「ルーファウス様…」
 俯いたまま震えているその人に声をかける。
 そっと肩に手を置くと、びくりと身体が竦んだ。
 ルーファウスの気持ちを思うと、ゆっくり時間をかけるべきだと思ったが、そうもしていられない。一刻も早くこの場所を出なければ。
「お身体を洗いましょう」
 動こうとしない身体を強引に引き上げ、バスルームへ運び込んだ。
 バスタブの中に座らせ、シャワーの湯を浴びせる。
 身体の汚れを落とし、髪にまで絡んだ粘液を流す。
 黙ってされるままになっていたルーファウスの手が、突然ツォンからシャワーヘッドを取り上げた。
「いい。後は自分でやる」
 はっきりした声でそう言って、立ち上がる。
 脚の汚れを洗い、凌辱されたその部分にも湯をかけた。
 あっけにとられたツォンの見る前で、ためらいもなく身体を開き、指を押し込んで掻き出す。
 執拗なその行為は、まるで自分自身を責めているかのようだ。
 当然傷ついたそこから再び血が流れ出して湯を染めた。
「おやめ下さい。傷が開きます」
 慌てて手を押さえた。
 シャワーヘッドを取り上げ、バスタオルで身体をくるむ。
 ルーファウスは抵抗しなかった。

 ようやく服を着せ、その場を連れ出した。
 パーティの会場を抜けるとき、ルーファウスは毅然と顔を上げて一人で歩いた。
 もう帰るのかと訪ねる人に、飲み過ぎて気分が悪くなったのだと笑って応える。
 蒼白な顔色はそれを裏付けていたから、誰も不審には思わなかったに違いない。
 だが車に乗り込み、門を出たところでルーファウスはツォンの手をきつく握り、
「気分が悪い」
 と訴えた。
 ツォンは車を停めさせ、ジャケットを脱いで拡げた。
 ルーファウスは空えづきを繰り返し、少量の胃液を吐く。
 神羅邸に戻るまで、何度かそんなことが繰り返された。

 館に到着する頃には、ルーファウスはツォンに凭れて眼を閉じていた。
 眠ってしまったのだろうか。
 だがツォンが僅かに身動きすると、ルーファウスの身体はその膝に倒れ込んできた。
 呼吸は浅く速い。
「ルーファウスさま!?」
 握った手は冷たかった。
「医者を! 早く!」
 
 

 

「呆れたものだ」
 医師は声を潜めてツォンにこぼした。
「あの子はまだ十五だろう。ほんの子供だ。酒もセックスもドラッグも早すぎる。まったく…『あの方々』のやることときたら」
「クスリ、ですか」
「それも一種類じゃないな。酒と一緒に摂らせるだけでも危険なのに」
 ツォンは唇を噛む。
 ただの護衛である自分には、館の中で行われることに関与することはできない。
 今日とて、ルーファウスが凌辱されている間も館の玄関先で待機しているしかなかったのだ。護ることも止めることもできはしない。
 半年前のことがあってから後、プレジデントの暴力は治まっているようであったのに。

「何を考えていらっしゃるのか…」
「プレジデントか」
 嘆息と共に吐き出された言葉に医師は反応した。
「…どこまでご存じですか」
「半年前、あの子が死にぞこなったという辺りまで、かな」
「それは…」
 極秘のはずだ、とツォンは思い、次に一応神羅家お抱えの医師ならばそのくらい知っていても不思議はないかと思い直した。
「まあ、そのくらいは、な」
 医師は白衣のポケットからタバコを取り出して火を付ける。
「俺は幸いあの子には嫌われている」
「幸い…?」
「そう。好かれていたらとっくに馘になっていたろう」
「それはどういう」
「プレジデントは、あの子が他人に好意を持つことが許せないのさ」
「そんな…まさか」
「知らないのか。この家の従業員は三年ごとに総入れ替えだ。あの子の家庭教師に至っては、三ヶ月契約だそうだぞ」
 ツォンはあっけにとられた。
「あの子は八才までこの館の敷地を一歩も出ることを許されていなかった。今だって本社以外はプレジデントのお供でしか外出はできないはずだ」
 それはいったいどういう人生だろうか。
「DVにもいろいろあるがな。プレジデントの場合は明らかに愛情の裏返しだ。強烈な独占欲と言ってもいいか」
 医師は紫煙を吐きだしながら品定めするような目つきでツォンを見る。
「誰かに盗られるくらいなら殺してでも手元に置こうとするだろうよ。今回の件も前回も、生殺与奪の権は自分が握っているのだという確認だろうな」
「そんな…事のために…」
「あんたタークスだろう」
 制服の上衣は脱いでいた。それでも神羅に詳しい者なら見間違いようがないだろう。
「そうですが」
「なるほどな」
「何がです」

「何故父がおまえを私の側に配したか、だろう」
「ルーファウス様…」
「目が覚めたか」
 医師はベッドに起きあがったルーファウスの脈を取る。
「ヤニ臭い手で触るな」
「嫌味が言えるようなら大丈夫そうだな。じゃあ俺はここらで引き上げるぞ。長居して解雇されてもつまらん」
「ああ、そうしろ」
 言いつつルーファウスはちらりと医師と目を見交わす。
 その視線に含まれる意味に、ツォンはこの医師がルーファウスの信頼する数少ない人間の一人であることを理解した。
 
 

 

 医師が出ていくとルーファウスはまた枕に身体を沈めた。
「世話をかけたな」
「それは以前も伺いました」
「そうだった」
 小さく笑う。それだけで、薄暗い部屋に光が射したようだ。
 何故この方は笑えるのだろう。
 あんな目にあった直後だというのに。
「そんな顔をしなくていい。私はもう大丈夫だ」
 余程沈鬱な顔をしていたのか。逆に慰められてどうするのだ、と思うが、微妙な違和感がある。
「立てなかったのも吐いたのも薬のせいだったのだから、もう平気だ」
 なんの話だろうか。
 この方の中では繋がっているらしいが、ツォンにはよくわからない。
 それでもこのほっとしたような顔はなんだろう。
 その発言をもう一度頭の中で吟味して、違和感の要因に突き当たる。
『立てなかったのも吐いたのも』、だ。
 この方にとっては、それが問題だったのだろうか。
 強姦されたことでも、父親に売られたのも同然だったということでもなく、立てなかったことや吐いたことの方が?
 それはツォンの常識や倫理観からはかけ離れすぎていて理解できない。
 なにか、ルーファウスの中の大きな欠落を見せつけられた気がした。

 この方は以前『神羅』もいらないと言われた。
 神羅の跡継ぎとして、誰よりも努力を重ねているように見えていたのに。
 めまぐるしく入れ替わる周囲の人々に対する愛着も持ちようがなかったろう。
 ご家族と言えるものはあのプレジデントだけ。
 何もかも与えられていながら、なにひとつ自分のものにはならないという逆説的な状況。
 ご自分の身体に対してさえ、この冷淡なありよう。
 
 この方が執着するものはいったい何なのか。

 それを知るのは、ひどく怖ろしいことのように思われた。
 ルーファウスの心の裏側に、ぽっかり空いた冥い穴を覗き込むことになるような気がして。

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