ルーファウスの意識が戻ったのは、北の大空洞でセフィロス・ジェノバが打ち倒され、メテオ落下とライフストリームの奔流がミッドガルを襲った後だった。
 それは事実上の神羅カンパニー崩壊を意味したが、生死の境をさ迷うルーファウスを見守っていたツォンにとっては、どこか無関係な外界の出来事のようだった。
 
 意識が戻ると、ルーファウスの回復は早かった。
 身体には骨折や打撲、火傷の跡が無数にあり、特に右半身が酷かった。
 それでも数日のうちには繃帯に覆われた身体をベッドに起こせるまでになったのだ。
 呼吸器が外され会話が自由になると、矢継ぎ早の質問が浴びせられるものだとツォンたちは思っていた。
 だが実際に彼が訊ねたことは、
「メテオはどうなった?」
 という一言だけだった。
 その答えを聞くと、彼は満足したようにまた眼を閉じてしまった。





 そんなふうにして数日が過ぎ、焦れたのはツォンの方だった。

「死ぬおつもりだったのですか」

 ツォンの問いかけに、ルーファウスは心外なことを言われたというような表情かおで目をしばたたいた。
「そんな気はない」
 言下に否定されて、ツォンは意外な気持ちに捕らわれる。
 肯定はしないまでも、そんな気がなかったといったら嘘になる、と少なくともそういった意味合いの返答を無意識に期待していたのだろう。
 ツォンの不信を感じ取ったのか、ルーファウスは続けた。
「あんな形でウェポンが反撃してくるとは予想していなかった。社長室が被弾したのも偶然だ」
 それは確かにそうだったのかもしれないが。
 なにか納得のいかないものをツォンは感じる。
「いや…。偶然ではなかったのかもしれないな」
 その時のことを思い返すようにルーファウスの瞳が閉ざされる。
「ウェポンは星の危機に現れ、敵と戦うという。だとしたら私こそが星の敵だったということなのだろう」
 うっすらと笑みを刷いたその表情は、ツォンがよく知ったルーファウスだ。
 片方は包帯で覆われているが、もう一方の瞳は透き通って蒼く、氷のような鋭さを失ってはいない。
 ツォンはその蒼が開かれるのを待ったが、ルーファウスはもうツォンを見ることなく、口を開くこともなかった。




「ツォン、ミッドガルに行く。ヘリを出せ」
 上手く動かない腕でぎこちなく上衣を羽織りながら、ルーファウスはツォンに命じた。
「もうあそこには何もありません」
「無いならそれでもいい」
「危険ですし、貴方はまだ出歩けるような状態ではないでしょう」
「私の命令が聞けないなら、出て行け」
 まるで副社長であった頃のような我が儘だ。とツォンは思うが、ルーファウスの顔にはなんの表情も浮かんでいない。
 何一つ自分の思い通りにはならないことに苛だっていたあの頃の彼には見られなかった、落ち着き払った確信。
「聞こえたのか? 用意をするか、出て行くか、おまえが選べ。私は強制はしない」
 告げられた言葉の意味が心に落ちて、ツォンは愕然とする。
『出て行け』は、彼の下を去れということか。
 かつて、幽閉されていた彼は気に染まぬことがあると激昂し、ものを投げつけて『出て行け』と叫んだ。
 あまりにもしばしば聞いた言葉だったので、いつの間にか聞き流すようになっていた。
 無理もない。
 ――そう、それはたった数ヶ月ほど前のことでしかないのだ。
 だが今目の前で、震える指で服のボタンを留めている彼はあの頃のルーファウスとは別人だ。

 ただ、ツォンにとっては謎の生き物だ――ということだけが変わらない。
「貴方を…お護りすることが私の仕事です」
「ツォン…」
 心底可笑しそうに、ルーファウスは肩を揺すって笑う。
「神羅カンパニーはもう無い。おまえはカンパニーのタークスではなく、私は社長ではない。おまえがここに留まっているのは、ただの物好きだということが分かっていないのか?」
 返す言葉がなかった。
 カンパニーがもう無い、というルーファウスの言葉は正確ではない。
 本社は無くとも、カンパニーの資産もインフラも社員達も消えて無くなってしまったわけではないのだ。
 だが、彼が『自分は社長ではない』というなら、それは事実だ。
 カンパニーは神羅の名を必要とはしていない。
 神羅カンパニーの社長は死んだという街の噂を、ルーファウスは放置させていた。
 未だ混乱の中にある世界が復興を目指すとき、ルーファウスの持つ知識と指揮力は是非とも必要なものではあろうが、彼自身にその気がないというのなら無理強いのしようもない。
 そして彼が望まないならば、自分たちがタークスではないというのもまた事実だった。
 タークスは総務部に属し治安維持部門統括下にあったが、事実上社長の直属だったからだ。
 何を言っても、言い訳にしかならない。
 ツォンにできることは、ルーファウスの望みに従うことだけだ。

「…ヘリをご用意します」




 夕闇に紛れてヘリはミッドガルを横切り、本社ビル屋上に着陸する。
 上層階はメテオとライフストリームの奔流によって倒壊していたが、ビルそのものはまだ形を保っている。
 ツォンは今までにも実際何度かここを訪れていた。
 残された機密データの処理や、さしあたって役立つものを回収する為に。

 ルーファウスは瓦礫の上を蹣跚めきながら歩いてゆく。
 足場も悪く辺りは暗闇でしかも彼はまだようやく立てるようになったばかりだ。
 だがツォンの差し伸べた手は当然のごとく払い除けられ、ただ、今にも倒れ込みそうなルーファウスの後ろ姿を見守るだけだ。
 瓦礫の端に辿り着くと、ルーファウスは暗闇のミッドガル・シティを見下ろした。
 彼方にちらちらと瞬くのは生き残った人々の燈す灯りか。
 だが眼下に拡がるのは底なしの穴のような暗闇だ。
 風の唸りが、死者の叫びのごとく穴の底から這い登ってくる。
 魔晄の灯が終夜輝いていた機械都市の、それがなれの果てだった。

 気の済むまでその暗闇を見つめると、ゆっくりと視線を回し腕を拡げてルーファウスはツォンを招いた。
 呼ばれるままツォンはその薄い背を抱く。
 ルーファウスはツォンの胸に頬を填め、ツォンはそのやわらかな髪が風に散らされて顎を擽るのを感じる。
 ルーファウスの手が腰の辺りで不審な動きをしている、と気づいたときにはもう、彼はCZ85を手にその銃口を真っ直ぐツォンの胸に向けていた。
 セイフティが外される音。

「覚えているか?」
 ツォンの隙を突けたことでこの上なく嬉しそうに笑うルーファウスは、それでも呆れるほど魅力的だ。

「あの時おまえはこうやって――私に銃を突きつけた」

「もちろん」
 自分でも驚くほど平静な声が出た。
「忘れてはおりません。そのことでお咎めを受けるならば、申し開きをするつもりもありません」

「はっ」
 ルーファウスは天を仰いで笑い、そのままの勢いで銃を地に投げ捨てた。
 セイフティを解除した銃を投げるなど狂気の沙汰だと思ったが、ツォンは動くことはしなかった。

「私はあの頃、この身を守るものをただ一つしか持っていなかった。カンパニーの跡継ぎだというそのことだけを盾に、私はおまえの銃から逃れたんだ」
 ツォンは瞠目する。
 思っていたよりもずっと、この人は自分の立場というものをよく理解していたのだ。
「おまえにとって神羅カンパニーがどれほどの意味を持つものか、それも判っていたつもり、だった。だから」
 笑いを浮かべたまま真っ直ぐツォンに向かうルーファウスの口から、饒舌すぎるほどに紡がれる言葉。
「おまえがカンパニーを護るために私を殺すというなら、それでもいいと思った。だがそうしないのなら――おまえからカンパニーを取上げてやろうと――そう思った」
 どこかで予期していたことだったような気もする。
 だが彼の口から告げられた真実は、衝撃を持ってツォンを打ちのめした。
 
「貴方の望みは、カンパニーを潰すことだったと――そうおっしゃるのか」

「言ったろう。後悔させてやると。あの時私を殺さなかったことを」

 眩暈がする。
 この人にカンパニーを投げ捨てさせたのは、他ならぬ自分の行動だったのか。
「おまえは私を撃つべきだった。そうすれば」
「神羅カンパニーの社長は貴方だった。他の誰も、貴方に成り代わることは出来ない!」
 ルーファウスは首を傾げ、叫ぶツォンを面白そうに見つめた。

「ツォン」

 ルーファウスは今一度視線を廃墟へと戻す。
 ゆっくりと腕を巡らせ、死者の都市まちを睥睨した。
「見ろ。この街を。人は死に絶え、全ては瓦礫と化した。神羅カンパニーと共に」
 振り向いた顔は白く、片方だけの瞳がツォンを見据える。

「これが――私の――『約束の地』だ」 

 動くこともできず立ちつくすツォンに、ルーファウスは腕を差し伸べる。

「今の私には何もない。この手には。もうカンパニーも無く、なんの力も無い」

 まだ包帯に覆われ、自身の重さを支えるだけで震えているその腕。

「ツォン。今一度選べ。それでもおまえは私に付いてくるか?」

 その時ツォンはやっと、ルーファウスの謎かけを理解した。
 幾度も『選べ』と問いかける彼の本意を。
 答えはもうとうに出ているのだった。
 彼はツォンに、
 なぜ未だ彼の下に留まっているのかを自らに問え、
 と言っているのだ。

 そう――
 貴方がカンパニーを瓦解に追い込むつもりだったと知っても。
 その結果がこの惨状だったとしても。
 それでもなお、貴方を手放すことは出来ないこの執着を、なんと呼べばいいのか。

 その答えこそが、これだ。

「いつまでも、貴方のお傍に。ルーファウス・神羅」

 ルーファウスは笑んで応える。
「来い、ツォン」

 ひっそりと囁かれた忠誠の誓いは、それでも風に散らされることなく確かに主のもとへ届いたのだった。


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