慌ただしく人の走り回る足音が響き渡っている。
 その一つが近づいてくると、ドアが開いた。
 病室に入ってきたのは神羅兵の制服を着た男だった。
「タークス主任殿ですか」
 きびきびとした声で男は告げる。
「退避命令が出ています。自分がご案内します」
「なんだって?」
 ツォンの疑問には答えず、兵士は続けた。
「お立ちになれますか? 外に車が用意してあります」
「ちょっと待て。それはどういうことだ」
「現在ミッドガルに向けてウェポンが進行中です。シスターレイによる攻撃が予定されていますが、周辺住民には退避命令が出ています」
「ウェポン? タークスはどうしている」
「自分には分かりかねます。自分は貴殿の退避をお手伝いするよう命令を受けてきましたので」
「社長はどこにおられる!?」
「分かりかねます。どうぞ退避を」
「いや、それはいい。私は独自の判断で動く。君たちは住民の避難を優先しろ」
「困ります…!」
「タークス主任としての命令だ。従いたまえ」
「…はっ」
 


 どういうことなのだ。
 病室を飛び出し、レノに連絡を取る。
 なかなか繋がらない回線に苛だちながら、人と車の流れを避けつつ中央へ向かう。
 ミッドガル市内は、混乱を極めていた。
 本社ビル勤務の社員達にも退避命令が出たらしく、どこも人だらけだ。
 それでも要所要所には兵が立ち、治安はかろうじて保たれているようだった。暴行や略奪が行われていないことに安堵する。
 まだ、カンパニーの指揮系統は機能しているのだ。
 どうやっても思うように動かない身体を叱咤しながら歩を進めていると、ようやく携帯からレノの声が聞こえてきた。
 余程電波の状態が悪いのだろう。
 とぎれとぎれの声から現況を知るのは難しかった。
 どうやら分かったことは、レノたちはストライフ一味の掃討を命じられているらしく、社長は本社ビルで命令を出しているということだった。

 ルーファウスの言葉が思い出される。
『私はこの街を捨てはしない』
 彼はそう言ってはいなかったか。
 それは、この街と生死を共にするという意味だったのか?
 いや――
 むしろ、彼はこの街と共に死ぬことを願っていたのではないのか。
 ずっと――
 そうだ。
 あれほどに渇望していた社長の椅子を手に入れたときからずっと――
 
 空気がぴりぴりとした電荷を帯びている。
 魔晄炉の出力が異常に高くなっているのだ。

「何が…起こっているんだ」

 なにひとつ知らされないことが、これほどまでにもどかしいとは。
 そしてツォンは気づく。
 これこそが、ルーファウスの計画ではなかったのか。

 彼が意図的に自分をこの時現場から外したのだとしたら。
 そのための布石があの任務だったのだとしたら。
 ただ見届けろと――
 彼の死と神羅カンパニーの崩壊を――
 それだけを望んでいたのだとしたら。

 ツォンはなかなか近づかない本社ビルを見上げる。
 それを中心に、ミッドガルを取り囲むように配置された魔晄炉。
 そして据え付けられた巨大な砲塔。

 ひたすらにコールを押し続けた携帯に、ようやく接続の文字が躍る。

「社長! どこにおいでです!?」
『…ツォンか』
「社長! 避難を」
 激しい雑音に、とぎれとぎれの声はかき消される。
『待っ…いろ…もう…ぐ終わる…にもかも』
「社長!」
 ツォンの声は届いているのか、ルーファウスの言葉は独白のようだった。
 それきり通話は途切れる。
 
 歩くことさえ覚束ぬ身体が、ツォンを地上に引き止める。
 空に最も近い場所で、彼方を見据えているはずの人は、今何を思うのか。

 不可能を可能にする神羅カンパニーのタークス。
 それが誇りだった。
 それが人生のすべてをかけて来た職務だ。
 だが今、
 ここで、
 こんな形で自分の無力を思い知らされる。
 カンパニーも、今はカンパニーそのものに等しい彼の人も護れず、
 その側にいることすら叶わず、
 ただ遠くから阿呆のように見上げているしかない。

 街を震わせる振動と共に厖大なエネルギーが魔晄炉から溢れ出し、キャノン砲に集束してゆく。
 青白い魔晄の色に照らし出された本社ビルが、禍々しく輝いている。

 轟音と強烈な光が空間を切り裂き、地平の彼方へ向かって砲が発射された。
 地を揺るがして駆け抜けてゆく光の束。

 それが消えてゆくと同時に、地平の向こうから光の弾が幾つも飛来した。

 そして、

 ツォンの目の前で

 それは
 
 神羅本社ビル最上階に着弾した。

















 La dolce Vita


「これが、貴方の望んだ結末ですか」

 呆然と社屋の下に佇み、墜ちてくる瓦礫を避けることも忘れて損壊した最上部を見つめる。
「こんな、ことが」
 握りしめたままの携帯からは、雑音が消えていた。
 だがそのコールに応える声はない。
 これは、怒りだろうか。
「こんな…」
 それとも、哀しみだろうか――
 
 上機嫌で病室に花を持って現れたルーファウスを思い出す。
 社長室の窓からミッドガルを眺めていた横顔を。
 窓のない部屋で、いつも一人端末を見つめていた姿を。
 あの稚拙な口付けを。

 彼がどれだけ若かったか。
 今にして思い知る。
 こんな形ですべてを投げ捨ててしまえるほど――


 蹌踉めきながら、ツォンはそれでも歩みを止めず本社へ向かう。
 まだ社屋から逃げ出してくる人の波は続いていた。
 そのエントランスをくぐる。

「ウェポンは倒れたそうだ」              「被害状況は!?」 
        「キャノン砲で戦闘が」            「社長と連絡が」  
       「社長は死んだ」  「メテオは無くならないのか」   
  「作戦は失敗だと」
     「リーブ部長の指示が」        「カンパニーは終わりだ!」

 社内は混乱しきっており、情報は錯綜して何が事実なのか到底判断できなかった。
 レノたちとの連絡は付かず、ツォンは確定した事実は一つも掴めぬまま、ただ上層へ向かった。
 
 彼に会わなければ。
 この目で確かめねば、到底認められない。
 飛び散った肉片でもいい。
 髪の一房、服の切れ端でも、彼がそこにいた証がなければ信じることなどできない。
 
 神羅カンパニー。

 今社長を失えば、それは瓦解するしかないだろう。
 全世界に覇を唱えた企業のあまりにもあっけない最期だ。
 神羅製作所の時代からカンパニーの裏でそれを支えてきたタークスにとっても、不本意な幕切れとなる。
 世界は魔晄エネルギーを失い、大混乱に陥るだろう。
 
 そんなことは許せない。
 タークスとして。
 カンパニーを護ることは、世界を護ることだ。
 それこそが、タークス主任として、今自分がやるべきことだ。
  
 エレベータは途中の階で動かなくなっていた。
 そこからは秘密裏に作られた階段を上る。
 上に行くに従って、人の気配は少なくなった。
 息切れがし、目眩いがする。
 服に濡れた感触があるのは、傷が開いて出血しているのだろう。
 それでも、そんなこともどうでも良かった。
 もし彼が生きているなら、少しでも早く助け出さねばならない。
 もし――
 死んでいるのなら――

 いや。

 ツォンは心でその可能性を否定する。
 社長にはなんとしても生きていてもらわねばならない。
 彼さえいれば、カンパニーを維持することは可能だろう。
 メテオの落下までにはまだ時間がある。
 たとえミッドガルは放棄したとしても、彼が健在ならばジュノンへ拠点を移せば良いだけの話だ。
 そこで今一度対策を立て直す。
 きっと可能だ。
 いや。
 可能にしなければならない。
 それこそが、タークスの務めだ。

 空廻る思考は、すでに願望と計画の境界を見失っている。
 

 ようやく辿り着いた最上階は、瓦礫の山だった。
 まだ熱く煙と蒸気を吹き上げている建材とねじ曲がった支柱。
 溶けたガラスや金属片が散乱し、うかつに手を着くと火傷した。
 鼻を突く異臭。
「社長! ルーファウス様!」
 失われた窓から風が吹き込み、声を散らしていく。
 この中から人の姿を探し出すことなど、不可能に思えた。
「社長!」
 瓦礫をかき分け、彼がいただろうと思われるデスクのあった場所に近づく。
 ねじ曲がって原形を留めていない椅子の残骸の下に白いものを見つけてツォンは、思わず声を上げそうになった。
 渾身の力で残骸を除ける。
 その下に倒れ伏したルーファウスは、ツォンの思ったよりも遙かに綺麗なままの姿だった。
 服も皮膚もあちこちが焼け爛れ、生々しい血に彩られている。
 髪も血に塗れ、顔の半分も血と汚れで見る影もない。
 
 だが――

 そっと触れた人の頬は暖かく、微かではあったがその胸は確かに上下していた。

 ツォンはその身体を抱きしめ、何者か分からないものに感謝を捧げる。
 彼を護り、この世界に留めてくれたものに。

「主任!」
「ツォンさんっ」
 思いがけぬ声が、耳朶を打つ。
「レノ…、イリーナ!」
「社長は!?」
「生きておられる。手を貸してくれ」
「ルードがヘリを廻してくるぞ、と。すぐ運びだそう」

 レノが言うと同時に、ヘリの爆音が割れた窓から響いてきた。
 レノは素早くルーファウスを抱え上げ、ヘリポートへの出口を目指す。
 身軽に瓦礫を飛び越えてゆくその姿に、ツォンは安堵する。
 ルーファウスはきっと助かる。
 根拠のない確信だが、そう思わせるだけの力強さがレノの背にはあった。
 「良かったですね、主任、社長も…」
 涙声のイリーナが、ツォンに肩を貸す。
 
 ルーファウスとツォンを乗せ、ヘリは飛び立つ。
 たちまち本社ビルが遠ざかる。

 それはそのまま神羅カンパニーとの距離に思え、ツォンはそれを振り切るようにルーファウスを抱く腕に力を込めた。
 

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