自体が彼に無用の心痛をもたらすだろう事だ。
そこまで一気に考えて、ツォンはまた一段と落ち込んだ。(病膏肓にいる、とはまさにこの事であるが)
だが表面的には常の無表情がますます無表情になっただけだ。

「んじゃ、オレも社長のご機嫌を伺ってきますかねっと」
ツォンを横目で見ながら、レノはイリーナの後を追ってリビングを出て行く。
咄嗟に制止する言葉を思いつかなかったツォンは、複雑な思いでそれを見送った。

 
「しゃっちょ〜」
イリーナがカフェオレを運んできたと思ったら、続いてレノが気の抜けた声と共に顔を覗かせた。
ベッドの横に立ち、両手を身体の前で力一杯握りしめてルーファウスがコーヒーを口に運ぶ様を固唾を呑んで見守っていたイリーナも、ドアを振り返る。
イリーナのあまりの真剣さにさすがに閉口していたらしいルーファウスは、助かったというような表情を見せた。
「イリーナ、社長に食事を出すんだぞ、と。あのフレンチトーストが良いんだぞ。社長、好きだよな?、と」
「あ、ああ、頼む」
フレンチトーストはどうでも良かったが、とりあえずイリーナを追い出そうというレノの意図はすぐに察せられ、ルーファウスは頷いた。
「はいっ! 分かりました!」
頬を染めて力一杯返事を返すと、イリーナは部屋を出ていった。

やっと落ち着いて飲めるとばかりに、ルーファウスはゆったりした動作でカップを口に運ぶ。そんな動作も、いちいちサマになっている。
久しぶりに見た彼の姿に、レノは眼を細める。
明るい部屋で清潔なベッドに横たわりくつろぐ彼は、以前と少しも変わらない。本社ビルの最上階で見た彼と同じだ。
ずぶ濡れの汚れたスーツ姿で、洞窟の中からレノを見上げた瞳の強い光が忘れられない。
社長がいてこその神羅、神羅あってこそのタークスだ。

「イリーナも社長のことすごく心配してたんだぞ、と」
「ああ…」
ルーファウスは頷く。
あの様子を見れば、いやでもわかる。
いささか調子っぱずれではあるが、生真面目な真剣さは姉によく似ている。ルーファウスが幽閉されていた頃はタークスとして勤務していた女性だ。
いずれ彼らとも連絡を取らねばならないだろう。
そんな事に考えを巡らしていると、レノが顔を覗き込んできた。いつの間にかベッド横の椅子にしっかり座り込んでいる。

「なんだ」
いぶかるルーファウスに、レノの直截な質問が返ってきた。
 
「社長さあ、ツォンさんとなんかあったのかな?と」

思わずコーヒーを吹き出しそうになった。

この男はそんな事を訊きに来たのか!?
というか、ツォンのヤツ、コイツに何か言ったのか!?

「や、ツォンさんからはなんも聞いてないから」
ルーファウスの心を読んだように、レノはひらひらと手を振った。
「オレが勝手に推測しただけ」
何を推測したんだか。
ようやくコーヒーを飲み下し、ルーファウスはレノを睨みつける。
「ツォンさんさあ、ずーーっと、もの凄く社長の事心配してたわけよ。で、ようやっと社長が帰ってきて…」
そんなルーファウスを無視して、レノは喋り続ける。
「オレたちも嬉しかったけど、ツォンさんが一番喜んでたはずだろ。だってツォンさん、社長のことずっと好きだったじゃん」
なんとルーファウスが昨夜初めて知ったことを、この男はずっと前から知っていたというのだろうか。
「本社にいた頃、オレたちがふざけて社長の事エロ話のネタにすると」

どんな話だ!?

「デスクの向こうからお怒り光線がぴしぴし飛んできたしさあ。ツォンさんが本気なことは確かだったな、と」
ルーファウスは返す言葉もない。
「なんでさっさとものにしちゃわないのかなあ、とは思ってたけど、それだけ社長のこと大事にしてたんだろ」
あれを大事にされていたと言うのだろうかと、ルーファウスは疑問に思うが、とりあえずは黙っておく。エロ話の件についても、だ。
「だからさあ、社長が戻ってきて一番嬉しいのはツォンさんのはずなのに、なんか今朝はみょーな感じだなー、なんて思ってたら、さっきはどん底落ち込んでるじゃん。これはもう、社長と揉めたとしか思えないんだけど?」
 
揉めた覚えなど無い。
というより、まずなぜツォンが落ち込んでいるのかが分からない。
昨夜はあいつの要望を入れて関係を持ったはずだし、多少不本意ながらも女役にも甘んじてやったのではなかったか。
浮かれているならわかるが、落ち込むというのはどういうわけだ。
何が不満なのか知らないが、失礼にも程がある。
頭の中には?が幾つも湧き出るが、一見ルーファウスの表情に変化はない。

顔を覗き込むようにしていたレノも、社長の内心は計りかねていた。
ツォンがルーファウスの事を恋愛対象として見ていることは気づいていたが、その逆はなかったろう事もまた、分かっていた。
ルーファウスは、タークスはまとめてタークスとしてしか見ていなかったからだ。
個々の能力や個性についてはよく把握していたし、それを生かす使い方も十分承知していたろう。
けれど、特定の個人に特定の感情を持つことは、敢えて排除していたとしか思えない。
もちろん彼は自分たちの上司なのだから、それは褒めるべき事ではあっても決して不満に思うようなことではない。
と思う一方、ツォンの報われぬ恋を応援したいとも思ってしまうレノだったのだ。単に野次馬なだけだとも言えるが…。

「揉めてなどいない。ツォンが何を考えているのか知らんが、それは私とは無関係だ。おまえもそんな事に気を廻しているヒマがあったら、ミッドガルの様子でも調べてこい」
きっぱり言い放った社長の口調には、微塵の迷いもない。
レノは首を傾げ、
「えー、やぶ蛇だぞっと…」 
とぼっそり呟いた。
 
ルーファウスは頭も良くカンも鋭い。
冷酷非情を装っているような所はあるが、決して人の感情の機微に疎いというタイプではないのだ。むしろ、人の感情をも操るための努力を惜しまないと言った方がいいのかもしれない。多分に功利的な目的のためではあっても、ルーファウスの人を見る目はいつも確かだった。
それがどうもツォンのあの落ち込みように気づいていないらしい。
そのこと自体が、不自然だとレノは思う。

てっきりツォンさんが社長に再会した勢いでついにコクって社長の機嫌を損ねたんじゃないかと思ったが、事態はそんな簡単なことじゃなかったらしい―――と、レノは考えを巡らす。
いくら巡らせてみたところで、さっぱり分からないことは変わらないのだが。
当事者二人がなにも話そうとしないのだからどうしようもない。
ふつー、レンアイ話ってのはもうちょっとこう、人に相談したくなったりするもんなんだけどなあ…などと心でぼやいてみる。
だがそれも、筋金入りの変態(ルーファウスに言わせれば)ツォンと鉄壁のクールビューティ社長が相手となると、一筋縄ではいかない。
さてどうしたもんかと思いつつレノが立ち上がりかけたところへ、勢いよくドアが開いてイリーナが入ってきた。
「焼けました、社長! 温かいうちに召し上がってください!」
これ幸いと、レノは入れ違いに部屋を出る。
これまた勢いよくトレーを押しつけられて、当惑気味ながらもトーストを口にして「美味いな」と社長が言うのを背中に聞きながら。


それから、あっという間に日が過ぎていった。
社長の帰還は、大きな転機となった。
タークスだけでなく、神羅軍の残存部隊やカンパニーの地方支部などは救援や復興において各々やれる事をやってはいたが、統制の取れない活動は今ひとつ思うような効果が上がらないものだった。
カンパニー全体の業務を把握し、どこに何があるのかを承知しているのは、今となってはルーファウスだけだったのだ。
ルーファウスの指令で動くようになると、崩壊寸前だった『職場』が戻ってきた。軍にも支部にも、そしてタークスにも。
カンパニーが健在だった当時のような忙しさに、たった4人の現タークスたちは振り回される日々だ。
二度と社長を誘拐されるなどということのないよう、社長の警護だけは外せない。その一人を除いて、残りの3人は椅子を温める間もない状況だった。
そして、『その一人』としてツォンが残ることは決してない。
多くはルードが。まれにレノ、そしてイリーナが護衛することが続いたある日―――

「センパイ…ツォンさんと社長、何かあったんでしょうか」
独り言のようにぽつりと訊ねてきたイリーナに、

『今頃かよ!?』

と心でツッコミが入るレノだ。
ただ今二人はニブルヘイム魔晄炉の調査中だ。モンスターの多い地域なので、二人での出動だった。

「なんかおかしいですよね? ツォンさんも社長も、お互いに避け合ってるみたいな…」
そんな事は、3日目にはルードにだって分かってた。
ツォンさんは一人で社長と対面することをできうる限り避けていたし、社長の方は見事に素っ気ない態度だ。
二人だけの時はどうなんだろう? とは思うが、あの調子では多分まったく変わらないだろう。ツォンさんはともかく、社長はそういう隠し事をするタイプじゃない。

「喧嘩したとか…」
「喧嘩なんかすると思うかよ、と。あの二人が」
「そうですよね。社長もツォンさんも、つまらないことで意地を張り合ったりする方じゃないですし…」
実際は、『つまらないこと(他人から見れば)で意地を張り合っている』というのが一番正解に近いのだったが、二人の平素の行動からそんな事はあり得ないと思ってしまうレノとイリーナだ。
「でも社長とツォンさん、以前はもう少し仲よかったですよね?」
あれを仲が良かったというのか?は疑問だが、社長がツォンさんを一番信頼していたことは確かだ。それに、一番気を許していたことも。
そのわりにはツォンさんの気持ちには社長は全然気づいてなかったけどな、とレノは思う。
まあどっちかが女だったら、とっくに気づいたんだろうけどな。
そう考えて、いやいや、そうでもないかも。と思い直す。
だいたいツォンさんはイリーナの気持ちにも全く気づいてない。鈍感さでは社長といい勝負だ。いや、イリーナはオンナノコなんだから、ツォンさんがの方がはるかにニブチンだ。
女と男がいれば、そこが職場でも学校でも、恋心が生まれて当然。それは世界の常識だ。
野郎の恋心に気付けという方が、難しいだろう。しかもひた隠しにしてたとあっては…
はたしてその辺どうだったんだろうか? とまたしても疑問がわき上がるレノだ。
ツォンさんがコクったんじゃなければ、社長がツォンさんの気持ちに気づくことはないだろう。だったらそういう問題じゃなかったのか?
しかし、他のこと(仕事とか?)でツォンさんがあれほど落ち込むなんて、考えにくい。
社長がツォンさんに対して無視を決め込んでいるのだって、変だ。
レンアイ絡みというのが、一番しっくり来る。

首をひねるレノは、その状況を決定づけたのが自分の不用意な一言だったとは夢にも思わない。

 
一方ツォンの落ち込みは続いていたが、超低空飛行も長く続けばいつのまにか通常になる。
ロッジから追い払われるように外の仕事を多く振られるのも、正直ありがたかった。顔をみないですむ方が、平静を保っていられる。
顔をみて声を聞けば、どうしてもあの夜のことが繰り返し再現される。
自分を受け入れて、喘ぎ、昇りつめたルーファウスの汗ばんだ肢体。喬い声。夢だったと忘れるには、あまりにも生々しすぎる体験だった。

随分と長い間、彼に恋していた。
他の男に心を惹かれたことなど無いし、女性との恋愛は過去に幾度か経験があったが、それはおぼろに霞むほど遠い記憶だ。
自分の気持ちに気づいた頃、彼はまだ少年と呼べる年頃だった。華奢な身体、整った顔立ちに大きな蒼い瞳、癖のない金の髪。女性といっても通るような容姿であったことは確かだ。
だから実は、彼が言ったように自分を『同性愛者である』と思ったことはあまり無い。普通に女性と恋愛もしていたし、男であるという理由で男を好きになったことは無かったからだ。女であるという理由で女を好きになったことは当然あるわけで…。
彼に出会うまで、男を恋愛対象としてみたことなど、正直無かったのだ。
むしろ、こんなことを言ったら彼は腹を立てるだろうが、彼を女のように見ていたという方が現実に近い。当時なら少女―――か。
エアリス絡みでときたま揶揄されたようなロリコン趣味などないと思っていたが、ルーファウスに関して言うならそれに近いものだったかもしれない。
ただ、それから随分と時が経った。
今の彼はどう見ても少女ではないし、女性的でもない。
整った顔立ちも細めの肢体も変わらないが、レッキとした大人の男である。
それでもツォンの想いは少しも揺らがなかった。
男である彼を愛しているのだから、『同性愛者』と呼ばれることにも抵抗はない。
恋着したのは彼の見た目ではなく、苛烈と言えるほどに前向きなその生き方だ。意志の強さ、決断の早さ。
生れながらに欲と策謀の渦巻く世界で生きてきて、手酷い裏切りにあったことも少なくはないというのに、彼自身が選んだ者たちに寄せる信頼の強さ。
その王者の資質と言うべき輝きに魅せられていたのだ。
だが、彼の身体を性的な欲望の対象として見ていたことも、また確かだった。
身も心も共に結ばれたいと思う以上、それは同性愛的な恋愛感情なのだろう。
そのことに偏見はない、と彼は言ってくれたはずだった。
むしろツォンの方が、頑なにそれを間違った欲望だと思い込んできた。
男であり上司である彼を性的対象として見るなど、許されないことだとずっと思っていた。
だから呆れるほどの気軽さで彼がその行為を許してくれたときは、何かの間違いではないかと思ったのだ。
間違いだったなら、一夜明けて彼がそれに気づいたとしても不思議はない。
よくよく考えれば彼の性格からしてそんな事はあり得ないと分かっただろうが、なにしろ長らくそう思い込んでいたのはツォンの方である。
自分に判断基準を置いてしまうのは、人のサガというものだ。しかもこの問題には『客観的基準』というものが存在しない。
極めてプライベート、かつ心情的な問題なのだ。

そんな絶望のスパイラルに落ち込んでドツボに嵌まっているツォンに対し、ルーファウスはあくまで冷たい。
ルーファウスが冷淡なのは、軽く腹を立てているからだ。
ツォンと寝たのは、興味半分だったとしても、半分はあいつの想いに応えてやりたいと思ったからだ。あの夜は救出されたばかりで体調も万全とは言えず、疲れてもいた。
それでも、ツォンの気持ちが真摯であると思えたからこそ、女役までしてやったのだ。
にもかかわらず翌朝はいたわりの言葉も無かった。
せめて『良かった』とか『素晴らしかった』とか、なにがしかの賛辞だってあってしかるべきだろう。
少なくともルーファウス自身は、女性と一夜を共にした後にそういう言葉を惜しんだことはない。それはマナーとして当然と思っていたからだ。
なのにツォンのヤツ、そんな一言すらなかった。それどころか、どんな理由か知らないが勝手に落ち込んで暗い顔を見せる。
実際やってみたら思ったほど良くはなかったとでも言いたいのか―――
ふとそれを思い返すたびに腹が立つ。
信頼に足る部下だと思うし、彼の忠誠を疑ったこともない。
だが、それとこれとは話が別だ。
顔を見ると腹が立つから、なるべく見ないですむような手配をする。
事務的な会話以外は交わさない。もともとそういう関係だったから、これはさほど違和感はなかった。
ただ、ツォンほどの気配りは他の三人には望めなかったので、それだけが若干不都合だった。

禁断の恋に悩む男と、セックスを快楽の手段と即物的に捉えている男との心情には、実はどこにも接点がないのだった。

ルーファウスは、巷で想像されているよりはずっと誠実な男である。それを一番よく知っているのは、ツォンたちタークスだ。
だが、この場合それが裏目に出たと言えなくもない。

ルーファウスにとって、セックスは遊びでなければならなかった。
それは彼が神羅家の跡取り息子だったからだ。
本気の恋愛など、許されない。
神羅夫人に相応しい女性でなければ結婚することはできない。そう、周囲の誰もが思っていたし、ルーファウス自身もその一人だった。
生涯の伴侶として、共にカンパニーを背負っていける女性でなければ、恋愛対象にはならないと―――
結婚もできない相手と本気の恋愛をしたいと思うほどルーファウスは不誠実ではなく、ヒマでもなかった。
だから恋愛とセックスは別物。
暇を持てあましたご夫人方のペット的に扱われることにも、抵抗はなかった。どうせ遊びなのだから。
それが割り切れないような相手には近づかない。
ずっとそうしてきたのだ。
ツォンは若干その条件からははみ出していたが、なにしろ男だ。
結婚できるわけでも子供ができるわけでもない。そんな不毛なセックスを遊びと言わずしてなんというのか。
ならばツォンが自分を好きだというなら、それに応えてやっても不都合はないだろう。
いつか自分が結婚相手を見つけたと言っても、ツォンは反対したりはしないだろうし。まあ、今となってはそれもあまり現実的な話ではないような気もしたが―――
ルーファウスの中で、セックスに関する規範はそういったものだった。

だが、ツォンから見ればルーファウスが自分を遠ざけるのは、やはりあの行為が正しくないことだったからなのだと思うのだった。
ツォンの中でルーファウスの誠実さは、実像とはだいぶ違う方向に発揮されている。
お互いそれに気づかないあたりは鈍さにおいていい勝負だったが、二人の距離があまりにも微妙なものだったせいでもあるのだろう。

だが、二人が忘れていた―――否、なるべく考えないようにしてきた事情が、その均衡を打ち破ることになった。

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