灯りをおとした社長室の奥、ミッドガルを見下ろす窓際に彼は立っていた。
 窓に身体をもたせかけるようにして、宙に向けられている目には魔晄の灯が映っている。
 ただ見るだけならば、この上なく美しく整った顔。
 額に落ちかかる金の髪は細く柔らかで僅かな灯りにも燦めいている。
 蒼い瞳は魔晄の灯を映してなお、深い青に染まる。
 口を開けば憎まれ口しか出てこないと分かっていてさえ、その彼の姿は魅力的だった。

「お呼びでしょうか」
 だがツォンのかけた声にも反応はない。
 
「ご用がおありなのでは?」
 再度の呼びかけに、ルーファウスはようやく視線をツォンに向ける。
 物憂げに窓に凭れた姿勢はそのまま、視線だけを送って側へ来るようにと促す。
 ツォンはそれに従い、ルーファウスの傍らに立った。

 間近で見れば、彼の顔には疲労の色が濃かった。
 幾分瘠せたのだろう。
 頬が削げて、顎の線が尖っている。
 目の下にはうっすらと隈が浮き、瞳も大きくなったように見える。
 ずっと外での任務が続き彼の護衛などもしていなかったから、こうして側に立つのは久しぶりだったと思い返す。
 世界企業であるカンパニーのトップとして通常業務をこなしてゆくのも、決して容易い仕事ではない。まして就任して日も浅く、到底周囲に認められているとは言いがたい成り行きと若さでその地位についたとあっては、その重圧は計り知れないだろう。
 しかも今現在、彼の抱える問題はそれだけではない。
 プレジデントを殺害して去ったかつての『英雄セフィロス』。魔晄炉を爆破し、カンパニー本社ビルから古代種を拉致して逃亡したテロリスト。
 一連の事件は互いに関連を持つのかどうかも分からぬまま進行し、『約束の地』を巡る思惑を絡めて通常業務を圧迫するだけの重要事項になっていた。
 それらすべてを背負うには、この肩は薄すぎる。
 ツォンは僅かに哀れを覚える。
 だがそれはまた、彼自身が求めて負った責務なのだ。
 実の父を亡き者にしてさえ、とその地位を彼が渇望したのは、そう遠い昔の事ではない。
 手にしてみればそれは、思ったようなものではなかったかもしれないが。
 
 再び眼下に広がるミッドガルの夜景に向けられていた瞳が、ゆっくりとツォンに戻される。
 そこに浮かぶ感情はツォンには計りがたかったが、真っ直ぐ向けられた蒼い目は美しかった。
 ルーファウスは手を伸ばし、ツォンの頬に触れる。
 細い指先は、冷たかった。
 その指先の冷たさそのままの声で、ルーファウスは囁いた。 

「おまえが欲しいんだ、ツォン」
 僅かに傾げられた頸。
 完璧な穹窿を描く唇の奥に覗く白い歯。濡れた舌。

 だが向けられたまなざしは、微塵も揺らぐことがない。
「今さら何を。我々は貴方のものです。言うまでもなく」

 いささかの淀みもなく返された答えに、ルーファウスは一瞬鼻白む。
「は…」
 次いでいつもの冷笑が彼の顔を色彩り、
「さすがタークス主任、ということか」
 嘲笑するような声がツォンの耳を打つ。

「わざわざ呼びつけて私を揶揄われるほどお暇ですか」
 ツォンの胸に、嫌悪感を伴ったいらだちが湧く。
 それは自分でも思ってみなかったほど強い感情だった。
 何故これほどまでにこの人は自分の神経を逆撫でするような言動が取れるのだろう。
 冷酷無情と言われるタークス主任として、修練を積んできたはずの冷静さが乱される。
 この瞳に――
 この声に――

 先ほどまでのルーファウスは、確かに魅力的だった。
 同性だということを割り引いてなお、性的なものすら喚起させるその容姿。
 だがそれを充分に分かって利用しようとするやり方は、不愉快だ。
 それも自分に向かって。
 そこにある彼の打算の正体が見えない。

「御用がないのなら、私は戻ります。仕事が残っていますので」
 そのまま踵を返し、ドアへ向かうツォンに、もう一度声がかけられた。
「ツォン」
 顔を見ていなかったが故に、その声に潜む激情にツォンは初めて気付く。
「おまえは――」
 ルーファウスの声はひどく幼く、頼りなく響いた。
 振り返り、その身体を抱きしめたいという衝動にツォンは狼狽する。
 分かっていてなお、彼の策略に乗りたいと願う自分に。

「ご命令がおありですか」
 努めて平静を装い、ツォンは振り向かぬままもう一度問いかけた。
 秘やかに小さなため息がひとつ落とされる。

「指令はオンラインで送る。もう下がれ」
「はっ」

 部屋を出て行くツォンの姿を、ルーファウスは見送らなかった。




「嘘だろ? この任務ミッションを一人で?」
「そうだ。おまえたちには別の任務がある」
「冗談じゃない、無茶だ!」
 叫ぶように言うレノの口調からは、普段の口癖が余裕と共に抜け落ちている
「クラウド一味も、セフィロスもそこへ向かっているんだろう!? 鉢合わせしたらどうするんだ!」
「そうですよ、主任、いくら主任でも一人でそんな多勢を相手には出来ませんよ!」
 イリーナは泣かんばかりだ。
 だが、ツォンは自分でも驚くほど冷静だった。
「戦いに行くわけではない。セフィロスを倒せともストライフ一味を倒せとも命令されてはいない」
「だけど…!」
「あいつはどうかしてる!」
「レノ。社長の判断を批判するような言動は慎め」
 部下をたしなめる言葉は、自分でもひどく嘘くさく聞こえた。
「けど、あんたはそれでいいのかよ!」
「タークスとして社の利益のために動くのは当然だ」
「あーあーあーあー、もうっ!」
 乱暴にデスクを殴りつけ、レノは部屋を出て行く。
 この部下は飄々としているようで意外に激情家だし、情も厚い。
 もし自分が任務に失敗したとして、次にタークスを率いることになるのはレノだろう。
 レノならば、彼とも上手くやっていけるかもしれない。
 少なくとも自分よりは。
 あの秘密を知る自分がいなくなれば、彼はタークスの増員を認めるだろう。
 それは、カンパニーにとっては良いことだ。

 『それでこそタークスだ』
 
 前主任の最期の言葉が甦る。
 タークス主任の名に恥じない働きをすることだけが、自分の望みだ。

 ツォンは夕刻一人で古代種の神殿へ向けミッドガルを発った。


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