「世界再生機構…?」
「そうだ。君はボランティアを組織して復興事業に当たっているそうだからな。それを利用させてもらう」
「…しかし、あれはそんなご大層な名前を付けるようなものでは」
「これからの活動には必要になる」
 ベッドの上の彼は、きっぱり言い切った。
 メテオ災害から4ヶ月。まだ点滴もドレーンも付けたまま、枕に埋もれるようにして起こした半身も繃帯だらけだ。
 奇跡のように顔は綺麗だったが、繃帯で覆われた左目の視力は戻らないだろうと言われているらしい。
 乱れた金髪が額に落ちかかり、瘠せた身体の細さも手伝って彼を実年齢より幼く見せている。
 だが実際、彼はまだ二十歳を過ぎたばかり―――ようやく大人になったばかりと言っていい年齢なのだ。

 シーツの上だけでなく床にまで散らばった書類。
 それを片付けるのもきっと、タークスの連中なのだろう。
 彼がたった4人のタークス以外を側に寄せ付けない、という話は聞いていた。
 もちろん医師は別だろうし、こうやって私を初めとするもと神羅社員達を打ち合わせに呼びつける事はあった。それも、容態が落ち着いて感染症の危険が少なくなったつい最近のことではあったのだが。
 しかし、とてもこなしきれないであろう量の業務を抱え込みながら、サポートの人員を置こうとしない彼の真意がどこにあるのか、私は計りかねた。
 今現在だって、健康状態はぎりぎりのラインだ。
 彼の使いで訪れるたびに愚痴をこぼしていくタークスの連中から、そんな情報はだだ漏れだったのだが、さすがにそこまでは察していないようだった。いや、単に気にしていないだけなのかもしれないが。

「さしあたっては、もと都市開発部所属の人員を呼び戻す。もちろん、ボランティアとは言わない。彼等にも生活があるだろう。災害被害が一段落した後に一番必要なものは『仕事』だ。その受け皿として、君の作った組織を使わせて欲しい。神羅の息がかかっていないと認識される看板が必要なのだ」
 相変わらず彼の論理には隙がない。
 こんな風にベッドに縛り付けられ、声には力が無くても、その話術も完璧だ。人を支配する力を持つその声。その表情。
 彼は間違いなく神羅が最後に生み落した二つの作品の一つだろう。
 人を越えるべく造り出されたセフィロスは今は亡く、人の頂点に立つべく位置づけられた青年は、この地に繋ぎ止められて今も世界を背負わされている。
 彼の有能さを嫌と言うほど認識していたからこそ、彼の言葉を鵜呑みには出来なかった。
 何か、隠していることがあるはずだと勘が告げていた。
 だがそれを口にしたところで、素直に認めるはずもない。
 そして、彼の提案を蹴ることは簡単だが、それは双方にとってなんの利益ももたらさないこともまた、明白だった。
 確かに安定した仕事ほど、今求められているものはない。
 そして彼以外にそれを供給し運営できる者がないことも事実だったのだ。
 どこかで彼の企みを看破し、阻止することが出来るのか。
 真っ直ぐ見上げてくる蒼い瞳を見ながら、迷う。
 
 結局折れたのは私だ。
『WRO』と名付けられた組織は、当初のささやかではあるけれど善意の協力で成り立っていたボランティア団体から、明確な指揮系統を持ち推進力のあるものへと成り代わっていった。
 神羅カンパニーを嫌って離れていた都市開発部門の技術者を中心に、スタッフの数も増えた。その下で現場作業に従事する者まで、きっちりと給与を払って成り立たせる事が出来るようになると、復興のスピードは格段に速くなった。
 ミッドガルからやや離れた場所に、『本部』と称して予想外に大きなものを建てる計画が持ち上がると、私の不安はいや増した。
 『局長』と担ぎ上げられていても、本当のところ実権を握っているのは彼だ。ほとんどのことは任されていたが、大元の方針に関しては彼の意向で決定される。それに不安は感じていても、不満を持ったことはなかった。
 それまでは―――
 
「私は反対です!」
 語気が荒くなったのは、仕方ない。
 これを予測できなかった自分への憤りも含めて、目の前の彼に怒りをぶつけた。
「今さらなんのための軍備ですか! カンパニーでの失敗をもう一度繰り返したいと言われるのか」
「いずれ軍は必要だ。どうせなら、自分の配下に置いておきたくはないか?リーブ」
「冗談ではない。私はもともと都市開発部の生え抜きで、軍事には不案内です。しかも再開発機構としてここまで来たWROを今さら軍にするなど、無駄もいいところだ」
「無駄というならば、軍備そのものが壮大な無駄だがな…」
 そう言って、車椅子の上の彼は軽く息をついた。
 くつろげられた衿からのぞく白い首筋には、再び繃帯が巻かれている。その下は黒く爛れた痣があるのだろう。
 ようやく日常の生活が出来るまでに回復したと思った途端、彼を襲った病。
 私がそれを見つめていることに気づいたのか、彼は軽く首に触れて私を見上げた。
「時間がないんだ。リーブ。出来ることは全てやっておきたい。協力してはくれないか」
 しおらしげに、自身の病まで小道具に使って訴えかけてくる彼に、たまらなくいらいらする。
「嫌です。やるならば貴方が勝手にやればいい」
「リーブ」
 縋るように向けられる、蒼い瞳。
「かつて世界各地で起きていた内戦を終結させるために、神羅軍は編成された。今はどうだ? 内戦に近い状態に置かれている地域も少なくない。それを押さえるためにも、モンスターの被害に対応するためにも、軍は必要だ。それに」

 またしても正論だ。
 もうたくさんだ。

「もと神羅軍の兵たちを雇用したい」

 貴方の正論は聞き飽きた。

「彼らの多くは新しい職を得られずにいる。軍人はつぶしが利かないからな。これは極秘のことだが、神羅軍の本隊はまだジュノンに駐屯している。だが、いつまでもそれを隠して置くわけにはいかない。軍人はタークスではないから。彼らには―――誇りが必要だ。彼らはいずれ私を担ぎ上げて神羅を再興することを考えている。それができなければどうなる? 新たに代わるものを見つけるだろう。そうなる前に、彼らを掌握する必要がある。それを君に頼みたいと言っているのだ」
 いい加減にしてくれ。
「私は反対です。何を言われても、それは変わらない」
「シドには」
 聞き慣れた名を口にされて、驚いた。
 まさかあの男と接触していようとは思わなかった。神羅を毛嫌いしているとばかり思っていたのだが。
「飛空挺の建造技術供与と予算を条件に飛空挺団を統括して貰う事になっている。空軍にはもとから彼寄りの者が多かったようだから、この委譲はスムーズに行くはずだ」
 なるほど。
 シドは何を置いても飛びたい男だった。
 どこまでも人を操ることの上手い人だ。
「それは重畳。誰でも、やりたい者にお任せになるといい。だが私はごめんです」
 叩きつけるように言って、部屋を出た。
 ロッジのドアの外では赤毛のタークスがロッドで肩を叩きながら、困ったような顔をしていた。
「しゃちょー、悪気は無いんですよ、と。まあ、そんなことはぶちょーには分かってるか…」
 苦笑いのような表情を浮かべて、
「エッジまでお送りしますよ、と」
 レノは階段を駆け下りていった。
 ロッジのドアを振り返る。
 その向こうにいる人の姿を思い描いて。
 
 
 度重なる要請に根負けして私が再びヒーリンを訪れたのは、それから3ヶ月後だった。
 一目見て―――
 その顔色の悪さに絶句した。
 星痕症候群が死に至る不治の病であることは、もちろん承知していた。
 けれどもしかしたら、もしかしたらそれも周囲を欺くための手管ではないのかと―――そんな風に思っていた。だってその証拠に、発症したら長くても3ヶ月と言われているその病を患って彼はもう半年近くになるではないか。
 何かの企みがあって病を装っているのだと疑っていた―――そう、思いたかったのだろう。
 見ないでいれば無かったことになるような気がしていたのかもしれない。
 見ないでいるうちに、終わって欲しかったのかもしれない。
 正直、彼に対する気持ちは、自分でもよくわからない。
 相変わらず首に巻かれた繃帯。襟元からのぞく肩から胸にかけても、以前はなかった繃帯が見える。それがわずかに薄黒く染まっていることも見て取れた。
 右手に浮かんだ染み。白いスーツの袖口も、黒く汚れている。
 汚れたスーツなど、この人には相応しくなかった。
 カンパニー本社がミッドガルにあった当時、社長の制服、と揶揄されたスーツはいつも厭味なほど真っ白で、彼の超然とした態度に呆れるほど似合っていた。
 こんな場所で隠遁同然の暮らしをしていても、彼がいまだ世界の富の半分以上を所有していることは事実で、汚れたスーツを着続けねばならぬ理由など無いはずだ。
 だとすればこれは、つい今し方汚れたものだということだ。着替える間もないほどに。
 いやむしろ、今もなおその痣からはどす黒い病の証が沁みだしていると見た方が正しいのだろう。
 彼はいつもの怜悧な表情を崩してはいなかったが、押さえてはいても荒い呼吸、微かに震える手が、彼自身を裏切っている。

「痛みますか」
 言わずもがな、の言葉を口にしていた。
 星痕症候群の発作が激烈な痛みを伴うものだというのは、よく知られていることだ。ことに大人の場合、それは顕著だった。体力のない子供は、容易く死んでゆく。
「そうでもない、と答えて欲しいか?」
 と言って彼は笑った。なんの不安も感じさせない、彼らしい皮肉な笑みだった。
 それなのにその高慢な笑みは、思わず見とれるほどあざやかに美しかった。

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