「そこで何をしている? リーブ部長」
 いきなりかけられた声に、私は文字通り飛び上がった。
 飛び上がったのはもちろんロボットであり、現実の私はただ肩をびくりと竦ませただけだったが。
 ロボットは後ろを振り返る。
 壁に寄り掛かり、腕を組んでこちらを見つめている姿は記憶にあるよりもずいぶんと大人びた、あの少年だった。
 相変わらず白いスーツを―――夜中にもかかわらず―――着込んで、冷たい青い目に落ち着き払った声。
「副社長…。なぜここに…?」
 長期出張に出ているという副社長が、こんな時間タークス本部にいるのは解せなかった。
 もちろん彼も幹部の一人―――実権はないにせよ―――なのだからこの場所を知っていても不思議はない。けれどいったいいつミッドガルへ戻ってきたのか、なんのためにタークス本部にいるのか。
 自分のことを棚に上げて、私はそれをひどく疑問に思った。
 この時まだ私の頭の中で副社長は『無能な子供』であり、社内勢力として考慮の対象外だったのだ。

「私の質問に答えるのが先だな」
 少年はは楽しげに笑って、私―――ロボットを―――抱き上げた。
 いきなり目線が真正面に来て、私は少なからずうろたえた。
 蒼く透き通った大きな瞳は、計り難い感情を湛えている。とてもこんな年頃の少年のものとは思えない。
「おまえはなかなか役に立ちそうだと思ったが、どうやら君にしか扱えないらしいな」
 『おまえ』がこのロボットを、そして『君』が私自身を指しているのは明白だった。
 つまり、彼は何もかも承知らしいと考えざるをえない。
「は、放してくれまへんか」
 少しだけ手脚をじたばたさせて、私―――ケット・シーは副社長に哀願した。
「だめだ」
 彼はロボットの身体を抱えたまま、タークス本部内を移動した。もちろん思いきり抵抗すればこの華奢な青年を振り切ることなど容易かったろうが、さすがにそれはできかねた。
「夜中にこっそりタークス本部を覗き見しようなんて、いい考えとは思えないな」
「や、覗き見やなんて、そんな」
「昼間来たとき、何か面白そうなものでも見つけたか?」
「ちゃいます…。だって、いくら夜中だってタークス本部に誰もいないなんて、普通思いませんやん」
「ふむ。つまりそれでも新米タークスたちの目くらい幾らでも誤魔化して情報漁りができると踏んだわけか」
「と、とんでもない!」
 白々しいと分かっていても、そうですと肯定するわけにはいかないことはあるものだ。
 
「そう怯えるな」
 副社長が壁のスイッチを操作すると、書架がスライドした。その奥にあるのは鉄格子のはまった入り口だ。古典的な仕掛けではあるが、そもそも存在自体が極秘となっているタークス本部の中にそんなものがあるとは驚きだった。
「こ、ここは、金庫?」
「違う。…まあ、ある意味そうと言えなくもないか」
 副社長は楽しげに笑って軽く頭を振った。金色の長めの前髪が揺れて顔に影を落とす。
 それを見上げて、私は初めて彼を綺麗だと―――生きた人間として美しいと―――そう思った。

 鉄格子をくぐった先は、普通のオフィスだった。
「ようこそ、我が執務室へ。ケット・シー―――リーブ部長。君が初めての客だ」

 執務室?

 私は混乱した。
 なぜ副社長がタークス本部の奥にオフィスなど持っているのか。
 後でわかった本当の事情など、その時は考えも及ばない。
 ただ、タークスと副社長の関係が、思っていたよりずっと深いものであることだけが確かだった。
 それに社長の意志が関しているのかどうかが、この際大問題だった。もしそうであれば、社長と副社長は表面上不仲を装い、陰では結託していることになる。しかもタークスを巻き込んでいったい何を画策しているのか。当然我々重役にとって楽しい話であるはずがない。
 結局その心配は杞憂であったわけだが――

「ここには」
 副社長はケットの身体を下ろそうとはせずにそのままオフィスを横切った。
「タークス本部などより余程面白い情報が、たくさん詰まっているぞ」
 部屋の中央に置かれたシンプルなデスクの上には、端末のモニタが並んでいる。
 壁にも大型のモニタ。
 飾り気のないソファが壁際に一つ。他には何もない。
 副社長の執務室というには、あまりにも簡素すぎる造りだと思えた。

 オフィスの奥のドアを開けると、その向こうはもう少し生活感のある場所だった―――というより、明らかにプライベートだ。
 ワンルームのマンション。
 それが最初の印象だった。
 リビングダイニングとしか言いようのない空間。小さなダイニングテーブルと2脚の椅子。オフィスにあったものより小振りなソファセット。パーティションで区切られている場所にあるのは、ベッドだろうか。
 キッチンのようなものはなかった。
 当然ながら、窓はない。タークス本部は、本社ビルの中心部に置かれているのだから。
 代わりにここにも大型のモニタが据えられていて、ミッドガルの夜景を映し出していた。

「こ、ここは…?」
「今現在、私の住居だ。ここへタークス以外の者が入ったのも、初めてだぞ」
 じゅうきょ?
 ここに住んでいるというのか?
 混乱したままの私を抱えて、副社長はなおも奥へ進む。
「ま、まだ奥があるんでっか」
「そんな迷路のような場所じゃない。この中はただのバスルームだ」

 そ、そうか。それならホントに普通のワンルームマンションだ。
 って、
「え、えええーーー?」
「なんだ、変な声を出すな」
「ちょ、ちょい待ってぇな」
「喧しいヤツだな」
「なんでいきなり風呂はいらなならんのですか!」
「もう1時を廻った。早すぎる時間ではないぞ」
「そういうことや無くて、な、なにしはりますねんっ」
 副社長がいきなりケットのマントを外しにかかったのだ。
「あ、おまえは水に濡れると故障するのか?」
「いや、そんな事はおまへんけど」
「ならいいな」
 ケットはもともと小さなマントしか纏っていない。あっという間に脱がし終わった。
 副社長が次にしたことは、自分の着衣を脱ぎ捨てることだった。
「ちょ、副社長…!?」
 慌てる私の目の前に、まだ少年の幼さをわずかに残した裸身が晒された。
 脱いだ衣服は無造作にランドリーボックスへ放り込む。
 ほとんど汚れているとも思えないスーツを容赦なくランドリーへ廻すあたりは、さすがに神羅の御曹司だ。一度袖を通した服をクリーニング無しにもう一度着ることなど、彼にとってはあり得ないのだろう。
 そんな些細な行為にこそ、彼の育ちが如実に表れている。
 実際、彼がまだ神羅邸で暮らしていた頃は、彼の世話をするためだけに数十人の使用人が働いていたことを私は知っていた。
 では、ここでは一体誰がそれをしているのだろう。
 さっき見たリビングは、神羅邸のものと比較したらまるで犬小屋だ。いや、犬小屋の方が余程広いかもしれない。
 そんな場所に何故副社長である御曹司が『住んでいる』のか、私には見当も付かなかった。
 なんて悠長なことを考えていられたのは、そこまでだ。
 彼は裸の胸にケットを抱え上げた。
 ケットにシンクロした私には、見た目通りすべすべした彼の肌の感触が感じられて意味もなく鼓動が速まった。
 彼はそのまま、低い位置に配されてこんこんと湯を溢れさせている湯船にすべり込んだ。
 バスルーム――しかもワンルームマンションの――という発想からはほど遠いその豪奢な湯船は、彼がのびのびと手脚を伸ばしてもまだ余裕があるほど広かった。
 コンパクトに纏められたリビングダイニング兼ベッドルームとは大違いだ。普通ならユニットバスで片付けられるはずのその場所だけは、真っ白な大理石を張り巡らせた内装といい、掛け流されている適温の湯といい、まさに神羅家の御曹司に相応しい造りだった。
 私は動揺を紛らわすために辺りをきょろきょろと見回した。

「えらい立派な風呂場でんなあ…」
 思わず洩れた感嘆に、
「ここだけは当初の設計のままだからな」
と、彼は笑った。
「おやじはこんな場所に神羅邸のコピーを造る気だったらしいぞ」

 おやじ――は、当然社長のことだろう。
 なぜ社長がタークス本部の奥に神羅邸だの副社長のオフィスだのを造る必要があったのだろうか?
 オフィスはまだわかる。
 タークスと緊密な関係を持つためか、あるいは逆にタークスを見張るため―――
 どちらにせよ、ビジネス上のことで理由は付く。
 だが、その奥に住居を構えるとなると――しかもミニ神羅邸といわんばかりの――なんのためなのか、理解に苦しむ。
 いくら24時間勤務のタークスを見張るためとはいえ、わざわざ副社長がそこまでしなければならない訳など、考えつかない。
 だとすれば―――?

「部屋の方は私が手直しさせた。ベッドとテーブルがあれば十分だからな。タークスの連中によけいな手間を掛けさせることもない」
「手間、て…?」
「ランドリーや食事は運べばいいが、清掃はそうもいかないからな」
 つまり、この場所を掃除しているのはタークスだということか。
 そう言われてみれば確かに、極秘となっているタークス本部の中に、清掃のためとはいえ人を入れるわけにはいかないだろう。

「どういうことか分かったか?」

 ちゃぷん、と水音を立てて上がった手がケットの頭を撫でる。
 白くて柔らかい手。細い指先が、ロボットの毛並みを梳く。

「どういう…て」
「察しが悪いのかとぼけているのか。どちらにせよ、私の口から聞きたいらしいな。リーブ都市開発部長」
 副社長は唇の端を釣り上げて笑った。
 年に似合わぬ――けれど神羅の跡継ぎとしてはこれ以上なく相応しいと思える笑みだ。
 ケットの目を通してそれを見ていた私は、何とも言えぬ感情に背筋がぞくぞくした。初めて間近に見た副社長は、噂に聞いていたのとも、今まで私が認識していたのともまったく違う人物だった。

無料ただで、とはいかないな」
 湯から身体を引き上げ、湯船の縁に腰掛ける。
 白い肌が上気して薄桃色に染まっている。ほっそりした手脚には金色の産毛しかなかったが、その脚の間には同じ色の茂みの陰にしっかりと男の徴が見て取れた。
「おまえにはセックスはできそうもないが――」
 ぶっっ
 あまりの発言に、私は思わずケットとの接続を切りそうになった。
「私を楽しませることくらいはできるだろう?」

「ちょ、なにしますねん! …うわっ」
 副社長は脚を開くと、ケットの頭を引き寄せた。
「おまえの舌は猫仕様か?」
「ちがっ、や、そんな事どうでもええ、やめっ」
 手脚を振り回して、ケット――私――は抵抗した。

「不粋なヤツだな」
 憮然とした様子で副社長はケットを手放した。
「なら、そこで見ていろ」

 なにを、と問う間もなく自ら手を伸ばし、まだ小さく頭を垂れている自身に指を絡ませた。
 その意図は考えるまでもなく明白だ。
 しかし、なんでいきなりそんな事を始めたのか、それは全く分かりかねた。
 密やかな笑い声を立てて、副社長はじっとケットを見つめながら指を使う。

 私は――目が離せなかった。

 副社長に関して囁かれていた、もう一つの噂を思い出す――
 彼がセフィロスの愛人であったという噂。
 枕営業が得意だという噂。
 どちらも、侮蔑を含んで囁かれる噂ではあったが、正直なところ私は半信半疑だった。
 彼に関する噂は、ほとんどが意図的に流された根も葉もないものだったからだ。
 
 だが、その二つの噂に関してはどうやら本当だったらしい――
 息を乱し頬を上気させて快楽に耽る少年は、文句なしに魅力的だった。男の私にとっても。
 男のくせに、男に対してこんなセックスアピールを振りまく事ができる――そのこと自体が、噂が真実であると証明している。
 たしかに、まだ少年と言っていい年齢と、相応以上に幼く華奢な身体は中性的で、『男』という生々しさはない。しかも金髪碧眼の美貌。
 こんな少年なら、普通の男でも女のように抱いてみたいと思わせるだろう。
 けれど、それだけではない。
 彼ならば、少年と言われる年齢を脱しても、同じように男を誘うことができるだろうという気がした。
 『枕営業』の是非はともかくとして、副社長が目的のためならば手段を問わない人物であることは確かだった。そしてそれが、カンパニーの後継者としてこの上なく相応しい資質であることも。

 ロボットの目の前で、彼は自分で自分を慰める。その指が屹立したモノから下へと彷い、鳶色の小さな孔の入り口が私の前に晒された。
 目のやり場に困る私にかまわず、その指は自身の身体を押し開き、中へ侵入する。そのとんでもなく猥褻な光景に、ロボットのこちら側で、私は思わず生唾を呑み込んだ。

「おまえが、してくれればもっと…イイのに…」
 ケットの耳に息がかかるほど口を寄せて彼が囁く。
「ここに…」
 ケットの手を取り、自身の身体に導く。そんな動作さえ、驚くほど色っぽくしかも優雅だ。
 彼の身体の中の熱をケットの指に感じ、掠れた吐息の甘い響きを耳に感じる。
 私は、彼が欲しているものが、カンパニー幹部である私なのか、それとも単に快楽の友としてのケットなのか、分からなくなる。

 背徳と誘惑の甘美な時間は幻のように過ぎ、彼のこぼした白濁と共に流れ去った。
 
 幾分息を弾ませ、快楽の余韻に瞳を潤ませて、彼はロボットの鼻面に羽のようなキスを落とした。
「悪くなかったぞ、リーブ」

 その声に、私は現実に引き戻された。いつのまにか、夢中になっていたのは私の方だ。
 あまりの決まり悪さに、よっぽど接続を切って逃げだそうかと思ったが、どうにか踏みとどまった。

「約束通り、教えてやろう」

 なにを?
 と思わず考えてしまったことは内緒だ。そんな話はすっかり忘れていた。
 まったく、我ながらだらしないにも程がある。
 こんな少年に、いいように振り回されてどうする。

「私は、ここに監禁されているんだ」

 ―――は?
 換金?
 あまりにも予想外の言葉に、変換がついて行かなかった。

「アバランチを利用して、おやじの失脚を目論んだ―――というのが理由だ」

 またまた、予想の斜め上を行く爆弾発言だった。
「アバランチて… もしかして、内通者言うンは、副社長やったんですか」
「そういうことだ」
「そんな…」
「まあ、それがバレてこのざま―――ということだな。無期限謹慎中と言うところだ。情けない話だろう」
 言葉とは裏腹に、少しも無念そうでなく副社長は言い放った。
「それで…ここんとこずっとアバランチは温和しかったんですか」
「どうだろう。おそらく違うだろうが… 現在のアバランチについては、私にも把握できていない」
 後半は、ひどくまじめな口調だった。見上げた顔も真摯な表情を浮かべていて、その様子はこの少年本来の思慮深さを感じさせた。

 ―――それで私は気づいてしまう
 彼が、自分でそう見せたがっているほどに悪辣ではないことに。
 このわずかの間に見た副社長のさまざまな顔に、私は途惑っていた。

「まあ、アバランチのことはどうでもいい。それより、君と私のことを話そう」
 ケットに向けられた顔は、再び邪悪な笑みに彩られている。
 それすらも―――魅力的だ。

 そして私はこの日、神羅の若き後継者の密かなる信奉者となったのだった。

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