「この役立たずども!」 激しい叱責の言葉と共に、分厚い報告書の束がツォンの頬に叩きつけられ、宙に舞った。 「素人同然のテロリストに出し抜かれて! それでもおまえたちは神羅カンパニーのタークスか!」 微動だにしないツォンの背後で、秘書たちが身体を竦めて下を向く。 全員今すぐこの場を逃げ出したいと思っていることが、背を向けているツォンにもありありと分かる。 「約束の地は、誰にも渡さない。テロリストにも、セフィロスにもだ!」 デスクを叩き、ルーファウスは声を荒げる。 「以前の貴方は、そんなものは夢物語だと言っておられた。探す手間だけで採算割れだと」 「ふん、そんな昔の事など、今さら持ち出してどうする」 心底ばかばかしいというように、顔をゆがめて吐き捨てる様子に、ツォンは思わぬほど衝撃を受けた。 あの頃の、副社長就任間もなかったルーファウスは、こんな人物ではなかった。 確かに幼稚とさえ言えるほど子供で、認められたいと願うばかりにとんでもない行動に走って周囲を困惑させていた。 だが、打算の仮面の下で幻想に近い欲望を追い求めていた前社長に比べ、顧みられることの少なかったルーファウスの発言は、むしろ現実的だったと思う。 そういう妙に世知辛いところが前社長とは折り合わず、疎まれる原因のひとつになっていたはずだ。 若いくせに夢のない奴だと言われるのを、しばしば耳にした。 それが今、手のひらを返したようにそれを追い求め始めたのはなぜだろう。 カンパニーをその手にした彼が次に望むものは、父親が求めた夢物語なのか。 「自分たちの落度を、私の方針の問題に転嫁するつもりか」 冷やかに放たれる言葉は、部屋の温度まで下げたかのようだ。 「そのような意図はありません」 それでもツォンは眉ひとつ動かすことはなかったが、背後の社員達はますます小さくなっていく。 権力を手にし、それに見合うだけの実績を積みつつあるルーファウスの怒りは、正当であるが故により彼の若さを露呈する結果になっていた。 それはすぐ、ルーファウスにも分かったのだろう。 彼はちらりとツォンの背後にいる秘書たちに目を走らせると肩で息をつき、背を向けた。 「もういい。下がれ」 ツォンは黙ったまま一礼し、その場を辞する。その背に、 「奴らの監視は続けろ」 とだけ声がかかった。 その日、ツォンが任務から帰還したとき、本社ビル上層階はなにやら慌ただしい雰囲気に包まれていた。 「社長が倒れたんだぞ、と」 「倒れた?」 聞き返しながらも、レノの口調からすれば命に関わるような状態でないことは容易に知れ、ツォンはまず事務的に任務完了の報告を端末から上げた。 「会見が終わって部屋を出た途端ぶっ倒れたんだと」 言外に心配ではないのかと非難する響きがある。 レノはツォンと社長の関係を二人が認識しているよりはずっと親しいものだと思っているふしがある。 確かに、この上なく親しいと言えなくもない。 あの日のやりとりは、二人だけの秘密だった。 ツォンはすべてのファイルを消去し、ルーファウスの策謀を闇に葬った。 今となっては、アバランチ事件に終始ルーファウスが関わっていたことを知っているのは彼自身とツォンだけだ。 その皮肉に、ツォンは微かに唇を歪める。 あの日なぜ自分は副社長を糾弾することをしなかったのか。 ジルコニアエイド事件の顛末は、タークス以外には漠然としか伝わっていない。 その真相を知れば、プレジデントとてルーファウスを解き放つことはしなかっただろう。 もしかしたら、今度こそ彼の命を奪っていたかもしれない。 そうするべきだったのかもしれなかった。 今でも、彼のしたことを許せるわけではない。 だが、結果的に亡き者となったのはプレジデントの方で、ルーファウスはその望み通り神羅社長の椅子を得たのだ。 今さら何を思っても、その過去は覆らない。 そして、今現在の状況はすでにそんな問題を蒸し返していられるほど悠長なものではなかった。 プレジデントの残した負の遺産、カンパニーの抱えたさまざまな問題は、世界を巻き込んで暴走し始めようとしていた。 それでも人々の暮らしが営まれている限り、カンパニーは日常の業務を放棄するわけにはいかない。 その両方を抱えて、ルーファウスはツォンの思っていたよりも遙かによく社長業を勤めていると言って良かった。 弱冠二十才―― それまでなんの実績も無かった副社長がいきなり社長の座に着くことに対して、社内外に反発の起きないはずがない。 当面は社長を置かず、部門統括の総意で意志決定をしてゆこうという意見が趨勢だった。 だがルーファウスは強硬に社長着任を主張した。 プレジデントのただ一人の実子であり、神羅の財を継ぐ者であることを最大限利用して、強引にその座をもぎ取ったのだ。 当初は不満を持っていた者たちも、僅かの間に彼の力量を認めるに至った。 実際次々と起きる問題に対処するのに、強力なリーダーシップ無しではカンパニーは崩壊しかねなかったろう。 皮肉なことに今、カンパニーはこの年若い社長の吸引力によって成り立っているといっても過言ではなかった。 ――だが。 「過労はともかく、脱水症状というのはどういうことですか」 ツォンは傍らの医師と、ベッドに横たわったルーファウスとの双方に訊ねる。 「ここしばらくお食事をお摂りになっていなかったのでは…」 消え入りそうな声で医師が釈明するが、当の本人は横を向いたきり目を合わせようともしない。 「本社ビルはいつから砂漠になりましたか、社長」 「五月蠅い。誰かこいつを追い出せ」 横を向いたまま誰にともなく命令するが、傍にいる医師や看護師には到底タークス主任を追い払うことなどできはしない。 「食事くらいはきちんとお摂りなさい。それとも、また我々に貴方を見張れとおっしゃるのか」 暗に幽閉時代のことを持ち出されて、さすがにいらだちを隠しもしない瞳が寝返りと共にツォンに向けられた。 「分かっている。点滴が終わったら社長室へ戻る。食事を運ばせておけ」 「おわかりなら結構です。社長」 慇懃無礼に一礼して、ツォンは医務室を出る。 社長になって少しは落ち着いたものと思っていたが、相変わらず人を困らせることにかけては天下一品だ。 監禁部屋にいたときも、ルーファウスはしばしば食事を残した。 全く手を付けないことも、珍しくなかった。 何か気に入らないことがあると、ハンストでもするつもりなのかと思うほど、運んだ食事は手つかずのまま放置された。 それでもタークスの監視下にあったときは、最低限健康を損ねない程度には無理矢理でも食べさせていた。 時には脅しもかけて。 それはますますルーファウスに食事への意欲を無くさせているようだったが、ツォンとしては彼の健康が保たれさえすれば良かったのだ。 社長令息の我が儘に付き合っているほどタークスは暇ではなかった。 だが、本当にあれは我が儘だったのだろうか、とツォンは初めて思う。 単にその境遇に対する不満なのだったら、望んでいた社長の椅子を手に入れた今、再びハンストをする意味がない。 だとしたら、今回のことはただ単に忙しさに紛れてなのだろうか。 それにしても、デスクワークの多い社長が、脱水で倒れるほど食物を口にしないなどというのは異常だ。 会議の席にも、ミネラルウォータくらいは用意されている。 そう考えてみれば、ツォンはルーファウスがそのグラスに口を付けている姿を見たことが無い。 これはどういうことなのか―― しかしとりあえず彼は食事を摂ると約束した。 医師も付いているのだし、これ以上関わる必要もあるまい。 ツォンは意識的にそのことを頭から追い出した。 それでなくとも考えねばならないことは山積みだ。 ルーファウスの気まぐれに付き合っている時間はない。 新人を入れてもたった4人。 待ったなしで進行していく事態を前に、タークスの負担は以前に比べても格段に大きくなっていた。 4人では到底こなしきれない任務に、それでも文句一つ言うでなく付いてくる部下たちには感謝している。 タークス存続のためにツォンがルーファウスとした取り引きについては、二人以外に知るものはない。 だがそれだけの犠牲を払って得たものは、たった3人の部下と、日に日に厳しくなって行く任務だった。 増員すら許されず、いっそ社長はタークスの消滅を願っているのではないかと思うほどの激務が続いている。 それが本音なのかも知れないとツォンは思う。 タークスを、というより自分を。 彼が自分を邪魔だと考えていたとしても不思議はない。 そのくらいは最初から承知の上だ。 あの取り引きを彼と交わしたときから。 タークスの存続を会社に対して取りなす代わりに、もとタークス主任のヴェルドとアバランチのリーダーであったその娘とを抹殺せよとツォンに命じたのは、他ならぬルーファウスだった。 今思えば、彼らの口を塞ぐことが彼の目的だったのかもしれない。 だが彼がどう考えていようとも、タークスはカンパニーにとって必要不可欠のものだ。 例え自分が任務途中で倒れたとしても、彼は必ずそのことを認識するだろう。 彼が社長としての責務を果たしてゆくなら、それでもいい。 それこそがタークスのあるべき姿なのだから。 |